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心覚えとして / 地の声 引用

「本宗の緇素(しそ)宜しく其の総力を挙げて国難に赴き率先垂範挺身奉公祖先の遺風を顕彰して雄渾なる皇謨を翼賛し以て皇恩に報い奉らんことを期すべし。」(太平洋戦争開戦時の管長告諭。『仏教タイムス』08.1.1号より)

(注)緇素‥黒衣と白衣、すなわち出家と在家のこと

この告諭からもわかるように、先の戦争を反省するということは「天皇」中心の国家観および世界観を反省することである。曹洞宗が天皇制や当時の教団活動をどのように批判し反省したか、過分にしてわたしは知らない。

問題を曖昧にして、先に進むことなどできない。

何度も書いたが、内山愚童は「天皇制」に反対したのである。いま曹洞宗が人権啓発ビデオで愚童をとりあげるならば、天皇制批判は絶対避けて通れないはずだ。はたしてどう誤魔化しているのか、見るのが楽しみのような気もする。

No.504 2007/12/30(Sun) 13:17:18


抽象から具体へ / 地の声 引用

そもそも「具体的事実」から「抽象化」が行われるものだが、えてして抽象化は一人歩きし、元々の具体的事実から離れてしまう場合が多い。

宗教は人間の苦しみという「事実」から生まれた「抽象」だと思うものだが、いまの曹洞宗を見ていると、その乖離甚だしく、仏教ですらないように思われる。金と不正とごまかしと、権力による支配。これらはみな人間の苦しみの「具体的事実」を作り出した元凶であって、だからこそお釈迦さまも宗門の祖も徹底的に否定したものだった。

いま宗門は改革にむけて産みの苦しみのなかにある。どんなことがあっても成し遂げなければならない。闘いの中で大切なのは「抽象化」という危険をできる限り排除し、具体的な事実のみに目標を定めることである。「善悪併せ飲」んだりしてはいけない。「人間なんてそんなもの」と「同情」することが仏教者のとるべき道ではない。

先日驚くべき記述に出会った。

「‥又隣の中隊の召集少尉はN(あえて地名は避ける:地の声)の或る寺の僧侶で、話も上手だが何より人を殺すのが好きで、人の分まで引き受けて首を切っていた。切っては拝んでいた。やはり精神に異常を来し皈へされた」とあった。(季刊『戦争責任研究』第58号 p.13)

仏教者が戦争責任を論じるということは、このような「具体的事実」をどう反省し今後どう取り組むかであって、「戦争だからしかたない」と「抽象化」しうそぶくことではない。

宗門改革もそうである。誰が何をしたのか、しなかったのか。それが問題である。それを総括しないで、いかにも「坊主」くさい分別で問題を無化してはならない。真の改革のためには「事実」だけが全てである。ゆめゆめ誤魔化されてはならない。

No.503 2007/12/28(Fri) 10:47:40


曹洞宗の民主化を訴える / 地の声 引用

曹洞宗の民主化を訴える  ー2007年の総括にかえてー

いま有道会の会派不正会計が大きな話題になっている。しかし、問題が「会計問題」に矮小化されてはいないだろうか。この問題が勃発した背景には多々良問題があり、多々良学園の民事再生という常識で考えれない事態となった理由がいまの曹洞宗の腐敗権力構造に原因があるのであって、いわば会派不正会計問題は「本丸」ではなく「隅櫓(すみやぐら)」なのである。これを落としただけで問題は解決しないのは当然だが、しかし逆に言えばこれを落とさないことには本丸には到達できないとも言える。

1979年、混乱する曹洞宗をなんとか収めようと第46回通常宗議会は「選挙制度変更案」を上程し、曹洞宗は系別・同数制、宗務総長の系別交互の二年交替制へと踏み出した。いわば苦肉の策だった。(1979年は例の町田差別発言と同年である)

