雨宮まみさんを偲ぶ
今日の昼過ぎ、いつものように育児の合間になんとなくスマホを眺めていたら、雨宮まみさんが亡くなったというニュースが飛び込んできて、目を疑った。
雨宮さんとのつながりはもっぱらFacebookだった。2011年か12年ごろに共通の友人たちとの飲み会で1回お会いしたが、その少し前からFacebookでも友人で、たった数日前までやりとりしていた。私のFacebookの通知欄には彼女からのコメントやいいねの通知が残っている。いまでもFacebookで「本当にひどいデマを流す人がいるんですね!(怒)」みたいなやりとりが始まってもおかしくないような気がしている。
私は2013年に出産してから夜の飲み会というものにまったく行っておらず、2年ほど前に東京に引っ越してからは近所のママ友もできずに乳幼児を育てる毎日で、家族とサービス業の人以外とリアルで話す機会がほとんどなく、ネットで雑談ができる相手は貴重だった。子供と一緒に夜9時くらいに寝落ちし、午前3時とかに目が覚めて、Facebookになにか書くと、いち早く反応してくれて、あー起きてるなーと思ったり。半年ほど前に、なぜか突然Facebookが私が13歳以下だと疑い、アカウントが削除された。運転免許証の写真を撮って送り、数日後には復活したが、その間に、雨宮さんが私がいなくなったのを残念がってくれたことや、私が面白いブログを見つけて、この人の文章すごい!と書いたら、確かにこの人すごいよね!と盛り上がったりとか、彼女とのやりとりをいくつも思い出す。あと2年くらいして子どもの手が離れたら飲み会にも行ける、そしたらまた会えるかなと思っていたのだが……
私が雨宮さんをはじめて認識したのは、2000年代のはじめに日記鯖というレンタルブログサービスで書いていたことで、その後はてなダイアリーで開始した雨宮まみの「弟よ!」もずっと読んでいた。「弟よ! 姉ちゃんは〜」という書き出しでアダルトビデオを紹介し性について語りまくるブログ、いま見ても斬新だし、よくぞここまで赤裸々に書いたなと思う。アダルトビデオはほとんど見ないのに「弟よ!」は楽しく読んでいたし、紹介された面白そうなのはいつか見ようと思っていた。このブログが人気となり、Web媒体で自伝的連載がはじまり、単行本となったのが代表作となる「女子をこじらせて」だ。彼女は私のような「ネットの文章好き」に見いだされ、支持されてきた存在だった。
「女子をこじらせて」などにみられる彼女の持ち味は、性に対するこだわりとか、一般的に女性に求められる基準から逸脱しているところがあり、それを何の味つけもせずストレートに出すと他人がひいてしまう、でも表現したいので、自分の内からの要求をいかに他人に受け入れられるような形で出すか、というところにあったと思う。ルックス的には数年前にお会いしたときには、この記事みたいな、コンサバな美人さんという感じだったのだが、最近のインスタグラムなどではもっと大胆な感じになっていて、ファッションや自分の見せ方についても、あるいは本や音楽やインテリアの好みについても、いろいろ試してアップデートしている感じで楽しそうだなと思っていた。それに伴って最近の文章の幅も広がっていたと思う。
私は乳幼児2人を育てる専業主婦で、居場所はもっぱら自宅と近所のスーパーと児童館と公園、という地味な生活を送っている。いろいろな場所に行き、いろいろな人に会ったりきれいなものを買ったりしていた雨宮さんとは生活がまったく違う。一般的に女性は同じようなライフスタイルの人どうしで固まりがちで、雨宮さんも、独身アラフォー女性という立ち位置で同じ属性を持つ女性に向けたエッセイを求められることが多く、それもどうなのかという問題意識を表明していたことがあったと思う。でも彼女の文章はライフスタイルがまったく違う私にも違和感なく読めるものだった。ライフスタイルは違っても、同世代で、2000年前後からのネットのテキスト文化に親しんできたという共通点のある彼女がこれからなにを吸収し、どんな40代、50代を過ごし、どう表現するのか見たかった。
雨宮さんをネット越しに10年以上見ていて、SNSでもやり取りしていたので、なんとなく親しくなったような感覚にかられるが、当たり前だが彼女にはリアルに会って遊んだりする友人がいて、私は彼女の死についてニュースで報道されていること以外、何も知らない。近親者のみのお別れの会があったそうだが、そういうところにも行けない。ネットでやりとりするだけで満足しているのではなくて、会いたい人には会わなきゃダメだなと思った。
いまあらためて「弟よ!」を読み返すと、一銭にもならなくても書かずにいられない感じがする。このブログが書かれていた10年前は、今ほどネット発の書き手が大量に出てくる時代ではなく、その後の仕事につながる確証もなかっただろう。私は彼女ほどの書き手ではなく仕事にはつながらないだろうが、それでも、このMediumにでも書きたいことを書いていこうと思った。
そんなわけで、熱のあるブログで世に知られ、ネットのテキストが好きだった雨宮まみさんを偲ぶのに、こういう形もありかな、と、思いを書いてみました。安らかに眠ってください。