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懺謝文(全文) / 地の声 引用

 われわれ曹洞宗は、明治以後、太平洋戦争終結までの間、東アジアを中心にしたアジア地域において、海外開教の美名のもと、時の政治権力のアジア支配の野望に荷担迎合し、アジア地域の人びとの人権を侵害してきた。また脱亜入欧のもと、アジアの人びととその文化を蔑視し、日本の国体と仏教への優越感から、日本の文化を強要し、民族の誇りと尊厳性を損なう行為を行ってきた。しかも仏教の教義にももとるようなこうした行為を、釈迦牟尼世尊と三国伝灯の歴代祖師の御名のもとに行ってきた。まことに恥ずべき行為というほかない。
 われわれは過去の海外伝道の歴史の上で犯してきた重大な過ちを率直に告白し、アジア世界の人びとに対し、心からなる謝罪を行い、懺悔したいと思う。
 しかし、それはかつて海外伝道に従事した人たちだけの責任ではない。日本の海外侵略に喝采をおくり、それを正当化してきた宗門全体の責任が問われるべきことはいうまでもない。
 さらにまた、曹洞宗が一九八〇年に出版した『曹洞宗海外開教伝道史』が、過去の過ちに対して反省を欠いたまま発刊され、しかも同書の本文中において過去の過ちを肯定したのみならず、時には美化し賛嘆して表現し、被害を受けたアジア地域の人びとの痛みになんら配慮するところがなかった。かかる出版が歴史を語る形で、しかも過去の亡霊のごとき、そして近代日本の汚辱ともいうべき皇国史観を肯定するかのような視点で執筆し出版したことを恥と感じる。
 また同時に、このような書籍の出版が太平洋戦争後三十五年を経てなされたということについても、重大な罪の意識を感じざるをえない。何故ならばそれは、宗門が明治以後、ある時は国家に阿諛(あゆ)迎合し、ある時は積極的に国策に荷担して戦争協力を行い、アジアの民衆に塗炭の苦しみを強いてきたという事実について、なんら反省することもなく、その責任すらも感じていなかったということに他ならないからである。
 「歴史とは、過去と現在の間の尽きることを知らない対話である」といったのは、歴史家E・H・カーであるが、遺憾ながらわが宗門はこの対話の努力を怠り、過去の歴史に今を問いかけ、過去の歴史に学びつつ自らの座標軸を糾そうとする姿勢を持つことなく今日に至った。われわれは一九四五年の敗戦の直後に当然なされるべき「戦争責任」への自己批判を怠ったのである。
 曹洞宗は、遅きに失した感は免れぬとはいえ、あらためてその怠慢を謝罪し、戦争協力の事実を認め、謝罪を行うものである。
 われわれは「戦争責任」の重大性を認識し、アジアの人びとの痛みの上に立って、一九八五年二月以来、『曹洞宗海外開教伝道史』の文言の一々について徹底した読み直しを開始し、同書の随所に「民族差別による差別表現」「国策・皇民化政策荷担の事実への省改なき表現」が見られ、同書が歴史の書として誤った歴史認識によって執筆されているのみならず、抑圧された人びとの人権の視点を欠いており、人権擁護を推進しようとするわが宗門の立場と相矛盾するものであることを確認し、同書を回収し、廃棄処分することとした。
 また、われわれはこの書籍の誤った歴史認識と差別表現を指摘したが、それは同書の誤りを指摘するのみでなく、歴史への反省を怠り、戦争責任を回避してきたわが宗門、及びわれわれ全宗門人にこそ向けられるべきことはいうまでもない。
 思うに、仏教は、すべての人間が仏子として平等であり、如何なる理由によろうとも他によって毀損だれてはならぬ尊厳性を生きるものである、と説く。しかるにその釈尊の法脈を嗣受することを信仰の帰趨とするわが宗門が、アジアの他の民族を侵略する戦争を聖戦として肯定し、積極的な協力を行った。
 特に朝鮮・韓半島においては、日本は王妃暗殺という暴挙を犯し、李朝朝鮮を属国化し、ついには日韓併合により一つの国家と民衆を抹殺してしまったのであるが、わが宗門はその先兵となって朝鮮民族のわが国への同化を図り、皇民化政策推進の担い手となった。
 人が人として存在する時、人は常に自らの帰属する場所を求めずにおかない。家族、言語、民族、国家、国土、文化、信仰等、自らが帰属するアイデンティティーを保障されるとき、人は安息を覚える。アイデンティティーは人間の尊厳を保証するものなのである。しかるに皇民化政策は、朝鮮民族の国家を奪い、言語を奪い、創氏改名と称して民族文化に根ざした個人の名前までも奪い去った。曹洞宗をはじめとする日本の宗教は、その蛮行を宗教により正当化する役掌を担った。
 また、中国においては、宗門が侵略下における民衆の宣撫工作を担当し、中には率先して特務機関に接触しスパイ活動を行った僧侶さえいた。
 仏教を国策という世法に隷属せしめ、更に、他の民族の尊厳性とアイデンティティーを奪い去るという二重の過ちを犯していたのである。
 われわれは誓う。二度と過ちを犯すことはしない、と。
 人は、何人といえども、他によって侵されたり、迫害されたりすることは許されない。人は、かけがえのない存在としてこの地上に存在するものだからである。それは国家においても、民族においても同じである。
 また、人も、民族も、それ自体で独立した存在として、他の侵犯を拒絶するものであるが、一方、それ自体が、個として独立的に存在し得るものではない。人も国家も、相互依存的関係の中においてのみ存在し得るものである。
 通信や交通の技術が進歩して地球が狭隘(きょうあい)化し、政治や経済が国際化した今日、地球は一つの共同体であることを明らかにしてきた。仏教のいうすべての存在の「縁起」性があらためて確かなものとなってきたのである。
 人も、国家も、民族も、それが「縁起」的存在として、他との相互依存性の中に存在するとすれば、他を侵すということは、自らの存在の一部を否定するということである。自らの存在の根拠を侵すということである。
 故に、仏教においては、他との共生は必然である。他との共存こそが自らの生きる根拠なのである。自を見つめ、自を律し、他と共に生き、他と共に学ぶ生き方こそ仏教の平和思想なのである。われわれは過去において、この視座を見失い、仏教と遠く離れた位置にあった。
 ある一つの思想が、ある一つの信仰が、たとえいかような美しい装いを凝らし、たとえどのように完ぺきな理論で武装して登場してこようとも、それが他の尊厳性を侵害し、他との共生を拒否するとするならば、われわれはそれに組みしないであろう。むしろ、そのような思想と信仰を拒否する道を選ぶであろう。
 人のいのちの尊厳性は、それらを越えてはるかに厳粛なものだからである。
 われわれは、重ねて誓う。二度と同じ過ちを犯さない、と。そして、過去の日本の圧政に苦しんだアジアの人びとに深く謝罪し、権力に組みして加害者の側に立って開教にのぞんだ曹洞宗の海外伝道の過ちを心より謝罪するものである。

