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2016-11-18

[]ナイターカブトムシの話

ずいぶん前に、ある人から聞いた話をします。


仕事が終わって帰宅しビールと枝豆を前にナイター観戦という幸福な時間を過ごしている最中、ベランダのほうから「かたん」という音が聞こえました。

見に行くと、びっくりするくらい大きなカブトムシが物干し竿の上のほうに止まっています。

その姿を見た途端、子供時代虫取りに駆け回っていた頃の興奮が蘇りました。

ほろ酔い加減だったせいもあるのでしょうが、

「あのカブトムシを捕まえよう」

と思ってしまったそうです。

その人はそーっと忍び足で窓の外に出るとベランダの手すりにのぼって手を伸ばし……当然のように、足が滑りました。

ぐらりと体が傾き、そこで彼は自分が五階建てのアパートの最上階で一人暮らしをしていることを思い出しました。

転落しそうな自分に気づいて助けてくれる誰かはいないし、このまま落ちれば死ぬだろうと悟ったのです。


きっと自殺だと思われる。

彼の脳裏をそんな考えがよぎりました。


駆けつけた誰かがこの部屋を訪れても、自分がベランダの手すりに登った理由はきっとわからない。事故にしてはあまりに不自然な状況だ。

何故死んだ、悩んでいるようには見えなかったのに、とみんなが言うだろう。

話を聞けばよかった、と悔やむ人もいるだろう。

野球とビールと枝豆が大好きな人で、最後のときもナイターを見ながら晩酌をしていたようなのに、それなのに思いとどまれなかったのか。

大好きなものに囲まれてなお、それでも死を選ぶほどに苦しんでいたのか。


人々がそんなふうに悲しみ苦しむ姿が浮かび、彼は「いかん」と思ったそうです。

満身の力を込めてバランスをとり、奇跡的に手すりにしがみつき、九死に一生を得ました。

この話をきいたとき、その場にいた人間はみな笑い、彼が謎の死をとげなかったことを喜びました。

一方で私は、そんな状況で本当に死んでしまう人もいるんだろうなとぞっとしたことを覚えています。

それ以来、理由のわからない唐突な自殺、などと聞くとこの話を思い出すようになりました。

私にとってこの話は今まで、一種の怪談でした。

そんなつもりなんてなかったのに、誰を悲しませたくもないのに、解けぬ謎を残し、親しかった人々の胸にしこりのように残る死。

けれど最近、少し違った考え方をするようになりました。

じゃああの人もそうだったのかもしれないと考えることが、救いになる場合があるのです。


全然死ぬ気なんてなくて、ただちょっとうっかりしただけで、むしろ死ぬ直前はわりとご機嫌だったりしたのかもしれなくて。

案外、悪い死に方ではないような気がしてきます。

もちろん本人は冗談じゃないと怒るでしょう。やりたいことがまだあって、未練もたっぷり残っているでしょうから。

けれど悩んで苦しんで追い詰められて、愛する人たちがいるのに、愛されていることもわかっているのに、それでもたったひとり孤独に死を選ぶことよりも、元気で幸せもあってただうっかりしてしまっただけのほうが、ずっと良いように思うのです。


あの人は私たちを見捨てて一人でいくことを選んだわけじゃなかったんだ。

本当はもっとこの世にいて、一緒にわちゃわちゃやっていくつもりはあったんだ。

だから見捨てられたような気持ちになる必要もないんだ。


欺瞞といえばそれまでだけど、時々そんなふうに考えるようにしています。

裏切られたとかあれは嘘だったのかとか思って、やりきれぬ怒りを抱えて、そのせいであの人を懐かしむことができなくなるのは嫌だから。

ぽっかりと空いてしまった穴をただ悲しみ、寂しいとだけ思いたいのです。



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