私は刀剣乱舞が好きだ。その中でもとくに、薬研藤四郎というキャラクターが好きだ。そんな私の悲しみと愚痴を少し。
刀剣乱舞とは、大枠の設定はあるもののストーリー性というものはほとんどない(今は明かされていない)、いわゆるキャラクターゲームである。とはいえゲーム内でキャラクターが掘り下げられることはほとんどなく、プレイヤーは数枚のイラストと何十通りかの台詞だけを与えられ、それを元に各自自分の本丸だけの刀剣男士(キャラクター)の設定を自由に想像することが出来る。この想像を、最近の風潮では『解釈』というらしい。
かくいう私も勿論、自分の本丸におけるキャラクターたちを自由に解釈し、妄想したり二次創作したりして楽しんでいる。公式から与えられた設定から。少ないイラストの表情から、衣装から、仕草から。少ないセリフから、声優さんの言い回しから、キャラクターからくる手紙から、特定のキャラクターと発生するやり取りから。そして何より、そのキャラクターの元となった刀の刃生から。正解はないと知りつつも、少ない情報から解釈するのが大好きだ。
私の好きな薬研藤四郎という刀は織田信長が持っていたとされる短刀で、見た目は膝カックンで死にそうなほどに細くて青白い10代前半と思われる短パン少年で、その実声は並み居るムキムキキャラよりも低く、審神者(プレイヤー)に戦場のことなら任せろと言い切る頼れる男気溢れるキャラクターである。まぁステータスは見た目通りなのだが些細なことである。私にとっての彼の魅力は見た目と中身のギャップなのだ。
そんな少ない情報で分厚い本を書いたり、妄想したりして萌えていた審神者達の状況が一変する。刀剣乱舞花丸というアニメーションが始まったのである。
これは多くの喜びと不安渦巻くアニメであった。何せサービス開始から2年弱、審神者達は少しの情報から独自の解釈をこじらせてきたのに、いきなり公式からキャラクターの『正解』を叩きつけられるのだ。審神者達は戦慄した。
そんな状況はもちろん公式も分かっている。だから念押ししたのだ、これはあくまで『とある本丸』の『とある刀剣男士たち』であって、『正解ではない』。審神者達が作り上げてきた解釈を否定するものでは決してありません、言外にそう言ったのだ。
そう言われれば、自分の本丸の刀剣男士の話ではないのだからと安心して見ることが出来た。キャラクターの行動や考え方が自分の想像していたものと違っても、これは違う本丸の刀剣男士の話であって、私の本丸にいる刀剣男士は私の想像する通りの考え方や行動をするのだ。だから思いもよらないことをしていても何の文句もなかった。
花丸第7話、薬研藤四郎のメイン回である。薬研が数多き刀剣男士の中でその回の主役を張るのである。もう気分は文化祭の劇で主役に選ばれた息子を見に来た親である。
しかし期待よりも不安が大きかった。ああ、絶対に私の本丸の薬研とは180度違う薬研を見ることになるのであろうと。
薬研は刀派を同じくる短刀がたくさんいる。この短刀達は同じ刀工に打たれたために、兄弟という設定になっている。薬研含め短刀達が慕う、粟田口という刀派の長男であり太刀である一期一振というキャラクターがいて、彼はゲーム内でもレアリティが高く手に入りにくい。そんな彼に会いたいといういじらしい思いを抱えた粟田口の短刀達が、兄になかなか会えない悲しみと戦うという回である。
薬研は審神者達に頼れる兄貴分というキャラクター付けをされていることが多い。そんな薬研がなかなか会えない兄に変わって弟達をまとめようと奮闘する話になるであろうことは目に見えていた。
もちろん想像していた通りだった。薬研は兄に変わり弟達をまとめようと奮闘し、毎日今日こそ一期一振が来ないかと新しいキャラが来るという設定の鍛刀部屋へと通い終いにはその傍らで膝を抱えて寝て、最後の最後に待望の一期一振が現れる。一期一振は自分の代わりをよく勤めてくれた、甘えてもいいよと薬研の頭を撫で、薬研の目尻には涙が光る。感動のシーンである。