この新制度は永平寺系総持寺系の確執をある意味解消した(それぞれの会派内部に確執が移動した)が、流動性のない硬直化した新制度は当然のことながら権力者を生み出し、いわゆる「天の声」の権力は絶大となった。会派内の議論、議会での議論はすべて「天の声」のおぼしめしにかなうものでなくてはならず、反対を唱えるものは容赦なく切り捨てられてきた。対派を「仮想敵国」とし、組織固めをしてきた。そうして陰では両会派の「天の声」がよろしくやってきた。新制度は宗門の混乱を解決した代償として、権力化(ファッショ化)を許し、社会に対応し現場の声を反映させるというもっとも大切な「民主制」を失ったといえる。

多々良問題もそんな権力構造が生み出した鬼子だった。

宗制には議員の系別は明記されているが、「有道会」「総和会」という言葉はひとつも出てこない。これら現在の会派は基本的に任意の団体である。この事実を知らないのか勘違いしているのか、あるいは既成事実として批判することなく受容されてきた時間が長すぎて麻痺してしまったのか・・、たとえば寺院僧侶が宗議員になろうとすると、系別ではなくどちらかの会派に属さなければならないと思い違いをしているようだ。

もとは任意の組織(いまでも規則上そうだ)が、これほどの力を影響力を持ちえたのには、トップから末端寺院にいたるまでの周到な組織固めがあった。それを批判する僧侶がいなかった・・この二つが指摘されると思う。

いまでもその構造は変わっていない。たとえば「恩金」問題が本家「もの申す」で議論(なかには議論という名に値しないものもあるが)されているが、恩金が任意団体の活動資金となっていることは異常であり、そのことに思い至らないほど会派権力による暴力が通底している現実に驚く。会派は会費によって運営されるべきものである。この理屈が分からないものは、その辺を散歩している犬にでも訊いてみるがいい。犬にすら嗤われる非常識的制度である。

曹洞宗の不正の温床はいまの二大会派にある。制度変更後うすら30年も経った。すでに歴史的使命は終わった。形骸化した二大会派に残ったものは曹洞宗を食い荒らす権力だけである。

曹洞宗は「民主化」されなければならない。そのためには厚い権力の壁である「有道会」と「総和会」を解体しなければならない。任意の諸派が生まれなければならない。宗侶は既成会派を批判して立つべきであり、それに頼ってはならない。地方の良識ある支部は独立すべきである。

激しく動く世界と社会。いまの曹洞宗では内部消耗と「治安維持法」にしばられて、とても即応できない。これは宗門にとって大きな不利益である。来る新年を曹洞宗民主化元年としよう。現場の声が届くような宗門の改革元年としよう。

No.500 2007/12/21(Fri) 09:40:54

 
Re: 曹洞宗の民主化を訴える / 坐禅修行者 引用

>激しく動く世界と社会
日本は今、まちがいなく弱肉強食社会、富める者と貧しい者が二極化する世界へ向かっています。欧米の場合はキリスト教がクッションの役割をして極限の状態に至るのを防いできました。しかし現状の日本でこの二極化が進行すると歯止めになるものがなく、社会に深刻な状況がもたらされるでしょう。仏教者一人一人が心の自由を取り戻し、このことに心を留めること、そして自分ができるのは何かを考え続けること。これは急務であり、組織や資金の改革とも不可分であると私は思います。

No.502 2007/12/26(Wed) 12:38:19


海南友子「にがい涙の大地から」を観る / 地の声 引用

今年、中国の旅でお会いしたMさんはABC企画委員会のメンバー。南京から上海への「新幹線」の車内で、731部隊が投棄してきた毒ガス兵器による被害は現在も続いていることを知った。毎年2〜3人が被害に遭う。毒ガスの被害者は治療のしようがない。一生苦しむ。生活が崩壊する。

日中のとりきめで戦時中の補償を放棄したこと、保険制度のない中国の医療は莫大な金がかかること、日本は「とりきめ」を楯に被害者の救済に取り組まない。被害者はだれの助けも得られず放り出されている。

2003年、黒竜江省の被害者らが国に補償を求め裁判をおこした。一審東京地裁判決は国の責任を認め原告が勝訴したが、国は直ちに控訴。今年7月、東京高裁は一転原告の主張を退け「不当判決」を下した。

