『ゾンビ・アット・ホーム』シーズン2を観終わる
日本語タイトル『ゾンビ・アット・ホーム』を観終わった。
感想は、美しいの一言に尽きる!
イギリス北部の風景が美しい、主人公キーレンが美しい、音楽が美しい、エイミーの心が美しい、そして何より、キーレンとサイモンのロマンスが美しいっ。
”ゲイロマンスはBBCドラマの十八番”なんて言ったら怒られそうだけど、主人公が同性愛者だったら、その恋愛相手が同性になるのは自然なこととばかり、異性間の恋愛と同じように描いちゃうところが好き。まあ、ゲイの青年を主役に据えるということ自体が素晴らしいんだけど、やはり社会での認知度とか数の割合が日本とは違うからなのかな。
そんなことより、ドラマの感想。
シーズン1の第1話を観た後は、PDS患者(ここではゾンビとは呼ばない)の主人公キーレンが置かれている状況があまりにも気の毒で、「こんなに純粋で良い青年が、村人の偏見や憎悪の対象にされるなんて、可哀そうで見ていられないっ( ノД`)」と、しばらくの間は、アマゾンで配信が始まった『Fear the Waiking Dead』のほうへ逃げていた。でも、これがあまりにも残念すぎる作品だったため、覚悟を決めて『In The Flesh』に戻ってきたら、『Fear...』に費やした時間を巻き戻したいと思うくらい、久々に夢中になれる最良のドラマだということを発見。
やっぱり、受賞とかしているんだね。そうだろうな、ゾンビものにありがちな、単なるサバイバル・ホラーっていう感じじゃないもんね。
ケーレンとリックの悲しい恋の結末と、リックの父親の衝撃的な死で幕を閉じたシーズン1。シーズン2のスタートでは、PDS患者への偏見を多少は残しつつも、村におけるPDS患者たちの境遇は大分向上した様子でちょっと安心。でも、怪しすぎる「不死の預言者」や、彼を信奉する「不死者解放軍」(The Undead Liberation Army)などが登場したり、全てのPDS患者に6か月の奉仕活動を強制させる国の政策などが始まったりして、なーんか先行きが不安。しかも、新しく着任した女性議員の言動が謎だらけで、サスペンスの要素も濃くなった。
ところで、PDS患者たちは周囲に馴染むため、素顔を化粧で隠すように指導されていて、キーレンも登場する時は、厚塗りと思えるくらいに肌色のムースを縫って、コンタクトレンズを着けいている状態。でもね、彼の場合、ゾンビメイクの方がすごく自然で美しい。
サイモンが"He is beautiful" と言うのも当然。サイモンも十分いい男だけどね。
シーズン2のお気に入りエピソードは、第4話のキーレンが家族との食事にサイモンを連れていくところ。サイモンはULAのメンバーで、自らは普段メイクをしないうえ、PDS患者にも素顔を恥じるなと説いているのに、この時ばかりはキーレンの立場を慮って、慣れないメイクをするんだな。家を出るとき、誰にも見られていないか、キーレンが周囲をチェックしたり、路上でサイモンにお礼のキスをしたりと、なんだかとっても微笑ましい。サイモンは登場した時、すごくカリスマ性があり、大人っぽく、頭がきれる男性という印象だったんだけど、「感情」の面では不器用なのか、キーレンに対してはNOと言えないのか、とにかくキーレンが相手だと妙に可愛らしいんだな♡。
そしてこのその第4話で、恐ろしい事実を発見。自分はHuluで観ていたのだけど、その後YouTubeを観ていたたら、自分の記憶にないカットが結構ある。Huluで配信しているのはBBCアメリカで放送されたものだと思うのだけど、もしかして、そこでカットされた場面があった?
そこで本家BBC Three の動画をチェック。運よく該当する箇所があった。
最後にエイミーが出てくるところの前後がすっぽりカット。それと、ここにはないけど、バスルームに入って化粧をしているサイモンをキーレンが待っているという部分もカットされていた。何やってんのよ、ヽ(`ω´*)ノ彡☆ 長さの都合でカットされたなら、他のエピソードも全部そうなっているというだろうし、うーん、これはDVDを買うしかないか?
