Jリーグを経由せず海外に行き失敗した日本人プレイヤー3選

前回の記事でも取り上げたように昨今日本人の海外移籍が盛んだ。
基本的には、今でもJリーグで活躍→海外からオファーが舞いこむ→海外に移籍が大多数の選手の流れである。いま日本代表に入っている海外組は全員Jリーグ経由で海外に移籍した選手たちだ。

だが、このように日本人選手が海外から戦力として注目されるようになっているので、まれに高卒、または大卒の段階で海外に引き抜かれるケースがある。
また、最近15歳でJ3リーグデビューを飾った久保建英のようにユース年代から海外に飛び出す選手もいる。

ただ、海外に選手が出ていくパターンとして、ユース年代は別として、Jリーグを経由せずに移籍することに私は反対である。言い換えれば、日本人が高卒、大卒で海外デビューすることに反対なのだ。
理由はシンプルで、今までそのパターンで成功した選手がいないからである。
もちろん、これまで誰もいないからこれからも成功者が出ないというのは安直な発想であるし、そもそも「成功」の定義も難しい。

しかし、これから挙げる3選手はJリーグを経由せず、海外に行ったことによって、本来持っているポテンシャル、より成長したかもしれない可能性を伸ばし切れなかったと感じる。
そんな3選手を紹介する。

1 伊藤 翔

一人目は言わずと知れた横浜FM所属の伊藤翔。
中京大中京高校のときに注目され、アーセナルのトライアルを受けた際にベンゲルが絶賛した。その際にアンリに例えられたことで、日本でも「和製アンリ」として大きく注目を浴びた。

それをきっかけに海外に目を向けたのか、2006年、高卒1年目にフランス2部のグルノーブルに加入。
グルノーブルといえば、2004年に日本企業のインデックス社が買収し、伊藤翔の前には、梅崎司、大黒将志、後には松井大輔が所属した日本に馴染みのあるクラブ。当時は日本人がGMを務めており、伊藤翔の獲得は話題性のためではないかと思われる。

それを裏付けるように4年間でリーグ戦出場は5試合でゴールはゼロ。その成績で4年間もチームが置いていたことも不可解である。普通の欧州のクラブに所属していれば、遅くとも2年で放出だろう。

その後、伊藤翔は、清水エスパルスに移籍。ここでも3年間はほとんど出ず、4年目芽が出だしたか、というところで横浜FMに移籍。ここではほぼレギュラーとしてプレーし、FWとして平均的な成績を残している。

ただ、得点以外の貢献度が高いFWとはあまりいえない選手である。
伊藤翔の海外移籍、またJでのプレーから察するに、ただベンゲルに褒められたことをマスコミが盛り立てただけで、海外で、活躍できるレベルの選手ではなかったのではないか、というのが私の考えだ。

ただ、最初からJにいれば、今よりもっと良い選手になれたのではと思う。
J1で出れなければJ2にレンタルできるし、自分の実力にあった場所から着実にプレイヤーとしてレベルアップできたのではないだろうか。
 

2 宮市 亮 

2人目は宮市亮である。
おやっ??と思われた方も多いと思う。なぜなら宮市は今も海外でプレーしているからだ。
だが私は宮市は海外に行ったことが失敗だったと思っている。

まずは、宮市の経歴。
伊藤翔と同じく中京大中京高校からアーセナルの練習に参加。ベンゲルに評価されアーセナルに移籍。
そこからフェイエノールトにレンタル移籍。切れ味鋭いドリブルで強い印象を残す。
その後、ボルトンに移籍し、ここでもプレミアの強烈なディフェンダー相手に果敢に仕掛け、ゴールこそなかったもののレギュラーとしてプレー。その後再びレンタル移籍。今度はウィガン。ただ、ここでは右足首靭帯を2回損傷し、ほとんど1年を棒に振る。

