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本願寺派が声明! / 地の声 引用

         2007(平成19)年9月28日

内閣総理大臣

   福 田 康 夫 様

              浄土真宗本願寺派

              総長 不 二 川 公 勝
                 
ミャンマーの僧侶・市民への殺傷を直ちに中止することを求める要請

 

 私たちは、今、ミャンマー連邦で起こっている、僧侶・市民のデモに軍が発砲、さらに多くの僧侶が拘束され、パゴダ(僧院)が破壊されているという報道に接し、同じ仏教徒として大変深い悲しみを覚え、憂慮をしています。

  かつて、1988年の民主化要求デモの折も、やはり多くの僧侶・市民・学生が軍により逮捕・拘束され、犠牲者は1,000人とも3,000人とも聞いています。再び同じ過ちが繰り返されてはなりません。

  お釈迦さまは「すべての者は暴力におびえ、すべてのものは死をおそれる。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」(『ダンマパダ』)と説かれています。

  日本政府が、ミャンマー政府に対し、平和的デモを行う僧侶・市民に対する殺傷・弾圧・拘束を直ちに止めさせるための必要な措置を講じられるよう強く求めます。

  また、日本政府を含む国連等関係国際機関におかれましても、事態の民主的平和的解決に向けての努力を続けられますことを心から念願します。

                        以 上

http://www.hongwanji.or.jp/info/kogi_seimei/2007/070928_info1.html
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まいった。曹洞宗は何をしているのだ!

泥棒を擁護することに汲々として、即今なすべきことをなさない。

最低だ!

No.439 2007/09/28(Fri) 18:58:19


禅の暴力性 II / 坐禅修行者 引用

大相撲の序ノ口力士、時太山がけいこ中に急死した問題では、部屋ぐるみでの暴力が疑われている。テレビのコメンテーターによると、限りなく暴力に近い「けいこ」は相撲界では歴史的に行われていることだという。ただ昨今の風紀の緩みにより、行き過ぎが起こってしまったという見解であった。では禅の世界はどうなのだろうか。私自身、在家者で安居の経験もないが、野々村馨氏の書かれた『食う寝る座る永平寺修行記』には彼が永平寺で受けた暴力的な扱いについて言及している。彼は最終的に自らが受けた経験を肯定してはいるが、曹堂での修行を経験された方々はみな同じ意見なのだろうか。
警察官である私の友人によると、日本の警察は相手の体を少しも傷つけることなく、痛みと苦痛だけを与える拷問について熟知しているという。それは柔剣道や逮捕術といった武術を基本とし、熟練性を要するもので、一歩間違うと相手に怪我を負わせてしまう危険なものでもあるという。
それでは曹堂の場合はどうなのであろうか。殴る蹴るという行為が、相手を精神的に追い込み修行に打ち込ませるために必要な行為であると仮定して、それを行う僧侶は日本の警察のような特殊技術や心構えを取得しているのだろうか。相撲界では風紀の乱れによる行き過ぎが力士を殺したという。現在の曹洞宗の乱れた姿を見ていると、曹堂がこの上なく危険な場所に見えてくる。永平寺や曹堂で修行された方々の率直な意見を拝聴したい。

No.438 2007/09/28(Fri) 15:52:34


ビルマのまえに / 善福寺 引用

デモは莫迦にできない。宗務庁へデモをかければいいのではないでしょうか。参加するきはありませんが デモは結構効き目があります。無責任に申し上げておきます。平和憲法・日本の軍事大国・米軍・アメリカへの
益々の隷属 平和の 反戦平和のためなら デモする気はあります。僧衣で・作務衣で 国会前へ結集なら 断固参加します。憲法だけでは この国は アメリカに
身も心も売り飛ばされます 不殺生・反戦・非戦・不戦のデモなら 参加します。ベトナム戦争のとき もイラク戦争の 今も 真っ当に 日本の坊さんが 立ち上がったことは 一度もありません。むしろ反動的 犯罪的なくらいだったといえば言いすぎでしょうか。あの不感症は一体なんだろう。もし ビルマというなら ビルマのデモというなら ビルマの坊さんというなら もっと私たちは 時局的なこととは 遠く離れて考えることが必要だと思います。