一九九二年十一月二十日

         曹洞宗宗務総長 大 竹 明 彦

(原文縦書き)

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わたしは「懺謝文」が好きだ。曹洞宗の宝、宗門のエメラルドと呼んでいい。この精神を生かすのがわたしたちの務めである。反動は赦すまい。デジタルで全文を公開したのはこれがはじめてだと思う。各位にはどうぞご活用いただきたい。

No.457 2007/10/17(Wed) 16:42:51

 
Re: 懺謝文(全文) / 善福寺 引用

仮にこれが 本気の懺悔文であれば 憲法を守るのか
改憲するほうが その懺悔に沿うことになるのか、ならないのか 宗門の議会で大いに討論して頂き、護憲か
改憲か はっきり表明するべきであり、当然である。と
前から申し上げている。総長さんのご意見をお聞きしたいし、その実行を望みます。

No.470 2007/10/23(Tue) 17:21:05


ビルマ集会案内(アーユスより) / 地の声 引用

こんにちは、事務局の枝木です。
急な話で恐縮ですが、今度の日曜日に以下の通りビルマに関する集会が開催されます。

アーユスには読経も頼まれており、日曜日の午後ですがもしお時間のある方がいらっしゃればご参加いただければ有難く存じます。
5分という短い時間ですが、共にビルマの平和を願う時間をつくるお手伝いができればと思います。
では、よろしくお願い致します。

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    ビルマ市民フォーラム メールマガジン     2007/10/18
People's Forum on Burma   
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ビルマ情勢につき、みなさまのこの間のご支援・ご協力に心よりお礼申し上げます。

ビルマ情勢をうけ、ビルマ市民フォーラムはビルマ民主化共同行動実行委員会(JAC)、アムネスティ・インターナショナル日本、アーユス仏教国際協力ネットワークと共催で、緊急集会「ビルマ(ミャンマー)軍政と日本―日本外交を動かそう!―長井さんの射殺から一ヶ月、
在日ビルマ人と考える」を実施します。

ぜひ、みなさまご参加ください。

ビルマ市民フォーラム
  事務局 宮澤
  pfb@xsj.biglobe.ne.jp


【転送大歓迎】
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【緊急集会】    2007年10月28日(日)東京・
星陵会館
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 ビルマ(ミャンマー)軍政と日本―日本外交を動かそう!
 ―長井さんの射殺から一ヶ月、在日ビルマ人と考える― 
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 長井健司さんがビルマ(ミャンマー)で治安部隊により射殺されて一ヶ月。
この間、平和的な抗議デモに対する暴力的弾圧により、死者は200人をこえるという情報もあります。国連安保理は、ビルマ軍政に対する「強い遺憾」と「対話」を求める議長声明を採択しました。にも関わらず、ビルマの軍事政権による民主化活動家やデモ参加者の大量逮捕投獄は続いているのです。

