モーニング娘。の62枚目のシングル『セクシーキャットの演説』のMVが好評です。
ビジュアルのインパクトもあってか、「ハロ!ステ Edit」として初出しされた回のハロ!ステも通常より再生回数が上がったと言います。
しかし、専らビジュアルばかりに気が行ってしまうのですが、歌詞と映像が表現する世界観について考えると、つんく♂Pからのメッセージとも受け取れる何かを感じざるを得ません。
セクシーキャットと対峙するストーリー
古風な洋館で、アンティークに囲まれてオシャレに暮らす女の子たち。
チェスやジェンガを楽しんだり、読書やお酒、お友達と電話したり丁寧にマニュキュアを塗ったり、思い思いに過ごしています。
ただ、途中で映像にノイズが走って、別の画像がちらちらとフラッシュバックされるんですよね。そこで見せるのは、対照的な 憂い の表情。
これ、おそらく同じ人物の「表」の顔と「裏」の顔を指しているんですよね。
実社会をすました顔で過ごす表の自分に対して、裏にある本音の自分は、実は物足りなさを感じている。そんな女子の内面を表す画が差し込まれているように見えます。
なーんか、やりたいことやってるはずなのに、目の前のものに上の空な感じ。
未来の夢だけ 描いているけれど
未来に向かうには すること山積み
そんな中、セクシーキャットが登場!
ブーツをコツコツと鳴らして現れるんですけど、勝手にやって来るというより「召喚」してる印象を受けます。
「寂しい夜の匂い」って、本人が夜にうつろな気持ちで感傷的になってる状況を言っているんじゃないかと思えて、イライラしながらランプを磨いたらランプの精が現れるような、身近なキャラクターと邂逅するファンタジーを思わせるんですよね。
夢かうつつか曖昧な中、余裕の笑みを浮かべてセクシーキャットはこう言います。
行列に並んだら「幸せ」になれるなら
早朝から並ぶわ
なんだか、『夢をかなえるゾウ』の金言みたい(笑)。いきなり言われたらキョトンとなります。*1
例えば、Wikipediaでコピペしてレポート書いて必ず単位がもらえるなら、いくらでも検索欄にワードを打ち込むでしょうけど、そんな楽して合格のハンコもらえるわけねーだろ的な反語混じりのニュアンス。
金言だけでなく、その意図についても語ります。
結果だけを求めてるんじゃないことくらいは
私自身がわかってるわ
単位をもらえればいいんじゃなくて、分からないことを見つけて、調べて、考えて、文章に表わして、、そういった学びのプロセス自体を習得する目的が無くなっている。
つまり、女の子が学生だとして、「勉強したくて大学入ったんじゃないの?」って訊いてるような状況なんですよね。
もっと汎用的に言えば、「今やってること、やりたいことなの?」でしょうか。
セクシーキャットがツッコミの演説を繰り広げる間、女子の面々は、SFモノで時が止まった場面のようにピタリと固まっています。
※佐藤、飯窪、石田。生田も戯れるキャットの後ろで佇む。
「漫画が好きっていうキャラクターに縛られてない?」
「友達が居ないって言ってるあなたが電話だなんて無理してない?」
なんだかそんな声も聴こえてきそう。
ネイルケアに熱心な牧野を覗き込む工藤キャット。
「着飾ってるねぇ~」とニヤリ。
本気で挑まぬ女の子は、自分の見え方ばかりにとらわれるあまり、心ここにあらずなんでしょうね。
ネイルに余念がなく、流行りのお酒を飲んで、自分磨きのために本を読んで、電話でウワサ話をしたり、友達同士のチェスは女子会での会話の駆け引きを表しているのでしょうか。であれば、ジェンガはセンス良く見せる趣味や娯楽とか。
一見すると、いかにも女の子らしい楽しそうな生活。
でも、外見を着飾って、行動も着飾って、表向きを装うことにとらわれ過ぎたり、別のことに脱線したり。本当にやりたいことを見失っているんじゃないの?とセクシーキャットはツッコむのです。
じゃあ、どうすりゃいいのか。これがヒントだと思うんですよね。
ピュアに勝れない
ピュアを侮れない
ピュアは演じれない
ピュアは裏切らない
本心までは装えないし、混じりっ気のない気持ちに勝る思い入れはない、といったことを言ってます。