No.436 2007/09/27(Thu) 23:00:01

 
Re: ビルマのまえに / 地の声 引用

反戦・平和デモ
World Peace Now
http://www.worldpeacenow.jp/

こちらに参加されてはいかがですか。わたしも2度参加しました。またここで販売しているワッペンを本堂に置いて参拝される方に差し上げています。

本庁前で抗議集会をひらきたいものです。

No.437 2007/09/28(Fri) 08:44:26


ビルマとミャンマー / 地の声 引用

燃料の急激な値上げに端を発して、いま、ビルマでは仏教者の政府抗議デモがおこなわれている。当初は1,000人規模だったのが、翌日には2,000人。さらに10,000人から20,000人・・デモは連日膨れ上がり昨日は100,000人になった。法衣をまとったビルマの仏教者たちを一般市民がささえ守る。手をつないで鎖をつくり、仏教者たちを守る。これは軍政暴力と仏教慈悲精神のたたかいだ。日本の仏教者たちよ、このたたかいから学べ!けっして目をそむけるな!

かれらの行動は仲秋の満月に照らされて美しい。

ビルマは仏教国。「ビルマの竪琴」は、日本の兵士が日本に戻らず、戦争を自らの問題としてとらえ、僧としてビルマに留まるという感動的な話だった。

ミャンマーは軍事クーデター政権である。民主化を訴えるスーチーさんを軟禁している。このたびのデモにも戦車の出動さえ辞さないと言われている。

仏教国ビルマ、暴力国家ミャンマー。

日本は軍事政権を支援している。どうかしている。わたしたち仏教者は暴力国家ミャンマーを否定し、仏教国ビルマを支援しなければならない。ミャンマーなどと呼んではならない。ビルマと呼ぶべきである。

曹洞宗改革が佳境に入った。「もの申す」が熱い。改革に踏み込めない宗侶、あるいは改革を妨害する宗侶の根拠が「改革を唱える自分自信は仏教者としてふさわしいのか?改革より脚下照顧すべきではないか」にある。一見正しい。しかし、根本的に間違えている。自己実現は永遠のテーマである。これを優先させれば焦眉の問題である宗門改革は実現できない。要するに現状容認に陥る危険な志向である。

改革(不正をゆるさないこと)に取り組むことが、仏教者としての自己実現と一体なのである。逆に言えば仏教者として自己実現をはたすためには改革に取り組まなければならないのである。

話をビルマの抗議デモに戻す。

かれらとて私たち同様、完成された仏教者ではない。内面に恐れや不安、さらには自己欺瞞や不正だってあるかもしれない。しかし、かれらの目の輝きはどうだ!かれらの堂々たる威厳はどうだ!仏教者は内面がどうであれ仏法にしたがって身命を賭けて行動するときもっとも仏教者となるのである。「我物に非ざれども布施を障えざる道理あり」。

改革に取り組む仏教者はまた真の仏教者であることも要請されるのは当然のことだ。彼岸―六派羅蜜の2「持戒」。仏教者は戒めを持つべきである。わたしはこれを「正義と良心の実践」と読み変えている。そしてわたしが仏教者であるかぎり、この戒(いましめ)を守り続けていこうと思う。これもまた逆に言えば、この戒(いましめ)をまもりつづけているかぎり、私は仏教者である。

ビルマの仏教者たちのたたかいにおなじ仏教者として心からエールをおくりたい。と、同時に、曹洞宗の不正を絶対ゆるさず改革に挺身することで、かれらと連帯する!

No.433 2007/09/26(Wed) 07:07:50

 
Re: ビルマとミャンマー / 地の声 引用

日本国内のすべての僧侶と皆さんへのお願い

アシン・ケマサラ
全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)議長
2007年9月18日

 日本に住むすべての僧侶と、信仰心の厚い在家信者の皆さんに対し、以下の通り緊急のお願いを申し上げたい。

 ビルマ国内情勢についてはインターネットやマスコミなどを通じて多くの情報が流れているところですが、よりよく理解していただくためにいくつか補足をさせていただきます。

 ビルマ軍事政権は、1988年の民主化運動の後、国内に民主主義を実現するという約束を反故にし、軍事独裁政治を続けています。軍政と、僧侶や学生、ビルマ国民との争いは絶えることはありません。
 法を無視する独裁政権により、今のビルマは、政治的に不安定で、内戦を抱え、経済発展が遅滞し、生活水準は低く、医療や保健、教育は劣悪な状況に陥っています。
 3百万人を超える人々が隣国に逃れざるをえない状況が存在しています。
 民主主義を求めて声を上げた人々の多くが投獄されています。

