防衛大学『留学』記、asahi.com から許可転載
ここには、1999年4月から2001年3月までの2年間、防衛大学校の総合安全保障研究科(大学院、修士コース) に学んだ朝日新聞社の記者 谷田邦一さんの留学記を許可をもらって載せています。1999年8月から2001年3月 までasahi.comに連載されたこの留学記は、防衛大学校の一面をすなおに紹介している優れた記事であると同時 に、大変たのしく読める読み物でもあると思います。私はアメリカに留学していた頃、この留学記が毎月 asahi.comに載るのを楽しみにしていました。しかしながら残念なことに、2001年の5月から新しくなった asahi.comからは削除されてしまいました。せっかくの大作、ここにほぼ完全に復刻して掲載します。 --- この留学記は谷田邦一さんに著作権があります。 --- 2001年9月1日(写真等、ほぼ復刻)
2001年3月3日更新 - 社会部記者が防大に - 〜〜 朝日新聞記者 谷田邦一 〜〜 新聞記者生活16年。縁あって、1999年春から防衛大学校の大学院にあたる 総合安全保障研究科に通ってきました。縮めて呼ぶと防大(ぼうだい)。 卒業シーズンに、学生たちが自分の学帽を宙高く投げ上げるシーンが メデイアで紹介される、あの自衛隊の「士官学校」のことです。 97年度にできた同研究科では、 「受託教育」と呼んで一定の定員枠を民間にも開放しています。 私はその1人として、朝日新聞の社会部に在籍しながら、 教育してもらってきたわけです。 社会部では8年間、防衛庁記者クラブなどに所属し、 主に防衛問題を担当してきました。 演習場を歩き、護衛艦や哨戒機に乗ることはありましたが、 まさか40歳をこえて防衛庁の学校に通うことになろうとは……。 人生の巡り合わせって不思議なものです。 軍事マニアが「おたく」としばしば呼ばれるように、防衛問題はこれまで、 ふつうの人たちの生活にあまり関係なさそうな分野だと思われてきました。 しかし、少なくともこの10年くらいの動きを見ると、そうではなさそうです。 世界が東西に分かれて対決した冷戦が終わったのに、 朝鮮半島危機や国連平和維持活動(PKO)、沖縄基地問題、 ガイドライン・周辺事態関連法、有事法制論議と、 問題はさらに難しく複雑になろうとしています。 「身近で起きているんだけれど、よくわからない。でも、ちょっと気になる話題」 というのが大方の人々の受け止めではないでしょうか。 防衛大学校では、こうした軍事紛争や国際問題について、 セキュリテイー(安全保障)という視点から詳しく教えてくれます。 私は2年間、自衛官と一緒に机を並べて学ぶ機会を得ました。 プロの世界に迷い込んだ素人の記者の思いをお伝えできればと、 毎月、アサヒコムでレポートしてきました。 19回。 お励ましやご批判をいただきながら、何とか続けてくることができました。 みなさん、長らくのご愛読、本当にありがとうございました。