この映画は、夢・希望・人生を奪われ、生きるちからを失ってしまう毒ガス被害者の悲痛な叫びに溢れている。「死にたい」とかれらは言う。自分はどうしたら助けることができるのだろうと自問する。仏教者としてなにができるのかを自問する。

この国は侵略戦争責任をごまかしつづけてきた。それによって、さらなる戦争責任を負ったと言える。政府レベルの取り決めなど、「人権」という見地から言えば屁に等しい。そもそも「人権」に国境はない。自ら投棄した兵器によっていまでも苦しむ人たちを無視することが「人権」を甚だしく侵害しているという事実に思い至らない。なんとも「貧困なる精神」ではないか。こんな国に住んでいることをとても恥ずかしく思う。

責任を果たすことは、自他ともに救うことでもある。

仏教者たるもの、戦争責任を決して無化してはならないと思う。「慈悲」などと、とても語ることができない。嘘をつくことはできない。仏教者になれないのである。

遺骨収集をおこなう曹洞宗は国及び自らの戦争責任を明らかにしなければならない。それこそが遺骨がもっとも願うことだ。そのとき初めて遺骨と心が通い合う。これが「平和」を標榜する仏教教団がなすべき「第一歩」でなくてはならない。曹洞宗は「戦争責任研究センター」を即刻立ち上げるべきである。

毒ガス被害者の叫びが耳の奥にに残っている。なかなか消えそうにない。

[参考:DVD「にがい涙の大地から」]
http://kanatomoko.jp.todoke.net/nigainamida/niga_index.html

[参考:ABC企画委員会]
http://members2.jcom.home.ne.jp/wa-chiyoko/

[参考:中国人戦争被害者の要求を支える会]
http://www.suopei.org/index-j.html

No.501 2007/12/24(Mon) 07:41:05


安海龍「オレの心は負けてない」を観る / 地の声 引用

在日朝鮮人「慰安婦」宋神道(ソン・シンド)さん。16歳で日本軍によって「慰安婦」とされ終戦まで(24歳)性奴隷として筆舌尽くしがたい悲惨な目にあう。

死産の嬰児を自分の手で引き出したこと、頭上弾丸飛び交う塹壕で死期迫った兵士を「慰安」させられたこと、終戦時帰国する軍曹に「結婚しよう」と騙されて日本にきたら売春婦として利用されそうになったこと・・。鬼哭啾々たる凄まじい内容だ。

わたしが今年お会いした「春姫(ぺ・チュンヒ)ハルモニは北島三郎のフアン。蕎麦が大好きだ。自分を苛んだ「日本」文化が身に浸み込んでいるのは悲しいことだ。宋さんも同じで、歌えば軍歌、朝鮮の民族衣装は嫌いだという。しかし「ナヌムの家」でイ・ヨンスさんらがふるさとの歌を歌ったとき彼女は大きく泣き崩れた。

彼女は「在日の慰安婦裁判を支える会」と日本に謝罪を求める。この映画は裁判を縦軸として、「支える会」の日本の良心と宋さんとの交流を横軸として展開する。

裁判は結局最高裁の棄却・原判決確定(国家無答責・時効)で終わる。宋さんは敗訴する。

一審で敗れたとき宋さんは支援者に言う。「控訴するかどうかはオレの問題ではない。おまえたちがやるかやらないかが問題だ」。支援者は気づく。「宋さんを救うことは自分が日本の侵略戦争責任を果たすことである」と。

曹洞宗はいま遺骨収集に取り組んでいる。それは大事なことなのだが、遺骨の背景にある戦争責任やいまでも悲惨さにあえぐ人たち及び無関心な日本人のことをどれだけ重く認識しているのだろうか。遺骨収集に取り組むことは宋神道さんのような人たちひとりびとりに仏教者として寄り添うことでなくてはならないし、無関心・無責任な日本人に仏教者として反省しつつ強く反省を訴えていくことではないだろうか。

彼女はいまいわば「拾われた」朝鮮人の男性(死去)の御霊を守りながら岩手県で犬とともに暮らしている。

仏教者として必見の映画だと思った。さて・・あなたはこの映画を観てどう立ち上がるのか!