 長井さんの死をきっかけに、ビルマの軍事政権に対する非難の声は日本中にあふれました。国民も、マスコミも、政府も、軍事政権の暴挙に驚き、その本質を垣間見たためです。同時に、私たちが軍政下のビルマで何が起きてきたのか十分に関心を払ってこなかったことに改めて気づかされました。

 残念なことに19年前に全国的な民主化運動を武力弾圧して政権を握った軍事政権の本質は、何ら変わっていないのです。自国民に対し突然に銃口を向けたわけではないのです。タイ領内に逃げ出した少数民族の難民は、19年間で2万人弱から15万人に増えました。民主化運動の指導者であるアウンサンスーチーさんの自宅軟禁は合わせて12年をこえています。

 この間、日本政府はアメリカ政府やEUのような「制裁」をせずに、「関与」政策で軍事政権にフレンドリーな外交政策をとってきました。民主化を求める多くのビルマ人の願いに反し、不透明なODAも供与してきました。国民の人権を奪い、経済的な困窮を国民に強いる政府に対する日本の外交政策は長らく人権団体から批判されてきました。

 日本でも母国の民主化を求め多くの在日ビルマ人が活動してきましたが、日本政府のあいまいで軍政にフレンドリーな態度に度々裏切られてきたという不満があふれています。いまこそ、ビルマ人の憤りと真剣に向き合
い、私たちはビルマの民主化に何ができるのかを考え、また何をしてはいけないのかをビルマ人と共に考える機会だと考えます。

 長井さんと数多くのビルマ人の死を無駄にしないために、みなさんの力で日本の外交を動かしましょう。

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■日 時: 2007年10月28日(日)

■時 間: 午後2時〜午後4時40分 (午後1時30分開場)

■入場料: 500円 (事前申込み不要・当日先着順)

■場所:星陵会館 ホール(400名)
http://www.seiryokai.org/kaikan.html
〒100-0014 東京都千代田区永田町 2-16-2
●アクセス:
地下鉄有楽町線、半蔵門線、南北線:永田町駅6番出口徒歩3分
地下鉄千代田線:国会議事堂前駅5番出口 徒歩5分
地下鉄南北線:溜池山王駅(国会議事堂前駅)5番出口徒歩5分
地下鉄銀座線、丸の内線:赤坂見附駅徒歩7分

■共催:
ビルマ市民フォーラム
ビルマ民主化共同行動実行委員会(JAC)
アムネスティ・インターナショナル日本
アーユス仏教国際協力ネットワーク

■後援:アジア人権基金(他の団体にも呼びかけ中)

■賛同団体:
日本ビルマ救援センター
ピースボート
日本消費者連盟
アジア女性資料センター
サラワク・キャンペーン委員会(SCC)
他(賛同受付中)

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【プログラム(予定)】
※司会進行 田辺寿夫氏(フリージャーナリスト、PFB運営委員)

●射殺された長井さんと多くのビルマ人の冥福を祈る追悼
 (ビルマ僧と日本の僧侶による読経)

●山路徹APF代表のメッセージ
(ビルマ民主化運動への応援メッセージ)
●ビデオ上映
 (今回の僧侶たちのデモ行進や治安部隊による武力弾圧の模様、軍事政権下の様々な人権侵害の事例やアウンサンスーチー氏の映像など)

●在日ビルマ人民主化活動家の証言
 政治囚に対する拷問、少数民族への迫害、日本の入国管理局での非人道的扱いなどの体験談
●根本 敬氏(上智大学外国語学部教授)によるビルマ問題解説
●共催団体、個人からのメッセージ

●緊急集会・共同声明の採択

※内容の一部が変更になる場合があります。ご了承ください。

*********************************************************
【団体・個人賛同のお願い】

「日本外交を動かそう!」集会へみなさまのご支援をお願いいたします!

ご賛同いただける場合は、以下、「賛同書」に必要事項をご記入の上、PFB事務局までご連絡ください。

当日の配布資料にお名前を掲載させていただく予定です。
お名前の掲載を希望されない方は「不可」とご明記ください。

■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
●賛 同 書
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□お名前(肩書)・団体:
□代表者:
□連絡先(住所):
□集会当日配布資料へのお名前の掲載:  可 / 不可
□賛同金:
団体一口 3,000円=   口
個人一口 1,000円=   口
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
●振込先:

郵便口座:00110−6−729698
加入者名:ビルマ市民フォーラム

 ※通信欄に「集会賛同金」とご明記ください
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

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<アウンサンスーチーさんのことば>

「ビルマの民主化勢力に対する弾圧が新たに熾烈をきわめているこの困難な時期において、私たちは世界中の友人たちが、ビルマ国民との連帯を身をもって示してくれるのを期待しています。」
(ビルマ市民フォーラム設立によせて)

