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全会一致はありえない / 地の声 引用

古代ユダヤ律法では、全会一致で可決された決議は無効であるという。なぜならば人間が全員が同じ考えをもつことはありえないからである。つまり全会一致は作為であるからだ。

曹洞宗宗議会はいつも全会一致である。アメとムチで議員を去勢し、議員の見解を「不穏当」として削除を平気で求めたり、はては舞台裏に呼び出して恫喝したりするから結果そうなるのである。これはもはや民主主義とは言えない。一部の権力者が議会を崩壊させているのだ。

議会を本来の姿に戻さなければならない。

どこからか「反論」が聞こえてきそうだ。「和をもって貴し」と。全会一致こそ理想的な姿なのだと。おそらく聖徳太子を連想しているのだろうが、十七条の憲法をよく読んだことのない批判である。

一曰。以和為貴。無忤為宗。人皆有黨。亦少達者。是以或不順君父。乍違于隣里。然上和下睦。諧於論事。則事理自通。何事不成。(憲法十七条の一)

【訳】
一、うちとけ和らぐことを大事にし、背き逆らうことがないよう心がけよ。人はみな徒党を組み、道理をわきまえる者は少ない。だから、ある者は君主や父にしたがわず、隣近所と仲違いをおこす。しかし、上下の者が仲よくし、執われの心をはなれて話し合うことができるならば、道理が自然と通り、何事も成就しないことはない。

要するに権力者に従えということであって、これは民主主義からほど遠い封建主義や父権主義なのである。「智慧」を尊重する仏教者たるものの特に留意すべき点である。

「和」が強調されるときは、必ず背景に「逆らうな」という刃が光っていることを忘れてはならない。

No.265 2007/04/02(Mon) 17:35:28


植木等逝く / 地の声 引用

一休さんのような少年僧が、暗い道に張られた縄に足をとられた。地面にしたたか顔を打ち付け、血が噴出す。しかし、少年は泣くこともなく寺に帰ってゆく▼「衣を着たときは、たとえ子どもでも、お坊さんなのだから、喧嘩をしてはいけません」。少年は、縄を仕掛けた連中が近くに潜んでいるのを感じたが、この母の教えを守った。母は、血だらけで帰ってきた彼の手当てをし、抱きしめて言った。「よく辛抱したね」▼80歳で亡くなった植木等さんが『夢を食いつづけた男』(朝日文庫)に書いた。幼い頃に受けた「いじめ」と母の記憶だ。住職だった父は、部落解放運動の闘士でもあった。治安維持法違反で入獄したり、各地の社会運動に出かけたりして寺にいないため、植木さんが檀家回りをせざるをえなかった▼父・徹誠さんは後年、「スーダラ節」の「わかっちゃいるけどやめられない」のくだりについて、「親鸞の教えに通じるものがある」と言ったという。「人間の弱さを言い当てている」▼おだてられてその気になったり、お呼びでないところに出てしまったり、あげくには、ハイそれまでよになってしまったり。人の弱さと浮き世の切なさとを、底抜けの明るさで歌い、演じた▼「無責任男」として有名になったが、根は誠実で、思慮深い人だったという。いわば世の中の「無責任感」を一身に背負うという責任感が、あの笑顔を支えていたのではないか。耳に残る数々の「植木節」は、戦後の昭和という時を共にする多くの道連れであり、応援歌でもあった。(『朝日新聞』天声人語)

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植木等が高度経済成長期の人たちに「夢」と「希望」をあたえたかどうかは知らない。わたしは、たんなる娯楽ととらえている。その後登場したドリフターズと比較すれば気づくのだが、かれらの芸は上品だった。けっして下ネタは扱わなかった。

父は仏教の実践者だった。寺の仏像を物差しでペンペン叩いて、「こんなものは木を削って金色を塗っただけのものだ。拝んだところでなんのご利益もない」と幼い等に語ったという。

植木等は複雑な人間だったと思う。父の薫陶を彼はどう受け止めていたのだろうか・・。過酷なイジメ体験(それも部落差別と寺差別にもとづくものだ)、いきなりの時代の寵児。

あなたは、ほんとうは真剣に取り組みたいことがあったのではないか?社会をはすに眺めるのでなく、父のように仏教者として真っ向から差別と闘いたかったのではないか?