翌年は、アーセナルに戻るもほとんど出場はなく、次はオランダのトゥエンテにレンタル移籍。ここでは最初スタメンで起用されるも全くいいプレーができず、リザーブのチームに降格。
翌年には、ついにフリーになり、ドイツ2部のザンクトパウリに移籍するも、右膝の前十字靭帯を断裂し、ほぼ1年を棒に振る。最後の試合で、2ゴール1アシストと結果を残すも、今シーズンはレギュラーではなく、出た試合でもパッとしないプレーに終始している。

宮市はまず怪我が多すぎる。
これはもしJリーグでプレーしていても多かった可能性はあるので、海外でプレーしている故とは断定できない。
プレー面に関しては、ドリブルとスピードが突出していた頃はそれでやっていけていたが、現在のプレーを見ると怪我の影響もあってかスピードは明らかに落ちている。

そこで、顕著に見えるのが、基礎技術の低さと視野の狭さだ。
止める、蹴るがまず安定しておらず、ドリブルを開始したときにそれ以外の選択肢がなくなってしまっている。
客観的に見て宮市がもう1度活躍し、ヨーロッパで成り上がるのは厳しいと思われるので、あと2、3年のうちにJリーグでプレーすることになるのではないだろうか。

ただ、上記の理由ゆえ、J1で活躍できる実力はないと考える。少なくとも浦和や川崎のようにポゼッション型のサッカーでは試合に出るのは難しい。
ただ、彼の今の現状は怪我が大きな理由でもあるので、最初にJリーグでプレーするべきだったかはわからない。
と言いつつも宮市は自身のアーセナル時代についてこんなコメントを残している。

この選手たちと練習をこなしているだけで、何かを成し遂げたような感覚、そんな気持ちになってしまいました

宮市亮からアーセナル入りする浅野拓磨への伝言
http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/1674763.html

Jリーグのクラブで練習していればそのような気持ちになることはなかっただろう。

3 長澤 和輝

Jリーグを経由せずに海外に行った日本人選手の中で一番悔やまれるのは長澤だ。
まず、経歴を振り返る。
高校時代は八千代でエースとして活躍。大学は、専修大学に入学し、1年生から存在感を示す。
4年時には横浜FMで特別指定選手としてプレー。大学卒業に合わせ、川崎、浦和、C大阪などがこぞってオファーを出していた。しかし、そこで以前練習参加していたケルンもオファーを出し、最終的には川崎と悩んだ末、ケルンに入団した。

ケルンは当時2部で入団してすぐにレギュラーを奪取し、1部昇格に大きく貢献。しかし、次のシーズンでは、左ひざの靭帯を断裂してしまい、ほぼ出場できず。3シーズン目は開幕から出場機会を得られず、シーズン途中に浦和へ完全移籍と同時に千葉にレンタル移籍。千葉では10番としてプレー。来シーズンは浦和復帰が決まっている。

長澤がケルンに行ったのは結果論になるが失敗だった。
たしかに最初のシーズンはチームにダイナミズムを与え、契約延長も果たしているが、その後怪我をし、そこからはまともに活躍できていない。

もし、川崎を選んでいれば、おそらく今頃チームの中心選手として優勝争いをしているか、日本でのプレーを評価され海外に移籍していただろう。
ケルンは槙野が出場機会を得られなかったように日本人が活躍しやすいクラブではない。大迫が昨シーズンまでブーイングされていたように観客のクセも強く、ロングボール主体のサッカーだ。Jリーグとドイツ2部での結果を認められた大迫が挑戦するのは理解できるが、プロで最初のクラブとしてケルンはハードルが高すぎたのではと思う。

長澤はパスをつなぐスタイルで生きる選手だ。フロンターレに移籍していればフィットできたことは間違いない。
それこそ焦らず海外に行かなくても、長友や武藤のように大卒でJを経由しても十分に海外でプレーする時間はある。

日本は、ルーキーの選手の年俸に上限があるため、ケルンが提示した金額はそれを優に超えるものだったに違いない。
金額が、チームを選択するときに影響するのは当たり前であるが、新卒の選手がもしそれを基準に選んでしまったのだとしたら過ちでしかない。

来シーズンは浦和でプレーする予定だが、ベンチで時間を過ごすことがないように願うばかりだ。