「日本政府がビルマを援助する時、彼らはビルマ政府ではなく、ビルマ国民のことを考えなくてはならない、ということを重ねて申し上げたい。」
(京都精華大学創立30周年事業「自由へのメッセージ」)

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集会の問合せはビルマ市民フォーラム・事務局(宮澤)までお願いいたします。

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      ◇ ビルマ市民フォーラム事務局 ◇ 
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
〒160-0004 
東京都新宿区四谷一丁目18番地6 四谷1丁目ウエス
トビル4階  
いずみ橋法律事務所内 
電話03−5312−4817(直)/ FAX:03―5312
−4543
E-mail: pfb@xsj.biglobe.ne.jp
ホームページ: http://www1.jca.apc.org/pfb/index.htm
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枝木美香
mika@ayus.org

世界にお布施!
お坊さんだって国際協力♪
アーユス仏教国際協力ネットワーク

03-3820-5831 www.ayus.org


【MLコミュホームページ】http://www.freeml.com/ayus

No.469 2007/10/23(Tue) 05:50:15


アルボムッレ・スマナサーラ『般若心経は間違い?』を読む / 地の声 引用

「『般若心経』はあまり勉強していない人が作った経典ではないかな」というのが私の感想です。『般若心経』は仏教用語をたくさん並べていますが、パーリ語経典を読んで学ぶ人からみると、経典に値しないダラダラした作品で、欠点がたくさんあります。作者はただ適当に短くまとめてみようと思っただけで、そんなに真剣ではなかったようです。
本人は「空」ということをわかっていないし、空の思想を理解してもいませんでした。そのことは、空を理解していたら使えない「na 無」という言葉を使ってしまっていることからもわかります。作者は、龍樹(ナーガルジュナ)のように空論を詳しく知っていた人ではないのです。龍樹さんなら空論はちゃんと知っていますから、そんな曖昧な言葉は絶対に使いません。きちっと責任を持って語るのです。この経典の作者はそれほど能力がなくて、何も立証せずにただ言葉を羅列したのです。
おそらく『般若心経』は、もともと呪文を信仰している占い師、祈祷師のような人が書いたのでしょう。知識人のお坊さんが相手にしなかった、なんの立場もない祈祷師程度だと思います。呪文には誰でもありがたく信仰するので、書き写されて書き写されて、残っただけのことなのです。(07.8.24宝島新書 pp.101-102)

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般若心経いわく「無智亦無得」(悟りも悟りに達することもない)‥広漠たる虚無に投げ出されるようだ。さまざまな般若心経解説を読んだが、どれもわかったようでわからないまま今に至っていた。なんのことはない。『般若心経』そのものがいいかげんなものだったのだ。それをぺダンチックにあるいは独善的に利益誘導して解説したものがわれわれを混乱させてきただけだったのだ。目からウロコだった。

「色即是空」の哲理も「空即是色」で無化され、結局は世俗的な「なんにも拘らない」生き方だとかに解釈されて仏教らしからぬものに変容され、とどのつまりは観念論で括られてきたのがこれまでの般若心経解釈であってみれば、たとえば宗門が宗門の利益のために曲解することなど赤子の手を捻るほどたやすいことだったのかも知れない。デキレースに踊らされていたのだ。さらには仏教がわたしたちに世のため人のために生きることを説く宗教(菩薩道)であるにも拘わらず、どこかで裾を踏まれているような感じも般若心経のそんな解釈と刷り込みにあったのかもしれない。

本尊上供はじめ宗門ではもっとも重要な場面でお唱えされる『般若心経』をもういちど原点に帰って検討すべきときなのかも知れない。そこから行動する仏教が萌芽するような期待を懐く。ある程度仏教知識のある人であれば2〜3時間で読める。同書後半には個人的異論はある。

No.466 2007/10/21(Sun) 15:56:36

 
Re: アルボムッレ・スマナサーラ『般若心経は間違い?』を読む / 地の声 引用

Amazon.co.jpで入手できます。書評も好評のようです。

http://www.amazon.co.jp/%E8%88%AC%E8%8B%A5%E5%BF%83%E7%B5%8C%E3%81%AF%E9%96%93%E9%81%95%E3%81%84-%E5%AE%9D%E5%B3%B6%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-244-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%A0%E3%83%83%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9/dp/4796660321

No.468 2007/10/22(Mon) 17:15:18


(No Subject) / 夢 引用

地の声さんへ
坊さんのほとんどが右翼といっては失礼だけれど、保守派だと思います。それは江戸時代からの歴史的環境の中で作られたものだと思います。ただ、貴方の主張は観念の世界であって仏道(坐禅)が身にしみていないと思う。

No.460 2007/10/20(Sat) 20:17:18

 
Re: / 地の声 引用

わたしは観念論を否定するものです。

「仏道(坐禅)」という表現には違和感があります。また「身にしみる」ということはどういう意味なのか?それこそ「観念論」ではありませんか?

