『この世界の片隅に』感想とイラスト 戦争に勝る日常

映画『この世界の片隅に』すずのイラスト(ありゃ~)

昭和20年、広島・呉。すずさん、あなたはそこでまさに存在し、精一杯生きてましたね。あなたの「ありゃ~」にどれだけ心癒されたことか。すずさん、すずさんもしかして、今でもそこにいますか?

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目次

『この世界の片隅に』感想とイラスト 戦争に勝る日常

  1. 作品データ
    1. 予告編動画
  2. 解説
    1. あらすじ
  3. 感想と評価/ネタバレ有
    1. 正しい反戦映画のかたち
    2. 片渕須直という監督
    3. 幸福な日常を侵食するあの日
    4. 喪失と獲得
    5. “のん”という女優
    6. 信じるだけでは救われない

作品データ

『この世界の片隅に』

  • 2016年/日本/126分
  • 監督・脚本:片渕須直
  • 音楽:コトリンゴ
  • 声の出演:のん/細谷佳正/尾身美詞/牛山茂/新谷真弓/稲葉葉月/小野大輔/潘めぐみ/岩井七世

予告編動画

解説

ぼけっと何も知らず、笑って死なせてはくれない現実の厳しさのなかで、それでも人は笑って生きたい、生きていけるというやさしい現実をも描き出したアニメーション映画です。原作は『夕凪の街 桜の国』も2007年に映画化されたこうの史代の同名漫画。

監督はこの原作に惚れ込んだ『マイマイ新子と千年の魔法』の片渕須直。製作発表は2012年で、2015年からクラウドファンディングにより資金調達を開始。最終的な支援者は3374人に達し、集まった資金は3622万4000円。これは国内クラウドファンディングの最高人数、最高金額だとのこと(映画部門)。

主演は『あまちゃん』の能年玲奈あらため“のん”。芸能ゴシップというものに疎いボクでも知っている、事務所独立に絡む強制的休業状態、そして本名剥奪による改名後初となる本格的仕事復帰作品です。この映画による芸能活動復帰には何か運命的なものを感じますな。

あらすじ

昭和19年2月。広島市江波で暮らす絵が得意な18歳の少女すず(のん)に、突然の縁談話が舞い込む。あれよあれよというまに軍港の街、呉へと嫁ぐことになったすず。そこで彼女を待っていたのは、北條周作(細谷佳正)という無口だけどやさしい青年だった。

こうして北條家に迎え入れられたすずは、極度の天然ボケとおっとりした性格によりたびたびトラブルを巻き起こすものの、見知らぬ土地で必死に嫁としての仕事を頑張り、徐々に北條家とも打ち解けながら、忙しい毎日を過ごしていくのであった。

しかし戦況は刻一刻と悪化していき、配給物資も次第に減っていくなか、不器用ながらも懸命に北條家の暮らしを守っていこうとするすずであったが……。

感想と評価/ネタバレ有

漫画もアニメもほとんど興味がなく、当初は観に行く予定には入っていなかった『この世界の片隅に』。しかしこの映画が公開されるやいなや、ボクのTwitterタイムライン上に激賞の嵐が吹き荒れておるではないですか!なんだかよくわからんけどそんなに凄い映画なの?

というわけで調べてみたら、クラウドファンディングで資金を集めた映画らしく、この原作の映像化を強く望んだファンの想いが結実したという経緯にまず強く惹かれましたね。そして主人公すずの声を大きな力によって消された芸能人のん(能年玲奈)が演じているという事実。

ボクは日本の芸能界にもさして興味がなく、彼女がブレイクするきっかけとなった例の朝ドラも、往年のヤンキー少女漫画を映画化した『ホットロード』も観ておりません。だってなんの興味もなかったから。んなわけで、能年玲奈という名前と顔の一致すらできない始末。

名前と顔の一致ができる前にテレビから消えてしまった能年さん。そんな彼女が“のん”と改名し、本格的仕事復帰第1弾となったのがこの映画。嘘か誠かわかりませぬが、彼女の主演によって見えない力が働き、大手マスコミはこの映画の宣伝に積極的ではないとかなんとか。

今でこそコロコロ転がってトゲがなくなり、まんまるになってしまったボクですが、元来はトゲトゲのパンク魂を持っていたことをついさっき思い出しました。腐った大人になんか負けるんじゃねえ!てなわけで、応援がてらコロコロ転がりながら観てまいりましたよ。

前置きが長くなってしまいましたが、ようやくこっから映画の感想です。あ、ちなみにネタバレしておりますので、未鑑賞の方はどうぞご退却を。んなもん気にしないって方はどうぞ最後までお付き合いください。