「そのうちなんとかな〜るだーろう〜♪」と歌いながらも、心の中にはそんな輝きをもちつづけていたと信じたい。

No.264 2007/03/29(Thu) 07:39:26


杉本俊龍、原田祖岳をどう評価するか? / 骨山住職 引用

 「曹洞宗にもの申す」という掲示板の中で36歳青年僧さんがなぜ突然「室内住職学随聞録」という書物のことをもちだしたのか正直私も理解に苦しんでおります。しかし、同時に、それに対する「地の声」師の批判に関しても理解に苦しまざるを得ない。

 地の声さん、杉本師の著書のいくつかは差別図書とされ、回収の対象となっております。それは「穢多非人切紙」等の解説に差別を肯定助長するような記述があったからと私は認識しています。しかし、この事実のみを持って杉本師の業績ならびに著書のすべてを否定できるものでしょうか?否定してよいのでしょうか?あなたは、今回36歳青年僧さんが推挙した「室内住職学随聞録」や「眼蔵家の逸話」を読まれましたか?その著書を読み、その著述内容に差別や戦争肯定があるならば、あなたの批判も決して見当はずれということにはならない。しかし、単に差別図書と原田老師への参学の事実のみで、杉本師の業績と著書を排除するのはおかしいというしかない。ましてや、滴禅会を右翼団体というに至っては、あきれるしかない。これまでこの掲示板でいろんな書籍や学者思想家のコメントを引用しているが、杉本師を批判するならその著述の内容を十分検討した上で行うべきだと思います。

 どんな高僧名僧であろうとも、正師家と呼ばれたり碩徳と呼ばれたりした方であろうとも、それぞれの時代の倫理観や社会規範の中で生活し、行動し思索しています。それ故、時代を超越して我々の心に響く名言もあれば、今日的には肯定出来かねる著述言説もあります。新井石禅・沢木興道・原田祖岳といった方々は、今日私たちが読む機会のあるような著作をたくさん残されています。そして、現代の視点から見ると、これらの方々の著作には「戦争肯定」や「悪しき業論」の記述があります。この時代にあっては、こういう考えた方が一般的であったのかもしれません。だからと言って、「仕方がない」とか「やむを得ない」というつもりはありません。我々がこれらの記述の問題点を認識し、戦争肯定や差別肯定助長が起こらないような認識と行動をすべきであることは、当然です。しかし、だからといって新井石禅・沢木興道・原田祖岳という方々のすべてを否定してよいのでしょうか?私は是々非々ー批判すべき点は批判し学ぶべき点は学ぶーで臨むべきだと思います。個々の言動について批判されるべき点があったとしても、沢木師や原田師が真摯に禅に取り組まれたこと、新井師が布教に情熱を込めて来られたことは、大いに評価すべきことと思います。

 杉本師の著作の中にも、今日的には人権上問題のある記述表現がかなり認められます。そのことは滴禅会の方々も認識しています。例えば『復刻 龍華』(杉本俊龍著)の解題の中で「人権上の問題点」(p1704〜1711)として滴禅会代表幹事の井上義臣師が問題点を解説しています。この解説を以って、杉本師の著述の問題点がすべて解消されているとは言えないだろう。しかし、問題点を認識しつつも後学の者が学ぶべき点がたくさんあると信じるからこそ杉本師の教えを学び、著作を復刻しようしているという信念は感じ取れる。

 以上、長々と書いてしまったが、今回の杉本師への批判はいささか短絡的であると思われる。また、滴禅会を右翼団体呼ばわりするのは、名誉毀損も甚だしいと思う。杉本師の著述のすべてが批判の対象となるのか十分吟味した上で批判すべきと私は考えます。また、滴禅会の内容と活動を把握した上で、レッテルを貼るべきでしょう。「右翼団体」と語るだけの根拠を説明してください。それが出来ないときは、滴禅会の方々に謝罪すべきでしょう。