それにしても、BBC Tree の公式YouYube ビデオは、ケーレンとサイモンのシーンを嬉しくらいに拾ってくれている。
これは出会いのシーン。
そして、サイモンとエイミーの関係をキーレンが訊ねるシーン。
何回でも言おう。
ありがとう、BBC+゚。*(*´∀`*)*。゚+
そして、問題の「シーズン3は制作されず」の公式発表に対する私の正直な意見はこう。
残念だけど、これはこれでいいかも(´ω`人)
というのも、シーズン2の内容とその終わり方からいけば、シーズン3は研究所の裏側や、金儲けを企む製薬会社、国の陰謀、軍隊とULAの衝突といった、「そうそう、こういうの、よくあるよね。だんだんスケールがでかくなってさ」みたいな話に可能性が十分あるんじゃないかと思えるから。そしてそういう中で、治療の実験台でもあり、ULAから裏切者の烙印を押されたサイモンが、殺されてしまうしまうという展開もありえるわけで・・・(可能性が強すぎて恐ろしい)。そうなるくらいなら、キーレンと一緒に村に留まることをサイモンが決めたハッピーエンドのまま終わったほうが、どれだけいいか。
Change.org では継続を求める署名がすでに満杯になっているけど、どうかな~。答えの出ていない問題は山のように残っているし、エイミーのファンは彼女がどうされるのか知りたくて堪らないだろうけど、キーレンとサイモン(このカップリングはSiren だって)の関係においては、このままそっとしておくのが一番のような気がする。
全てのPDS患者は元に戻り、二人はパリへの新婚旅行から帰ったのち、エイミーが遺したバンガローで末永く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし。自分はこれででいい(-∀-)。
Red Skies その2
『トーチウッド』のオーディオ・ブック、『Red Skies』のつづき。
前回は物語がメイン、今回はJANTOオンリー
といっても、この作品のセッティングはMiracle Day後だから、当然イアントのみならず、トーチウッド御馴染みのメンバーは、ジャック以外誰一人として登場しない。出てくる時は「名前だけ」とか「ジャックの回想の中で」とかに限定されいるということを念頭に置いたうえで――
イアントに言及する箇所は全部で3つ。
これを少ないと感じるか、十分と感じるかはともかくとしても、この三箇所全てからは、ジャックのイアントへの想いが、じんわりと伝わってくるんだよ ゚(゚´Д`゚)゚。
シーンその1。
逮捕されたジャックが、トーシュトンに自分について語る場面。
ここでは、ジャックが「Aについて、Bについて、Cについて、そしてDについて、Eについて語った」という風に、名詞がずらずらと羅刹されるだけなんだけど、イアントの名前に触れる前には、いったんピリオドが打たれ、それから若干の間ののち、「そしてイアント・ジョーンズのことさえも語った」と重々しい口調で読まれる。
フルネームのうえ、"even"なんていう強調までされちゃうと、ジャック、やっぱりイアントのことを思い出すのは辛くて、普段彼について語ることはあまりないのね・・・と思えてきて、ジ~ン (´д⊂)。そりゃそうだよね、千年たっても忘れないって約束したもんね。
シーンその2。
僧侶に扮装した二人が、「ハブ」に入っていく場面。
修道院の玄関の扉には鏡がはめこめられていて、その上方に「SAY WHAT YOU SEE」という文言が刻まれているのだけど、この文字を見たジャックが、かつてイアントと一緒に観ていたイギリスのクイズ番組を思い出して懐かしみ、さらに自分たちが作ったオリジナルルールに想いを馳せて微笑むという、悲しくもキュートなシーンになっている。
同じLidster氏が書いた"In the Shadows"にも、地獄に堕ちて何十年も過ぎたジャックが朦朧とした意識の中で、休日にイアントとテレビを観ていたことを思い出すシーンがあって、きっとこのクイズ番組も一緒に観ていたんだろうなと思ったら、またまたジーン (。pω-。) こういうプライベートのシーンはTVシリーズには一度もなかったもんなぁ。
シーンその3。
ジャックがこれまでのチームメートの死亡の瞬間を思い出すところ。
"I love you, too"と言って崩れるパブの中に消えていくイアントのゴーストと、テムズ・ハウスでジャックの腕に抱かれながら死んでいくイアントの姿が現れ、"Oh God, I don't want see this again "とジャックが辛そうに言う。私も見たくないよ~・゚・(つД`)・゚・
元奥さんの死や、スチーブン、オーエン、トッシュの死も同時に出てくるのだけど、筆頭はイアント。それも二度の死が両方とも。" House of the Dead"を知らない人たちは、「え、イアントに何があったの?」と首を傾げるんじゃないだろうか。しかもイアントの台詞が"I love you, TOO"だもん。"TOO"ということは、当然その前にジャックからの告白もあったというわけで。。。 この重要なシーンを忘れずに挿んでくれたLidster氏、ありがとう (*´∀`人 ♪。やはり期待は裏切られていなかった!
