雨宮まみさんのご冥福をお祈りいたします。
これは、お亡くなりになったのを知った日から、Twitterに書いたものをまとめたものです。
ものを書く人間は、みんな嘘つきです。一度も嘘を書いたことがないというもの書きがいたら、その人も嘘つきです。面白い方向に事実をねじ曲げる、会話のニュアンスを微妙に変えるといった明らかな嘘以前に、何を書いて、何を書かないかという取捨選択があります。その判断は、どんなにフェアにやったって、限りなく黒に近いグレーじゃないでしょうか。少なくとも、書かれる側にとってそれがまるっきり真実だとはとても言えないでしょう。
https://spur.hpplus.jp/culture/mamiamamiya/201611/08/M3kUcZg/
春に綺麗なキルティング刺繍のベッドカバーをいただいた。届いたらサイズが合わなくて、結局使わないままだったのだけど。彼女が書いてることが楽しみだった。お会いしたことはなかったけど、いつか会えると思っていたのにな。悲しいです。
メッセンジャーでいつも読んでますよと言ってくれ、それからブログとか書くときは雨宮さんが読むかもしれないなと少し思ったりした。
キルティングのベッドカバーの御礼に本のレビューをしますよ、と言ったきり、私は感想が書けなかった。そして彼女の死の日となった。
雨宮さんの原稿というか、生き方の圧に気おされて私は実際のところ、生前に彼女の文章をSNSの気楽な投稿(食べたものとか、うわさ話とか、買ったものとか、そんなつぶやき)以外では読んだことがなかった。ただ、どこかであのきれいな顔と強い瞳をした女性が生きていて、書きたいものを書いて暮らしているんだろうと思って安心していた。今、どうしたらいいのかよくわからない。
最大の危機は39歳のとき、突然訪れた。自分の人生には起きないだろうと思っていたこととか、自分はこういう人間だと思っていたこととか、すべてがひっくり返されるようなことが起きた。まさか、この年齢で、と思うようなことが起きて、はっきり「年齢なんてあてにならない」と思った。40歳、普通なら落ち着きそうな40歳という年齢であっても、神様は何も、手加減も容赦もしてくれない。40歳でも信じがたいことは起きるし、ドラマチックなことも、喜劇も悲劇もロマンチックコメディも、なんでも起きる。舞い上がったりドン底に叩き落とされたり、混乱の極致に立たされて、私は「もう無理。起き上がれない」と友達にLINEして、薬を飲んでベッドに潜り込んだ。
(略)
「もう本当に今夜だけは乗り越えられない」と思う夜が何度かあった。そういうときに「じゃあ水曜みんなで飲もう。水曜まで持ちこたえて」と、必ず言われた。もう本当に明日のことなんて考えられないし考えたくないし、自分がいつ、傷だらけの状態から戻ってこれるのかもわからないし、このまま友達に愚痴るばかりのうっとうしい女に成り下がっていくのも耐えられない。でも、そんなことより、今夜は飲むんだ、ということのほうが勝った。
私はただもっと、素敵になりたい。大胆になりたい。欲望に正直になりたい。自分自身になりたい。別に高い服じゃなくていい、いまの気持ちにぴったりくる服を、いま着たい。
ふと「今なら飛び降りられるな」と思った。今のこの感じなら、すっと飛び降りることができる。怖くない。さぁ、Major Lazer & DJ Snake feat.Mφを聴きながら飛ぶか。
今、雨宮さんの「40歳がくる!」を読んだ。
雨宮さんの生身の文に触れて、今、不思議な気持ちだ。
銭湯にはまってた頃、毎日浴場で会ってたおばあちゃんがいたのだが、ある日麹町の交差点で信号を待っていたら、道路の反対側に知ってる顔の人がいてそれがそのおばあちゃんだった。服着てるおばあちゃんを見るのが初めてで、少し驚いた。なぜかそのことを思い出した。