例えば、「カフェに通う女子」になりたいだけで初めてお店に入っても、ソファに座った途端に手持ち無沙汰で、きっと上のような心ここにあらずの表情になると思うんですよね。
本当にカフェが好きだったら、自分で淹れたコーヒーよりどれだけ美味しいかとか、どんなカップを使ってるか、ソファの座り心地、店内のインテリア、BGM等など、初めて入ったお店ではきっと五感が大忙しだと思うんです。
心ここにあらずの人には、その趣味は続くの?楽しい? と、訊きたくなるのでしょう。
趣味でも何でも、「こう見られたいからやってる」人と比べて、本当に「心からやりたい」と思っている人は没頭する集中力も違えば、そこで得るものも全く違う。
「体裁なんか気にしてないで、早くやりたいことをやりなよー」と無邪気に暴れまわるセクシーキャットたち。
チェスを崩しちゃう譜久村キャット
「つまらないならやめちゃえ~」
読んでる本を取り上げる工藤キャット
「どうせ、頭に入ってないでしょ?」
ジェンガをちら見した後、問いかけるように顔を覗く小田キャット
「楽しくなさそう」
で、ジェンガ崩しちゃう
読んでる本を払いのける小田キャット
話してる電話を切っちゃう譜久村キャット
ネイルを塗ってる手を小突く工藤キャット
「どうせ大してやりたくないんだから、やめちゃえよ~」と、けしかけるセクシーキャットにイジられ続けて、女子たちの不満はそろそろ限界。
「まったく、ネコは好き勝手できていいよな。そうは言ってもさ……(ブツブツ」
無表情の生田に触れる小田キャット
うつむき加減の羽賀に絡む譜久村キャット
同じくこわばった表情の野中に対して工藤キャット
そうして、いよいよ話が展開していきます。
工藤の手をはねのけて噛み付く野中
同じく、羽賀
そして、生田も。
ここまでずっと聞く耳を持たなかった女子たちも我慢の限界。でも、これで何かが変わりそうな予感。。
そんな局面で迎える間奏パート、いよいよ「やってやる!」と盛り上がっていく気持ちを表すように、プログレ的なアレンジが高揚感を煽ります。RPGでボスキャラと最終対決を迎えるような、ラストステージ直前の興奮。*2
この高揚感、初見の娘。コンサートでメドレーが進んでいく時に、曲と曲とのつなぎの部分のアレンジがエラいカッコ良くて、「ここからどの曲に変わるんだろう」ってワクワクする感じに近いものあります。
※ちなみに、この曲の考察を「言霊」さんが上げられていて、『ウルフボーイ』との対比で語ってらっしゃいます。納得。そして、『ウルフボーイ』から始まるいつぞやのメドレーでわくわくしたことも思い出しました。
そうして始まった終盤戦、異なる音が加わって、よりリッチな音楽になっています。
フクちゃんのウィスパーボイス、楽器はベースが入りやがてピアノも加わって、ジャズアレンジのボーナストラックにグレードアップしたみたい。
音に厚みが出たことに合わせて、がぜんやる気に変わっていく女子たち。顔つきも体の動きも変わっていきます。
本を捨てて「ばっかみたい」という顔の飯窪さん
きれいにジェンガを積んでたまーちゃんはポップコーンを散らかし放題
セクシーキャットと女の子たちとが、ここで形勢逆転。「好き勝手できていいよなあ」と思っていたはずが、セクシーキャット以上に奔放にはしゃぎます。
猫じゃらしで操られーの、、、
「はい、こっちー」
「ほーら、取ってこーい」
工藤キャットも猫じゃらされてる
やりたい放題な女子たちに、逆に翻弄されるセクシーキャットたち。
ポップコーンがぶちまけられてあわてる譜久村キャット
この場面、左から右にパーンする間、女の子たちが前半とは見違えるほど楽しそうで、活き活きとしてるんですよね。
これなんですよ、本来の姿って。本当の自分になったら見た目の魅力がまるで違う。
そう、よく見せようと体裁を気にしてたけど、結局ピュアに勝るものは無いのです。
そうして全員でから騒ぎした盛り上がりの一夜。だけど、最後は元の表情で終わります。
「そうだったらいいのになぁ……」と、そんな言葉が聴こえてきそう。
頭の中の出来事は長いようで一瞬の夢と消え、本気で挑まぬ限り永遠にうわべだけの生活がループするのだと、あらためて思い知らされたのでした。
場面はスッとブラックアウトして、映像はここでおしまい。
セクシーキャットって何者?
