宇野「2016年が世界的に空前の傑作ラッシュの年だというのは、さすがにもう多くの人に共有されている認識だと思うんですけど」
田中「だと、いいけど。もうとにかくアメリカがとんでもないしね」
Bon Iver / 33 "GOD"
宇野「その中でもタナソウさんは一貫してPJハーヴェイの『ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト』を今年のワン・オブ・ベストだと主張してますよね」
PJ Harvey / The Hope Six Demolition Project (Album Trailer)
田中「もはや完全に壊滅状態の英国ポップ・シーンから出てきた作品の中では、間違いなくレディオヘッド新作とこのアルバムがピカイチだと思ってます」
Radiohead / Daydreaming (from A Moon Shaped Pool)
宇野「PJハーヴェイが時代の寵児として祭り上げられていた90年代半ばには、自分も洋楽誌で仕事をしていたので、さすがに当時の作品はそれなりにしっかり聴いてたし、2004年の〈フジロック〉のステージも目撃してますけど、今になってPJハーヴェイが気になっている個人的な理由が一つあるんですよ」
田中「というと?」
宇野「宇多田ヒカルが2013年から2014年にかけて、つまり活動休止中の唯一の対外的な仕事として、ラジオで番組をやっていたんですけど、その中で何度かPJハーヴェイに言及していて」
田中「ヒッキーは何て言ってたの?」
宇野「手元に当時の発言の書き起こしがあるんでそのまま引用すると、『トータルでいうとソングライターとしてとか、歌手としてとか,アーティストとして生きてる人たちの中で一番憧れるアーティスト』とまで言ってるんですね」
田中「おー」
宇野「長年の宇多田ファンとしても、『え? そこまで?』って驚きがあって。だって、現在の彼女にとってのフェイヴァリット・アーティストがPJハーヴェイってことですからね」
田中「いや、この記事を作ることを〈ホステス〉から相談された時に、おそらくPJハーヴェイに影響を受けただろうってことからすれば、世代的にも宇多田ヒカルや椎名林檎だとは思ったんだけど、そこまでとは知らなかった。ただ維正ちゃん自身は、そもそもポーリーの音楽についてはどうなんですか?」
宇野「実は、女性のポップ・シンガーは大好きなのに、音楽性がロック寄りになった途端に警戒しちゃうという、ほとんど性癖に近いリスナーとしての体質があって」
田中「パティ・スミスもだめ?」
宇野「ロック史において最もわからないのがパティ・スミスと言っても過言ではないです(笑)」
田中「でも、ビョークになると別なんでしょ?」
宇野「いや、実はビョークもずっと苦手だったんですよ」
田中「そこは同じだ。俺も最初はそうだった。世間で言うところのいわゆる女性的と言われる部分が前景化した音楽はホント苦手で。『自分はミソジニストなんじゃないか?』っていう不安がずっとあったくらい」
宇野「ただ、今年の来日時にビョークと初めて対面でインタヴューをする機会があって、その時に彼女はロックの文脈が自分の中には一ミリもないって言っていて、ホッとしたというか(笑)。彼女はアティチュードとしてはパンクではあるけど、ロックじゃないんですよね」
田中「なるほど。所謂『ウーマン・イン・ロック』という系譜が苦手なんだね。ギターを持ったオンナっていうのが。でも、俺の中ではポーリーだけはまったく別なんですよ」
宇野「今回の対談の前にPJハーヴェイの新作『ザ・ホープ・シックス・デモリッション・プロジェクト』を改めてちゃんと聴いたんですけど、確かにメチャクチャすごい作品ですよね」
PJ Harvey / The Wheel (from The Hope Six Demolition Project)
田中「そうなんですよ。でも、日本では完全に見過ごされてる。そもそも2016年がポップ音楽にとっては歴史的なビッグ・イヤーだっていう認識もシェアされてないようなところもあるでしょ。そりゃ、見過ごされるよな、っていう。だから、今日、話したいと思った理由は、そんなに熱心なPJハーヴェイのファンでなくても、むしろ2016年のポップ音楽も映画もドラマも横断的に見ている人がこの作品をどうポジショニングするか? っていうと、宇野維正だったってことなんですよ」
宇野「いや、ホント、今のイギリスで、どうしてPJハーヴェイがこんなにも孤軍奮闘しているのか? っていうことを今日は教えてもらいたいと思って。PJハーヴェイって、自分の世代のロック・ファンだったらそれなりにイメージくらいは持ってるだろうけど、若い音楽ファンの間では記号にさえなっていないような気がしていて」
田中「なってない。まったくシェアされてない。しかも、日本だとそれなりにコア・ファンの部類に入るだろう俺もよくわかってない」
宇野「ダメじゃないですか!(笑)」
田中「ただ、実際、維正ちゃんから見て、宇多田ヒカルのフェイヴァリットがPJハーヴェイだっていう文脈はなんとなく腑に落ちる?」
