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もえもえモラトリアム

ブログだから言えるもえもえ論

asagiが大学院でやってること【動物実験を行う当事者の心境】殺されるために生まれてきた命なんて無い

大学院生活 わたしの意見

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どーも、現役理系大学院生のasagi(@0120Momii)です🌸

 

わたしは所属する研究室の研究テーマの問題上、どうしても動物を使った実験を行わなくてはなりません。

俗に言う、「動物実験」です。アニマルウェルフェアがガチで関わってくる領域です。

 

日々動物の世話をし、その可愛がってきた動物たちを使って実験をする。

「心が痛くないのか?」と質問されたことも、何度もあります。

今日は実験動物を扱う側の人間の思いを語っちゃいます。

 

わたしの毎日は、ヤギの世話から始まる

うちの研究室では、うさぎ、ヤギ、鶏を飼っています。

わたしは主にヤギとうさぎを扱うので、毎朝その子らの飼育スペースの掃除と餌やりから1日がスタートします。

 

でも、絶対その子たちに名前はつけません。

なぜなら、愛着が湧いてしまうから。最後は絶対に殺すと分かっている命。変に可愛がって愛着が湧いてしまったら、悲しくなるのはその人自身です。

ヤギには耳に番号が振ってあります。

なので識別しなくてはいけない時は、番号で呼んでいます。

 

今はこの研究室に入って3年目なので当たり前のように受け入れていますが、最初からすんなり割り切れていたわけじゃありません。

 

実験動物を扱うときの心持ち

大好きだった113番との別れ

研究室に入りたての頃です。

動物が大好きだったので選んだ研究室。毎日ヤギと触れ合うことができたので、結構ウキウキしていました。

ヤギ達は1匹ずつ顔つきも性格も違っていて、わたしの一番のお気に入りは、食欲旺盛で人懐っこい「113番」でした。毎朝「おはよう!」と言って、鼻をなでたり抱きついたりして遊んでいました(^^)

 

先生もこの子がお気に入りだったので、「こいつは長生きしてくれそうだな」と思って可愛がっていたんですね。

でも現実はそうはいかなくて…。ある朝いつも通り掃除をしていたら、「113と114、明日サンプリングね。」と、さらっと先生がおっしゃったんです。

「え…?絶対ですか…?」

「うん、明日。」

「はい…。」

 

そうして訪れた翌日、自分で麻酔を打って、血を抜いて安楽死させる最中、やっぱり最後は動物って暴れるんですよ。

可愛がってた子が、意識はないのに

「メェエーーーーー!!!メェエエエエーーー!!!」

って鳴いて暴れて動かなくなるのを見た時、めちゃくちゃ胸が熱くなって、現実を悟りました。

実験動物はペットとは違う。

これが実験動物の現実だ。

 

なので、それ以来極力名前はつけずに、感情移入しない距離を保って動物たちと接しています。

 

「動物を殺して悲しくないのか」という質問

心は痛いです。でも、仕方ないと割り切ってます。

だって、わたしたちの身の回りにあるものって、色んな動物やらなんやらの犠牲の上に成り立ってるものが多いですもん。

 

化粧品とか薬だけじゃなくって、毎日食べてる肉や魚、卵だって、たくさんの薬物検査や品種改良、餌の改良の上で出来上がってきたものばかり。

それをいちいち、「動物の命がかわいそう」って感情論で訴えかけてこられても、「それは論点がずれてるよね?」っていう以外できません(・ー・)

 

動物が好きなのに、殺さなくてはならないジレンマ。実験動物は殺されるために生まれてきたのだろうか?

正直、動物が好きで選んだ道なのに、なんでこんなに殺したりしなきゃいけないのかなーって思ってます。

 

もちろん実験動物を扱う時は、アニマルウェルフェアを考慮した飼育・処理を行うんですが、どうしても、

「この子たちは殺されるために生まれてきたのか?」

という疑問を抱かずにはいられない時があります。

 

でもそれも宿命だと思って割り切らないとやってけないんですけどねー。

 

今でも忘れられない、印象的な目をした子

3年間実験動物の世話をしてると、印象的な目をしたヤギに出会うことがあります。

 

番号は忘れてしまいましたが、小柄でグレーの毛をしたヤギでした。

たいていのヤギは警戒心が強いので、毎日世話をしてても

「うわっ人間!!怖い!敵!!!!」みたいな目を向けてきます。

 

でもその子は、なんだろう、すごーく綺麗な目をしていたんです。

敵意とかなくて、純粋に、興味しんしんな目。

でも、自分の運命を悟ってるような、落ち着いた目。

そんな目でずっとこっちを見てるんです。掃除中もジーッと。

その目を見た時、ものすごい罪悪感に襲われました。

 

殺されるために生まれてきた、って割り切っていい命なんかない。

それぞれにちゃんと人格があって、感情がある。それをこっちの都合で、利用させてもらってるだけだ!

 

何も言ってはきませんし、明確な意思表現もありません。でもそれだけのことを訴えるだけの目をしていました。

 

動物を使った実験や学習に対して思うこと

こういう経験をしていますが、それでもやっぱり動物実験は0にはできないと思っています。

人が発展していくためには、この類の犠牲は避けては通れないものだから。本当に、犠牲になっていく動物たちに土下座して感謝しまくっていかなきゃいけないと思ってる。

 

そしてだからこそ、世の中のもっと多くの人に、どれだけの犠牲のもとで今の生活が成り立ってるか知ってほしい。

わたしが解剖学が好きで、みんなに解剖実習を経験してほしいのもそれが理由です。(あ、言うの忘れてましたが、わたしは解剖学・解剖実習が大好きで、肉を食べる人やそうでない人も全員一度は解剖を見てほしいと思ってます。)

 

こうして日々動物を殺して、命をもらって実験してる分、誰よりもその尊さは身にしみて理解してる自信があります。

決して、軽い気持ちで殺してるわけじゃありませんよ(・ω・)

 

今日は、そんなasagiの熱い一面でした🌸

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