No.258 2007/03/27(Tue) 12:29:08

 
Re: 杉本俊龍、原田祖岳をどう評価するか? / 地の声 引用

両者の反平和、反人権意識が滴禅会のなかでどう解決され、どう実践されているかを逆に問いたい。

あの時代はしょうがなかったでは、仏教者としての自覚と深みに欠けると言わざるをえない。杉本氏の本を復刻するには、そこがまず第一に明らかにされなければならない。

No.259 2007/03/27(Tue) 13:35:38

 
Re: 杉本俊龍、原田祖岳をどう評価するか? / 地の声 引用

さらに・・・滴禅会の関係者を知っているが、コチコチの靖国皇国史観者であることを言い添える。

No.260 2007/03/27(Tue) 13:39:24

 
Re: 杉本俊龍、原田祖岳をどう評価するか? / 骨山住職 引用

> 両者の反平和、反人権意識が滴禅会のなかでどう解決され、どう実践されているかを逆に問いたい。
>
> あの時代はしょうがなかったでは、仏教者としての自覚と深みに欠けると言わざるをえない。杉本氏の本を復刻するには、そこがまず第一に明らかにされなければならない。




 私の文章をお読みいただけたのでしょうか?是々非々で臨むべきであると私は申し上げています。どんなに立派な宗教儀礼を構築し提言したとしても、どんなにすばらしい法話をしたとしても、その中に反平和意識や反人権意識が認められるものでしたら、それは排除しなければならないと私も思います。「洞上室内切紙参話研究並秘録」「洞上室内切紙並参話研究手記」「洞上室内切紙並参話研究、洞上室中秘録合本」が差別図書であるから、他の著書もダメだというのは、短絡的と言うしかないと思います。

 今日の宗門が成り立っていく上で、葬祭法事祈祷説教等種々の行持布教が行われ、檀信徒との交流が行われてきました。それは宗典や語録・仏教書の講読、坐禅、行乞などから導き出されたものもあれば、それ以外から導き出されたものもあります。差別戒名のように受継いではならないものもありますが、雨乞いや豊作豊漁の祈願の儀礼のように檀信徒の願望や希求に応えた儀礼は真摯に学ぶべきものと思っています。教理学としても曹洞宗史も大事ですが、宗門の先達が日々の営みとして積重ねてきたものも多々あります。それが切紙口伝という形で継承されてきたものだと思います。
 そうしたものの中身を何ら顧みる事なく、排除することが宗門の先人に対する姿勢でしょうか?先人が行ってきたことがすべて正しいとは毛頭思いません。批判すべきものは批判し、排除すべきものは排除し、学ぶべきものは学ぶ。それが大事だと思います。
 「室内住職学随聞録」がオールマイテイであるとは思っていません。その記述を鵜呑みにしてはいけない部分も当然出てくると思います。先人たちの研鑽の結果として真摯に学ぶべき内容もあると思います。杉本師や原田師の人権意識を問題視することには、反対しません。だからと言って、すべての著述が反人権的反平和的とも言えないと思います。

 滴禅会のことについても、同じことが言えます。関係者に靖国皇国史観の方がいる。だから、滴禅会は右翼団体だというのは、あまりにも短絡的です。その中心となる方が靖国皇国史観で会を運営し、会員を扇動しているのでしたら、あなたの言うことは正論と言えるでしょう。仮に会の代表がそういう歴史観をもった方だとしても、会の運営や研修内容に皇国史観を何ら持ち込んでいなければ問題は無いと私は考えています。室内学の研修を通して皇国史観を「刷込み」されるような会員ばかりだというのでしょうか?滴禅会を必要以上に色眼鏡で見ているように感じられます。その点、残念に思っております。

 「平和・人権・環境」のスローガンを「反戦争、反差別、」を具体的かつ実践的な言葉に読替えるあなたの姿勢には賛意を表します。しかし、何を受け入れ何を排除するかという点については、ちょっと荒っぽいように思います。

No.261 2007/03/27(Tue) 18:52:33

 
Re: 杉本俊龍、原田祖岳をどう評価するか? / 地の声 引用

ご指摘のとおりです。やや反省をしています。

荒っぽい言い方でした。

曹洞宗の先の戦争や人権問題への取り組みがいまだ不十分なおりから、なにも知らない(免疫性のない)若い僧侶が復刻本から先に両師に触れてしまうことを恐れたものですから。色眼鏡で見ていたかもしれません。