彼が書くJANTOには、イアント→ジャックだけじゃなく、ジャック→イアントの感情も伝わってくるから、ひときわ嬉しいんだよね~。
しかし、カバーのグウェンは本気でいらないって・・・。出すならトーシュトンでしょう。実はこの作品には、トーシュトンとジャックのキスシーンが2回も出てくる。でもこのキスは恋愛感情というより、友情とか励ましとか感謝の印に近いから、「ジャック、この浮気者めが~ヽ(`ω´*)ノ彡☆」みたいには感じないんだな。むしろ、「いつか戻ってこないとも限らない」というジャックの別れ際の言葉が微笑ましく聞こえたりする。その頃にはトーシュトンにも恋人が出来ていて、ジャックは「昔の恩人」みたいな立場になっているんじゃないかなぁなんて思えてくる。JANTO派でも安心して聴けるんじゃないかな。少なくとも、アロンゾのエピソードよりはいいと思う.......
とにかく、『Red Skies』はJANTOをまったく期待していなかっただけに、嬉しいサプライズでした。新エピソードが発表されるたび不安が増してくるBig Finishのシリーズにも、こんなサプライズを期待したい!
Red Skies その1
Red Skies
■著者: Joseph Lidster
■朗読:John Telfer
■発売年月: 2012年5月
■時期: ミラクル・デイ以降
■ジャンル: ミステリー、タイムスリップ
■私的JANTO指数: ★★☆☆☆(登場するのがジャックのみと思えば、これでもすごい)
Lidster氏の作品なので、前々から気になってはいたんだけどね。でも地球を去った後のジャック単独のお話しということだし、朗読がキャスト以外の「誰この人?」だし、読者レビューがほとんど見当たらないし、何よりカバーにグウェンがでかでかと写っているのが気になって、どうしても購入に踏み切れなかった。不安要素ありすぎでしょう!
ところが先日、アマゾンで定価の半額以下になっているのを発見。それも翌日到着の国内発送で、在庫は残り1――。これは今こそ買えというトーチウッドの神の声なのか??? まあ1,000円程度なら失敗してもいいやという、ダメモト精神で買ってみた。
結果。もっと早く買っておけば良かった。想像していたとものと全然違っていた。表紙のグウェンはね、はっきり言って、関係ない。『ミラクル・デイ』後だから観ていない自分は話についてけるかなと不安も、まったくの杞憂でしかなかった。確かに『ミラクル・デイ』のキャラの名前も出てくるし、これって『ミラクル』の中のエピソードなのかなと思える箇所もあったけど、シーズン1~3のほうが本作品との繋がりが強く、「あの名場面をもう一度」的な内容だった。しかも"The House of the Dead"も出てくる。こういうこと、もっと早く大々的に宣伝してほしいなぁ。カバー写真のせいで買ってないっていうJANTOファン、絶対多いと思うもの。
あらすじを交えながらの感想。今回も細かくなってしまった。ネタばれがイヤな人は気を付けてくださいね。(誤解している箇所もあるかも・・・)
"Praise be to Torchwood."
