■給料入った途端全額パチンコに突っ込み、
全部遣ってしまったという人があります。
今月の家賃はどうするのか、も考えていない。
「つい熱くなってしまって・・」
っておい、それで済むかい。それでも大の大人か。
と言ってやりたくなるところです。
■今年乗り切るのに精いっぱいで、
来年、再来年の展望まで考えられないという経営者もあります。
高校3年生なら、受験の追い込みの時期かと思いますが、
とにかく大学、と志望校に入ることだけ考えて、
就職までは考えていない人が多いようです。
皆が「あれしなきゃ。これしなきゃ」と、
目先のことに心を奪われています。
■そんな中にあって一握りの先見性のある賢い人が
世界情勢の動きを予測してシンガポールで資産管理したり、
資産運用しているマンションを子供名義にして税金対策したり、
10年先、20年先まで考えて行動しています。
■しかしそんな先見性のある賢者も、
見落としていることがあります。
「死ぬ」ということです。
「死ぬ時が来る」と聞くと、先過ぎる話だとでも思っているのか
問題にもせず、したがって
「死ぬまでのやるべきことは何か」という視点も持ちません。
■シッダルタ太子(お釈迦様の仏になられる前のお名前)は
【死ぬ時がくる】と、己の人生の行く先を見つめられた方です。
それは100%の将来であり、しかも遠い先の話ではない、
早ければ今晩にでもやってくる、と厳粛に受け止められました。
「世人薄俗にして共に不急の事を諍う」(釈迦)
「世の中の人は、目先のことばかりに心をうばわれて、
生死の一大事を知らない」
この一大事こそ仏教の出発点なのです。