正しい反戦映画のかたち

物語は絵を描くことが大好きな18歳のすずさんが、広島の江波から呉へと嫁いできて、戦時下の苦しい生活のなかでも懸命に生きる日常を描いたもの。もの凄く乱暴に要約するならば、戦争という悲劇に蹂躙される市井の人々の姿を描いたいわゆる反戦映画のたぐい。

しかしこの映画は『火垂るの墓』のような現代的視点で当時のリアリティを無視した作品ではなく、あくまであの時代に生きた人々のリアルな生活、心情、想いへと寄り添った真にリアルな戦時下映画なのです。これがこの作品に大きな支持が集まっているゆえんでしょう。

主として描かれるのはあくまであの時代を懸命に生きた人々の、戦争も日々の営みの一部として存在した日常であり、笑いと、温かさと、やさしさと、そして悲しさが詰まった我々と同じ普通の人間の普通な毎日なのです。ただ違うのはそれが戦時下というだけ。

これがこの作品のミソであり、素晴らしいところ。声高に戦争反対を訴えているわけでも、悲劇を強調しているわけでもなく、あくまで彼らの日常、笑顔、小さな幸せに寄り添うことにより、それが奪われる悲しさ、それでも人は生きていけるたくましさを描く。

『火垂るの墓』が作為的な悲劇のお涙頂戴反戦映画だとしたら、『この世界の片隅に』はなるだけ無作為を演出した笑いと涙と勇気の日常奪還反戦映画だということ。とうとう日本の戦争映画もここまで進化してきたか。なにげに『火垂るの墓』をディスっているのは内緒にね。

片渕須直という監督

戦時下に生きた市井の人々の日常を丁寧に丁寧にすくい取った監督の手腕。徹底した時代考証やリサーチによる半端ではないリアルさ。本当にアニメは門外漢でして、片渕須直という監督もまったく存在を知らなかったので、ちょっとWikiさんで調べてみました。

どうやらかなりベテランのアニメ演出家のようで、かかわった作品を調べていたら知っている作品がたくさんありましたね。そして納得しました。ボクはある時期からアニメをほとんど観なくなったのですけど、子供の頃に好んで観ていたのは「世界名作劇場」。

ロボットも、怪獣も、魔法も、戦いもないひたすら日常に寄り添った地味な生活ドラマ。これがボクは大好きだった。そして片渕監督はこの「世界名作劇場」の作品に数多くかかわっていたのです。

『愛少女ポリアンナ物語』『私のあしながおじさん』『トラップ一家物語』『若草物語 ナンとジョー先生』『七つの海のティコ』、すべて観ておりました。そして関西出身者にとってのバイブルともいえる日常ドラマ、『じゃりン子チエ』も手がけていたという事実。

これらの作品で培ってきた経験と技術、そしてこだわりが、『この世界の片隅に』の丁寧な日常描写、絶妙の間とユーモア、そして方言や地域性へと結実したのでしょうね。それらが見事に合わさることによって、簡素な絵でもこれだけのリアルさを演出することができたのです。

戦争そのものを描かずとも戦争を語ることはできる。むしろ我々の現実と地続きの日常を、市井の人々の暮らしを、ささやかな幸せを、困難を、奮闘を丁寧に丁寧に描き出すことにより、その背後でうごめく戦争という邪悪をより際立たせることもできるのです。

幸福な日常を侵食するあの日

戦争中だからといって、みんな「鬼畜米英!」と叫んで竹槍突き刺したり、教師や上官に張り倒されたり、ひもじい生活で泣いて苦しんで恨んでわめいていたわけではないのです。戦争中でも生活は生活、日常は日常として淡々と進行されていくのですから。

ささやかな幸せと笑いをもって。この映画でその中心にいたのが主人公すずさん。彼女の天然ボケともいえる呑気なほがらかさに皆さん心癒され、思わず笑わされたことでしょう。ボクも声を出して笑ってしまいましたし、場内も数えきれないほど笑いで包まれておりました。

いわゆる反戦映画でこれだけ笑いが起こるのも珍しいこと。これだけでもこの作品がいかにオリジナリティあふれるものかおわかりいただけると思います。しかしやはりこれは戦争映画。どれだけこの一瞬が笑いに包まれようと、我々はその先の未来を知ってしまっている。

すずを中心としたこの家族の日常に心癒され、どれだけ笑わされようとも、やがて訪れるあの瞬間の日時を我々はもうすでに知ってしまっている。昭和20年8月6日8時15分。止まってはくれない時の流れ。日ごとに増えていく空襲警報。歴史はいまさら変えられない。

抜群のテンポで繰り出される日常描写の雨あられは、同時に止めようのないカウントダウンでもあったのです。彼らの日々の暮らしが、日常が続けば続くほど、彼らにとっての逃れられない未来、我々にとっての忘れられない過去へと、「あの瞬間」へと接近してしまうのです。

