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『植民地期満州の宗教』その11 / 地の声 引用

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一九三三年(昭和八)の「浄土教報」第一九八五号は、峯簱(浄土宗僧侶峯簱良允:地の声注)を「元吉林省教育顧問、満洲国民間経済団体補導役(注略)と紹介していおる。
一九四三年(昭和一八)版の『大衆人事録(注略)』には、「日本満洲セメント(株)取締 満洲洋灰有限公司 吉林市大馬路一七九‥‥京都府天充長男明治十四年四月十八日生る同丗八年天津高等学堂校長拝命吉林省教育顧問満鉄嘱託歴任著書に『満洲民族史』『吉林省の産業』『吉会鉄道の水田候補地』」とある。
著書としては、この他に現在見られるものとして『吉林省開発と豆満自由港(注略)』がある。こうした記述から見ると、かつての宗教人としての峯簱ではなく、中国通の産業人としての姿が浮かび上がる。
一九四三年(昭和十八)三月号の浄土宗「宗報」(注略)には、「峯簱氏追悼会」の記事があって次ぎのように記している。

本宗教師で大陸在住三十余年、日華両国の精神的結合に力め、官民の信頼深く隠然たる勢力を持って居た峯簱良允氏は、今春北京の寓居で客死された。‥‥去る二月十六日午後二時から神林周道氏等の発起に依り東京芝妙定院で林大僧正を導師とし厳粛なる法要が営まれ里見宗務長の挨拶、水野梅暁氏、林大僧正の追懐談、神林氏の謝辞等があった。‥‥

「官民の信頼深く隠然たる勢力を持って居た」とは何を意味するのだろうか。たんなる宗教人や産業人というより、他にもう一つ別の姿があるように思える。
曹洞宗の水野梅暁は、かつて南中国で布教に従事したが、外務省記録によれば(外務省記録『水野梅暁清国視察一件』)信者は一人もいなかったという。それでいながら中国各地を旅行していて、現地の領事館は水野の意図に不審な目を向けている。こうした水野と峯簱は、どのような繋がりを持っていたのだろうか。
一介の僧侶である太田(太田覚眠:地の声注)や水野は、外務省の出先機関の監視を受けるほどの力をどこから手に入れたのだろうか。外務省の手が届かない部分があるとすれば、やはり軍部ではないだろうか。峯簱についても、はっきりとした証拠はないが、前述のように軍部との関係を感じさせるものがある。

(pp259-260 槻木瑞生「満洲における日本仏教教団の異民族教育」)

No.493 2007/11/21(Wed) 18:07:43


『植民地期満州の宗教』その10 / 地の声 引用

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その後の間島星華女学校

一九三四年(昭和九年)十二月二十一日に樋口が辞任すると、翌年一月十九日に谷洞水が新校長として赴任してくる。
谷洞水は一八九一年(明治二十四)十月十二日に山口県で生まれている。曹洞宗第四中学林を卒業し、次いで曹洞宗大学高等部へ進学する。その後に山口県桂光院住職となって、昭和十年に間島へ来る。谷が日本の敗戦まで間島別院にいて校長をしていたのかどうかは不明である。しかしそれなりの功績があったことを認められたのであろう、昭和二十二年に緋の衣を貰っている。これは僧侶として特別なことである(谷洞水の経歴については曹洞宗宗務庁伊東俊彦氏のご教示による)。
こうした経歴は樋口とほぼ似たところがある。しかし朝鮮族教育についてどのような考えを持っていたのかについては、桂光院にもほとんど資料が残っていないとのことで、今のところは良く分からない。ただ樋口の後を継いだということで、樋口と大きな違いはないだろう。
間島の教育は満洲国時代まで主として私立学校が背負っていた。特に中等教育は、龍井にあった光明、恩真、明信、東興、大成の五つの私立学校が朝鮮族教育の中心であった。それが一九四〇年前後から学校の整理が始まり、満洲国の公立教育体系に組み込まれるようになる。本校もこうした当時の満洲国間島省の教育制度改革に従って、一九四四年三月に「協蔭女子師範科」に変わる。この「協蔭女子師範科」なるものがどのような教育をしたのか、どのような組織を持っていたのか現在のところ不明であるが、明信女子中学校の後進である龍井女子国民学校とともに間島省の女子教育の中心に位置付けられようとしていたことは間違いないだろう(注略)。
しかし、一九四五年八月の日本の敗戦に伴って、同校は自然に廃校になったと推察される。