セクシーキャットに心の奥の柔らかい部分を刺激され、装っていた女の子たちは我に返ります。
ですので、ハロ!ステに登場した時、TLに「全員セクシーキャットでええやんw」っていう願望混じりの声も聞かれたんですけど、こういった構図を考えると、セクシーキャットと悩める女子とを分けることに意味があるわけですよね。
さて、このセクシーキャットとは何者なのか。今回は早々につんく♂Pが答えを教えてくれました。
設定としては『言い訳の多い主人公。未来に向かってすべきことはあるのにサボってる。「あ〜あ、セクシーキャットに変身出来たら私は大きく変われるのに」と私じゃない私になれたら変われるのにと逃げ腰。でもそのうち自分が変わらなきゃいけないんだということに気がついて成長していく物語』というお話。 変身後というか主人公の頭の中にある、「もし○○○だったらいいなぁ」というイメージで描いているセクシーキャットを演じるのが譜久村、工藤、小田の3人です。
/ モーニング娘。’16 11/23 sg 「セクシーキャットの演説」「そうじゃない」ライナーノーツ|つんく♂オフィシャルブログ 「つんブロ♂芸能コース」 powered by アメブロ(2016.10.14更新)
「もし○○だったら……」と思うイメージ。まるで自分の変身願望が、もののけのように姿形を成して一人歩きして、こうなりたいという思いが強いがために、自分自身に説教をはじめたわけです。
それって、「もう一人の自分」だと思うんですよね。
やればできる子
自分のことは自分が一番分かってる、という言い回しを聞きます。
当てはまる場合とそうでない場合がありますが、分かってないと思われがちな十代でも、意外と冷静なもう一人の自分がいたりします。
昔見たドキュメンタリーで驚いたんですが、不良や引きこもりの更生プログラムにロールプレイの時間があるそうで、「今の自分に何か言ってください」とお題を与えると、スッと頭が整理されて結構鋭いことを言えるんだそうです。*3
あるいは、ドラえもんは病床ののび太の夢の中にいる想像上の存在だという都市伝説がまことしやか語られるぐらいなので、誰にでも、自分で自分にツッコむもう一人の自分っているんですよね。
だから、「分かってるのに出来ないでいる」という自己矛盾の状態も、きっと誰にでもあるんですよ。
分かっているのに出来ないままでいると、そのうちこんなことを言い出します。私は「やれば出来る子」って。
本来は自信を無くした相手を元気づける時のセリフですが、最近は本人が言い訳として冗談交じりに使う場合が多くなりました。
言い訳として使う時、本当は出来てない自分を分かってるんですよね。「やれば出来る子♪」とおどけながら、「(やれないのが問題なんだけどね……)」っていう別目線の気持ちも持ち合わせています。
きっと、きっかけが欲しかったり背中を押してもらいたかったりするんですよ。だから、自分で自分にツッコむんです、「じゃあ、なんで出来ないんだよ!」「なんでやらないの?」って。自分を客観視するもう一人の自分を作って。
そんな、頭の中にいる小さなツッコミ役、それがセクシーキャットの正体なのだと思います。
やらなきゃいけないのは分かってる裏の顔
このMVを見て、『笑顔YESヌード』の頃のモーニング娘。を思い出しました。
『笑顔YESヌード』はクール一辺倒で、それに対して『セクシーキャットの演説』は猫に化けるというユーモアが加わってエンタメ要素が強く、テイストは全く違うし、テーマも「恋愛」と「生き方」で違うんですけどね。
でも、楽曲の主人公が抱えている悩みの根本的なところや、ビジュアル面でセクシーに特化した辺りなど、似た部分があるように思います。
つんく♂Pのライナーノートには、こんな説明があります。
笑顔の奥の裸な部分を見てほしいという女心を詠っています。
いつも笑顔でいる(=表の顔)けれど、その奥にある本当の自分(=裏の顔)をあなたに気づいて欲しい。けれど、それをどう見せたらいいか分からないでいるじれったい気持ちを描いたもので、MVにもカッコ良く踊る画と寝そべりながら複雑な表情を浮かべるカットが入り混じっています。
脳内のセクシーキャットに、周りに見せている自分と本当の自分との乖離をツッコまれる女の子の話とどこか似てませんか?
