放っておけない、送り火に「高田松原の薪」を拒否
初め聞いた時、「ばかばかしい」と思いつつ、「放っておけない」ことが起こったのです。
ネットの情報をもとに事実関係を整理してみると。
京都の送り火で一緒の燃やす予定だった岩手県の陸前高田にある名勝といわた「高田松原」が今回の大津波で一本の松を残して壊滅されてしまったのです。松原復帰に向けた運動が始まったそうですが、大津波で亡くなられた方々―本当に無念な思いだったでしょう―を忍び、なぎ倒された松で作った薪に残された家族らの思いを綴り、16日に京都で行われる恒例の伝統的宗教行事「送り火」で一緒に燃やすことにしていたが、「薪に放射能汚染の恐れがあるとの声が伝わり、大文字保存会が中止を決定したとのことです。
陸前高田は中止になったこと受け、準備した薪を「迎え火」として8日に既に燃やしました。そこで「保存会」の松原公太郎理事長が現地で「中止は苦渋の決断だった。ご容赦ください」と頭を下げたという。
これに対して門川大作京都市長は、「今回の結果は残念」と述べたのです。
私は、ほっておけないと、昨日、京都市文化財保存課に電話で抗議し、朝日新聞京都総局にも詳しい事実関係の報道をと要請しました。その結果ではないでしょうが、本日の朝日新聞朝刊に詳しく報道されています。
それにしても誠に悲しいことです。
陸前高田の松で作った薪に遺族が思いを書き込み、京都での送り火で松明として燃やすという宗教的行為についての意義はよくは理解できませんが、これは現在、我が国で進行中の東電福島原発事故から始まった放射能に関わる重大な問題なのです。
こうした送り火の行事の一環として、大津波で無念の死をとげて夥しい人たちへの家族らの思いを記した薪を燃やすことにはいい企画だと思い賛同しました。やや虚しいスローガンですが「日本はひとつ」を体現する行事となろうとしたのです。
疑問の一つは、根も葉もない単なる「放射能不安」からの中止の要請に基づき決定されたということです。保存会は念のためか放射能検査を行いシロだったのに、中止したことです。一人でも「不安だ」「心配だ」と叫べば中止されるようなものなのでしょうか。あるいは私の勝手な推測ですが保存会に幼い子供を持つ理事がいて、「子供が煙を吸って、万が一、がんにでもなったらどうしてくれるの」と言い張るとなれば、「心配ありません」ときっぱり答えられる人がいるでしょか。医者の私でも「子供の健康を保障します」とはとても言えないでしょう。こうした放射線に対する国民の不安が蔓延しているのです。原発事故によると思われる放射線が少しでもあればそれを避けたいとの思いは理解できないでもありません。福島ではこの夏休みに転校する子供たちが数多くいるそうです。出て行った子どもと家族も大変だし、残った子供と家族も大変なのです。理解できないことはないが異常と言いたい精神状況は我が国に蔓延しているのです。
今年の送り火は色あせそうです。
なお、この度の東日本大震災についての私の思いは、このブログの「戦後最大の災害―東日本大震災―に思う」をお読みいただければ幸いです。
写真説明:右大文字送り火、高田松原の被災前と後、現地で準備する藤原了児さん(右)、鈴木繁治さん、思いが書き込まれた薪、現地で燃やされた薪、門川京都市長