(pp256-257 槻木瑞生「満洲における日本仏教教団の異民族教育」)

No.492 2007/11/20(Tue) 09:06:52


「不平の妙薬」 / 地の声 引用

昭和4年1月1日発行『星華』新年号から

(『星華』は曹洞宗檀信徒用に曹洞教会が発行したパンフレットで、巻頭に管長垂示のある正式なもの。現代語に変更:地の声)

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不平は心身何れかの不健全から起こる。病人は兎角小言ばかり云う。身体が自由にならないからである。教養の足りない者は何かに就けて不平を云う。我儘を押えるだけの心の自由が無いからである。身心共に健全な人に不平のあるべき筈はない。宇宙意思の命ずる儘に自由に而も満悦して活動し得るからである。

不平や不満は向上の道ではない。ストライキに依って成金になった職工は殆どあるまい。又争議に依って地主になった小作人も余り無かろう。不平を並べて其日々々を不快に過ごす代に、少しでも努力の快味を覚るがよい。宇宙意思即ち如来の御心は不断の努力と無限の修養とに依って体得される。

身体の病気に医師と薬が必要である如く、心の病気には師長と自省が必要である。働き得る身体を持ち乍ら而も不平を云ったり怒ったりする者は心が病気に罹ったのだ。されば速やかに師長の診断を受けて教訓と自省とを練りまぜて一服呑むがよい。早くしないと慢性になって一生癒らない。

薬も徂(な)れると利かなくなる如く、教訓も年中聞いて居ると全然利かなくなる。殊に夫れが病気の核心に触れないものに至ってはなおさらである。学校教師の月並式訓諭の如き、朝に晩に聞かせられる親の小言の如きは夫れである。病気が既に慢性になってる上に薬が月並では利く筈がない。

病気の核心に触れて病巣を根本から覆す底の薬餌は宇宙意思の発露たる真の信仰に待つ外は無い。信仰は心病最善の妙薬で如何な不平も悉く消隕する。心病が消癒すれば茲に新たなる生命と活動が生まれる。これこそ感謝に満ちた溌溂たる活動である。宗教的生活とはこれを云うのだ。

知識ばかりを重んじた弊害として物知りを造る為の学校で全国を塞いで居る。稀に宗教や信仰を口にする者があれば頭から冷笑して相手にしない。従って彼等は学生生徒と共に盛んに心病を煩い乍ら一向夫れと気が付かない。精神的結核患者が初期又は無病の生徒を率いて自分同様の患者にして平気で居る。これでは思想の健全な国民が出来る筈はない。

日本婦人の頭髪は素直で強い事に於いて世界に其比を見ない。其素直な髪毛をワザと鏝で焼いて波を打たせ又は縮らかして喜んで居るのが、現代の流行である。先祖伝来の特徴―世界に誇るべき特徴を打ち壊してまでも、外国のマネをしなければ文明でないと思って居るのであろう。自信の無いのも此に至って沙汰の限りだ。これも亦精神的結核患者の一種に相違ない。

思想国難来と云う言葉が出来た。悪思想の為に国家が難儀をすると云う意味でもあろう。成程お気毒千万であるが、然し考えて見るまでもなく、盛んに例の患者を製造し乍ら、今更国難来でもあるまい。廟堂に立つ諸公から先ずもって妙薬を服用して其心病を癒してはどうだ。昭和維新劈頭の仕事は何よりも先ず其辺に在りはせぬか。(子山)

