講談社現代新書より新刊『ヒットの崩壊』を上梓しました。
本の中で触れたのが、今、日本発のポップ・ミュージックが世界に広がっているという話。日本のポップスの歴史を振り返ると、戦後の和製ポップスや歌謡曲、そしてJ-POPに至るまで、そのほとんどが海外シーンの動きを翻案する「輸入文化」として発展してきたものでした。しかし、2010年代の今は、日本独自のポップ・ミュージックがいわば「輸出文化」として広まりつつあります。
その担い手の一人であるのが中田ヤスタカ。次の時代の東京の音楽シーンを担う彼の歩みを振り返ってみようと思います。
作曲家の人がもっと世に見えるようになったほうがいい
出典元:(YouTube:Yasutaka Nakata Official)
映画『何者』の主題歌として作られたソロ名義の一曲。米津玄師が作詞とボーカルを担当し、耳を惹きつけるキャッチーなメロディの向こう側で胸に刺さる青春性を感じさせる一曲となった。筆者が聞き手となった中田ヤスタカと米津玄師の対談インタビューでは、中田ヤスタカはソロ名義の活動の理由について「作曲家の人がもっと世に見えるようになったほうがいいと思う。それが“普通”になったらいいと思っていて、だからやってる」と語っていた。同時に「海外の人から見た時に“東京を代表するサウンド”っていうのは、まだ定まってない」「東京の名前がついたジャンルはまだない」と語っていた。こういう曲を聴くと、やはり彼が次の「東京」のサウンドを作る作曲家の第一人者なのではないだろうか、と思ってしまう。
出典元:(YouTube:Perfume)
2016年にはアルバム『COSMIC EXPLORER』を引っさげての北米ツアーが実現、ニューヨークやサンフランシスコなど各地で熱狂を生み出したPerfume。世界中で躍進を続けているグループにとってのブレイクのきっかけになったのが2007年発表の「ポリリズム」だ。そしてこの曲は2003年以降全曲の作曲を手掛けるプロデューサー・中田ヤスタカにとっても飛躍のきっかけになった。前述の取材でも23歳でサウンドプロデューサーとしてPerfumeと共に仕事をすることになった当時を「何も空気を読まないでやった結果、ああなった」「アイドルをメジャーデビューさせるための活動としては、それまでの正解とは全然違うことをやっていた」と語っていた。それまでの常識を覆すことから次の時代の正解が生まれる、ということなのだと思う。
出典元:(YouTube:Warner Music Japan)
一方で、同じく前述の取材で中田ヤスタカが「過去のテクニックを総動員した」「サウンドに関しては必殺技しか使わない、みたいな。ずっと昇竜拳と波動拳を打ってるみたいな感じ(笑)」と語っていたのが、やはり全作品の作曲を手掛けるきゃりーぱみゅぱみゅの、2011年のメジャーデビュー。拙著『ヒットの崩壊』で所属レーベルunBORDEのレーベルヘッド・鈴木竜馬氏に取材したのだが、最初の打ち合わせの時点で中田ヤスタカは「きゃりーを“原宿の元気玉”にして、“東京の元気玉”にして、“日本の元気玉”にして、海外に出そう」と言っていたという。そういう明確な意志がデビュー直後からYouTubeを通じて欧米各国で同時にブレイクしたことにつながったのだと思う。
出典元:(YouTube:CAPSULE)
そして中田ヤスタカにとっての“原点”と言えるユニットがCAPSULE。19歳の時に、同じく石川県金沢市出身のこしじまとしこと「capsule」としてユニットを結成。Perfumeのプロデューサーとして世に知られた後も、自分にとってのメインのユニットであり、ユニットでありながらも自身のソロ的な位置づけを持って活動してきたという。前述の取材では「アマチュアから唯一やってるというか、学生の時の感覚を維持してる」と語っている。そんなcapsuleがレーベル移籍を経て「CAPSULE」に改名して2013年にリリースしたアルバムが『CAPS LOCK』。より実験的なサウンドを追求し、声が一つのサウンドの要素になっている。ホームグラウンドのユニットが、実は彼の「この先」の方向性を最も象徴しているものと言えるかもしれない。
※引用インタビュー:中田ヤスタカ×米津玄師 映画主題歌でコラボ「ありがちなものにしたくなかった」
ORICON STYLE(http://www.oricon.co.jp/special/49384/2/)
◆『ヒットの崩壊』柴那典著(講談社現代新書)