どちらの主人公も、うまく一歩が踏み出せないじれったさを曲の中に閉じ込めていて、そこが更に当時の娘。と今の娘。に通じるところでもあるのかなあという気がしています。
『笑顔YESヌード』のMVが公開された頃、映像の雰囲気から「ガキさんももう子どもじゃないんだなあ…」という声が聞かれたり、お正月のハロコンでよっすぃ~が卒業発表したところだったので、「またグループのイメージが変わっていくなあ」という目で見られたりしてました。
本人たち(特に当時の5期二人と純6期*4の三人)は、「ちゃんとしなきゃいけないことぐらいは分かってるんだよ」といった気持ちでどうしたら変われるのか模索していた頃でもありました。
新垣「もっとしっかりしなくちゃと思ったけど、結局いつも助けてもらうばっかりで。。」
/『モーニング娘。コンサートツアー2007春 ~SEXY 8 ビート~』(2007.05.06、さいたまスーパーアリーナ)
そう言っていた彼女たちも、この後 紆余曲折があって、待った無しの状況からだいぶ変わりましたよね。
今の娘。も『MY VISION』と銘打たれたコンサートの中で、少なからず自分の将来像を思い描いたり、そうでなくてもインタビュー等でそんな質問をされたりするわけで、殻を破りたいという気持ちがふつふつと湧いている状態であるような気がします。
■
頭の中の小さなから騒ぎ。
その様子は周りからは見えないし、取るに足らないものかもしれない。けれど、情報が多く妄想シミュレーションの材料も無限にあって、躊躇して、あれやこれやと見始めたりキリが無いし、そうしている内に一歩目のハードルはどんどん上がります。
とりあえず状況を整えてから……と頭に描いたイメージに合うよう自分を武装するよりも、まずは踏み出してみたらどう?っていう、つんく♂Pの親心が働いたように思います。
キーワードとして、「○○しなきゃ」でなく「○○したい」がサラッと出て来るかどうかが見どころでしょうか。
ラジオにゲスト出演した飯窪&石田がこんな風に説明していました。
飯窪「自分から動かなければ何も変わらないんだ、と思わせてくれる歌詞で、」
石田「曲の中でネコを演じるメンバーが3人いて、他の8人が(略)3人と8人で分かれて人間とネコを演じてたりするんですけど、曲の中で表現されてる主人公は一人の女の子なんですよ。一人を私たち11人で演じてるみたいな。」
/FM FUJI『J POP N' ROCKs』(2016.11.07放送)
映像の中で色々やってる女の子たちは、1人の子にある「オシャレしなきゃ」「流行りのもの見なきゃ」という色んな一面を表しているんですね。
だとしたら、モーニング娘。の色んなメンバーの色んな「やりたい!」という気持ちが、やがて1つのモーニング娘。というグループの特徴に反映されていくのだと思います。
彼女たちが等身大のジレンマを歌うことはとても意味のあることです。モーニング娘。が悩みをクリアして、これをやるんだと決めた時、グループは次の姿に生まれ変わります。
もしかしたら、いずれこの楽曲が「モーニング娘。の変化の前兆だった」と語られる日が来るかもしれません。
いやしかし、奇々怪々の世界観を時間をかけて読み解いていると、あぁつんく♂曲だなあとしみじみ思います。
◆ ◆ ◆
見ていて一番ハッとした場面。
リアル反抗期世代が噛み付いた瞬間、ピュアだからこその現実味があります。きっと、それだけ変われる可能性も大きい。