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トランプの勝利―アメリカ史家マツバラはどうして読み違えたか

2016年のアメリカ大統領選はドナルド・トランプの勝利に終わりました。びっくりです。まったく予想しませんでした。

上院、下院でもトランプ与党になる共和党が多数を占めました。最高裁判事の任命にもトランプ色が濃厚に出るでしょう。オポチュニスト(ご都合主義者)だから大統領になれば穏健化するとみるのは呑気にすぎます。敵をたたくことで支持をかき集めてきた人は、その方法を簡単には手放せません。なにより、たとえトランプその人が豹変しても、彼が解き放った憎悪のレトリックを学んだ人びとが歩みを止めないでしょう。え、憎悪は言いすぎですか?既成政治へのノー、職業政治家たちが見すててきた低所得層の悲憤のあらわれでしょうか。出口調査からもうかがえるのは、単に経済的な苦しさだけでは説明できない、分断の根深さです。社会への異議申し立てだと一般化すると 、トランプ集会の怒声や暴力の意味をとらえそこねます。4年、8年にとどまらない影響を覚悟せねばなりません。

それにしても、どうしてわたしはこの展開を予期できなかったのでしょう。これは歴史家としておもしろい問いです。この判断ミスには歴史像がおおいにかかわっているのです。

「世論調査も政治学者もみんなしくじったよ」となぐさめてくれますか、ありがとうございます。しかしですね、たとえもうちょっと接戦予想が出ていても、やっぱり最後はヒラリー・クリントンが逃げ切ると見たのじゃないかと思うのです。

いまから考えてみれば不思議な判断です。クリントンへの支持が伸びず、トランプが最終盤にまた差を詰めてきたのも聞いていたはずです。無茶な政治家が支持を得るのは、Brexitから、プーチン、フィリピンのドゥテルテまで山ほどいます。なんの説明責任も果たさない安倍自民が圧勝したりするのを目の当たりにして、それについては予測もするわけです。どうしてまたアメリカだけはクリントンだろうと楽観したのでしょう。

判断を縛ったのは、アメリカの進歩、理性、自由への信頼でしょう。紆余曲折はあっても、いくらなんでも「トランプ」のような明示的な逆行にはなびかないのがアメリカの趨勢だ、まぁこんな歴史像を心のどこかに持っていたわけです。

うかつです。自分も含めて、歴史学研究の成果はそんな楽観の修正を進めてきたというのに。アメリカの「市民」や「自由」がわかちがたく内包する人種やジェンダーといった要因はよくよく研究されてきました。アメリカの「豊かさ」がはらむ社会的な緊張や抑圧は大きなテーマです。「理性」や「科学」や「専門性」といった制度がかかえもつ緊張もまた注目をあびてきました。「感情」や「身体」にまでおよぶレベルで、人と社会の動態を立体的に探ろうとする試みが始まっています。なにを今さら、素朴な近代化論に寄りかかっているのやら。

しかしこの失敗は、多くを教えてくれます。

歴史像がどれほどひそかに人の思考に入り込み、いったん侵入すると自覚から逃れていくか。論文を書き、教室で話すときにはあれこれ検討を加えていても、ふとした日常的な判断にはずいぶんとシンプルな見立てが根を張っているわけです。

「アメリカ」がかくもやすやすと近代社会のモデルとして君臨しつづけていること。「日本」ではいろいろと逸脱があっても、まぁ「アメリカ」は大丈夫でしょと油断する。おっとっと、アメリカは標準ですか?そもそもその「標準」とやらの内実はどんなものでしょう。

これらはただちに課題のありかを指し示してくれます。

人の思考の基礎に入り込んでくる歴史像こそは徹底的に鍛え直していくべきものです。「歴史」、それは世界を見立てるための基本のレンズ。

この一週間に相次いで出ている論評は近年のアメリカ社会の経済的苦境を基軸にするものが多いように思いますが、事態の根はもう少し長い時間軸でみる必要があります。この長いパースペクティヴを、もっとハンディに日常的に使えるようなかたちで提示していかねばなりません。

良くも悪くも「アメリカ史」が日本社会での考え事の肝になっているなら、アメリカ史学はもうちょっとがんばらねばなりません。うっかりした歴史像を標準にしないためにも、やるべきことがたくさんありそうです。アメリカ事情をジャーナリストや政治学の方たちにお任せしすぎなのは要反省。

それにしても、アメリカ史の勉強がおもしろく、教室が熱を帯びるのはこういう事情があるからかとあらためて自覚するところもあり。情勢は厳しいものがありますが、それでも、この歴史像の呪縛を解いていくところからやれることがあるだろうと思います。

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