宇野「音楽的にはあまりリンクはしてはいないと思わざるをえない。ただ、英国に在住している女性ミュージシャンの一人として、今の宇多田ヒカルにとってある種のロールモデルになり得る存在だってことはわりと腑に落ちます。だって、PJハーヴェイってやりたいことしか絶対やってないじゃないですか」
田中「まさに。それがゆえに孤立無援でもあるんだけど。じゃあ、まずはポーリーの歴史をざっと振り返るところから行きましょう。92年の1stアルバム『ドライ』、93年の2ndアルバム『リッド・オブ・ミー』っていうのは、〈NME〉とかインディ・ロック界隈からの支持がすごく強かった」
PJ Harvey / Man-Size (from Rid of Me)
宇野「それこそカート・コバーンにとって大のお気に入りだったという話を筆頭にね。タイミング的には『リッド・オブ・ミー』の直後に『イン・ユーテロ』が出て」
Nirvana / Heart-Shaped Box (from In Utero)
田中「明らかにこの二枚は双子なんですよ。どちらもスティーヴ・アルビニのプロデュース作品だし。カート・コバーンは明らかに『ドライ』にインスパイアされてた。その後、カート・コバーンがパワー・ポップやパンクから、ブルーズやフォークに接近しようとするモードの変化が『イン・ユーテロ』には滲み出てるでしょ? かつ、ホールの2ndアルバム『リヴ・スルー・ディス』あるでしょ。あれって、俺からするとカート・コバーンのベスト・ワークなのね」
Hole / Miss World (from Live Through This)
宇野「確かにあれはすごいアルバムだった。でも、自分はやっぱりコートニー・ラヴが苦手でした(笑)」
田中「俺はもうカート・コバーンがかかわったすべての仕事の中で『リヴ・スルー・ディス』が一番の傑作だと思っているから」
宇野「ほぉ!」
田中「で、コートニー・ラヴが同世代アーティストとして唯一ライヴァル視していたのがPJハーヴェイ」
宇野「でも、地理的にはアメリカとイギリスで離れていたし、PJハーヴェイは当時からどこにも属してない感じだったけど」
田中「PJハーヴェイの音楽性を培ったベーシックな要素っていうのは、乱暴に言うと、3つあって。ひとつはブルーズ。もうひとつは、これ、まあ、反動的な言い方なんだけど、女性だってこと。で、もうひとつが彼女がドーセットの出身だっていうこと。イギリスの南西部にサウサンプトンって街があるでしょ。80年代のポストパンク・バンドのバウハウスの出身地ね。彼らとも親交があって、本物の魔術師でもあり、アメコミを革新的に変えたって言われているアラン・ムーアっていうコミックの原作者の出身地。ど田舎なんですよ。その、さらに南のドーバー海峡沿いの街出身なの。つまり、さらなるど田舎。観光産業はあるにはあるんだけど、基本的には農業しかないっていう」
Bauhaus / Bela Lugosi's Dead
宇野「観光って夏の海水浴ってことですか?」
田中「そう、海水浴だけ」
宇野「PJハーヴェイには全然リゾート感はないけど(笑)」
田中「夏以外は人よりも家畜の方が多いような、農地しかないさびれた街なんですよ。彼女、ロンドンに出てきて、そこでの文化の違いを目の辺りにして、ナーバス・ブレイクダウンに陥ったくらいだから。ある種、近代以前の価値観とか、空気感から出てきたところは多分にある」
宇野「あぁ、腋毛生えてそうな」
田中「実際に生えてたはず」
宇野「その時点で自分はもう駄目なんです(笑)。プラスティック・ガール至上主義者なもので。こういうことを言うとセクシスト呼ばわりされそうだけど、女性にも性欲があるってことに、理屈ではわかってはいても、エンターテイメントの世界ではあまり触れたくないというか」
田中「(笑)でもまさに、その『女性にも性欲がある』ってことを真正面から表現したのがPJハーヴェイが出てきた時の最大のインパクトだったんだよね。例えば、初期の代表曲の“シーラ・ナ・ギグ”って、ケルト時代の彫刻の名前なんですよ」
宇野「タナソウさん、ウェールズ系とか好きですよね? 言ったら、『ゲーム・オブ・スローンズ』とかも、そうですよね?」
『ゲーム・オブ・スローンズ 第一章:七王国戦記』10分ダイジェスト
田中「そもそも表現に惹かれる時に『共感しました!』というメカニズムが皆無なのよ。『ああ、わかる、わかるわ。終わり』みたいな。逆に『何これ? 意味わかんないんだけど』ってものに惹かれる。とにかく自分の文化的なバックグラウンドからは理解できないものには興味がある。で、こんな彫刻なのね(スマホの画面を見せる)
女性器を開いてる女性。で、基本的に1stアルバムって、男にあからさまに性的な欲望を覚える女性っていう設定がすごい多い」
宇野「そういえば、そうでした」
田中「でも、本人は、歌のキャラクターとは正反対なわけ。94年とかに初めて会ったんだけど、例えばビョークとかとはホント真逆で、すっごく声が小さくて、緊張しすぎて、部屋から出てこれなくなるような人なの」
宇野「そうなんだ? てっきり曲のイメージそのものの人だと勘違いしてました」