(2007年/95分/カラー 制作・配給「在日の慰安婦を支える会」 ポレポレ東中野http://www.mmjp.or.jp/pole2 で12月30日まで上映)

No.499 2007/12/16(Sun) 19:54:13


にせもの / 地の声 引用

<今年の漢字>「偽」に決定 食品偽装問題に高い関心

07年の世相を表す漢字は「偽」−−。日本漢字能力検定協会主催の「今年の漢字」が12日に決まり、京都市東山区の清水寺奥の院で発表され、森清範貫主(かんす)がパネル(縦1.5メートル、横1.3メートル)に「偽」の一字を揮毫(きごう)した。

 全国公募で選び、13年目の今年の応募総数は9万816通。「偽」は1万6550票(18.22%)で、2位「食」(2444票)、3位「嘘」(1921票)、4位「疑」(1848票)を圧倒。食品偽装問題など暮らしに直結する「偽り」に、高い関心が寄せられた。【武井澄人】 (毎日)

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清水寺・森清範貫主のコメントがいい。「恥ずかしい」と。私はこの発言が恥ずかしい。

どこか、時流に乗った他人事の発言と思ったのは私だけだろうか・・。

では訊く。清水寺はいまの社会の「市場原理主義」のひずみのなかでどんな教えを説いてきたのか。どう批判してきたのか。どう行動してきたのか。商品にさらに価値を加えるとき「偽」は常識である。仏教者もそれに迎合し利益を得てきたのではないか。

仏教者たる矜持を喪失し、時勢におもねいて筆をとる・・不快極まりない。

No.498 2007/12/12(Wed) 21:29:33


『植民地期満州の宗教』まとめ / 地の声 引用

13回にわたって『植民地期満州の宗教』(柏書房)から引用した。日帝侵略戦争に仏教教団がどのように加担し、他民族を宣撫してきたのか概略が明らかになった。貴重な論集である。「仏教の戦争責任」の重さと、それをいまの仏教者がどう乗り越えていくのかが理解されたのではないだろうか。

ところで、この書の最終章(『満洲引揚げ日本人布教者たちの六十年前の声』木場明志)に8月9日のソ連参戦によって引揚げした真宗布教従事者らの帰還報告書が載っている。仏教の戦争責任は教団とともに個々の僧侶の問題でもある。そういう意味で貴重な資料である。

「避難のため村を捨てることになり、仏具などを箱に入れて貯蔵庫に収め、土をかけて深く覆った。本尊は箱に収めて打敷(仏壇を飾る布)に包み、背負って引揚げを開始する。家財を馬車に乗せ、妻は次男を背負い、自分は長男を背負い、左肩に本尊、右肩に銃を担いで出発。」(同署p.413 1945年8月18日)

布教師が「銃」と本尊を両肩に担ぐという箇所に驚愕を禁じえない。これが満洲での布教実態である。どこに仏教があるのか?

「先月八月から奉天別院は日本人居留民会によって救急所に指定されていたが、一万人も死んだのに回向も講和もしない宗派や、行っても礼金を取ることが通常で、高い埋葬料を要求する宗派さえあった。『この無一文の(人びとの)救急所に行き、洋服に輪袈裟のみで避難者を力づけ、金銭を度外視して死者に対する回向をしていたならば、本当に生きた外地における開教だったと思う。』」(同書p.416 1946年5月13日)

この報告は貴重だ。ここに仏教者の戦争責任意識と反省がある。

同書によれば、引揚げにさいしての悲惨な状況報告がほとんどを占めていて、いわゆる戦争「犠牲者」としての認識はもっているが侵略戦争の「加害者」であることの認識がない。これらの僧侶たちが戦後「仏教の戦争責任」を真剣に考えられるはずがないのである。そして、彼らを父とした、あるいは師匠とした次世代の仏教者たちが「戦争責任」を認識することは不可能であることは自明の理である。いまわたしたちはそんな状況下で仏教者となっていることを深く認識すべきである。

曹洞宗は「懺謝文」を出し、自らの戦争責任を明らかにした・・ということになってはいる。このたび渕宗務総長は「談話」を出し、
「仏教者は、仏陀が指し示された崇高な教義の道を歩み、戦争のない平和への貢献を目的とし、全人類の願いとして、さまざまな差別や抑圧等から人々を守るしくみの実現を深く念願」しているという。

ここまで言い切る曹洞宗に、いまだなぜ「皇国史観」をかたる布教師だのが存在するのか?