ミラクル後、トーチウッドからも人類からも距離を置きたい気分のジャックは、赤い雲と稲妻によって宇宙から隔絶されている謎の星Cotter Paluni's World を訪れる。リスト・ストラップを操作して星へ降り立ったジャックの目に映ったものは、灰色の街に降りしきる血のような雨と、真っ赤な水たまりを避けるように行き来する灰色の膚の住民たち。地獄絵のようなその光景は、今のジャックの気分に、まさにうってつけのものといえた。真っ先に訪れた、典型的なイギリスのパブを彷彿させるバーの店内には、灰色の皮膚と虚ろな目を除けば、健康体そのものと呼べる客たちがが、緑色のドリンクを飲んでいる。バー・メイドのヘザーは、見慣れない白い膚のジャックに興味を抱いた様子だ。ジャックが緑色の飲物の正体を訊ねると、ヘザーはさも当たり前のように「ベジタブル・ピューレ」だと答える。どうやらこの星に、アルコールというものは存在しないようだった。ジャックに野菜ピューレのグラスを差し出してから、ヘザーは大切なことを言い忘れたように付け足した。”Praise be toTorchwood”(トーチウッドに称賛を)
思わずむせかえるジャック。ヘザー曰はく、”Torchwood is everything, Torchwod is God ”なのだという。新しく着た客が同じ言葉をヘザーと交わすのを見て、ますます困惑するジャック。周囲の目が気になるヘザーは、トーチウッドについて話しがしたいなら、仕事が終わったあとに食事に連れていってくれないかとジャックを誘う。思わぬ展開にため息をつきつつ、ジャックがヘザーの提案を受け入れた直後、突然ヘザーの体が燃えあがり、全身を赤い稲妻が覆い始めた。
黒く焼け焦げたヘザーの遺体を見下ろすジャック。「キャプテン・ジャック・ハークネス。ヘザー・ブレイズ殺害の容疑で逮捕する」。やってきた若い警官がジャックに向けて銃を構える。
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(ここまでの感想)
宇宙ステーションの案内係が窓の外の赤い惑星を説明している冒頭からここまでは、かなり楽しく聴ける。Cotter Paruni's World という惑星の名前は、その発見者の名前からつけられたらしいのだけど、当人は惑星に近づく「不敬」を犯した罪で稲妻に打たれて死んでしまい、以来、稲妻がどうやって起こるのかも、赤い大気の下にどんな世界が広がっているのかも、生命が存在しているのかも何一つ解明されていない。そんな星へ、ジャックが「じゃあ調べに行こうか」と軽くテレポートしちゃうあたりで、冒険小説を読んでいるようなワクワク感がこみ上げてくる。
「トーチウッド」を忘れるための“ホリデー”で、かえって「トーチウッド」だらけの場所に来てしまうジャック、ホントご愁傷さま。そしてあちこちで口にされる"Praise be to Torchwood" (笑)。「トーチウッドが神だって~!」と、悪い冗談でも聞いたようなジャックの反応が面白い。
ヘザーが燃えるシーンは、ちょっとグロい。そして本作でジャックの相棒となる人物が、ここから話に絡まってくるよ!
警察へ連行されたジャックは、彼を逮捕したホイヤーと名乗る警官から、“ヘザーに“不敬”を犯させた罪“で、トーチウッドから翌日判決を言い渡されることになっていると聞かされる。無実を訴えるものの、取り合おうとしない警官に対し、ジャックはある方法を思いつく。それは相手と親しくなり、必要な情報を引き出すというグウェンの手法だ。ジャックはホイヤーのファーストネームを聞き出すと、以後彼をトーシュトンと呼び、彼自身の生い立ちから宙の文明、タイムトラベル、地球のトーチウッド、これまで出会った人々の事など、ありとあらゆることを語って聞かせる。それが功を奏したのか、幾分態度を和らげたトーシュトンは、ジャックと同じくらい変わり者だった祖父の話を始める。今は亡き祖父は、この星の赤い雲の上には別の世界が広がり、トーチウッドの他にも生命が存在すると信じていた。それは祖父とトーシュトンの間だけの秘密だったものの、全てを見通すトーチウッドにより、祖父は罰せられたのだった。ジャックは祖父が信じていたことは真実だとトーシュトンに言う。そして本当に祖父を殺したものが何かを知るために、二人でトーチウッドの秘密を暴こうと持ちかける。ところがその瞬間、ジャックの背中を凄まじい熱が襲い、ジャックは意識を失ってしまう。