(同書pp14-15)
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いやはや、なにおか況やである。戦前の宗門のレベルとはこんなものである。結核患者への憎しみすらこめられた「差別意識」には、これが仏教者かとのけぞるほどだ。いきなり勘どころで登場する「宇宙意思」も凄い。なにか新手の宗教かと見紛う。

ところで、問題はいまもこのような発想を抱き発言し続ける宗侶がいるという現実である。戦前の思想コントロールの厳しさは聞き及ぶところだが、もう60年以上もたったのだ。おそらく師匠から弟子へと受け継がれてきたのだろう。

このような異常事態はずばり曹洞宗に責任がある。宗門の戦争責任を明らかにせず糊塗してきたから、反省も無ければ再出発もなかった。ある人が「日本軍は「正義」を掲げて侵略戦争をしたため、「正義」を失った」と言ったが、そのまま曹洞宗にもあてはまるだろう。曹洞宗は仏法を掲げて侵略戦争に加担したために、仏法を失ったのだ」と。

それにしても、胸糞が悪くなる文章だ。曹洞宗の黒い部分が凝縮されていると言える。徹底的に批判することなしに曹洞宗をまともな仏教教団にすることはできない。「妙薬」は批判することだ。

No.491 2007/11/19(Mon) 11:03:57


『植民地期満州の宗教』その9 / 地の声 引用

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樋口芝巌と朝鮮族教育

この女子夜学会を実際に企画し、推進さたのは、二三年に曹洞宗から間島別院の院主兼布教師に任じられた樋口芝巌であった。樋口は一八七九年(明治十二)に愛知県に生まれ、曹洞宗第八中学林で修学し、そらに曹洞宗大学林を卒業する。一九一七年から二〇年にかけて「両大本山布教師」という曹洞宗として大変名誉な職務につき、二一年から大本山永平寺単頭に任ぜられた。樋口はこうした優れた経歴を持つ僧侶であった(樋口芝巌師の経歴については、仲彰一『大沢山 龍渓院誌』(昭和五十一年九月)、および曹洞宗宗務庁伊東俊彦氏のご教示による)。
間島では、間島星華女学校を経営するとともに、日曜童話会、間島健児会団、仏教婦人会を組織し、「掲示伝道」「職業紹介」「貧民救済」の布教活動をし、がり刷りの伝道誌「観世音」を発行するというように、活発な布教活動を展開した。一九三四年(昭和九)に間島別院を辞任するが、帰国後には自坊の愛知県豊田市にある龍渓院に戻り、布教とともに地域の社会教育活動を積極的に行った。一九七二年(昭和四十七)に九十三歳で死去するが、誠実な宗教者として生涯を過ごした人と言うことができるだろう。
その樋口が朝鮮族教育にどのような思いを抱いていたかについては、樋口が朝鮮族教育について直接思いを書いた月刊誌「観世音」が現在見られない(かつて龍渓院には「観世音」が所蔵されていたが、事情により現在は見ることができない)ために詳しいことが分からない。しかし前掲「昭和九年度報告書」には次のような「本校ノ目的」が掲げられている。

本校ハ朝鮮婦女子ノ為メニ初等教育ヲ授クルヲ以テ目的トナセドモ一方日本仏教ノ精神ニ基キ信仰ヲ主体トスル精神教育ヲ施シ卒業後ハ一家の主婦トシ良妻賢母ナルハ勿論日本婦人タルノ面目ヲ維持セシムルヲ主眼トス

この「昭和九年度報告書」は外務省へ学校の状況ヲ報告するために書かれたものであるから、外務省の意向に反することは書けない。そのことを割引しても、本校教育の目的として朝鮮婦人を日本婦人とすることを唱えたことは「良妻賢母」を掲げたこと以上に目立つ点である。また「昭和九年度卒業修業証書授与式」では、「勅語奉読」はあっても「回鑾(かいらん)訓民詔書」の奉読や、新京の宮城遥拝といった満州国の教育機関では普通に行われていた式次第がなかった。間島にあった本校は、本来は満州国の教育機関であるから、行事は満州国式に行うべきであるが、これはまさに内地の日本式である。このことからも樋口は間島朝鮮族を日本人として扱おうと考えていたことが分かる。
前掲仲彰一には、樋口が「日鮮同裔(どうえい)を立証する『著書刊行』したとの一行が入っている。おそらくこうした意識も樋口にはあったと思われる。こうした点を含めて樋口の教育意識は、朝鮮総督府あるいは軍部の主張に近いものであっただろう。