それは建前は戦争に反対し平和を希求しながら、本音では戦争責任をあきらかにしない・・真摯な反省がないからと言える。この談話にも見られるように「戦争」という観念的くくりが問題なのだ。77年前に勃発した中国での「戦争」は「侵略戦争」であった。侵略戦争と戦争一般を同一視するから責任や反省が生まれないのである。自分の身に置き換えて考えてみるがいい。いきなり侵略者が自分の家を襲い妻や娘を強姦し略奪し殺すことを・・・。曹洞宗はそんな戦争に加担したのである。戦時中他民族を殺戮するために軍用機を4機も寄付したのである。かの沢木興道は「念彼観音力」をもじって「念彼軍旗力」と言い、侵略戦争を擁護した。従軍僧の非道は一般兵士以上だった。スコップで首を打ち落とし、強姦・略奪を率先しておこない範をたれたほどだ!

曹洞宗は戦争責任を果たすことなく反戦や平和を語ることは欺瞞である。反省なき決意などありえない。

曹洞宗は町田差別発言から「人権」を標榜するようになった。差別図書の回収もおこなわれるようになった。そんな中に『曹洞宗海外開教伝道史』がある。先に引用したように侵略地で日帝侵略軍の下請けとして宣撫工作をした布教師らの生の言葉が記録されている。当然のことながら中国人に対する差別語に溢れているため、曹洞宗はあせって回収した。・・これでいいのか?くさいものにふたをして、なかったことにして口を拭っていいのか?宗門が真に戦争責任を受け止め、あらたな一歩を進めるためには、深い反省と批判を込めて勇気をもってこの記録を公開すべきである!そして、侵略戦争の本質と曹洞宗の誤った道を深く反省すべきである。いま、そのことが強く求められている。こぎれいな言葉など、もう聞きたくないのだ。総研は真宗に習い、曹洞宗の戦争責任研究チームを発足させるべきだ。折角の「遺骨収集」の取り組みも曹洞宗の戦争責任が背景になければ、ただのポーズと揶揄されてもしかたないだろう。

これから宗門を担う若き宗侶に正しい道を示せ。身を削り血を流し正しい道を示せ。それが禅者の覚悟というものではないか。

No.497 2007/12/06(Thu) 19:54:29


12月9日 人権デー パレード@渋谷(転載) / 地の声 引用


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12月9日 人権デー パレード@渋谷
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アセアンに人権と自由を!--Human Rights and Freedom for ASEAN --
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想像してみてください。

私たちの隣人アセアン諸国の人たちのかけがえのない人権の『いま』


1948年の12月10日、パリで、「すべての人は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」で始まる「世界人権宣言」が採択されました。


この日を記念して、12月10日は人権デー( HumanRights Day) といわれています。
では、いま、このアジアをみると、かけがえのない人権と自由がすべての人に保障されているでしょうか? 

私たちは、深刻な人権侵害が続くビルマ、フィリピンなどアセアン諸国の友人たち、国内のNGOの方々とともに、アセアン地域の人権の回復を求めるパレードを企画しました。
今年8月、ビルマ情勢が大きく報道されましたが、人権と自由の回復を求めていているのは他のASEAN諸国の人々も同じです。世界人権デーにあたって、同じ民主主義、人権、自由を求めるアジアの人々と連帯し、共に声をあげたいと、ビルマ人、フィリピン人のスタッフが協力し、現在パレードの準備をすすめています。

先月シンガポールで開かれたアセアン首脳会議で、アセアンの憲法ともいうべき、アセアン憲章が採択されました。そのなかには人権に関する条項や人権に関する機構の設立も盛り込まれています。
いま、アセアンの人権状況改善を世界が注目し、なによりアセアンに住む人々が求めています。

パレードには、民主化を求めるビルマからたくさんの方が参加されますし、人権活動家の殺害の解決を求めるフィリピンからも、子どももふくめてたくさんの参加が予想されています。


渋谷の街をアセアンの友人たちと一緒に、人権を訴えてパレードをしましょう!
ぜひみなさま、ご参加ください!