仏教を曹洞宗流「坐禅」という狭い了見で捉えすぎてきたからこそ、いま改革のひとつも踏み行えないのではありませんか?

仏道が身にしみる‥そんな虚構を批判しているのが「地の声」なのです。

No.463 2007/10/20(Sat) 21:39:12

 
Re: 夢 / 善福寺 引用

坊さんが右翼であれ左翼であれ、もっともいまさら右翼も左翼も どう説明すればいいのか 私にはわからない。いまのところ 憲法と不殺生と仏教とを考えれば
日本の近代史を考えれば まず自民公明政権はとんでもなく時代に逆行している反動政権だと思える。それに加担するように見える曹洞宗なら断固改革しなければならない。と思う。道元禅師が いまの世の中をどうみられるだろうかと 思う。時の政権をどうみるだろうか。

No.467 2007/10/22(Mon) 16:46:53


とても信じられない! / 地の声 引用

『中外日報』を見ていたら「宇治の曹洞宗靖国寺に仏舎利塔」という記事があった。開創は終戦の年昭和二十年四月とあった。靖国神社となんらかの関係があるのだろうと思い調べてみるとホームページがあった。そこに

「当寺は、靖国神社に対して全国の戦没英霊を仏式に合祀する日本唯一の寺であります。
 建立者 中井祖門師が昭和4年に当時の首相 田中義一氏と熟議し、賛同を得て発願され建立されました。

 昭和16年より全国を托鉢勧募した浄財で用材を買い求め、本堂建立に着工し、各地の信徒の多大なる寄進により、同18年11月に入佛式を修行勤皇山靖國寺として24年4月落成した。
 戦没者の遺骨、無縁の英霊等 全国各地より奉安置され、26年には靖国神社より二百四十万余りの御分霊をお迎えして、お祀りしております。

 御開山には永平寺の71世貫首(曹洞宗管長)である高階瓏仙禅師を迎え、曹洞宗永平寺の御直末寺院となりました。
 建立発願者の中井祖門禅師は、三世開創となっております。
 昭和63年より山号を鳳翔山と改め、檀信徒教化の場として、また宇治の観光名所の一端となっている。」とあった。

http://www.eonet.ne.jp/~yasukunidera/

ホームページに記されている「由来」をもとに「戦争」を時系列に並べてみる。

昭和4年‥「靖国寺発願」 世界恐慌。(二年後満州事変)
昭和16年‥「靖国寺本堂建立」 真珠湾攻撃。
昭和18年‥「靖国寺入仏式」 ガダルカナル敗北、テヘラン会議
昭和24年‥「勤皇山靖國寺落慶」 レッドパージ(下山事件) 朝鮮半島で緊張高まる。
昭和26年‥「靖国寺二百四十万柱を靖国神社から分霊」 サンフランシスコ講和 宗教法人法施行
昭和63年‥「靖国寺山号を勤皇山から鳳祥山に変更」 最高裁大法廷自衛官合祀拒否判決

想像したとおり靖国神社の寺院版そのもの、寺の名を借りた靖国神社だ。

戦争責任を曹洞宗は真摯にとらえているのだろうか?この記事によれば仏舎利塔落慶には宗門の重鎮南澤道人前永平寺監人(現中央寺住職)が三師のひとりをつとめ入仏点眼法要をおこなったとある。開山が当時の高階管長というのは反省すべき歴史上の事実として捉えるべき事柄であるが、依然として宗門お墨付きの寺院であることは重大な問題だ。

唖然とした。靖国問題は仏教界あげて反対している。

ドイツでは先の過ちを二度とおこさないために、戦争遂行者ナチスとその協力者を決して赦さず、またそれを継承するものも犯罪者として捕らえている。無論、ハーケンクロイツなどアクセサリーにも使うことはできない。

この国は反省が足りない。いまでも靖国皇国史観をふりまく反動勢力がおり「戦争」を肯定している。そもそも靖国とは国を治めるの意であり軍国侵略主義の象徴であるとともに兵士再生産装置である。とても仏教になじまない。

このような寺院が曹洞宗に存在しつづけていることに驚愕する。これで三大スローガンだの「懺謝文」だのと言っても無意味ではないだろうか?

二枚舌・曹洞宗の正体を見た思いだ。曹洞宗の暗部を見た思いだ。

No.459 2007/10/20(Sat) 16:05:35

 
Re: とても信じられない! / 地の声 引用

この靖国寺(言うも恥ずかしい)に関する情報を乞う。

No.464 2007/10/20(Sat) 21:40:23

 
Re: とても信じられない! / 平和を願う僧 引用

戦死者を「英霊」と呼んではいけない。日本軍は兵士をこうやって持ち上げて、戦地に送り出したのだ。亡くなった兵士の母を「靖国の母」とし、記念品やら東京見物をさせるという姑息なまねもした。子を失った母は悲しむことさえ禁じられた。はっきり「戦争犠牲者」と呼ばねばならぬ。いまでも「英霊」と呼ぶ背景には戦争賛美がある。知らなかったでは済まされぬ。無反省は罪である。これが仏教寺院のすることか!!

