鉛筆で書いたんだろうか。きみの手記を読んで、胸が張りさけそうになりました。

 「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」

 見知らぬ土地でばい菌あつかいされたり、支援物資の文房具をとられたり、福島から転校してきた5年前からずっとつらい思いをしてきた。それが、いたいほど伝わりました。

 きみは独りじゃない。

 そのことをまず知ってほしい。学校の外に目をやれば、味方はいっぱいいる。そして、学校以外に自分の居場所をみつけて、いまかつやくしている大人も大勢いる。東日本大震災のぎせいとなって生きられなかった多くの人やその家族も、「生きる」という決意を後おししてくれるはずです。

 原発事故で自主避難した横浜で、きみがいじめにあったことは、すこし前の新聞にのっていました。でも多くの人は今回あらためて、きみや同じような立場の人たちに思いをはせるようになった。手記の公表を弁護士さんはためらったそうだけど、「ほかの子のはげみになれば」と、きみが求めたと聞きました。その勇気をありがとう。

 東日本大震災では、いまも大勢の人たちが、住みなれた家をはなれて避難しています。

 事故を起こした原発のある福島県双葉町の伊沢史朗(いざわしろう)町長が先週、こんな話をしていました。避難先で町の人がパートなどにつくと「賠償金をもらっているのに」とかげ口をいわれるというのです。かといって働かずにいると、今度は「賠償金があるからだ」といわれる。

 同じ学年の子たちが、きみに「ばいしょう金あるだろ」と言い、大金をはらわせたことなどは許せません。しかし彼らも、そんなまわりの話を耳にしていたのかもしれない。これは大人の社会の問題です。

 福島からの避難者への冷たい仕打ちは各地で問題になっていたし、きみもサインを出し続けていた。だれか気づいてほしい、助けてほしい。そう思っていたんじゃないだろうか。

 なのに学校の対応はまったく不十分だった。ほかの保護者からの連絡で、お金がやり取りされているのを2年前に知っていながら、相談をよせたご両親に伝えなかった。教育委員会も本気で向き合ってほしかった。同じことをくり返さないようにしなければなりません。

 きみが将来、自分のことも、他人のことも大切にできる大人になることを信じています。