「人権・平和・環境」は、21世紀の曹洞宗をつくる土台であると考えます。宗乗もその観点から再構築することが求められていると考えます。滴禅会がこの命題に積極的に応えることを期待します。

No.262 2007/03/27(Tue) 20:21:06

 
Re: 杉本俊龍、原田祖岳をどう評価するか? / 骨山住職 引用

私の言わんとするところをご理解いただきましてありがとうございます。「地の声」さんが危惧されておられる点はごもっともだと思います。

 先人の切紙・口伝と言っても無批判に金科玉条としてはならないと思います。滴禅会の方々がこの命題に応えるかどうかわかりませんが、こうした「室内学」の書物を「人権・平和・環境」という視点が読んでいくことが必要であると思います。

 36歳青年僧さん、もしこれをお読みくださいましたら、「室内住職学随問録」を講読する際の参考にしてください。

No.263 2007/03/27(Tue) 21:13:18


36歳青年僧のこと / 地の声 引用

なぜ、彼はここで反論しないのだろう。

なぜ、彼は唐突に杉本俊龍を持ち出したのだろう。

「右でも左でもいい」というわけにはいかないのだ。

曹洞宗改革を期待するのは滴禅会も同様である。しかし、ただ現体制を壊すことだけで一致し、その目指すところが異なっているのであれば、連帯はお断りだ。

「連帯を求めて 孤立を恐れず」

36歳青年僧さんに申し上げたい。私のご活躍など期待しなくて結構だ。ここで正々堂々と議論することこそ、青年僧のあるべき姿ではないのか。青年には許される行為だ。わたしも全力をあげて真摯に応えたい。老けた態度は青年僧にふさわしくないだろう。


※自省をこめて言うが「幻滅」はよくない。所詮「幻想」がこわれることだから。自分に都合のいい「幻想」は懐かないほうがいいのだ。仏教者にとって大切なのは「正しくものごとを見て、正しく判断し、正しく行動する」お釈迦さまが言った「三慧」の実践だろう。

No.257 2007/03/26(Mon) 18:50:28


杉本俊龍のこと / 地の声 引用

かの有名な差別図書(現在回収率5割)
「洞上室内切紙参話研究並秘録」
 (「洞上室内切紙並参話研究手記」)
 (「洞上室内切紙並参話研究、洞上室中秘録合本」)
の著者。

明治34年鳥取に生まれる。日大宗教学科卒。
原田祖学※に参学。
昭和19年より「三物切紙」「室内住職学」を各地で講ず。

※原田祖学・・曹洞宗の戦争推進派。
「日本精神は、惟神(天照大神から天皇裕仁までの神の系列)の大道であり、宇宙の本体であり、本地(仏界)の風光である。日本民族は、世界の選民であり、世界を統御する使命をもつ。殺人刀は、すなわち活人刀であり、反戦論は担板漢的(ものの一面だけを見て大局を見ることのできない)愚論である。立憲政治は尚早だから、十年間はファッショ政治を行え。教育は、浅薄な世界人を作る。国民皆禅、すなわち惟神の大道を悟ることが、大乗禅である」(昭和九年三月『中央仏教』)

とんでもない話だ。この原田祖学の弟子が差別図書の「切紙」杉本俊龍である。むべなるかなである。かれの弟子たちが現在「滴禅会」という曹洞宗の「右翼」団体を形成している。36歳青年僧もそのメンバーに違いない。

おそるべきは、昨年10月に大法輪閣から刊行された同氏著作「眼蔵の逸話」の表紙に、あろうことか大本山永平寺宮崎禅師が表題を書いていることである。

「人権・平和・環境」をスローガンとして曹洞宗は杉本の書を差別図書として回収している一方で、禅師がこのような行動をとっていることは理解に苦しむ。これはおおいなる欺瞞行為である。