靖国寺へ、、

「英霊」を「侵略戦争犠牲者」と言い換えろ!
寺名を「平和寺」に変えろ!
住職は戦争についてもっと勉強しろ!
大本山関係者は軽々に随喜するな!しっかり指導しろ!
「戦争博物館」を開設し参拝者に戦争の悲惨さを伝え平和を希求する心を養う場を提供しろ!

このままだと、社会に害悪を垂れ流す。曹洞宗の沽券にかかわる大問題だ。

No.465 2007/10/21(Sun) 06:22:44


曹洞宗ブックレット『東アジア出身の犠牲者遺骨問題と仏教』を読む / 地の声 引用

三大スローガン「人権・平和・環境」そして曹洞宗の宝『懺謝文』がありながら、なぜ曹洞宗が本腰を入れて「平和」問題に取り組まないのかが如実にあらわれているブックレットだ。

これを読むには注意が必要だ。常に身構えていないと冒頭の「はしがき」にあるように「まごころの発露」だとか「絆」など実体のない宗門のキャッチコピーに流されてその意図を見誤る危険があるからだ。

著者(末尾にいろいろ述べているが宗門の『人権ブックレット』として世に出た以上、宗門によってオーソライズされた見解である)の真意は結論部分・7「東アジアの理解と和解に向けてーいくつかの原則と展望ー」(p.62)に集約されている。

「私たち宗教者のスタンスは極めて単純、明解です。すなわち亡くなられた方の生命と人格の象徴である遺骨を、遺族と故郷に再び結び付ける(re-ligion)こと‥(略)‥遺骨問題を契機にして、まごころに生き、絆を結びさらに深めるという請願に生きたいと思います。遺骨についての判断は遺族が決定するべきです。遺骨問題が主催者のエゴや政治的プロパガンダの道具にすることは厳に慎むべきです。‥(略)‥これには、いかなる個人も組織も国家も介入すべきではありません。私たちは、遺骨とそれにまつわる情報を遺族のもとにお届けするサポート役に過ぎないのですから。それと同時に、遺骨問題を通して、私たちが歴史の声なき声に耳を澄ますことによって、望ましい東アジアの理解と和解の未来が拓けゆくことを確信し、そして祈ります。」

わたしは浅学でre-ligionの語幹ligionの本来の意味を知らない。接頭語のreは「再び」だからligionは「結び付ける」という意味なのだろうか?手元にあるランダムハウスにも見当たらないのだから、かなりマニアックな英語なのだろう。まさかregion(地域)の間違いではないとは思うが・・。

余談はさて置き、結局著者がいわんとすることは仏教者が遺骨返還にとりくむことは政治問題に取り組むことでなく、単なるサポート役として遺族のお手伝いをすることであり、それが東アジアの未来を拓く。それを確信し祈ることが大切だ・・ということだ。

このブックレットの多くのスペースを故有馬氏の奮闘と『懺謝文』に割いていながら、この落とし方は詐欺に近いものがある。

遺骨収集は平和活動の一環である。最終目標は残留遺骨問題を生じさせた「戦争」そのもの否定でなくてどうするのか?平和は実現して維持するべきものである。「懺謝文」の精神はそのことを語っているのは明白だ。それを分析すらおこなわないで「主催者のエゴ」とか「政治的プロパガンダ」という実に軽薄・世俗的決めつけで平和団体の活動を切り捨て、そして「祈り」でくくるような欺瞞はとても赦せないものがある。ここに宗門がなぜ本気で「人権・平和・環境」に取り組まないのか(取り組めないのか)が見えてくる。ちなみに同書「資料」に載っている遺骨収集の共同代表・上杉聰氏はわたしが所属する「日本の戦争責任資料センター」の重鎮であり部落史の専門家であって、曹洞宗と上杉氏の取り組みのスタンスの差に驚く。曹洞宗よ思い上がってはいけない。

宗門が遺骨問題に真に取り組むには浄土真宗がやっているように曹洞宗の戦争荷担責任を徹底的に調査し反省すること、二度とこのような悲劇がおこらないよう常にアンテナを立てて戦争の危険を察知し、それを批判しつづけることである。遺族は坊さんの読経や遺骨返還によって一時(いっとき)癒されるかも知れない。しかし、かれらが一番願うことは二度とこのような悲劇が起こらないこと、すなわち侵略戦争の完全否定にあるはずだ。さもなくば・・故人は犬死となり死になんの意味も与えられず、結果的に遺骨は浮かばれないのだ。坊さんは祈ることによって自己完結するかもしれないが、それはなんと不遜なことではないか!遺骨問題のみならず国内外世情不安のおりからいま必要なのは「祈り」とともに「平和実現の闘い」なのではないだろうか。