私は号泣した。膝を抱える薬研を見た時には頭を殴られたような衝撃が走った。つらい。彼が苦しむのを見ているのがつらい。
やっと皆揃ってよかったねの大団円だ。私の解釈とは少 し も 合 わ な か っ た けれども。
薬研は弟達をまとめようと必死になったり、膝抱えて毎晩待ってるような健気なキャラじゃない。薬研以外の兄弟は、兄弟が苦しんでるのに気づかないような能天気な甘えた幼稚なキャラじゃない。解釈違いにもほどがある。
でも私は知っているのだ、これが私の本丸の刀剣男士ではないことを。だから受け入れた。花丸本丸の彼らを。
受け入れたからと言って、いいと思ってないものをいいと言えるはずがない。
モヤモヤを抱えたまま私はTwitterを見た。予想通りフォロワー達は感動した、薬研可愛い、よかったねの大絶賛だった。
皆『解釈通りだった』のか、『解釈は違うが割り切って見た』のか定かではない。ただそんな空気の中で言えるはずもなかった。
「私が見たい薬研ではなかった」など。
『解釈違い』という言葉は大変都合がいい。公式がこれを「とある本丸」と言っているのだから、これは一つの解釈であって正解ではない。だからどんな解釈違いも受け入れろ。本人たちは無自覚だが、審神者達の間にはそんな暗黙の了解がある。解釈違いを受け入れられない人間は心が狭い。きっと皆そう思っている。私もそう思っている。だから皆の前で堂々と、こんな薬研を見たくなかったと言えなかったのだ。
皆がよかったと盛り上がる中、なかなか私はそうは思わなかったという意見を言う人間はいない。だから匿名の掲示板を見た。あの話が好きではなかったという人がきっといるだろう、その人の意見を見て自分だけじゃないんだと安心したいと思ったからだ。結果は、私が想像していたものと少し違った。
あの話が好きじゃないという人はたくさんいた。でもその人達の憎悪はその回の主役であった薬研に向けられていた。贔屓だ。皆一様にそう言っていた。あの回は薬研を贔屓するためだけに他のキャラクターが幼稚にさせられた、薬研はあんな他の兄弟を踏み台にするようなキャラだったのか、薬研好きな人しか特をしない話だった。皆そう言っていた。
皆がそう言っている気持ちは分かる。いつもならAパートとBパートでそれぞれメインのキャラクターが違うのに、AパートもBパートも薬研が主役だった。加えてEDは毎回新規のキャラクターソングになっている。1度も歌っていないキャラが多い中、薬研が歌うのは3回目だった。薬研が推しの私ですら、流石に多い。12回しかチャンスがないのだから、他のキャラに歌わせてくれと思うほどだ。
厚藤四郎というキャラクターがいる。薬研と見た目の年の頃が同じで、ゲーム内でも共通点が多く、セット扱いされることが多いキャラクターだ。私も厚が大好きだ。
ゲーム内では薬研よりも兄弟のことを気にかけている設定がある(というか薬研に実際弟たちをまとめようとしている台詞などない)、粟田口の短刀の中でもお兄ちゃんなキャラクターだ。そんな彼がアニメでは他の短刀達と同じように子供っぽい行動をし薬研にまとめられている。ありえない。絶対に、彼なら気付くはずだ、薬研の苦しみを。薬研と一緒に弟を支えようとしているはずだ。他の兄弟だって、見た目は子供だが他の刀剣よりもずっと昔に作られている。見た目相応の言動のキャラクターもいるが、多くは子供らしさを感じさせないとても落ち着いて大人びたキャラ設定だ。薬研が一人で苦労し最後に報われる演出をするためだけに不自然にキャラクターの本質を捻じ曲げられているように感じられても仕方がないことかもしれない。
でも待ってくれ、私は薬研が一番好きだが一つも得などしていない。だって私が見たかった薬研ではなかったからだ。あんな誰も頼んでないのに勝手に世話を焼こうと必死になって空回っている薬研なんか見たくなかった。だって薬研も、厚も、他の兄弟もそんなキャラクターじゃない!