(pp255-256 槻木瑞生「満洲における日本仏教教団の異民族教育」)

No.490 2007/11/15(Thu) 10:08:18


『植民地期満州の宗教』その8 / 地の声 引用

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曹洞宗と朝鮮総督府

一九二四年十一月に第二八次曹洞宗宗議会が開かれた。その場で林財務部長が次のような報告をしている。

ソレカラ予テアナタ方ヲ御訪問シテ陳情シテ居ラレマセウガ、浜陸軍主計総監(陸軍主計官浜名寛祐)デスガ、其御方ガ非常ナ曹洞宗ノ是ハ熱心ナル居士デアリマスルガー其居士ガ間島(カンド。中国の朝鮮北部に隣接した一帯で朝鮮民族が多く反日活動の拠点:地の声注)ニ新寺ヲ建立致シマシテ続イテ中学ヲ起シマシテ、ソレデ朝鮮総督府等カラ多大ノ援助ガアル趣デ、中学ヲ造ッテ鮮民ヲ教化シタイ‥‥(曹洞宗『宗報』第六七二号、大正十三年十二月十五日)

林財務部長の報告によると、浜名寛祐は僧籍を持っている者である。一九二三年に五万五〇〇〇円の私財を拠って、朝鮮族を「融和」するために間島別院を作ってくれた。今度は間島に「中学ヲ造ッテ鮮民ヲ教化シタイ」から、曹洞宗としても応分の援助をして欲しいというのである。
五万五〇〇〇円という当時としては巨額な金を、浜名個人の私財から出せるものかどうか。恐らく「朝鮮総督府カラ多大ノ援助ガアル趣デ‥‥」というのはこの辺の事情を踏まえての発言だろう。要するに、間島に朝鮮族教育のための中学を作る企画を持っているが、朝鮮総督府が表面に出ることはできない。従って曹洞宗に間島別院建設という恩を売って曹洞宗にやらせよう。それは表面は浜名の要求であり、その裏にいた総督府の思いであったと推測される。
この結果、曹洞宗宗会は、五年間にわたって総額一万円(現在約2億5000万円:地の声注)の補助金の支出を決める。
ところがその後一九二八年の第三二次宗会には「間島中学林設立費補助金中止ノ件」が提案された(曹洞宗『宗報』第七四三号、昭和三年六月一日)。提案理由は次のとおりである。

間島中学林ハ本宗ノ篤心者元陸軍主計監浜名寛祐氏ノ発議二係ル間島在住ノ鮮人教育ヲ目的トシテ企画サレタルモノニシテ大正一四年度ヨリ五ヶ年賦ヲ以ッテ支出スヘキ補助金中其迄支出シタルモ其後事業ノ成績予期二副ハス遂二半途中止スルノ止ムナキ二至レリ

この時期には同じ間島龍井で、後述する日高丙子郎の経営する光明会の手で、朝鮮族子弟を対象とする永信中学校の事業が展開していたから、あるいはそちらと競合したために曹洞宗中学林の設立が旨く行かなかったのかもしれない。台湾では曹洞宗中学林は一応設立されるが、満洲間島ではこうして中止になる。
ところでこの計画はここで終わったわけではない。「中止ノ件」の説明は続く。

而シテ既二支出シタル金額は仮教室ノ建設費二充当シ目下間島別院二於イテ鮮人夜学会二使用シ居レリ

浜名の計画は中止になったが、今度は曹洞宗間島別院の企画による「鮮人夜学会」を推進しようというのである。ここに言う「鮮人夜学会」とは先に述べた間島星華女学校(曹洞宗両大本山間島別院に付設:地の声注)の前身の女子夜学会のことである。そして間島星華女学校の経営については、前掲の「昭和九年度報告書」は次のように書いている。