遺骨問題に取り組むことはそのまま反戦活動に取り組むことでなくしていったいなんの意味があるのだろう。それは夙に政治的問題でもあるし国家的問題でもある。それにメスを入れない(入れさせない)当ブックレットは曹洞宗の及び腰をモロに露呈しているようだ。

安易には頷首できない一冊だ。

No.458 2007/10/18(Thu) 11:51:49

 
「懺謝文」そのものも、中途半端 / 骨山住職 引用

『曹洞宗海外開教伝道史』が刊行されたのが、昭和56年だったと思う。有馬実成師が其の問題点を指摘したのが、昭和58年。大竹宗務総長の名前で「懺謝文」が発表されるまで、結構年数がかかっている。

 ところがこの懺謝文をちゃんと読んだ人がどれだけいるだろうか?「曹洞宗の戦争責任を反省し、仏祖と戦争被害者へ謝罪する」文面ではない。アジア進出と言う国策に乗って曹洞宗の海外開教(主に東アジア)は進められた。それを肯定的に書いている『曹洞宗海外開教伝道史』には、大いに問題があるという内容の分である。つまり、宗門が戦争協力し仏祖の教えを歪めてきた事実をきちんと検証し反省することなく、戦前のアジア開教だけを検証し懺謝しているのである。

No.461 2007/10/20(Sat) 20:44:30

 
Re: 曹洞宗ブックレット『東アジア出身の犠牲者遺骨問題と仏教』を読む / 地の声 引用

そこまで宗門に妥協させられた有馬氏・奈良氏の苦渋をいまこそ解放しなければならないと思います。海外布教問題に限定してはならない。「懺謝文」にこめられた精神を布教現場に活かさなくてはなりません。

No.462 2007/10/20(Sat) 21:31:13


身内主義こそ仏教が乗り越えるもの / 地の声 引用

曹洞宗の会派不正会計問題に告訴賛成反対がガチンコ勝負となっている。不正は糾さなければならないのはだれの目にも明らかだ。反対派はその根拠をいまだ明確にしていないが、漏れ伝えられるところによれば「身内から犯罪者を出したくない」「除名という表現が気に入らない」「同期・友人だから」など、とても大人のレベルではない。

この根底には身内主義(ネポチズム)からくる「人情論」がある。「もの申す」に橋本氏なる人が臆面もなくそれを表明しており、氏自身その矛盾に気付かないほど侵されてしまっている。情が優先されれば正義は衰える。友人が大切であればあるほど、彼はしっかりとした支えとなって正義を踏み行えるよう助力することだとわたしは思う。

身内主義はこの国では相当根が深い。ムラを底辺に頂上に天皇を置くスタイルは身内主義そのものである。死者はみな仏という「美しい」伝統がこの国にはあるのだから靖国に戦犯を合祀してなにが悪いと豪語した人がいた。身内主義は客観性と対峙するものであって、ある意味非常に危険な発想である。村八分・差別・思想統制・国家総動員もみな身内主義から生じる。

「連帯を求めて孤立を恐れれず
 力及ばずして仆(たお)れることを辞さないが
 力を尽くさずして挫(くじ)けることを拒否する」
(平沢豊写真集「OTHER VOICES 東大全共闘・68−70」春秋社)

「連帯を求めて孤立を恐れず」・・いい言葉だ。正義のために起ち上がる勇気とはこのようなものである。だれでも仲間は欲しい。友人の慰めもありがたいものだ。だが大切なのはあくまでも正義の実現であって、情に流され友人とナカヨクすることではない。

思えば仏教がサンガを形成したのは、真実に生きる同志の連帯と切磋琢磨を目指したものである。決して、傷を嘗めあうような人情を必要としたからではない。仏教は基本的に身内主義を否定した思想である。

いま曹洞宗内の対決は「正義」と「身内主義」のしのぎあいの中にある。そして曹洞宗がいやしくも仏教教団であるならば、この闘いのテーマは仏教者としての身内主義の克服にある。

そこで、最後に。改革派にも身内主義がある。これでは五十歩百歩である。だからわたしは曹洞宗のグランドデザインを早く示せと強く主張しているのである。

No.456 2007/10/17(Wed) 08:56:45


亀田反則行為に / 地の声 引用

時津風部屋のリンチ殺人事件、亀田興毅の反則・・これらの事件は将来力士やボクサーを夢見ている青少年らに大きな衝撃を与えた。彼らは力士になりたくない、ボクサーになりたくないという。

曹洞宗も似たようなものだ。修行現場では暴力行為が公然とおこなわれている。また宗門上層部が組織的に犯罪を行い、それを指摘されても関係者に反省の色もない。逆切れとでもいうか、除名や刑事告訴に反対する議員がいまだに10+2名もいることに驚きを禁じえない。