「40歳がくる!」は、すごく死のにおいがする原稿ばかりだと感じた。飲めない酒をあおってぶっ倒れて、手すりを乗り越えたくなって。でも、書くことでその「死」にどうしようもなく引っ張られてしまう自分そのものを虚構化したいというギリギリの綱引きをしていると感じた。
死への願望を、書くことでうそにしたい。それは「文章を書く人間はみんな嘘つきです」と言い切った雨宮さんだからできた。自分を生かすためのウソを、自分の筆をつかって、ついたんだと思う。
そして……こういうことを言われたくないかもしれないが、私らしくいたい、後悔したくない、今したいことをする、今着たい服を着る、今書きたいことを書く、今、私は、つまらない女から卒業できた…そんな言葉を並べている雨宮さんの原稿を読んで、ああ何か大きなものを失ったんだろうなと、自分らしさに突き進めばそれだけ喪失したものを想起させる、そんな原稿ばかりだった。
私だって大事なものをなくしたことはあるから、わかる気がする。でも辛いもんだな。読んでて辛くなるな。
普通のおばさんになっても、イケてるおばさんになっても、孤独なおばさんになっても、幸せなおばさんになっても、死ぬときは死ぬ。
(一旦寝た。起床後また雨宮さんについて思案した)
「40歳がくる!」の檄文調の文章にあてられてきのうはなにもできなかったが、「ワールド」に寄せた原稿「今夜、後楽園ホールで六時。」を読んで、すごくよかった。プロレスのオールドファンと自分。その対比を描き、何が面白いのかをわかる能力は、好きとかきらいとかの個人の趣味を超えていてそういう人こそが歴史を波に耐えうる、と冷静に書いてる原稿はすごくいいと思った。
そして言えるのは雨宮さんはどの文章も超本気で書いてたんだなということだ。
Twitterのタイムラインは雨宮さんの死を受け入れられない、受け入れたくない人たちの声が、いま悲鳴のようだ。
「救ってもらった」「助けてもらった」「雨宮さんがことばにならない自分の思いを、言葉にしてくれた」「優しくて強い人だった」「繊細で人の気持ちがわかる人だった」……そんな言葉が並ぶ。
嘘のない言葉、正直な言葉、傷ついた人に寄り添った言葉、凄まじく鋭い言葉、自分に真剣勝負な言葉……そんな言葉を雨宮さんは紡いでいた。だからこそ、これだけ多くの人が、雨宮さんの死に打ちのめされている。
雨宮さん。「生き残ったものが、歴史を書き換える(冒頭に紹介したSPURの書評連載リードより)」んでしょう、あなたのようなフェアな人こそが、生き残って書いて欲しかったよ。個人的な好悪を超えて、その作品や芸術家の、何がいいのかなぜ世の中に受け入れられたのか、それがわかる人こそが歴史の波に耐えることができるんだよね?
生きていて欲しかった。
そして、先に死ぬなら、もっとゆるく、もっと俗に生き、もっと人に迷惑をかけて、「ああ、私も彼女のお世話してあげたこともあるよ。だらしないところもあったけど、愛嬌のあった人だったよね」っていうぐらいのゆるさで生きるべきだと、私は思いました。
先に死ぬなら、
優しすぎてはいけないし、繊細すぎてはいけないし、厳密すぎてはいけないし、聖女過ぎてもいけないし、鬼気迫ってはいけないし、凄まじく正直に生きてはいけない。聖女の生き様をみせられたまま死なれたのでは、残されたみんなが辛いんだなと。
老醜や老害って、死に向かう滑走路なのかもしれないって、ちょっと思った。
あまり美しいまま、死なないで下さい。
とはいえ、桜の花はダリアにはなれないので。人も同じではないでしょうか、こうなりたいとかこうはなりたくないとかと自分の性質は無関係にある。だったら彼女はこれでよかったんだ。
今朝は、雨宮さんの10年前のブログを読んでいた。誰にも必要とされてなくても大量に書いていた時代があったのを知った。圧倒された。
『東京を生きる』を読んだら、感想文を書きます。約束は、どちらかが死んで無効になるとは思っていないので。ありがとうございました。