【有森裕子コラム】東京五輪は「社会ファースト」で行われるべき
一体、誰のための2020年東京五輪・パラリンピックなのでしょうか。一連の競技会場見直しに関する議論の中で、やたらと「アスリートファースト」「レガシー」という言葉が飛び交っているのが気になります。
新設する会場整備費の高騰などにより膨張した大会総費用について、都の調査チームは3兆円を超える可能性を指摘しています。小池百合子都知事が疑義を呈するまで誰も気付かなかったのでしょうか。それとも見て見ぬふりをしていたのでしょうか。
問題が明らかになってからも、大会組織委員会や国内外の競技団体の多くが「選手のため」「レガシーを残すため」などと訴え、招致時の計画通り「新しい会場を造ってほしい」と要望している。でも、私は選手にとって使いやすく、選手村から近い場所に競技場を造ることが「アスリートファースト」だとする主張には、違和感を覚えます。五輪といっても、実際にかかわるのは選手や大会関係者などごく一部だけで、世の中の多くの人には直接関係ない。そういった一般の方々にとって、選手がスポーツを通じて社会に欠かせない存在になるためにはどうしたらよいかと考えることが、真の「アスリートファースト」だと思います。
五輪は、あくまで社会の中で開催されるスポーツの祭典。そうした観点から、東京大会は「社会ファースト」で行われるべきです。競技場は既存のもので使えるものがあれば、使えばいい。新しい“箱もの”が、必ずしもレガシーになるわけではない。膨張した予算のツケは、いずれ国民に回ってくるのです。
一連の問題の構図は、昨年の新国立競技場建設問題とそっくりで、五輪開催批判につながるおそれがある。元五輪アスリートとして、オリンピックが負の要素と見られることは耐えられない。招致が決まった3年前とは、国内経済の情勢も変化している。しっかり説明すれば、国際オリンピック委員会(IOC)も代替地開催案に理解を示してくれるのでは。都の丁寧で粘り強い交渉に期待したい。(女子マラソン五輪メダリスト)