ジャックは懐かしいハブの中にいることに気付く。血に塗れたクリスマスカードが目ると同時、正面の扉が開き、若い自分自身が入ってくる。ミレニアムの大晦日のハブ。若いジャックは床の上の仲間の遺体に駆け寄り、それからアレックス・ホプキンスと言葉を交わす。その様子を見つめながら、アレックスを怯えさせていたのは456だったのか、それともミラクルのことだったのか、あるいはまだ起きていない別のことなのかと考えるジャック。銃弾の音が響き、アレックスの血を浴びる自らの姿を見ながら目を覚ましたジャックは、赤い雨の降る警察署の外、トーシュトンに支えられていた。二人は追跡する警官たちを振り切り、古い倉庫に逃げ込む。
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(ここまでの感想)
ミステリー風味が強くなり、ますます面白くなってきたなぁという感じ。実際にCDを聴くまで、この惑星の人が神と崇めているのは、地球のトーチウッドとジャックのことだと思っていたのだけど、そうじゃないんだね。こうなると確かに、他から隔絶している惑星でなぜ地球の組織にすぎないトーチウッドが知られているのかとか、なぜ警官はジャックの名前を逮捕する前から知っていたのかとか、色んな疑問が生まれてくる。ジャックはその謎を解くためにトーシュトンの協力を得て留置所から出ようとするのだけど、このトーシュトン(英語ではTorsten Hφjer。カタカナでどう表記したらいいのか分からないので、聞こえたまま書く)が、実はこのお話のもう一つの主題ともいえる問題・悩みを抱えていて、それがジャックとのやりとりの中でちらちらと出てくる。トーシュトンを見ていると(聴いていると?)、”Trace Memory”のマイケルと、“In the Shadows”のダレルを思い出すんだよね。ナイーブま感じが。トーシュトンも若いけど、朗読でとっつあん坊やっぽく聴こえるのが惜しい。
“Oh My... Torchwood!”
トーチウッドの正体を探るため、二人は政治と宗教の中心である「ハブ」と呼ばれる修道院を調べることにする。建物付近にいた二人の僧侶を襲って倉庫に担ぎ込み、衣服を奪う二人。油断させるためといえ、全裸になって僧侶を驚かすジャックに呆れるトーシュトン。ところがジャックは再度意識を失い、今度はスージーの三度の死を目撃する。スージーの死の原因は自分にあったのだろうかと感じたジャックは、トーチウッドの神が、理由はどうあれ、ジャックの中に罪の意識を呼び起こさせようとしていることに気付く。
僧侶に扮装してハブに入った二人が廊下を進んでいくと、またもやジャックが倒れる。無数の目に囲まれた部屋で、イアント、ルチア、スティーブン、オーエン、トッシュ等の死を見たジャックは、トーシュトンが意識のない自分を連れて逃げ込んだ暗い部屋で目を覚ます。そしてトーシュトンに、自分に付き合って命を落とす前に、ここを出て、普通の人生に戻ろうように説得を始める。ところがトーシュトンは、昔から「普通の人生」は自分にはなかったといい、その部屋にある書棚の一冊の本をジャックに示す。それは何を食べ、どんな仕事をすべきかなど、何が正しい生き方かを記した指南書のようなものだった。「愛」の項目には、「性交は男女の間で、生殖を目的した場合のみトーチウッドに許可される」と記されている。それを読んだジャックは呆れると同時に、トーシュトンがトーチウッドの掟に背いてまで自分についてきた理由にようやく思い当たる。同性に惹かれることは「間違った」ことだと知りながら、長い間それを変えることが出来ない自分は弱い人間だと恥じるトーシュトンを、ジャックは逆に、信じていたものに立ち向かうことが出来る強い人間だといって励ます。それとともに、彼のチームメートたちもまた勇敢に戦って死んだことを思い出したジャックは、偽りのトーチウッドを倒す決意を新たにし、トーシュトンと二人で、地下に続く暗い通路を進んでいく。やがて二人の前に、「トーチウッド」と刻まれたサインのかかるドアが現れる。
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(ここまでの感想)
ゴシップ話に花を咲かせる僧侶二人と、「裸になれるチャンスは絶対逃さない」というジャックに笑ったあとで、まさかセクシュアリティーとアイデンティティーの問題になろうとは・・・・・。トーチウッドらしいと言えばらしいのだけど、トーシュトンの告白が長くて長くて(汗)、もう少しさら~っと流して欲しいなぁと思ってしまった。でも、ジャックが彼自身の罪悪感を払拭するという流れへは上手く繋げたな~と感心。実はその後、ジャックが今度はグウェンが死ぬビジョンを見て、決意を揺るがすというシーンもある。そしてトーシュトンに「それじゃ僕たちはどうなるの!?」と。トーシュトン、強くなってるじゃん!