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●日時: 2007年12月9日(日)

●集合場所:恵比寿公園 (恵比寿駅西口徒歩3分)
        住所:渋谷区恵比寿西1-19-1 

▽地図
http://www.shibuyaku-town.com/photo/map.php?ai_id=0018756&icon=no


●スケジュール:
13:00 恵比寿公園集合(スピーチなど)
13:30 パレードスタート
15:00 UN大学前を通って、明治公園到着、解散

※通常徒歩40分〜60分の行進ルートですが、余裕をみて90分と考えています。

●主 催:
アムネスティ・インターナショナル日本
ビルマ民主化共同行動実行委員会(JAC)
MIGRANTE-JAPAN
ヒューマンライツ・ナウ
ビルマ市民フォーラム

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No.496 2007/12/06(Thu) 08:58:26


『植民地期満州の宗教』その13 / 地の声 引用

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大陸における開教と教育活動

しかしこの異民族開教への動きは、満洲だけに止まっていたわけではない。さらに日中戦争が満洲から中国大陸へ、さらに東南アジアへと広がると、「宗報」にも「支那の現状と宗教工作に就いて(古坂明詮「宗報」三四号昭和十五年十月五日)」などといった題目の論文が掲げられてくる。このことから、開教への関心が、戦争の拡大と平行して広がっていくのが分かる。その動きには、宗教活動からの必然性というよりは、これまでも述べてきたように、陰に陽に、教団が政府や軍部の意向を忖度した結果であったと言うべきであろう。
一九四〇年の「宗報」には、「新体制に即応して宗風を宣揚せん 北支布教師会結成さる」という記事が見られる。この北支布教師会は宗教家として(の)立場から活動しているというよりは、当時のことばで言うならば「臣民」としての意識が先にたっている。それは北支布教師会が次のような決議をしていることからも分かる。

率先して生活を刷新し自粛自戒して以って臣道実践をなすこと
威儀行式を通じて日本精神を鼓吹宣揚すること
総ての行式は精神を主として簡素厳粛にすること(注略)

これは曹洞宗だけでなく、大陸の開教活動を強化するために設立された「対支布教師錬成会」についても言える。「対支布教師錬成会」は「神道教派仏教宗派及基督教教団が共同して対支派遣宗教教師に対して必要なる錬成をなすを以って目的」としていた団体であったが、その「錬成科目」は次のようなものであった。
ア、訓育 (1)精神訓話(2)日本精神(3)行(4)懇談会・自習
イ、学科 (1)東亜新秩序建設(2)思想戦史(3)東亜事情(4)日本語
ウ、術科 (1)教錬及体操(2)大陸衛生並に救急法(3)見学 (「曹洞宗報」六五号、昭和十七年二月一日「大陸開教活動を強化  対支布教師錬成会設立さる」)

しかしどの項目を取っても、神道をも含めてそれぞれの宗教がこれまで掲げてきた精神からは、いささか外れるものがあった。
そしてこうした宗教家の活動の中で、先に満洲について述べたように、教育活動が強く意識される。例えば前掲の「曹洞宗報」は、山下黙応が山東省で行っていた教育活動を、「布教と教育は日華を結ぶ身行 開教当時を語る山下師」という見出しで、大々的に伝えている(曹洞宗報」三七号、昭和十五年十二月一日)
一九四一年には、徐州正法寺主任丸田活龍が「徐州日本語学校の成果」という題目で、次のように報告している。