このようなことがまかり通れば、曹洞宗の僧侶になろうとする人が減少するのは目に見えている。

曹洞宗が発展するには、力士やボクサーに憧れるように少年らが曹洞宗の僧侶に憧れるようでなくてはならないのだ。夢物語と笑われてもいい。そういう宗門を目指さなければならないのだ。いまある(そして後がない)宗門の財産をひたすら蛸が足を食らうように食いつぶしていれば、その先は崩壊が待つことは明らかだ。

多分、角界もボクシング協会も自浄作用を発揮し建て直しに取り組むことだろう。曹洞宗が何もしないとなれば真の愛宗護法の精神なしと言わざるを得ない。宗議は宗門の破壊者と言わざるを得ない。陰鬱な気持ちを引き起こした事件だった。

No.455 2007/10/15(Mon) 21:38:31


ミャンマーに抗議はがきを出そう / 地の声 引用

「念仏者九条の会」がミャンマーに抗議はがきを出す運動をしている。はがき文面は下記からダウンロードできる。

http://www18.ocn.ne.jp/~hongan9/MyPage/menu0.html

わたしも早速抗議はがきを送った。

ところで曹洞宗も抗議声明を出した。評価したい。ただし、大切なのはその後のフォローだ。出しっぱなしでなにもしないのでは、やらないほうがましだ。

宗門三大スローガン「人権・平和・環境」で、推進本部があるのは「人権」だけだ。なぜ平和推進本部や環境推進本部がないのだろう?人権本部は部落解放同盟からの強い圧力で設置されていると言われる。これではとても三大スローガンに曹洞宗が主体的に取り組んでいるとは言えないのではないか?

平和推進本部を設置すべきである。そしてそこに世界情勢を分析するシンクタンクを置くべきである。さらには様々な平和団体と連帯して声明だけにおわらない根強い活動を展開すべきである。

環境推進本部も同様だ。

不正もみ消しなどにうつつを抜かしている暇などないことに議員ははやく気付くべきである。

No.454 2007/10/12(Fri) 14:11:00


改革派はビジョンを示せ / 地の声 引用

改革派の活躍はおおいに称賛する。除名・刑事告訴は身命に賭けても絶対譲ってはならない。勝利するためには多数派工作も必要だが、一番大切なのは現場寺院の理解と支援だろう。

そこで提言したのが宗門のビジョンを示すこと、グランドデザインを表明することだったのだが、どうもそのことがネジレをきたしたようで仲間通しのガチンコ状態になっているのは残念だ。

この原因は、有道会の議員たちの動きがいまどのようになっているのかが見えないことにある。無論公表できるものでもない。しかし、この暗然とした不安が折角の改革派の活動を単なる勢力争いではないのではないか・・という疑惑を生み出していることもたしかなのだ。

渕総長が辞任するとか保留されたとか、この一件をとっても責任問題として辞任するのか、はたまた宗門改革のためという実をとるために辞任しないのか、どうも見えにくいのである。派閥力学が先行しているように見えてしょうがないのである。

改革派は、やはりビジョンを示さなければならない。そして現場寺院の不安や疑惑を払拭しなければならぬ。それは示そうにも示されない守旧派に大きく水をあける好機ではないか。

一例を挙げる。宗門運営の健全化のために法衣組(宗侶)と背広組(外部からの専門家)から成る諮問委員会の設置を公約してはどうか。

改革派が勝利することを願う。そのためにも現場寺院の声に耳を傾け、不安を払拭するように努めることがいま最も求められていることではないだろうか。

No.450 2007/10/08(Mon) 18:16:18

 
Re: 改革派はビジョンを示せ / 坐禅修行者 引用

私も同感です。ビジョンを示すとは設計図を描き全体像を簡潔に誰にでもわかる形で提示することです。今ビジネス界にはコーポレート・ガバナンスという考え方があり、法整備も整いつつあります。しかし、これは調べれば調べるほど曹洞宗に持ち込むのは難しいことがわかってきます。千代川氏の言われる情報開示ひとつとってみても、これが産業界である場合、重要な情報の操作を図った企業は、株主が離れ株価が暴落し、消費者に尻尾を向かれ事業そのものの存続がむずかしくなります。曹洞宗の場合はというと檀家が離れるわけでも資金源が途絶えるわけでもありません。不正に対する圧力が事実上は何もないようでは、情報開示制度を確立したとしてもどこかに必ず抜け道が出来上がります。残念ながらいくら考えても私には解決策が思いつきません。全ての剰余金を株式化し管理会社(曹洞宗ホールディングス)に移行して上場できるというなら話は別ですが。

これを読まれた方でよい智慧をお持ちの方はぜひご教授ください。

No.453 2007/10/12(Fri) 13:16:38

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