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宗門改革が必要であることは言を待たない。誰しも多かれ少なかれ、拝金主義を地でゆく宗教家ならぬ政治ゴロの跋扈に辟易しているのだから。 ただ、このサイトの現状には大いに疑問を感じる。宗門改革よりもむしろ、「憲法9条墨守」のスローガンを書き連ねる場になっているのではないか? 憲法の、しかも9条という国家の体制に関する議論がなにゆえ、この場でトップトピックとして議論されねばならないのか。
憲法9条がいけないというのではない。擁護も結構。やるなら国民国家の欺瞞の問題でも、想像的ナショナリズムの陥穽の問題でも、好きなだけやって頂いて結構。だが、それこそ政治的活動はここではなく、どこかよそで声をあげて頂きたい。 宗門改革に名を借りたイデオロギーが先行すると、議論は決して深まらない。力めば力むほど、ネット上にあまたうごめくオタク同士のディープな会話の如きものになってしまうだろう。志ある者、まずは、宗門改革の本丸を提示せよ。 |
No.395 2007/08/30(Thu) 20:54:18
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☆ Re: 9条ベタ惚れはもう結構 / 善福寺 |
引用 |
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ベタ惚れなのかもしれない。ベタ惚れはもう結構。たくさんだ。ここより他でやって下さい。という。少なくも 仏教界・宗門が仏教であるなら、仏の教えを実践し、広めることを旨とする教団なら、まして現場で生きているなら 憲法9条の精神を捨てるか捨てないかの瀬戸際に 立たされて。憲法は政治の話だ。政治イデオロギーだと おっしゃる訳であろうか。なにやら昔なじみの戦前から ある話である。仏教の精神から考えて、この憲法この9条は改定するべきではない。と思うだけです。それを政治イデオロギーという、おっしゃるその意味・理由が実はよく私には理解できない。まして他でやれとおっしゃるその意味もまたわからない。ならばどうして宗門は人権・平和・環境というのか。それに雑華さんはお答えいただきたい。と思ったりする。のですが。 |
No.402 2007/09/01(Sat) 05:38:54
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