放っておけない、送り火に「高田松原の薪」を拒否

連載「私の船旅」に合間に投稿一つ。

初め聞いた時、「ばかばかしい」と思いつつ、「放っておけない」ことが起こったのです。
ネットの情報をもとに事実関係を整理してみると。
京都の送り火で一緒の燃やす予定だった岩手県の陸前高田にある名勝といわた「高田松原」が今回の大津波で一本の松を残して壊滅されてしまったのです。松原復帰に向けた運動が始まったそうですが、大津波で亡くなられた方々―本当に無念な思いだったでしょう―を忍び、なぎ倒された松で作った薪に残された家族らの思いを綴り、16日に京都で行われる恒例の伝統的宗教行事「送り火」で一緒に燃やすことにしていたが、「薪に放射能汚染の恐れがあるとの声が伝わり、大文字保存会が中止を決定したとのことです。
陸前高田は中止になったこと受け、準備した薪を「迎え火」として8日に既に燃やしました。そこで「保存会」の松原公太郎理事長が現地で「中止は苦渋の決断だった。ご容赦ください」と頭を下げたという。
このことが6月に報道されると「放射能汚染された灰が飛ぶのでは」といった訴える電話などがあり、念のため保存会は放射能調査をしたが薪から検出さらはしなかったのです。こうした経過を踏まえ保存会の理事会で検討したが意見が割れ「不安は完全に拭えない」、「不安に思う人がいるのなら押し通すことはない」、さらに「やっても混乱するし、やらなくても混乱するので、やらないことにした」などの発言があったそうです。
これに対して門川大作京都市長は、「今回の結果は残念」と述べたのです。
この計画は大分市の藤原了児さんが発案し、保存会の理事長に相談したのがきっかけで、震災後に知り合った陸前高田市の鈴木繁治さんが呼びかけを担ったとのことです。

私は、ほっておけないと、昨日、京都市文化財保存課に電話で抗議し、朝日新聞京都総局にも詳しい事実関係の報道をと要請しました。その結果ではないでしょうが、本日の朝日新聞朝刊に詳しく報道されています。

それにしても誠に悲しいことです。
陸前高田の松で作った薪に遺族が思いを書き込み、京都での送り火で松明として燃やすという宗教的行為についての意義はよくは理解できませんが、これは現在、我が国で進行中の東電福島原発事故から始まった放射能に関わる重大な問題なのです。

ところで私が初めて五山の送り火を観たのは、京大の学生の時で、とりわけ右大文字の送り火に感激したのをはっきりと覚えています。一説によると平安時代に始まり江戸時代に今の形になったそうですが、江戸時代でも都、京都の夜は真っ暗で平屋がほとんどだったなかで、暗闇に煌々と燃える松明で形づくられたた右大文字送り火は今以上に民衆は驚きとなかば畏敬の念を抱いたと想像されます。江戸時代の人々の知恵と力に敬服したものです。しかし、当時の印象はイベントあるはエンターテイメントとしての評価だったのです。
40年ほど後の昨年、改めて右大文字を出町柳で、まじかに観ました。如意ケ岳の暗い斜面に小さい炎が次々の現れ、次第に大きくなり天に浮かぶかのような大の字が炎でしっかり描かれ頂点に達しかに思えると、炎は次第に小さくなり、点となり、ひとつ、また一つと消えてゆくのです。これを観ながら私は、人生の流れ、人の生死の営みを思い、燃え尽きた後もしばしその思いの余韻に浸っていました。宗教ではありませんが、40年前とは異なる宗教的な思いだったのです。
こうした送り火の行事の一環として、大津波で無念の死をとげて夥しい人たちへの家族らの思いを記した薪を燃やすことにはいい企画だと思い賛同しました。やや虚しいスローガンですが「日本はひとつ」を体現する行事となろうとしたのです。

しかし今回は信じがたい経過なのです。
疑問の一つは、根も葉もない単なる「放射能不安」からの中止の要請に基づき決定されたということです。保存会は念のためか放射能検査を行いシロだったのに、中止したことです。一人でも「不安だ」「心配だ」と叫べば中止されるようなものなのでしょうか。あるいは私の勝手な推測ですが保存会に幼い子供を持つ理事がいて、「子供が煙を吸って、万が一、がんにでもなったらどうしてくれるの」と言い張るとなれば、「心配ありません」ときっぱり答えられる人がいるでしょか。医者の私でも「子供の健康を保障します」とはとても言えないでしょう。こうした放射線に対する国民の不安が蔓延しているのです。原発事故によると思われる放射線が少しでもあればそれを避けたいとの思いは理解できないでもありません。福島ではこの夏休みに転校する子供たちが数多くいるそうです。出て行った子どもと家族も大変だし、残った子供と家族も大変なのです。理解できないことはないが異常と言いたい精神状況は我が国に蔓延しているのです。
しかし、放射能がない薪で東北地方というだけで排除する今回の決定は、あきらかに異常です。納得できるものではありません。こうした事態を一民間団体の保存会だけで対応するのは難しく不可能でしょう。予定された薪は燃やされてしまい「残念」といっぺんの感想の述べた京都市長の出番なのです。市長でしか解決できないものであり、この理不尽な状況を変えるべく断固として高田松原の薪を燃やすため市長はもっと早く動くべきだったのです。でも薪は燃やされ手遅れだ。
今年の送り火は色あせそうです。

なお、この度の東日本大震災についての私の思いは、このブログの「戦後最大の災害―東日本大震災―に思う」をお読みいただければ幸いです。


写真説明:右大文字送り火、高田松原の被災前と後、現地で準備する藤原了児さん(右)、鈴木繁治さん、思いが書き込まれた薪、現地で燃やされた薪、門川京都市長
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コメント (2)
今回の経緯を最初からご覧になってみてはいかがでしょか。

http://www14.atwiki.jp/kyoto-henkouhoudou/pages/18.html
京都人
冷静な日記にエールをお送りします。

幸いに林野庁も厳しい推奨規準を運用し始め、各自治体も対応を始めているようですので、この公的検査を信じて行きたいと思います。
事実を見ない不安感は薪ストーブユーザーの中にも少なくないようです。

しかし、そう言う不安感を払底して行く取組みの一つは林野庁などの公的機関でしょうが、ユーザーも灰や煙をまき散らさないなどの責任は果たして行きたいと思います。

 お仕事でのご活躍と合わせて、再度エールを。

<リンク>
指標値(通達)
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/tokuyou/111102.html

Q&A
http://www.rinya.maff.go.jp/j/press/tokuyou/111222.html

どう言う意味を持つか? どの程度実用的なものか?
 ここらはご明察と思いますので私の意見は控えさせて頂きます。

京都のことについては、残念ながら非科学的意見に負けたと言う認識ですが、一方で安全規準を設ける切っ掛け程度にはなったかと理解して居ります。
Niel

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