間島別院開基浜名寛祐閣下ヨリ間島別院へ寄進サレシ基本金参万円ヨリ湧ク年利弐千壱百円ノ中参百円ヲシテ本校ノ根本資金トナシ此ノ外別に昭和弐年度ヨリ曹洞宗宗務院教学部ヨリ毎年度参百円内外ノ補助ヲ受ケ更ニ昭和八年度ヨリ外務省ノ多大ノ御同情ニ依リ年度金六百円ノ補助ヲ蒙リ又昭和九年限特ニ朝鮮総督府ヨリ参百六拾円ノ補助金下附ノ恩典に浴シ‥‥

浜名の中学林建設の企画は挫折したが、浜名の資金が星華女学校を支えることになる。さらにそれを外務省や総督府が支え、曹洞宗はその一部を支出することになった。こうして浜名の企画は、曹洞宗の名前を借りて別の形で実現したのである。

(pp253-254 槻木瑞生「満洲における日本仏教教団の異民族教育」)

No.489 2007/11/14(Wed) 11:04:40


9条世界会議 来年5月 東京他で / 善福寺 引用

  曹洞宗の偉いお坊さんは 呼びかけ人に
 なって頂きたい。そうすれば 僕らも元気が出ますか ら  名前だけなら不要ですが。以下 参照


2007年7月 呼びかけ人((2007.7.23現在)

青木敬介(全国自然保護連合代表)
浅井基文(広島平和研究所所長)
新井淳一(テキスタイル作家)
有馬頼底(臨済宗相国寺派管長、金閣寺・銀閣寺住職)
ロニー・アレキサンダー(神戸大学大学院教授)
池田香代子(翻訳家)
池辺晋一郎(作曲家)
伊勢崎賢治(東京外国語大学教授、元国連シエラレオネ派遣団武装解除担当部長)
伊藤真(伊藤塾塾長)
井上ひさし(作家・劇作家、日本ペンクラブ会長)
内海愛子(日本平和学会会長)
勝俣誠(明治学院大学国際平和研究所所長)
加藤登紀子(歌手)
鎌田實(医師)
香山リカ(精神科医)
君島東彦(非暴力平和隊国際理事)
古今亭菊千代(落語家)
後藤祥子(日本女子大学学長)
小沼通二(物理学者、元パグウォッシュ会議評議員)
小森陽一(東京大学教授)
斎藤貴男(ジャーナリスト)
佐高信(経済評論家)
マイケル・シーゲル(南山大学社会倫理研究所員)
シキタ純(NPO法人ビーグッドカフェ代表理事)
品川正治(国際開発センター会長、経済同友会終身幹事)
ジェームズ三木(脚本家)
辛淑玉(人材育成コンサルタント) 高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)
田中優子(江戸文化研究家)
谷山博史(日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事)
辻信一(NGO「ナマケモノ倶楽部」世話人)
辻井喬(詩人、作家)
堤未果(ジャーナリスト)
中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)
中沢正夫(医師)
仲田普(弁護士)
中野麻美(弁護士)
成瀬政博(画家)
新倉修(日本国際法律家協会会長)
西野瑠美子(VAWW-NETJAPAN共同代表)
肥田舜太郎(原爆医師)
ピーコ(服飾評論家・シャンソン歌手)
アーサー・ビナード(詩人)
藤原真由美(弁護士)
星川淳(グリーンピース・ジャパン事務局長)
松浦悟郎(日本カトリック正義と平和協議会会長)
丸本百合子(医師)
三浦光世(三浦綾子記念文学館館長)
水島朝穂(早稲田大学教授)
武者小路公秀(元国連大学副学長)
森村誠一(作家)
山内敏弘(憲法学者)
湯川れい子(作詞家・音楽評論家)
ジャン・ユンカーマン(映画監督)
吉岡達也(ピースボート共同代表)
吉武輝子(作家)
渡辺えり子(劇作家・演出家・女優)