 こうした抑圧的な状況下で、ビルマ国内の学生と国民の間で、軍政に反対する動きが2007年8月第1週から始まっています。
 それまで教学に励んでいた多くの僧侶たちが、人々の苦しい生活を理解し、支持を表明して、抗議行動に参加しています。
 ビルマ全土には約40万の僧侶がいます。したがって僧侶の運動は全国に波及しています。

 2007年9月5日、ビルマ中部のパコック市内で僧侶たちが平和的な行進を行っていたときのことです。デモを解散させようとしたビルマ国軍は、投げ縄を使って僧侶たちを捕まえ、街灯に縛りつけて殴りつけ、逮捕連行し、強制的に還俗させました。8人の僧侶が未だに釈放されていません。
 政府によるこうした非道な行いに対して僧侶は謝罪を求めました。また同時に、逮捕された僧侶をすべて釈放すること、物価高騰への対策を講じること、対話によって政治問題を解決することも求め、回答期限を9月17日としました。

 軍事政権の独裁的な指導者たちはこの要求に応じることも歩み寄ることもなかったため、ビルマ全土の僧侶は9月18日に、教えに基づく覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)を行いました。そして全国の街頭を行進して、抗議の意志を示しています。

 ビルマの僧侶による今回の宗教的抗議行動は仏陀の教えに基づくものです。アングッタラニカーヤ(増支部)の3の254頁とヴィナヤ、チューラヴァッガ(律、小品)に記されているとおり、8つの理由のいずれかに該当するとき、僧侶は覆鉢を行うことが許されています。今回はそのうち6つに該当しています。

【訳注】仏典上の該当箇所によれば、「覆鉢(鉢伏せ行、パッタムニックッジャナカンマ)」の要件とは以下の8つの行為である。これのいずれかに該当することを為した在家に対しては、覆鉢をなすことが許されている。またこの覆鉢を解く為には、本人が過失を認め懺悔し、仏陀がそれを過失として認め、受け入れ、作法に則って覆鉢を解くことが記されている(参考、『南伝大蔵経』第4巻、律、小品、190頁6行目〜194頁9行目。大蔵出版、昭和15年)。

(1) 僧侶たちへの布施を妨げる
(2) 僧侶たちの福利を損なう
(3) 僧侶たちの住処を荒廃させる
(4) 虚偽の中傷によって僧侶たちに汚名を着せる
(5) 僧侶たちの和合を乱す(破和合僧)
(6) 仏陀を誹謗する
(7) 仏法を誹謗する
(8) 僧団(サンガ)を誹謗する

 釈尊は私たちに次のように説いています。もしこうした抗議の話を聴く、もしくは知ったなら、それがどんなに離れた地域のことであっても、あるいは法臘の差に関わらず、また大乗か上座かを問わず、僧侶たちは皆、仏教を護るためにこの行動に加わるべきである、と。したがって覆鉢行は広く世界的に行われています。

 以上の理由から、私は日本に住む僧侶、尼僧、在家信者の皆さんに対し、ビルマの僧侶たちが現在取り組んでいる行動に注目され、共に実践してくださることを強く求めるものです。

僧侶
アシン・ケマサラ

全ビルマ青年僧侶連盟(ABYMU)
議長
abymuburma@yahoo.com
2007年9月18日

出典:Sd. Ashin Khemarsara, (Chair, All Burma Young Monks' Union: ABYMU), Appeal to all Venerable Buddhist Monks and People of Japan, September 18, 2007. なお日本語訳はビルマ語原文と英語版に基づいています。

http://www.burmainfo.org/religion/abymu200709.html

No.434 2007/09/26(Wed) 17:42:54

 
Re: ビルマとミャンマー / 地の声 引用

アーユス仏教国際協力ネットワークは現今のビルマ情勢に際し、下記の通り連帯を表明するとともに、趣旨に賛同頂ける団体を求めます。
これは海外のビルマコミュニティにまず届けるものです。
賛同をいただける団体はアーユス事務局までご連絡ください。その際は、英語名も併せてお知らせください。
アーユス 仏教国際協力ネットワーク <tokyo@ayus.org>03-3820-5831

