・「真剣である」ことは、簡単なようでむつかしい。
人は、あんがい真剣じゃないものです。
真剣そうに見えていても、真剣そうに見せていても、
ほんとうに真剣だということは、
あんまりなかったりするものです。
涙ながらに語ったとしても、怒声をあげて叫んでいても、
そういうことは、あんまり関係ないのです。
感情を激しく表現していても、真剣とはちがいます。
「真剣である」ということが、
人にしっかり届いたときには、
意見を異にする人たちの間にあっても、
こころが通じます。
そんなことを言うぼくが、
「真剣である」がどれほどあるかと問い返されたら、
ときどきある、くらいしか答えられません。
でも、なくはないです。
さらに言えば、真剣が通じなかったこともあります。
・昨日、「東京電力福島第1原発」に、
はじめて福島の高校生たちが見学に入りました。
両親と話し合って許可を得て、
校長先生ともしっかり討論をしてきています。
あらかじめ書面にもつくってあった質問の数々は、
メディアの人たちも真っ青の、核心をついた内容でした。
東電福島復興本社の石崎芳行代表や、
廃炉推進カンパニー最高責任者の増田尚宏さんに、
見学バスのなかで静かに質問し続ける女子高生たちを、
ぼくも、たぶん取材の記者たちも、
じぶんたちの若いころと比べて見ていたと思います。
福島の高校生たちの真剣さが、美しく見えたのでした。
重くもないし、感情をぶつけているのでもない。
でも、「真剣である」ことが、空気をつくるんですよね。
むろん、その真剣さに、石崎さんや増田さんも、
迫力を感じるほどの真剣さで、静かに答えていました。
大きな事故、不幸からはじまったことなのですが、
この人たちが、次の時代を拓いていくのだなぁと、
なんだかわくわくするような気持ちになりました。
絶望は愚か者の結論、未来はあの人たちの時代ですよね。
軽やかに、そして真剣に、どうかたのしくね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大人たちは、種蒔く人たちに、どんな畑を贈れるのだろう。
土曜日、日曜日と祝日の「ほぼ日」は9時に更新しています。
昨日の「今日のダーリン」を読み逃した方はこちら。
人は、あんがい真剣じゃないものです。
真剣そうに見えていても、真剣そうに見せていても、
ほんとうに真剣だということは、
あんまりなかったりするものです。
涙ながらに語ったとしても、怒声をあげて叫んでいても、
そういうことは、あんまり関係ないのです。
感情を激しく表現していても、真剣とはちがいます。
「真剣である」ということが、
人にしっかり届いたときには、
意見を異にする人たちの間にあっても、
こころが通じます。
そんなことを言うぼくが、
「真剣である」がどれほどあるかと問い返されたら、
ときどきある、くらいしか答えられません。
でも、なくはないです。
さらに言えば、真剣が通じなかったこともあります。
・昨日、「東京電力福島第1原発」に、
はじめて福島の高校生たちが見学に入りました。
両親と話し合って許可を得て、
校長先生ともしっかり討論をしてきています。
あらかじめ書面にもつくってあった質問の数々は、
メディアの人たちも真っ青の、核心をついた内容でした。
東電福島復興本社の石崎芳行代表や、
廃炉推進カンパニー最高責任者の増田尚宏さんに、
見学バスのなかで静かに質問し続ける女子高生たちを、
ぼくも、たぶん取材の記者たちも、
じぶんたちの若いころと比べて見ていたと思います。
福島の高校生たちの真剣さが、美しく見えたのでした。
重くもないし、感情をぶつけているのでもない。
でも、「真剣である」ことが、空気をつくるんですよね。
むろん、その真剣さに、石崎さんや増田さんも、
迫力を感じるほどの真剣さで、静かに答えていました。
大きな事故、不幸からはじまったことなのですが、
この人たちが、次の時代を拓いていくのだなぁと、
なんだかわくわくするような気持ちになりました。
絶望は愚か者の結論、未来はあの人たちの時代ですよね。
軽やかに、そして真剣に、どうかたのしくね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
大人たちは、種蒔く人たちに、どんな畑を贈れるのだろう。
土曜日、日曜日と祝日の「ほぼ日」は9時に更新しています。
昨日の「今日のダーリン」を読み逃した方はこちら。
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