昭和20年8月6日、広島に原爆が投下されたとき、広島の陸軍第二軍司令部は、爆心地から北東2キロの地点にありました。
そこでは総員約400名のうち、100名以上が、熱線によって死亡し、他のほとんど全員が重度の火傷を負いました。
このとき李堣(りぐう)殿下は、馬に乗って司令部に出勤する途中でした。
そしてちょうど福屋百貨店に差し掛かったところで、原爆を受けました。
熱線のため、全身が焼けただれた体で、李堣(りぐう)殿下は、その状況で指揮を取らねばと、馬を飛ばし、本川橋の西側に差し掛かったところで、サーベルを手にしたまま力尽き、うずくまりました。
陸軍は、皇族としての李鍝殿下の捜索、救出に全力を挙げました。
そして夕方、捜索隊は、殿下を発見し、救護所に収容しています。
ところが殿下の様態は夜半になって急変し、翌7日午前3時頃、お亡くなりになりました。
享年32歳でした。
中佐の馬上での出勤には、平素ならばお付きの武官が同行します。
その武官は、吉成弘中佐でした。
ところがこの日に限って吉成中佐は、水虫があまりにひどかったため、許可を得て、殿下よりも先に車で司令部に出勤していました。
このため、吉成中佐は、被爆死を免れることができました。
救護所で吉成中佐は、李堣(りぐう)殿下を付ききりで看護しました。
その吉成中佐を、李堣(りぐう)殿下は、自分が瀕死の重体にありながら、
「お前の方は、体は大丈夫か」
と気遣いました。
李堣殿下が亡くなった翌朝、李堣殿下の遺体を安置している部屋の軒下で吉成中佐は、自らの頸動脈を軍刀で断って自決されました。
なぜ、吉成中佐は自決したのでしょうか。
そこに、人種や民族に関する偏見など毛頭なく、むしろ日頃から李堣殿下を敬愛し、その危機を救えなかった自分を責めたからなのではないでしょうか。
李堣殿下のご遺体は、その翌日の9日、ソウルへと運ばれました。
9日といえば、ソ連が参戦した日でもあります。
当時の日本本土は米軍の激しい攻撃にさらされていました。
本土周辺の制空権は、ほぼ失われていた状態でした。
にもかかわらず、当時の陸軍は、ご遺体を、李堣殿下の妻子のいるソウルまで空輸しています。
この後、ソウルでは阿倍信行・朝鮮総督以下、各界要人が出席して、あたらめて通夜が行われました。
そして8月15日、京城運動場、現在の東大門運動場で陸軍葬が行われました。
この日、正午から天皇陛下の「玉音放送」がありました。
そして李堣殿下の葬儀は、午後一時から予定通り粛々と行われました。
そしてこの葬儀が、日本陸軍最後の陸軍葬です。
いまどきの朝鮮の人は、日本人によって植民地支配をされ、差別され、あらゆる収奪を受けたかのように宣伝しますけれど、もしそうだとするなら、李堣(りぐう)殿下を、どのように説明するのでしょうか。
いま、韓国の人々や、日本にいる在日の方々は、「日本への原爆投下は神罰」と罵ります。
日本に自然災害が起きると、喜ぶ人たちもいます。
そしてそんな韓国や在日韓国人に、なぜか同調する日本人もいます。
しかし、その原爆に、朝鮮の王族も被災されているのです。
また、当時の広島には、数多くの朝鮮人軍属の人たちもいました。
その死を、彼らは、どのように思うのでしょうか。
李垠(イウン)殿下のお妃となられた梨本宮方子(まさこ)妃殿下にしても、もともとが昭和天皇のお妃候補であった方です。
日本政府が李王朝を潰し、半島の一方的な支配や収奪を目論むものなら、このような高貴な方を嫁がせることなど、決してないことです。
ちなみに昭和5(1930)年にこのお二方のために宮内庁によって築造された新居が、現在の赤坂プリンスホテルの別館です。
朝鮮半島だけでなく、清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(ふぎ)を、清王朝の聖地である満洲の皇帝に復帰させたのも日本です。
そしてその溥儀(フギ)の弟である溥傑(フケツ)のもとに嫁がれたのが日本の華族である嵯峨家の嵯峨浩妃殿下です。
英国は、インドを支配しましたけれど、インド人のために教育を与えたことはあったでしょうか。
インド人を英国の士官学校に入れたでしょうか。
英国王室からインド人のもとに嫁いた女性がいたでしょうか。
米国は、移民たちが北米大陸にいた800万人のインデアンたちを殺害して、米国を建国しています。
では、建国後の米国に、インデアンと親戚になった大統領がひとりでもいたでしょうか。
日本は、先の大戦において、なるほど戦闘では負けました。
けれど戦争というものは、国家の政治目標の達成のための究極の「手段」です。
そして間違いなく、当時の帝国日本の政治目標は、5族協和であったし、人種の平等であったし、肌の色で差別されることのない世界を構築することでした。
大東亜戦争とは何であったのか。
その答は、私は、
「正義対利害の戦い」
であったと思っています。
日本が行おうとしたことは、人種の平等という正義でした。
これに対し、米英仏蘭の戦いは、自らの利権を守るための戦いでした。