Twitterでは、薬研が贔屓されすぎていると感じて、ゲーム内でわざと薬研を折った人が話題になっていた。本当に折ったのか、ただの釣りだったのかは定かではない。事実はどうでもいいし、倫理観や人間性を疑いはするが、別に自分の育てたキャラクターを折ろうが使おうがそのプレイヤーの自由だ。ただ、薬研に対してそこまで憎悪を増長させるきっかけになった刀剣乱舞花丸が許せなかった。
皆そんなキャラじゃない。それは私の勝手な解釈にすぎない。だからそんなアニメを見せやがってなどと文句を言う筋合いはない。アニメの本丸は『とある本丸』という一つの解釈でしかないのだから。その解釈がぴたりとハマっていた人はいい。解釈は違うけど別の本丸の話だからと割り切れる人もいい。
でもそれらは独自の解釈があるほど薬研に好意的な人達だ。花丸を見て薬研はこんなキャラだったんだと嫌いになってしまう人は、元々独自の解釈などしていないほどには薬研に興味がない。だから『この本丸の薬研が正解』になってしまうのだ。だってこれは二次創作じゃなくて公式なのだから。
私はこういう薬研がいることはいいと思っている。こういった解釈も否定していないし、自分の解釈とは異なるが、嫌いというわけではない。でもこの薬研の解釈が『薬研の正解』であると思われることは絶対によしとしない。
アニメ花丸は二次創作と一緒だという人がいる。そんなはずがない。二次創作と違って、そのキャラクターに特別なこだわりがない人はこれが正解だと受け入れてしまう。とくに刀剣乱舞はそのキャラクターを使わなければ一切どんなキャラかわからないままだ。使うほど興味がなかった人達にとっては、偶然見た花丸の薬研藤四郎が全てなのだ。だから簡単に嫌いになってしまえる。
花丸のシリーズ構成と脚本を担当している人は、別作品で原作者にも「あのキャラにあの台詞を言わせるのはひどい」と言わしめた人である。加えて、テレビシリーズが始まる前の番宣動画で前田藤四郎と五虎退の口パクと声が真逆になっていた。普通ならば間違えようもないミスだ。背の低い前田の方が声が高いと思い込んで口パクを当てたのではないかと疑ってしまう。他のストーリーでも最大の魅力であるギャップが殺されて、見たまま通りのキャラクターにされている。
そんなスタッフが、本当にキャラクターの魅力を、キャラクターの本質を考えた上で作ってくれた話なのかと疑いたくないのに疑ってしまう。
嫌なら見るなというのがほとんどの人の意見だろう。私だってそう思う。でも嫌だから見たくないのに、嫌だけど見るのだ。だって私は薬研が好きで、薬研が薬研として動いて、喋っているんだから。解釈がどうだろうと、アニメで薬研が出てくる度にすごく嬉しかったし、何度も再生して繰り返し見た。それなのに、折角私の大好きな薬研が活躍した回だというのに、素直に喜んで見れないのがとても悔しい。付随するいろんな悲しい気持ちを思い出してしまって、二度とこの回が見れないかもしれない。折角薬研がいっぱい動いてしゃべっているのに。なんで皆が笑顔になれる話にしてくれなかったんだ。皆平等に活躍するシーンがあり、兄弟で支え合って兄との再会を喜び合う。そんな話にはできなかったのか。そんな仕様のないことを考える。
薬研の特典があるから、円盤だって全巻予約したし、重複して予約した巻もあるし、CDも買っている。もちろん予約を取り消すことはしない。でも見るために開くことはないだろう。
薬研は魅力に溢れている。嫌いになってしまった人も、ゲームを起動して彼のことを少しでいいから見てほしい。彼は兄弟を踏み台にしたりするような人ではない。あのアニメの薬研が好きではないと思ったのなら、きっとゲームでは別の解釈も見えてくると思う。
私は刀剣乱舞が好きだ。その中でもとくに、薬研藤四郎というキャラクターが好きだ。これからも応援している。だからこそ、悲しかった。
脚本がピエール杉浦である以上は、もう解釈が浅い、浅すぎるのは仕方ないのでは
原作厨ってのはつくづく度し難い馬鹿だよな 見たら不幸になるのが判っていてアニメ版を見て、さらに周囲にまで不幸を撒き散らす 原作厨は原作だけ見てろ つーか死ね
原作漫画と展開がぜんぜん違うアニメ化だってあるんで「これが公式」論には疑問。 自分が辛かった公式展開を観て、更に他人の反応を見て、そんなに自分を傷つけなくても良くない? ...