曹洞宗に幻滅する。

No.256 2007/03/25(Sun) 20:19:55


城山三郎の死を悼む / 地の声 引用

公害問題に世界ではじめて取り組み、その生涯をささげた田中正造。私は彼から闘う方法を学んだ。城山三郎は彼の闘いの断片を「辛酸」でみごとに書き上げた。その根底には共感がある。傑作である。

城山三郎の初期の作品に「大義の末」がある。これはいまは絶版となっているが、いまだに人気高く、城山フアンや平和を願うひとたちに回し読みされているという。

寺の梵鐘が実に象徴的効果をあげている。息子を戦争でうしなった寺の母親が鐘を突く。その音声は平和を願うなどという生温いものではない。怨念なのである。

戦後62年。戦争と言う犯罪行為にこの国のひとたちは鈍感になってしまった。城山三郎も遠くなった。しかし・・仏教者だけは、いつまでも鐘を鳴らし続けなければならないだろう。

城山三郎の逝去に、深甚なる弔意を表す。

No.255 2007/03/23(Fri) 19:08:34


曹洞宗のリアリティー / 地の声 引用

曹洞宗の運営および方針には本音がない。リアリティーがないのである。宗教は本音の世界であって、宗派のタテマエで活動をおこなってはならないのである。生死はリアリティーそのものの世界である。タテマエで対応していると、檀家および社会の批判に耐えられるわけがない。(「医療崩壊」p198.改)

宗派にリアリティーがないからなのか、それとも現場の僧侶に仏教にたいしてのリアリティーがないからなのか。リアリティーは社会参加によってのみ形成されるものである。とまれ、曹洞宗の混乱と現在の彷徨は末期的だ。

駒澤大学仏教経済研究所が「日本仏教の現状と課題」でシンポジュウムを開き、末永文美東大教授が基調講演で「仏教が社会とかかわることの重要性を肯定しつつ『社会参加仏教』の理念そのものが時代の変化、価値観の変化に伴い問い直されると指摘し、社会参加の活動を教理・思想にフィードバックさせ、教学を鍛える作業を同時に進める必要があることを強調した」(『中外日報』07.3.8)という。

まったく同感だ。このような提言が、本来であれば曹洞宗の内部から出るべきであった。なぜならリアリティー欠如により日々逡巡している当事者であるからだ。

No.254 2007/03/11(Sun) 10:14:34


天皇の戦争責任 / 地の声 引用

太平洋戦争開戦前夜から敗戦までの昭和天皇の肉声が記録されている「小倉侍従日記」が発見された。(『朝日新聞』07.3.9)

「(戦争は)一旦始めれば、中々中途で押へられるものではない。満州事変で苦い経験を嘗めている。(略)戦争はどこでやめるかが大事なことだ」「戦争はやる迄は深重に、始めたら徹底してやらねばならぬ」

これが、戦後、「平和を愛した天皇」と宣伝された昭和天皇の実態である。

曹洞宗も似たようなものである。「戦争」を「多々良学園事件」に置き換えてみればわかるだろう。

・・・そして、この国はどうなったか?
・・・そして、曹洞宗はどうなるのか?

山は登るより登ることを止めるほうが、よりおおきな勇気が必要だと言われる。昭和天皇に「平和」を実現し維持するという勇気がなかった。日本人の戦争犠牲者はおよそ310万人(他方2000万人を殺したが)で、そのほとんどが終戦前一年以内に亡くなっている。これが天皇の戦争責任である。

曹洞宗に求められているのは、宗門をまもるために戦うことではない。裁判を一日もはやく止めて、事件の原因をあきらかにし改革することである。そして曹洞宗本来の役割である「一仏両祖」のおしえをこの社会に布教することである。命をかけて教えをひろめたフルナ尊者・・仏教が本来有つところのそんな勇気がない・・。

内局がこのまま奈落に向かってつっぱしっていけば、犠牲となるのは現場寺院である。その責任はかぎりなく重い。曹洞宗内局の多々良学園事件責任である。

No.252 2007/03/09(Fri) 07:29:15


「深めようみ佛の絆を」 / 地の声 引用

このたびの2月宗議会ほど落胆した議会はない。口先のまやかしや言い逃れを容認してしまい、全国から起こっている「改革」をたった一歩も(いや、半歩も)進めることができなかった。嫌気がさした寺院は数知れない。こうして次第に曹洞宗は崩壊してゆくのだろう。