田中「身長15メートルの巨大なオカマ(クイニー)っていうありえないキャラクターの立場になって歌った“50ft・クイニー”みたい曲もあるしね(笑)。あの曲の歌詞に『こっちに来て計ってごらん/私のは50センチ』っていうラインがあるんだけど、あれ、巨根自慢の男をからかってるんだよね」
宇野「嫌だなー、それ(笑)」
PJ Harvey / 50 Ft Queenie (from Rid of Me)
田中「でも、笑えるでしょ。観察とユーモアの産物なの。でも、彼女、初期の作品で自分が書いたキャラクターと自分が同一視されたことでかなり疲れ果てたところもあるらしく。ただ、PJハーヴェイの1stアルバムの『ドライ』って、性器が乾いてるっていうことなんだよね」
宇野「ボン・ジョヴィの『Slippery When Wet』的なロックの男性原理に対するカウンターですね。ビョークはそこから逃走するためにエレクトロニック・ミュージックの世界へと飛び込んだわけだけど、PJハーヴェイは最初からものすごく意識的だったわけですね」
田中「“ドレス”って曲は、『女というのは常に男を喜ばせるために着飾るんだ』ってことをモチーフにした歌なんだけど、最後になるとその立場が反転するっていう。“シーラ・ナ・ギグ”のコーラスは男の立場から歌われていて、『シーラ・ナ・ギグ、この露出狂オンナが!』っていう内容だったりとか」
PJ Harvey / Dress (from Dry, live at Reading 1992)
PJ Harvey / Sheela-Na-Gig (from Dry, live at Reading 1992)
宇野「けど、PJハーヴェイって、あんまりフェミニスト的な文脈で語られてないでしょ? そこの線引きはどこにあるんだろう?」
田中「そういう発言もしないしね。女にも欲望がある、っていう単純なことをストーリーの中に落とし込んだだけだし。しかも、単にブルーズからの影響だから、っていう」
宇野「というと?」
田中「彼女の最初のルーツって、両親が聴いてたキャプテン・ビーフハートとか、ブルーズをモダンに更新した作家なんだけど。俺、そもそもレッド・ツェッペリンが大嫌いだったんですよ」
宇野「ゼップに関しては、自分も長いこと全然入り込めませんでしたね。ローゼズのセカンド経由でようやく好きになるという、倒錯した感じ(笑)」
田中「今はフォーク・バンドとしてのゼップは好きなんだけど、とにかくブルーズをやるレッド・ツェッペリンが好きじゃない。俺、デルタ・ブルーズが好きなの。ハード・ロック的なブルーズが嫌いで。マッチョすぎるし。で、PJハーヴェイも最高のカヴァーをしてる、ハウリング・ウルフのバンドのベーシストだったウィリー・ディクソンっていうソングライターがいるのね」
PJ Harvey / Wang Dang Doodle (Howling Wolf cover)
田中「で、初期のレッド・ツェッペリンって、ウィリー・ディクソンのリフや歌詞をいくつもパクッて、全部ペイジ=プラント名義でリリースしてたんだけど、ある時期に訴えられて、全部ウィリー・ディクソンのクレジットが入るようになった。だから、PJハーヴェイが出てきた時に、彼女がブルーズを正しい場所に取り戻したっていう文脈があった。当時は、ポストパンク・ブルーズみたいな言われ方をしたんだけど、それにニルヴァーナが続いたっていう」
宇野「それが今のサヴェージズ辺りに繋がってる、と」
田中「そうそう。で、音楽性とは別に、ブルーズの歌詞を考えてみると、女性に対する性的な欲望を描いたりだとか、女性にひどい目にあったっていう歌詞が大半なわけ。だから、単純な話、それを女性がやっただけなんだよね」
宇野「男の立場と女の立場を反転させたっていうわけですね。なるほどね。ブルーズって、90年代以降の音楽シーンで再解釈されて一時期ホットなワードだったわけじゃないですか。ジョン・スペンサーがいて、その後はホワイト・ストライプスがいて、みたいな。でも、そういうブルーズ・リヴァイヴァリストという文脈においても、PJハーヴェイってより本格派であり、特別な存在なんですね」
田中「特別な存在。形式の伝統を継承して、進化させてる。歌詞の書き方としても。きちんと韻は踏む、ストーリーらしきものはある、でも全部を語らない。それってボブ・ディランみたいな、ビートニクとサイケデリックを通過したせいで、意味不明な部分はたくさんあるんだけど、ストリーテリングは確実にあるっていう、フォークの伝統とは少しばかり違っていて。フックのあるトピックが印象的なコピーライトで歌われて、何かしらのブルーなフィーリングは伝わるんだけど、実際のことはよくわからないっていう。ハウリング・ウルフ、マーク・ボラン、PJハーヴェイという並びで語ることも出来る。例えば、ジョン・スペンサーにそういう部分はなかったでしょ?」
宇野「彼らの関心が向かっていたのは、あくまでも音楽の形式としてのブルーズでしたもんね」
田中「あ、でも、“ベルボトムズ”とかは近いかも、だけど」
The Jon Spencer Blues Explosion / Bellbottoms