そしていよいよ「トーチウッドの生ける神」の正体が分かるのだけど、そこは伏せておく。唯一ばらすとしたら、「え、誰よ、それ?????」と思うようなものだった、ということだけかな。しかも真実が分かった後でも、どうやって人々を罰していたんだろうとか、神様いなくなってこの星大丈夫なのかとか、疑問に残る点が多々ある・・・・・・。
この作品、同氏の”In the Shadows”とちょっと似ている? 罰とか贖罪とか。「このジャック、大丈夫~?」と最初は心配になった声は、聴いているうちにジャックらしく聞こえてくるから、あら不思議。トーチウッドの神様はダミ声で聴きにくい(あと、最後うるさい)のが難点だけど、朗読の人はやはり俳優さんだけあって、演じ分けはとても上手だった。地の文は奇麗ですごく聞きやすいし。これなら、主要キャラの役者さんによる朗読に特に拘らなくてもいいのかな~とさえ思えた。
総じて、満足度はかなり高め。
ここまででずいぶん長くなってしまったので、お楽しみのJANTOシーンは次にまとめて書くよ~。
『ウォーキング・デッド』のシーズン5は面白かった
Hulu でシーズン4を観終わってからどれくらいたったことか・・・。昨日、ようやくシーズン5を観終わったよ~。
感想はというと、これがすごく良かった! 正直、シーズン4はちょっと退屈していたんだよね・・・。慣れちゃったというか、なんというか。でもシーズン5の出だしは、これまでのエピソードで一番怖かった。ゾンビよりも、人間が・・・・・・。
カニバル(人喰い)というのは、まあ、理屈では恐ろしいと分かるんだけど、それを肌で実感したという感覚はこれまでなかったんだよね。『トーチウッド』の"Conutrycide"も怖かったけど、あれは雰囲気的からくる不気味さで、直接的というよりも、間接的な怖さだった。でも、『ウォーキング・デッド』で、リックたちが一列に並べられ、端から順に、野球バッドで殴れられ、血抜きのために喉を切り裂かれるシーンは、見ていてガクブルだった。これがエイリアンの仕業ならともかく、同じ人間がすることなのかと愕然としたグウェンの気持ちが、初めて分かったような気がした。それとともに、イアントが味わっただろう恐怖も・・・・・・。(あ、これは『トーチウッド』を知らない人にはどうでもいいことか)。そしてこんな目にあっているのが自分の家族、子供たちだったらと想像したら・・・。狂った人間にはどんな理性を求めても無駄なんだろうな。こっちのほうが発狂しそうだった。
このインパクトのある第1話をスタートに、シーズン5は退屈するところがなかった。教会のエピソードも、警官が仕切る病院のエピソードも良かった。実は自分、ドーンにはかなり好意的というか、共感・同情出来る点があって、むしろこの辺からリックの敵対的・好戦的な思考にちょっと嫌気が差してきた。リックが彼なりのやり方で仲間を守るように、他の人間だってそれぞれのやり方で仲間を統率しようとしているのに・・・。そしてそんなリックの行動が顕著になるのが、アレキサンドリアと呼ばれるコミュニティーについてからで・・・。正直、お前何様だよ、と思った。しかも最終的にリックの言い分が正しかったとしても、そのうちの幾つかは、人妻に想いを寄せていたからじゃないかという点が、私の中ではかなりのモヤモヤになっている。
そしてこのシーズンにきて、ようやくゲイ・カップルが登場。アーロンとエリックだっけ? 二人ともすごくまともでいい人。 エリックは、「あー、そうそう、こういうゲイの人、いるよな~」という感じのタイプで、アーロンはもうちょっと分かりにくいかな? 一匹狼っぽいダレルがアーロンと行動を共にしているのは嬉しい。どうかどうか二人の友情が悲劇に終わりませんように! どうか二人(いや、エリックも含め三人)とも生き残りますように!
