首都圏で働くサラリーマンであれば、一度はお世話になっているであろう立ち食いそばチェーン「富士そば」(現在は東中野店を除く全店にイスがある)。
実は『週刊プレイボーイ』と同い年の1966年創業で、今年が50周年。今では1都3県に100店以上を展開する富士そばを築き上げた丹 道夫(たん・みちお)会長は、四国の田舎町から上京しては失敗を繰り返し、4度目の上京でようやく成功を手に入れた苦労人だ。
80歳を迎えた今でも現役バリバリで、店回りを欠かさない丹氏に波乱万丈の人生を振り返ってもらいつつ、客にも従業員にもやさしい超ホワイトな経営哲学を前編記事(「最初は名前も『そば清』」だった!?…」)に続き、語ってもらった。
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―富士そばは1972年に24時間営業を導入したんですよね。セブン-イレブンよりも早かった。
丹 僕が上京したての頃は泊まるお金がなくて、そば屋に入ったのね。店のTVで力道山やシャープ兄弟の試合を見て時間を潰してたんだけど、店のばあさんから「お兄ちゃん、もうそろそろ閉めるから出て行ってちょうだい」って言われて、上野のベンチで寝るわけ。あの時は寂しかったねー。
この間、僕はね、女房が出かけて帰りが遅かった日に、早く帰ってもつまらないから、ひとりで立ち食いそばを食べたの。そしたら昔のことを思い出してね、なんか涙が出ちゃって。寂しいのが一番嫌なんだよね。
―そんな想いもあって、24時間営業に?
丹 そう。今でも24時間やっていると、随分そういう人が来るんだよ。この間も男のコがスーパーで買ってきたおかずを隅で食べてたの。かわいそうだから、従業員に「熱いスープを丼一杯持ってってやりなさい」と言ったら、喜んで食べてたね。やっぱり東京は地方から出てきた人が多いから、家賃を払うのに精一杯な人も少なくないでしょ。
―お店的には、あんまり長居されても困りますよね?
丹 困るは困るけど、「出てってください」とは絶対に言わない。お互い様だから。従業員にも「冷たくしちゃダメ」と言ってるよ。いつかまたね、いいお客になるんだから。
―お店で演歌を流しているのも、会長のこだわりで?
丹 僕は「演歌がわかる人は他人の痛みがわかる人」だと思ってるの。昔、医者になったという女性から手紙が届いたことがあって、「受験に3度失敗して、途方に暮れていた時に富士そばで聞いた演歌に励まされて、もう一度頑張ろうと思いました」って書いてあったのね。
お店回りをしていると、従業員から「食べ終わっても歌をじっと聞いてる人が多いんですよ」と言われるんだけど、そういう話を聞くたびに演歌を流すのをやめてはいけないと思うんだよね。