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以前にも申上げたとおり地の聲さんの 日帝時代の軍隊の残滓 には反對意見で、やはり旧帝國よりさきの時代から暴力容認主義な教育方針が、あるいは誤傳され歪曲され結果的に僧伽内部で涵養されてきたもの、と想像します。 ただし ときに体育会系などと形容されますが、おおくは若く活きのいい者たちで占める集團を指導者らがシンプルに劃一的に(つまり自分らの反省や考察や檢證とか懐疑などの全勞力はぶいて)管理して總べるのに都合よろしきシステムとして旧帝國軍隊方式を追随し摸倣するのは、これ体育会系倶樂部でなくとも僧堂安居でなくともブラック企業の新入社員研修でなくとも、だれしも真似したくなるアレなんじゃないでしょうか。
わたしの知る僧の一人は、あれはただの弱いものイジメだと述懐されますし、ある僧は佛説に基づいている面もありつつ歪な面もあると回顧されますし、またべつの僧は事件以降(イジメを)緩和された方針で規律を保てるのかと疑義を示すし、わたし自身が僧堂で脚氣對策してない意味を問うた僧から脚氣對策より全軆行動統一が大事みたいな洗脳トーク返されたし。
これを↑病んでると思ったら信徒失格なんですかねえ。 |
No.1864 2014/08/24(Sun) 20:37:21
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少なくとも現在の僧堂のありかたには反対ですね。優れた指導者(=仏教者)がいないからです。 戦争の残滓論は一点突破なんです。 戦争を肯定した曹洞宗に対する揶揄でもあります。
折角の「懺謝文」ですら、「いらぬ誤解をまねく」などとごまかしていますが、これは現在の曹洞宗の実態。
近く某誌に「地の声節」を発表します。楽しみにしてください。
日本国仏教が本当の仏教に生まれ変わるために一石を投じます。曹洞宗モラトリアムにつきあっているヒマはもうありません。 |
No.1865 2014/08/24(Sun) 21:33:56
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かつて平等平和を唱えた善知識を放逐しヘ團ぐるみで戰爭を遂行しながら敗戰のちには懺謝文を發表して、けっきょく懺謝文の扱いで現在だだいま支離滅裂に反應する、これモラトリアムていうより、こういう大人になっちゃいけませんよ的な人らであります。 いらぬ誤解ていうのは、どういう誤解なんでしょ。もしも批判者らの主張が、こういう大人になっちゃいけませんよ的な指摘なんだったら、それは誤解じゃなくてズバリ正解なんじゃあないのかな。 |
No.1866 2014/08/26(Tue) 22:15:40
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「いらぬ誤解をまねく」・・これが懺謝文碑建立騒動のキーワードであるとわたしは考えています。 こんな稚拙な言い訳で、曹洞宗は何を守ろうとしたんでしょうかね。懺悔できない者は、宗教者として失格です。(経営者としては優秀です。笑) |
No.1867 2014/08/27(Wed) 06:44:12
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