清原、杉内、新井…プロ野球「FA」で幸せになった選手はいない? 
「裏切り者」と呼ばれる野球人生

今季の広島・新井の姿を見て、まだ気づかないのだろうか。FAで移籍して「裏切り者」と呼ばれる野球人生と、温かいファンの前で伸び伸びと実力を発揮する野球人生と、どっちが幸せなのかを。

結果が出なければ、即クビ

西武の元監督で、巨人、阪神でもコーチを務めた伊原春樹氏が言う。

「極端なことを言えば、フロントはFA権を行使して移籍してくる選手を、結果を出せるかどうかでしか見ていない。望むような成績を残せなければ、あとの面倒は見ない。巨人にFAで入団した清原和博が自由契約になったとき、あれだけの選手にもかかわらず、球団から『コーチで残ってください』という話がなかったのがいい例です」

伊原氏の言葉を待つまでもなく、「FAでの移籍で幸せになれなかった選手」の代表格が、清原だろう。

 

'96年オフの移籍当初こそ、憧れのミスターこと長嶋茂雄監督(当時)から「僕の胸に飛び込んできて欲しい」と請われ、三顧の礼をもって迎えられた。だが、移籍数年でヒザの状態が悪化し、活躍に陰りが見えると、巨人はすぐに同じ一塁手のペタジーニを獲得。さらに、清原を4番から降格した。

「清原自身が、同じFA組の落合博満や広沢克実の後釜として連れてこられたように、広島から来た江藤智は、後釜に小久保裕紀を据えられた。みな、同じポジションの選手を外から連れてこられ、居場所を失う。今でも、生え抜きの阿部慎之助や坂本勇人とFA組の村田修一の扱いは明らかに違うし、外から巨人に来た選手は、常に『お前は用無しだ』と肩を叩かれるプレッシャーと戦わなければなりません」(スポーツ紙巨人担当記者)

結果が出なければ、すぐに切り捨てられる。いま、その苦しみのなかでもがいているのが、杉内俊哉(36歳)だ。

'12年、ソフトバンクからFAで移籍した杉内は、堀内恒夫や桑田真澄など生え抜きエースたちが背負ってきた「背番号18」を与えられ、4年総額20億円という巨額の契約で巨人に迎えられた。

だが、6勝に終わった'15年、右股関節の怪我で一軍未勝利の今年と、苦しい状態が続いている。

「正直、巨人に移籍することさえなければ、杉内が怪我に苦しむことは無かったと思う」

匿名を条件にこう語るのは、コーチ経験もある巨人OBだ。

「杉内は身体の違和感に敏感なタイプ。少しでも痛みがあれば自分から大事をとることも少なくない。それが、ホークスでも大きな故障をせず投げてこられた理由だった。しかし、『巨人のエースとして結果を出し続けなければいけない』というプレッシャーの前に、少々の違和感では口にできなかったのではないか」