渕内局は宗務行政遂行の理念的スローガンとして「深めようみ佛の絆を」を掲げた。いよいよ来たな・・と思った。強圧的口封じが始まったのだ。

「絆」とは「1.きずな、ほだし、馬の足をつなぐひも 2.つなぐ、つなぎとめる」(白川静『字通』)の意。いわば自由を束縛するものである。サマセット・モームの代表作『人間の絆』では、女主人公ミルドレッドと医者の卵のからみが描かれるが、彼はミルドレッドの本性を見抜きながらもどうしても関係が断ち切れなくなる。これが「人間の絆」であり「腐れ縁」と評するひともいる。「絆」には、あまり良い意味は見いだせない。

渕内局の言う「絆」は結束であり団結である。「み佛の」という「仏教的」まやかしを用いた点に苦労のあとが伺えることだ。そこに個人の自由は存在しえない。曹洞宗のスローガン「人権・平和・環境」は、一人びとりが「仏」のみ子であるという個人の尊重が基本にあってはじめて成立する理想ではないか。とても「絆」とは相容れるものではない。さらに言えば非仏教的ですらある。

この国が結束を喧伝した時代があった。それは70年前のことだ。15年侵略戦争で国家総動員をおこない、個人の自由と尊厳は「結束」=「絆」(天皇制に基ずく「イエ」のネポチズム)によって踏みにじられた。「進め一億火の玉だ」。あのとき曹洞宗はひたすら国のお先棒をかつぎ、大勢の檀信徒の若者を戦地に運び殺した。

「絆」には二種類あるのかもしれない。

個人の尊厳を目指す人たちの闘いの「絆」と、ある一部の思惑を達成するためのまやかしの「絆」。

いずれにしろ原義が動物を繋ぐという意味の「絆」という言葉は仏教者は避けなければならない。こんな絆は深めなくてよろしい。

全てを明らかにして再出発する勇気が欲しい。それが社会から信頼される曹洞宗になる唯一の道である。

No.251 2007/03/06(Tue) 19:53:58


ボランティア!? / 地の声 引用

「(議会)前日開催された両会派合同の議員協議会は、若手議員からも積極的な発言があったもようで、宗務庁が依頼した顧問弁護士が旧理事の代理人も務めていることは、多々良学園と宗務庁が一体であることを証明するものだとの疑問に対して、同席した顧問弁護士は、旧理事から委任状をもらっているが着手金は受け取っていないことを明らかにした。いわば”ボランティア”としての弁護活動であるという意味の答弁だったという。」(『中外日報』07.2.22)

この問題発言を整理したい。

まず第一に「被告の旧理事と曹洞宗宗務庁が一体」という疑問にまるで答えていない。「一体」でなければ旧理事を弁護する必然性がない。提訴内容が同一だとしても被告は個別の個人名でおこなわれている裁判である。曹洞宗が彼らに責任を感じて助けてあげているとすれば、「被告の旧理事と曹洞宗宗務庁が一体」であるということを自ら証明するものだ。

次に、裁判費用の問題。金は一銭ももらっていない。ボランティアだという。苦しんでいる人を人道的な意味で助力するのがボランティアだと理解するが、問題は裁判の被告人がボランティアの対象となりうるかということだ。「狭山事件」のような冤罪裁判とはわけが違う。多々良学園を潰した関係者がその責任を問われるのは社会通念上当然のことある。なぜ助けてやるのか、それも無料で!!

顧問弁護士の回答から見えてくるものは、なんのことはない、被告の旧理事と曹洞宗宗務庁は多々良に関して一体であったということである。こう考えればだれでもスッキリするし分かりやすいことだ。また今後も裁判で一体でありつづけることでもある。

これは想像だが、旧理事たちが個々に弁護人をたてて裁判に臨めば、曹洞宗にとってどんな不利な爆弾証言がとびだすかわからない。これを未然に防ぐという策略が透けて見えはしないだろうか。

ボランティアを貶めてはいけない。

No.250 2007/02/28(Wed) 19:52:45

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