皇軍に信頼せしむる宣撫工作の具体化と、黄人青少年をして日語を通じて我が帝国の真意を体認せしむる目的を以って一昨年八月徐州に日本語学校を創立し、十二歳より廿五歳迄の学生壱百参拾名を三班に分ちて日語と会話を課し、専ら精神教育に重点を置き、第一回は壱百廿七名の卒業生を育成した‥‥(「曹洞宗報」三九号、昭和十六年一月一日「中華に於ける本宗日語教育の進展 徐州正法寺主任丸田活龍」)

一九四三年の日中戦争末期の「曹洞宗報」は、「現勢に特筆すべきは風井寺山下主任の経営せる風井学校である。」と書いている。その記事の中では、華北にあった風井学校は六〇〇余名の生徒を抱え、その上にこの年から実業学校も併置するなどの活躍があったために、前年には「御下賜金」をいただいたと、その仕事の状況を解説している(「曹洞宗報」八七号、昭和十八年一月一日「北支に於ける宗門開教の現勢と将来に就いて」北支布教総監河合真英、この他に山下黙応の活動については「曹洞宗報」九三号、昭和十八年四月一日「支那民衆と共に生く 在北支 山下黙応」)。
また済南大覚寺付属の興亜女学校の名前も「宗報」や「中外日報」などの宗教関係紙に繰り返し出てくるものの一つである(「曹洞宗報」三四号「姑娘に禅と剣 済南興亜女学校の学風」および前掲八七号記事)。この興亜女学校は一九三九年に開校したもので、「禅的に教養の外に、お茶 お花 木剣」を教え、四〇年九月には第一回卒業生を出したという。

(pp290-292 槻木瑞生「満洲開教と曹洞宗―異民族への教育活動を中心に―」)

No.495 2007/12/03(Mon) 09:48:53


『植民地期満州の宗教』その12 / 地の声 引用

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満洲事変前後に「曹洞宗満蒙協会」が作られて、細々と満洲開教へ動き出した。それが一九三七年五月には「曹洞宗満州布教法」が制定されて、満洲開教への動きは急速に強まって行く。それも異民族教化が主要な課題となって行く。
「宗報」八六三号(昭和八年六月一日)には、「満洲国黒竜江省齋齋哈爾開教所報」が掲載されている。その内容は、昭和七年十一月二三日には同開教所に神野坦道が着任したことが報告されていて、そのことに「長年中等教育二経験アルヲ以テ、満洲人二対スル教育方面二着眼シ、其ノ計画二専念シ、近ク其ノ具体案ヲ発表ノ予定ナリ」とのコメントが付けられている。「宗報」九一〇号(昭和十年五月十五日)では、朝鮮特派布教師中根環道に対して、「朝鮮及満州国ノ宗教並二教育事情ノ視察ヲ命ズ」との命令が出されたことが記されている。このように異民族に対する布教が重要視されるようになると、布教にとって教育、特に学校の設立が有効だという考えが強調され始める。この考えは満洲だけでなく、これ以降の中国大陸を含めたアジア開教の、さまざまな側面に見られるようになる。
一九三七年の第四六次宗会では、教学部長奥村洞麟が「大満蒙布教策確立ノ第一歩ト致シマシテ満州国枢要ノ地即チ満州国国都ノ新京二我ガ両大本山ノ別院ヲ建設シタイ考エデアリマス」と報告している(「宗報」昭和十一年二月十五日)。この宗会の半年後には、「任満州国両大本山別院建設委員」として来馬琢道、清水文雄、蔵山光瑞、村上道隆などの大物が動員されることになる(「宗報」昭和十一年六月一日)。翌年の一九三八年には「満洲布教法」が、「宗務院ハ満州国ニ宗風ヲ挙揚シ且日満親善ノ増進ヲ図ル目的ヲ以テ満州国必要ノ地ニ寺院及布教所ヲ設置ス」と規定する(「宗報」昭和十ニ年五月一日)。こうして曹洞宗だけでなく、すべての宗派が全面的な満洲開教に突入して行く。

(pp289-290 槻木瑞生「満洲開教と曹洞宗―異民族への教育活動を中心に―」)

No.494 2007/12/01(Sat) 09:57:55

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