No.477 2007/10/31(Wed) 22:08:55

 
Re: 9条世界会議 来年5月 東京他で / 善福寺 引用

>   曹洞宗の偉いお坊さんは 呼びかけ人に
>  なって頂きたい。そうすれば 僕らも元気が出ますか ら  名前だけなら不要ですが。以下 参照
>
>
> 2007年7月 呼びかけ人((2007.7.23現在)
>
> 青木敬介(全国自然保護連合代表)
> 浅井基文(広島平和研究所所長)
> 新井淳一(テキスタイル作家)
> 有馬頼底(臨済宗相国寺派管長、金閣寺・銀閣寺住職)
> ロニー・アレキサンダー(神戸大学大学院教授)
> 池田香代子(翻訳家)
> 池辺晋一郎(作曲家)
> 伊勢崎賢治(東京外国語大学教授、元国連シエラレオネ派遣団武装解除担当部長)
> 伊藤真(伊藤塾塾長)
> 井上ひさし(作家・劇作家、日本ペンクラブ会長)
> 内海愛子(日本平和学会会長)
> 勝俣誠(明治学院大学国際平和研究所所長)
> 加藤登紀子(歌手)
> 鎌田實(医師)
> 香山リカ(精神科医)
> 君島東彦(非暴力平和隊国際理事)
> 古今亭菊千代(落語家)
> 後藤祥子(日本女子大学学長)
> 小沼通二(物理学者、元パグウォッシュ会議評議員)
> 小森陽一(東京大学教授)
> 斎藤貴男(ジャーナリスト)
> 佐高信(経済評論家)
> マイケル・シーゲル(南山大学社会倫理研究所員)
> シキタ純(NPO法人ビーグッドカフェ代表理事)
> 品川正治(国際開発センター会長、経済同友会終身幹事)
> ジェームズ三木(脚本家)
> 辛淑玉(人材育成コンサルタント) 高遠菜穂子(イラク支援ボランティア)
> 田中優子(江戸文化研究家)
> 谷山博史(日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事)
> 辻信一(NGO「ナマケモノ倶楽部」世話人)
> 辻井喬(詩人、作家)
> 堤未果(ジャーナリスト)
> 中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)
> 中沢正夫(医師)
> 仲田普(弁護士)
> 中野麻美(弁護士)
> 成瀬政博(画家)
> 新倉修(日本国際法律家協会会長)
> 西野瑠美子(VAWW-NETJAPAN共同代表)
> 肥田舜太郎(原爆医師)
> ピーコ(服飾評論家・シャンソン歌手)
> アーサー・ビナード(詩人)
> 藤原真由美(弁護士)
> 星川淳(グリーンピース・ジャパン事務局長)
> 松浦悟郎(日本カトリック正義と平和協議会会長)
> 丸本百合子(医師)
> 三浦光世(三浦綾子記念文学館館長)
> 水島朝穂(早稲田大学教授)
> 武者小路公秀(元国連大学副学長)
> 森村誠一(作家)
> 山内敏弘(憲法学者)
> 湯川れい子(作詞家・音楽評論家)
> ジャン・ユンカーマン(映画監督)
> 吉岡達也(ピースボート共同代表)
> 吉武輝子(作家)
> 渡辺えり子(劇作家・演出家・女優)


★★★
ここに 偉いお坊さんの名前が 一人だけというのは
どういうわけだろう。見てみぬふりなのか これが仏教国であるならば どうして一人だけなのか だれか教えて頂きたい。曹洞宗の偉いお坊さんは 賛同してわれわれを導くのが本当だろうと思う。