もっというなら、それらの国々では、一部の利権者のために、一般の若い兵隊さんが動員され、多くの命を失うという結果に至っています。
日本は、正義のために戦い、236万柱もの尊い命が失われました。
しかしその結果、日本は戦闘には負けましたけれど、戦争には勝利しました。
そしていま、世界から人種差別は一掃されつつあります。
そしてこの恩恵を、戦後にもっとも被ったのが、支那と韓国です。
とりわけ韓国は、日韓基本条約締結後、莫大な日本の補助を得て漢江の奇跡とまで呼ばれる経済の成長をすることができました。
日韓基本条約は、昭和40(1965)年のことです。
終戦から、つまり韓国の独立から20年経っています。
その20年間、韓国は、朝鮮戦争によって自国民を殺し、朝鮮戦争休戦後も庶民からの搾取政治、賄賂政治の蔓延によって、昭和40年頃の韓国は、世界の最貧国のひとつというありさまでした。
その韓国が、莫大な日本の援助を得て、経済をおもいきり回復させ、庶民の暮らしもそれによって豊かさを満喫できるようになりました。
ところがその経済成長したはずの韓国は、平成9(1997)年には、国家破産をしてIMFの管理下に入っています。
そしてそこでもまた日本の補助金を得て、ようやく経済を回復させたと思ったら、今度は、財閥系企業の相次ぐ不祥事、挙句の果てが大統領の不祥事が発覚して、いま再び、韓国は、今度は経済だけでなく、国家そのものが崩壊しようとしています。
恩義を忘れ、官僚や財閥系企業の収奪にのみ明け暮れる社会を続けるなら、韓国に未来はありません。
日本の統治という善政を受け、またかつての李王朝の体たらくを現実に見ながらも、その王族が優遇されることで朝鮮族の誇りも大切にしてきた日本でした。
けれど、残念なことに、いまの韓国は、完全にもとの李王朝時代に逆戻りしているかのようです。
いまの状態ならば、結局のところ、北朝鮮式の強圧的支配、弾圧政治でなければ、半島は、うまくいかないということなのでしょうか。
もしそうであるとするならば、それは明らかに民族の違いとしか、これはもう言いようがないように思います。
私たちはいま、何のために国境があるのかを、もういちど考えてみる必要があるのではないでしょうか。
すでにアメリカではトランプ氏が、「犯罪歴のある不法移民300万人は、本国に強制送還する」と発表しています。
これは当然の措置です。
日本も、同じことをすべきです。
なぜなら、そうでなければ、日本人のみならず、まっとうな日本人になろうとしている李堣殿下のような人たちが迷惑を被るからです。
人種差別はよくないと思います。
けれど、犯罪者を野放しにすることは、それ以上によくないことです。
支那や朝鮮の歴史を見るとき、最大の不幸は、彼らの国の歴史は、その犯罪者が権力を握ったという点にあります。
これはひとことでいえば、暴力団が政府や王朝を名乗ったことに等しいし、その王朝を倒したのも暴力団、そして王朝の内部でも、常に暴力団抗争が相次ぎました。
そしてその都度、民衆が常に踏みにじられ続けてきたという歴史を持ちます。
私たち日本人は、彼らのその過去の歴史に同情の必要はないと断じます。
なぜならそれは事実だからです。
そしてその事実に対して、私たちは十分な警戒をしなければならないと思います。
これは差別ではありません。
そのために「国境がある」ということです。
そのことを忘れてはならないと思うのです。
多くの国にとって、国境の歴史は、単に王朝の「ナワバリ」の境界線でした。
けれど日本にとっての国境は、上古の昔からずっと、「おほみたから」である庶民の安寧を守るためのものでした。
このことを再確認し、自分の国は自分で守るという、あたりまえのことができる国に、日本は一日も早く戻るべきだと考えます。
お読みいただき、ありがとうございました。
※この記事は拳骨拓史著『昭和の戦争の真実』を参考に書かせていただきました。

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李グウ殿下は高宗の五男・李堈の次男――つまり、高宗から見ると孫です。父・李堈の公位は長男の李鍵(戦後は日本に帰化)が継ぎ、李グウ殿下の公位は子がなかった大院君の嫡孫・李埈鎔の養子となったために継いだものです。
李グウ殿下の殉難地近くに「韓国人原爆犠牲者慰霊碑 李グウ公殿下他二万余霊位」が建てられましたが、いつもの連中が差別だと叫んで平和公園内に移設し、殿下との関係を消そうとしています。
李中将のような立派な方もおられたんですね。 元日本軍将校だった金賜源将軍の朝鮮戦争での活躍も、ねず先生のブログで初めて知りました。15日といえば終戦当日。それなのに李中将の
ご遺体を丁重にソウルに届けた誠意を
韓国人は、よく知るべきです。
また、現在の韓国の間違った反日教育、反日政策の巨悪の根本は李承晩とそれに与した韓国人達であると断言できます。
http://tadekuu-mushi.jugem.jp/?eid=526
http://tadekuu-mushi.jugem.jp/?eid=530