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曹洞宗は無視するのだろうか。

No.435 2007/09/27(Thu) 09:01:24


刑事告発 / 地の声 引用

>職員による国民年金保険料などの着服で刑事告発しなかった計23件のうち15件は、警察にもまったく相談せずに告発を見送っていたことが、10日発表された社会保険庁の再調査で分かった。(共同通信)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/accusation/story/10kyodo2007091001000426/

今日の報道では7年の時効をむかえていないものは刑事告発することに決めたようだ。

状況は曹洞宗とまったく同じ。

社保庁が刑事告訴をためらったのは、「身内から犯罪者を出したくない」という身内主義(ネポチズム)によるものだ。そして・・結果的に社保庁に不正がはびこり社会の信頼を失い、崩壊した。窓口で偽領収書を出して市民の貴重な保険料を懐にした職員もいたという。ひどい話だ。

有道会は不正議員を身内主義でかばっている。刑事告発を議員総会で決定できるか予断を許さない状況だ。なにをためらうのかと私などは思うのだ。告発しなければその結果は火を見るより明らかだ。不正のはびこりを許すことになり、結果的に曹洞宗は社会的信頼を失い、B級宗教教団に成り下がり、崩壊の道をたどることになる。社保庁と同じことになる。そのことに宗議たちは気づかないのだ。なんと無能な議員たちだろう。

宗議たちの行動原理は仏教ではなく世俗主義にあるようだ。これで曹洞宗がよくなるわけがない。

いまビルマでは軍政に反対して僧侶たちが抗議デモをおこなっている。20日にはヤンゴンで1000人以上の僧侶が豪雨のなかデモをおこなった。市民からも支持する声が圧倒的に多いという。

仏教者は仏教的視点から社会を見なければならない。そして、その視点から是々非々を表明し行動しなければならない。これを社会参画型仏教と言うが、仏教と社会は不即不離であることから、別に特別な仏教活動というものでもない。仏教はもともと社会参画宗教なのである。

日本の仏教者が社会との関わりが希薄になったのは、戦前戦中の戦争協力と敗戦時の挫折が大きな理由のひとつだ。戦争協力という社会参画が極めて積極的であっただけ、いまでも敗戦トラウマを引き摺っていて、社会問題に背を向ける。大切なのは戦争協力の真摯な反省と再出発だったのだが、その作業をおこたったために行動基準を失い彷徨っているのが日本仏教の実態である。

社会性を失った曹洞宗は、刑事告発もできなくなってしまったのか?

ビルマの僧侶たちの目は輝いている。それはお釈迦さまを背負っている自負があるからである。かれらはなにものにも動じない。軍政から銃弾を浴びてもひるむことがない。なぜならビルマの僧侶は社会・人々のために身を挺しているからだ。

曹洞宗とビルマの僧侶・・同じ仏教者とはとても呼べない。この大きな乖離にのけぞってしまう。

No.431 2007/09/21(Fri) 06:28:03

 
Re: 刑事告発 / 夢 引用

曹洞宗は内部からの変革では無理だろう!外的要因である檀家数の減少が顕著になることで眼を覚ますかどうか。それでも眠っているようでは未来がない!

No.432 2007/09/21(Fri) 06:59:20


東京有道会編「平成19年度宗政問題資料集」から / 地の声 引用

某氏から同資料集をいただいた。曹洞宗にも、データをもとに宗政をしっかり分析している会があることに驚き、かつ感動した。

わたしは常々、曹洞宗に欠けるものは専門家によるシンクタンクだと感じていたから、この資料集はまさにその方向を目指しているものであって大いにわが意を得たものである。

内容は
・宗門財政の分析報告
・級階査定方式の分析及び考察
・有道会組織を考える
・選挙制度改革について
・公益法人制度改革と宗教法人

「選挙制度改革について」に【選挙改革シュミレーション】がある。定数を50とし、各会派別を止め各地区1名の選挙をかりにおこなった場合、どのようなことが考えられるかを論じている。