No.488 2007/11/12(Mon) 16:10:06


『植民地期満州の宗教』その7 / 地の声 引用

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日本仏教は明治維新以来いずれも「護国」をその教義の核心としている。(略)
日本仏教は維新期法令によって軍国主義に奉仕する教義をつくった。「鎮護国家」という教義は日本に古くからあるとしても、資本主義になると新しい意味が出てきた。如光と密接な関係にある日本天台宗の教義は「鎮護国家及び済世利人」で、恒例法要、市四大節、国家祝祭日の他に、さらに天皇講会、肇国会、国祷会、追悼法会等があり、それらは軍国思想に満ち溢れた仏事であった。真言宗の教義もまた「鎮護国家、済世利人」であった。浄土宗の教旨は「人心を化導し以って天業に翼賛せしむ」であるが、その内容は「皇上を奉戴し臣民の本分を守る」、「国法を恪守し社会の公益を興す」というものを含んでおり、軍国主義の時代において「忠君愛国」は事実上、対外侵略であった。臨済宗の総則は「本尊はまず必ず今上天皇の聖寿万安の尊牌を奉じ、国家鎮護の道場を表す」と言っている。曹洞宗の教義は「即心是仏を承当し以って国家報効の大義を実践す」である。ここではひとつひとす引用して述べないが、当時、日本軍国主義国家は日本の仏教と深く関係していたのである。(略)
日本帝国主義が中国に向かって侵略している時、宗教もこの時期に投じて外に拡張していった。日清戦争、日露が満洲を争奪した日露戦争、とりわけ満洲事変や中国東北地方を占領した後に、日本の宗教がなだれ込んできた。軍に従って出征し、亡霊を祈祷し、将兵を慰問し、土地を奪って寺院を建立し、出張所を設け、分院や別院を建立したが、時には銃口を中国人に向けることもあった。

(pp87-89 呂元明「『満洲』における如光 −日本植民地満洲国の宗教政策について−」)

No.487 2007/11/11(Sun) 09:03:12


『植民地期満州の宗教』その6 / 地の声 引用

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同年(一九三四年:地の声)九月、「満州国仏教護法会」は正式に創立された。式典は般若寺で挙行された。会長は植田貢太朗、副会長は如光と澍培であった。
植田会長は就任の挨拶で、「強大な日本には三つの神通力を持った宝物がある。すなわち天照大神、天皇、仏教を信仰することだ。満州国は強国になろうとするならば、必ず全国民が仏教を信仰しなければならない。この任務が達成されるか否かは皆の宣伝と普及如何にかかっており、如光と澍培の努力に頼っている(注略)」と述べた。
統治者の演説は力がこもっており、協議する余地がなかった。日本の「神道」はその後「満洲国」の「国本」となった。
植田は、「仏教と神道は同じもので違いがない。満州国は王道楽土で、みなここで生活し、争いがなければ混乱もなく、苦しみがなければ憂いもない。仏教の発展は政治上の不足を補うことができ、人心を日一日と良い方へと向かわせる(注略)」と説明した。
また植田ははっきりした態度を示して、「私はこの護法の責任を引き受けている以上、必ず力を尽くしてその名に恥じないように努力する。今後、仏教に何かあれば、私が必要な時は直接私に知らせてもらいたい。決してみなさんからの推戴を無にすることはない(注略)」と言った。
そして最後に、「私はさらに最高行政機関の国務院に提案をしなければならない。国務院から各レベルの行政区画、つまり省、市、県、区がすべての仏教寺院と仏教徒を保護するという同文の命令を出す(注略)」と述べた。

(p.72 呂元明「『満洲』における如光 −日本植民地満洲国の宗教政策について−」)