喪失と獲得

変えられないあの瞬間へと突き進む映画としては、黒木和雄監督の『TOMORROW 明日』を思い浮かべますが、実はこの映画そこへと向かってはいなかった。ちょっと嫌な予感はしていたのですけど、やや不意打ち的に起こったその瞬間は喪失と獲得のためのターニングポイントでありました。

この映画の主人公すずさんは、ホントにのほほんとした笑顔のかわいい女性で、彼女の能動的欲求といったら好きな絵を好きなときに好きなだけ描きたいということぐらいなのですよね。ここには表現欲求も承認欲求もなく、ただひたすら純粋に描きたいの(うらやましい)。

そんな彼女のすべてともいえる絵を描くことが奪われた瞬間。周作の姉、径子の娘(晴美)を救えなかった罪悪感も大きいですが、それ以上に彼女の翼がもがれたに等しい右腕の喪失。これは彼女の呑気なほがらかさや、笑顔を奪うことでもあるのです。

小さな幸せのなかを生きていた彼女のすべてを奪うに等しい試練。しかし、失うものがあって初めて得られるものもある。喪失と獲得。それは径子との関係であり、周作との絆であり、失うことによって得た強さであり、あるがままの自分を受け入れる決意でもあるのです。

受動的な存在はとかく軽く見られがちですが、そんな自分を受け入れ、周囲の人々を幸福にさせる笑顔の存在であろうとする覚悟。大丈夫。すずさんの笑顔はみんなを幸せにしてきたのだから。きっとこれからも大丈夫。大丈夫。

その証拠に、あなたの右腕が失われたことは悲しいことだけど、そのなくした右腕によってひとりの新しい家族を得たのだから。この子の存在はきっとあなたに、周作に、径子に、家族みんなに笑顔を届けてくれるはずですよ。

“のん”という女優

そんなすずさんにまさに憑依したといっても過言ではない、能年玲奈あらため“のん”の驚くべきハマり具合。幼少時の声を聞いたときは「コレジャナイ」感が強く、彼女の演技力に一抹の不安を抱えていたのですけど、ふと気づくとまったく違和感がなくなっていた。

っていうか、気づいたときにはこの声こそがすずさんであり、“のん”という女優が声をあてているのではなく、いま目の前で精一杯生きている“すず”という存在そのものとしか思えない、驚異の巫女的憑依能力。けっして上手くはないのに納得させてしまう謎の説得力。

“のん”という女優がいかなる女性なのかボクはまったく知りませんが、彼女の「ありゃ~」には驚くべき生命力が宿っていた。彼女をすず役に起用した監督の鑑識眼もたいしたものです。そしてこの起用はまさに運命としか呼べない奇跡的符合をも見せているのですよね。

“のん”とは“すず”であり、“すず”とは“のん”である。居場所を、名前を、存在そのものを消されかけたのんの境遇とは、この映画におけるすずの境遇と見事に合致します。すずはこの映画で喪失と獲得を体験し、のんはこの映画に出演することにより失ったものを取り戻した。

のんもすずと同じくけっして器用な人間ではないでしょうが、この映画と、そしてすずという女性と運命的に出会ったことにより、きっと新たな自分の居場所を、仕事を、自分自身というものを見つけることができるでしょう。すずがそうしたように、きっとのんも……。

信じるだけでは救われない

モノローグの多用や、ファンタジー的要素の挿入(あの毛むくじゃらのバケモノは鬼いちゃん?)、タイトルの意味が判明するセリフの自然ではない違和感など、あまり好きではない演出やまだよく理解できていない部分もあるのですが、いま観るべき映画であることは確か。

すずを中心としたのほほん生活ドラマでありながら、リアルな、あまりにリアルな戦闘シーンを描いた点も高評価。なんつうんですかね?高射砲?あれの破片が地上に降り注いでくる感じの戦慄!あんな描写初めて観ました。兵器マニアだという監督のこだわりなんでしょうね。

この映画で最も胸打たれたシーンはどこかと聞かれたら、う~ん、やっぱ、玉音放送でしょうかね。あのシーンですずが見せた初めてといってもいい心の叫び。怒り。慟哭。この娘にこれを言わさす片渕監督って、やっぱり凄く誠実で真摯な方なのだと思います。

一歩間違えば引かれる可能性が高いのに、あえて彼女にこれを言わせた。でもね、たぶんね、これが当時の偽らざる現実なのだと思います。それにあの怒りの言葉は額面どおりのものだけではなくて、その裏側に複雑な要素が絡んだ非常に複合的な怒りなんだと思います。

なぜここでやめる?だったらなぜ始めた?誰が!?なんのために!?信じていたのに!信じて戦っていたのに!何も知らず、ただ信じ続けていたかったのに……。

個人的評価:7/10点

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