中に
(当選)当選議員の顔ぶれは、72名が50名になっただけで顔ぶれは変わらない。御大山以外の議員枠を設けるなどの策がなければ現状はあまり変わらない。
とある。

有道会、總和会の二会派独占が曹洞宗の諸悪を産み出してきたことに異論をはさむものはいない。この指摘のように第三会派はまさに曹洞宗にいまこそ必要不可欠な要素である。

ではどうやったら第三会派をつくれるのか?それこそシンクタンクにシュミレーションしてもらいたいものだが、いま我々が出来ることもないわけではない。

それは・・・会派離脱である。全国の寺院が有道会と總和会から脱会するのである。二会派を弱体化させ、第三会派が生まれる土壌をつくるのである・・・そんなことを考えた。

全国の寺院は漠然と宗門改革を願っているのが現状だろう。具体的な一歩踏み出させてくれる貴重な資料集である。

No.429 2007/09/20(Thu) 11:01:26

 
Re: 東京有道会編「平成19年度宗政問題資料集」から / 骨山 引用

  確かに「曹洞宗にもの申す」に情報師が投稿してくださった部分だけでもなかなか興味深い分析結果ですね。そして、地の声さんが書かれた目次内容を見るだけでも、問題意識の高さが窺われます。

 普通の坊さんではこういう報告書は作れないでしょう。ということは、しかるべき調査機関か監査法人のようなところに委託した調査なのでしょうね。こういう報告書作成に取組んだこと自体は大いに評価して良いと思います。
 但し、東京の有道会というのが、皮肉ですね。報告書の見識の高さと東京御寺院の現状には、かなりギャップを感じます。

 東京の御寺院の法要に参列する機会があり、行ったことが有ります。差定の配役に普通なら○○力生と書くべきところを、△△寺若方丈と書いてありました。設斎の席札にも△△若方丈とありました。こんな言い方書き方が定着していること自体、東京の御寺院はとんだバカ方丈を育成してるとしか思えません。
 報告書が立派な内容のものと思われるだけに、東京の御寺院の日常底が問われることとなると思います。

 有道会の東北大会でも現行の選挙制度の問題を取り上げ、改革の実施を執行部に強く迫ったと聞いております。その場ではかなり前向きの答弁をしたとしても、その場をしのげば後は従来どおり何ら変わり映え無しという現実です。現在の執行部は自分たちの既得権を守ることしか考えていない。
 末端の会員は現状のままでは良いとは思っていない。改革を訴えるようになってきた。しかし、執行部は動かない。宗門改革の道はまだまだ遠い。ですね。

No.430 2007/09/21(Fri) 02:13:13


体質と遺伝 / 地の声 引用

「体質と遺伝」
http://biyou.hatazou.com/2006/04/post_31.html

にきびが出来る原因として生活習慣やストレス、ホルモンバランスなどが大きくかかわっていますが、それらとは別ににきびができやすい体質が原因の場合もあります。

このような体質は遺伝によって親から引き継がれる場合が多いようです。つまり親ににきびの出来やすい人がいる場合、その子供も同様な体質であることが多いのです。

また体質は遺伝だけでなく生活習慣や食生活、受けるストレスなどにより長期にわたり形成されてくるものともいえます。つまり遺伝以外にも、親と同様な生活習慣が体質形成に影響し、親と同様な体質を持った子供になるとも考えられます。

にきびの出来やすい体質が遺伝もしくは生活習慣のいづれによるものであったとしても、改善することは可能であり生活リズムや食事、化粧品、取り巻くストレス環境などを意識的に改善していくことで体質も変わっていくと考えられます。

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曹洞宗の不正問題。その原因に「宗門の体質」を語る人は多い。

にきびと曹洞宗を比較して申しわけないが、あながち無関係でもない。

一、いまの体質は遺伝によって引き継がれていること。
二、生活習慣によって体質が形成されていること。
三、体質改善は可能であること。

曹洞宗の体質はなにも宿命ではない。問題を体質論に帰結させることにこそ問題があると言える。後世の(存続しているとすればだが)宗門を担う人々のためにも、いま体質改善に取り組むことが大切だ。悪しき遺伝を伝えてはならない。これはまた夙に仏教的取り組み(因果)でもある。宗門改革の嚆矢たるべし。

No.428 2007/09/18(Tue) 07:03:24


(No Subject) / 岡 孝順 引用

『本家』掲示板は、有道会と総和会との争いの場になってしまったのでしょうか?
 改革を言うならば、会派の対立ではなく意識の改革を論じた方が、建設的だと思うのですが。