そういえば、タラもレズビアンのような気がしたのだけど、それは私の気のせいだったんだろうか。旦那はドーンがそうじゃないかと言ってたけど、うーん、私はそうは感じなかったなぁ。
とにかく、アレキサンドリアの人々はなんとか無事でいて欲しいですっ! リック達が来なければ、まだまだ大丈夫だったんじゃないかという気もするんだけど・・・。旦那はすでにコミックを読んでいるのだけど、「でもコミックとドラマは結構違いがあるから」と言って、なかなか先をバラさない。でもハッピーエンドで終わるソンビ作品なんて、まずないと言って等しいからね。あまりにも絶望的すぎて、たまには「実は全部夢でした」と言って終わる作品があってもいいんじゃないかとすら思えてくる。
さて、シーズン6の配信まであと何年待たなくてはいけないのか。配信される頃には、登場人物の名前と顔を再び忘れていそう(汗)
『ゾンビ・アット・ホーム』というBBCドラマがかなり良さそう
これ、Hulu にかなり前から入っている作品なのだけど、『ソンビ・アット・ホーム』なんていう邦題のせいで、完全にコメディだと思い込み、スルーしてしまっていた。
ところが先日、夫婦で『ウォーキング・デッド』のシーズン5を観ていた時、旦那が、「そうそう、”ゾンビ・アット・ホーム”っていうのがあるよ」と話しかけてきた。
「知ってる。でもコメディ系じゃない? 観なくていいよ」と私。
『ショーン・オブ・ザ・デッド』は大好きで、他にもコメディ系ゾンビ映画は過去にいくつか見ているのだけど、今回は何故かそういう気分じゃなかった。
ところが旦那曰く、「いやいや、BBCのドラマでね、よくあるゾンビモノとはちょっと違うんだよ。ゾンビ騒動が一件落着した後の世界が舞台で、投薬によりゾンビ症状が抑えられている患者たち(PDS患者=部分死症患者)が、政府の保護のもと、昔の生活に戻っていこうとする話しで―」という。「とにかく、第一話だけでいいから観てみて」と強引に言われ、しぶしぶ従った自分。そして分かったこと――
これ、かなりシリアスで、重たい話だ。ということ。
主人公の元ゾンビ青年が優しくて脆い雰囲気を醸しだしていだけに、守ってあげたい感は半端ない。PDS患者の帰郷に反対する住民たちのほうがよっぽど冷血で、人としてどうよと思えてくる。舞台が田舎町だけに、住民の頑固さもなかなかのもの。これはゾンビものというより、マイノリティーへの偏見・迫害を描く社会派ドラマなのかもしれない。それでいて、ゾンビ映画につきもののグロさも一級品。頭の皮をはいで脳味噌を食べるシーンとか、手抜きをしてない。
ゾンビ時代に人を殺めしまった罪悪感を抱えつつ、隠れるように生活する主人公。彼を受け入れて、守ろうと努める家族。PDS患者を危険な存在と信じ、彼らを炙り出し、始末しようとする村の義勇団。今のところ、主人公が可哀そうで見ているのが辛い。元・襲った者たちと襲われた者たちの間に信頼関係は果たして生まれるのか。この後の展開が興味深い。
義勇軍に加わり、兄の帰宅を快く思っていなかった妹が、いざ兄が狩りの対象にされたと知るなり、急いで危険を知らせに行った件はほっとした。そして第一話のラストは、義勇団のリーダーが、アフガニスタンで戦死したと思っていた息子の無事を知って喜んだのも束の間、彼がPDS患者だと告げられ愕然とするというシーンで終わる。いろんな立場でそれぞれの葛藤があるんだね。
とにかく、どうしてこんな面白いドラマを見逃していたんだろう。すでにシーズン2までビデオが出ていることから、本国での人気はそれなりにあったんだろうけど、日本ではほぼ無名じゃない? 日本人はゾンビが嫌いなの? そんなことないよね。でもソンビドラマで話が盛り上がる女子なんて光景は、ちょっと想像できない。
ゾンビなんていう非現実的な存在を、これほど現実味があり見ごたえのあるドラマに仕上げる才能と技量はさすが。同じ脚本を使って日本で作っても、こうはならないだろうな・・・という感じがする。役者とか、セットとか、映像とか、なんか全然違うんだよね。
今日から夜のビデオ鑑賞は、「ウォーキング・デッド」と「ゾンビ・アット・ホーム」(ほんとにこの邦題イヤだ)の二本立てになるんだろうか。果たしてこんなゾンビ好きな夫婦、他にどれくらいいるんだろう。