No.486 2007/11/10(Sat) 09:34:45


『植民地期満州の宗教』その5 / 地の声 引用

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再編された満洲仏教の現地民族への布教の実体がどのようであったかが重要であるが、現在報告されているところでは、「満人僧侶」の説くところは日本主導の施策への忍従を仏教説によって強いるものであったという(注略)。ロシアに占領されると仏教が禁じられ、仏教徒は殺されるとし、それよりは日本勢力の庇護の下に忍従して「満洲国家」建設に雌伏の時期を送り、反共に徹するとともに抗日行動は控えようと諭すものであったと告発的である。
満洲仏教の説くところは、ロシア及び西洋物質主義に侵された者は排除されるべきとされ、仏教に基づく東洋的精神を培って新国家建設に殉ずるのがあるべき仏教信仰者の姿であるという。当時の中華民国は共産主義に汚染された迷妄の国家であり、理想国家は日本の後押しによってのみ建設可能であるから、たとえ肉親が日本に殺されることがあっても、大きな理想の前に仏教的怨親平等の精神でもって対処すべきであるとしたようである(注略)。
仏教を東洋精神の発露と見て西洋的世界との対抗原理に置くのはアジア仏教に共通する要素であるが、それを貫く限りは西洋との関係において絶望的でしかなかった。また東洋内部においては仏教を軸にどこまでも連帯が可能であると楽観することも、また仏教の国家間におけるあり方の差異を無視した暴論だったとしなければならない。

(pp53-54 木場明志「日本仏教の満洲布教と現地仏教再編の試み」)

No.485 2007/11/09(Fri) 11:57:02


「もの申す」二周年に寄せて / 地の声 引用

宗門唯一の良識「曹洞宗にもの申す」が二周年を迎えた。その歩みは曹洞宗改革の歩みそのものだ。有道会「天の声」が消えた。会派不正会計が明らかになった。関係者が除名となり、いま刑事告訴される。同時並行して多々良裁判が曹洞宗の不正を暴きつつある。

ことは有道会に留まらない。宝珠企画がそれぞれの「天の声」の共通項となっていることも明らかになり、總和会の不正もいままさに明らかにされつつある。

このような展開のなか、全国のもの言わぬ宗侶たちが宗政に関心をいだき、不正糾弾の声をあげてきたことは曹洞宗の長い歴史にこれまで無かったことだ。曹洞宗の民主化がいまようやく始まった。

この流れはもはやだれも止めることはできないだろう。不正究明と改革は歴史的必然である。いくら残存勢力が反動姿勢をとり全国の声を封殺しようとしても敵わないことを知るだけである。

ハード面の改革(公正・公開)は、曹洞宗の本質にも及ぶだろう。それは世のため人のためにある仏教教団としての本義に還った宗教活動をおこなうことだ。腐った容器を捨てることにより中身が生きる。それが改革運動の最終到達点となるだろう。

心新たに一致団結して曹洞宗改革に取り組もう。声をあげよう。不正を断じて許すまい。まさに仏恩を報ずるために起て!全国の良識ある宗侶たち。夜明けは近い。

No.482 2007/11/08(Thu) 06:15:24

 
Re: 「もの申す」二周年に寄せて / 坐禅修行者 引用

「もの申す」二周年おめでとうございます。在家で坐禅をさせていただいている者を代表してお祝い申し上げます。曹洞宗が一日も早く仏教本来の姿を取り戻す日が来ますようにかげながら応援しております。

No.483 2007/11/08(Thu) 13:42:21

 
ありがとうございます / 地の声 引用

久しぶりにブレヒトの詩を・・・

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きみたち、ぼくたちが沈没し去る高潮から
うかびあがってくるだろうきみたち、
思え
ぼくたちの弱さをいうときに
この時代の暗さをも、
きみたちがまぬかれえた暗さをも。
じじつぼくたちは、靴をよりもしばしば国にはきかえて
絶望的に、階級間のたたかいをくぐっていったのだ
不正のみあって、怒りが影をひそめていたときに。

とはいえ、ぼくたちは知っている
憎しみは、下劣なものにたいするそれですら
顔をゆがめることを。
怒りは、不正にたいするそれですら
声をきたなくすることを。ああ、ぼくたちは
友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は
友愛をしめせはしなかった。

しかしきみたち、いつの日かついに
ひととひととが手を差し伸べあうときに
思え、ぼくたちを
ひろいこころで。

(ブレヒト an die nachgeborenen 「あとから生まれるひとびとに」3)

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けっして弱気ではありませんからご心配なく。

闘うものはつねに賛同と後継を期待するものです。

がんばりましょう。

No.484 2007/11/08(Thu) 22:04:24

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