No.419 2007/09/10(Mon) 06:01:19

 
Re: / 地の声 引用

それは違います。いまは有道会が改革に関して先行していますが、いずれは総和会に及びます。結局は曹洞宗本体の構造改革にまで進むでしょう。この流れは、もはやだれにも止めることはできません。その間、不正をおこなった議員やら元議員の実名と罪状が「もの申す」で次々と明らかにされていくでしょう。

最終目標は宗門の意識改革です。曹洞宗を仏教に近づけることです。

さまざまな局面でさまざまな要素が入り混じりながら闘いは繰り広げられるでしょう。そして最後には曹洞宗が生まれ変わる・・そういう展開になるでしょう。

喩えが不適切かもしれませんが、リムスキー・コルサコフの交響組曲「シェラザード」の第4楽章をイメージしていただければ、わたしの言っている意味が理解してもらえそるのではないかと思います。

No.420 2007/09/10(Mon) 07:37:03

 
宗門改革の要点 / 旅人 引用

私の思う宗門改革は、
@ 高祖のみ教えをどうやって現代に活かすか、地域の寺院が実践の中で示していくこと
A 檀家制度に頼らない寺院になれるかどうか
B 兼務地を開放して新しい血を地域に入れること
C 積極的に海外布教ができる人材育成を行うこと

No.422 2007/09/12(Wed) 00:09:15

 
Re: / 坐禅修行者 引用

地の声どの。貴殿の思いや願いの全てが「曹洞宗を仏教に近づけることです」の一言に凝縮されているように感じます。私はきわめて単純に考えます。それはまず寺に人が集うようになることから始まるのではないでしょうか。死んだ寺を生き返らせるのです。法話でも坐禅でも檀家の寄り合いでも何でもいいではありませんか。人が集まるところに智慧が集まり、行動が起こり、お金が集まり、それがまた人を呼ぶのです。瀬戸内寂聴氏が法話をする天台寺がいい例ではありませんか。「寂聴さんの天台寺ライブはいつですか」という若い女性からの問い合わせがあるそうです。そこには仏教は古いとか辛気くさいとか、お寺は人の死を連想させるいやな場所という偏見は一切ありません。天台宗ができて曹洞宗ができないことがありましょうか。キティーちゃんやドラえもん柄の作務衣を着た子供たちがお母さんの隣に坐って坐禅をしている姿を連想してみてください。なんと平和な世界でしょうか。

No.423 2007/09/12(Wed) 11:09:56

 
Re: 坐禅修行者 さま / 風林火山八王子 引用

ご無沙汰しております。

>私はきわめて単純に考えます。それはまず寺に人が集うようになることから始まるのではないでしょうか。死んだ寺を生き返らせるのです。法話でも坐禅でも檀家の寄り合いでも何でもいいではありませんか。人が集まるところに智慧が集まり、行動が起こり、お金が集まり、それがまた人を呼ぶのです。

そうなんです。
自分もそう思います。
今の葬式仏教ではなく、生きて生活している人々の心のよりどころのお寺さんであって良いのではないのでしょうか?
その為には、お坊さんにも、生きた仏教を学んで、研鑽に励んでいただきたいし、知らない事は、檀家の人たちと知恵を出し合い、暖かい世の中になる様にしていただだきたい。
ただし、その宗教を行えば、お金持ちになったり、病気が治るなどという、宗教は真っ平ごめん。

あくまでも、心のゆとり(思いやり)を育てる中心となっていただくことを望みます。

No.424 2007/09/12(Wed) 22:10:17

 
Re: / 地の声 引用

>まず寺に人が集うようになることから始まる

それには寺が信頼を得ることが大切ですね。「玄関をいくら綺麗にしてもお客はやってこない」という言葉があります。寺が信頼を獲得し、人が寺に集うようになるには、「待つ」のではなく寺が積極的に社会に出ていかなくてはならないと思います。

自分の経験ですが、地域の人達と住民運動に取り組みました。寺の評価が大きく変わりました。

寺ができることは沢山ありますし、社会もそれを望んでいます。仏教者として積極的に社会参画することが、日本仏教のテーマでしょう。

No.425 2007/09/13(Thu) 06:07:19

 
Re: / 坐禅修行者 引用

>寺ができることは沢山ありますし、社会もそれを望んでいます。

まさにその通りです。社会に深く根ざしている分、キリスト教や新興宗教ができなくても鎌倉仏教や平安仏教だからこそできることもありましょう。これ以上書くことは釈迦に説法となりますのでやめておきます。ありがたいことに私は人の集う寺で坐禅をさせていただいています。このような寺は全国にどのくらいあるのでしょうか。全てを仏の家に投げ入れて坐りこむその向こう側には、先祖に花を手向け静かに手を合わせる家族の姿が見えます。横領騒ぎが一巡したら、その次は在家で寺にお世話になっている我々に何ができるかを問われる時が来るかもしれません。

地の声どの、横領騒ぎが一巡し貴殿が組織を代表する立場に立たれる日が来たら、ぜひ仏教界に先駆けてサステナビリティー・レポート(持続可能性報告書)の編纂に取り組んでください。私もお手伝いできることがあるかもしれません。おそらく大変な注目を浴びると思います。12チャンネルのコメンテーターも取材に来るでしょう。

「風林火山八王子」さま。あなたもぜひ檀家の立場としてこの報告書に記事をご投稿ください。
曹洞宗が潜り抜けなければならなかった試練と、闇が晴れた先に見据えた展望を社会に顕示しましょう。

No.426 2007/09/13(Thu) 19:48:20

 
Re: / 地の声 引用

>横領騒ぎが一巡し貴殿が組織を代表する立場に立たれる日が来たら、ぜひ仏教界に先駆けてサステナビリティー・レポート(持続可能性報告書)の編纂に取り組んでください

来週末、某国の仏教団体本部を訪問し仏教的社会活動の現場を学んでまいります。

宗門を批判するためには、仏教者としての学びと実践に自らがどれだけ取り組んでいるのかが問われるということと承知しております。

曹洞宗の体質から言って、とても代表する立場になることはありえないと思います。それを目指せば過去の800年をとりかえさなくてはならないほどのエネルギー消耗となりますし(笑)。でも自らの仏教者としての自己実現は今の混乱した曹洞宗で「何をなすべきか」にかかっていることはわかっているつもりです。全国の「地の声」とともに頑張ります。

No.427 2007/09/13(Thu) 20:58:05


懺悔こそ仏教者の原点 / 地の声 引用

不正会計関係者を告訴するというのが有道会執行部の考えだが、なぜか渕英徳会長は「その方針はない」と記者会見で述べた。会議無視、議員無視の勝手な暴言だ。このあたり、いかにも坊さん=社会性なし(知らぬが仏)らしい。一般社会だったら責任もの、辞任すらありうる重大発言だ。有道会執行部はこの件を問題化すべきだろう。

業務上横領の刑事告発の時効は7年。これからさき5年間有道会は関係者をいつでも告訴できる。

落ち着かないことだと思う。いつ告訴されるかビクビクしながら生きて行くよりさっさと懺悔してやり直したほうが健康にいい。周囲も赦してくれる。場合によっては宗門改革のヒーローにもなれるだろう。

過ちはだれにでもある。問題はその後の態度だ。「仏祖憐れみの余り広大の慈門を開き置けり」と言うではないか。

菊池寛の短編小説『恩讐の彼方に』を思い出す。懺悔こそ仏教者の原点だ。

『恩讐の彼方に』(「青空文庫」)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/card496.html

No.421 2007/09/11(Tue) 06:27:49


人権啓発ビデオ / 地の声 引用

第10作は「内山愚童」。

紙爆弾製造者・内山愚童の精髄は反天皇制にある。彼は戦争を否定し自由平等の社会の実現を願った仏教アナーキストである。

いまの曹洞宗が内山愚童をどう描くのか描けないのか実に興味深い。曹洞宗の正体が露呈されることになるからだ。

曹洞宗が天皇制をどう捉えるかが今回の最大の焦点となるだろう。この問題を避けて内山愚童を語ることは欺瞞だ。

彼が植えようとした「仏種」とは何か。真正面から取り組んでもらいたい。宗門の利益を優先させるようなことをしたら笑いものになるだろう。

No.418 2007/09/10(Mon) 05:49:09

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