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仏教者の戦争責任(4) / 地の声 引用

澤木興道(さわき こうどう 1880年6月16日 - 1965年12月21日)

各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。 「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%A4%E6%9C%A8%E8%88%88%E9%81%93

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・・勝つことなしと雖も而も負けることなし。負け勝ち以外に天の太陽の如く赫々としてこの人生を見誤らない、又この自己を誤らないことが即ちこの流儀である。・・我々が自己の職域に於て、工場にせよ或は第一線(戦場の最先端:地の声注)にせよ、銃後にせよ、お台所にせよ、石炭くべにせよ、一切の所この勢いで持ち場に就く。その持場々々で死ぬ。命を賭してその持場を守るということが、このせっぱ詰った現在に我々のどうでもこうでもやらねばならんことである。ここに勝つことなしと雖も負けることなし。この負けることのない時に必ず勝っておる。それまでに先ず自己に克つ。これが人生の秘訣ではないかと思う。

(澤木興道「必勝禅談」『大法輪』昭和19年10月号 p.17)

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昭和19年9月、フィリピン沖で海軍連合艦隊が全滅した。敗戦色濃いおりから、観音経「念彼観音力」をもじって「念彼軍旗力」と言った勢いはもうない。現状容認、侵略戦争容認という形で戦争協力した澤木興道。もはや逃げ場は観念の世界にしか残っていなかった。

仏教者の克己心とは、仏教の原点に還り戦争賛美を深く反省し、戦争に反対することであったはずだ。15年戦争での日本の死者は約310万人。終戦を迎える一年間がその3分の2以上を占めるという。無意味な死を煽ったこの責任は限りなく大きい。

No.517 2008/01/18(Fri) 06:57:14


仏教者の戦争責任(3) / 地の声 引用

山田霊林(やまだ れいりん)元永平寺貫首。眼蔵家。

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ますらおの悲しきいのち積み重ね積み重ねまもる大和島根を。(三井甲之)

皇軍の一人々々のいのちは、大君が股肱(ここう。天皇が信頼する臣下:地の声注)と頼ませたまういのちである。大事な惜しい愛しいいのちである。そのいのちを、ぶち込んで積み重ね積み重ねねば、大和島根を万古に揺るぎなき大盤石に築きあげることができないのである。
しかもそれは、武力の第一線に於いてのみでない。国民一億悉くのいのちを今、大和島根を大盤石に築きあげるために、積み重ねねばならぬ時が来たのである。
泡沫のごとき、はかない吾等のいのちが、忠誠一徹の烈火に燃えて、金剛不壊の大盤石となる日が来たのである。何という有難い世に、吾等は生まれ得たことか。


(山田霊林「烈々たる敢闘精神・寥々静寂の禅」『大法輪』昭和19年10月号 p.23)

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>何という有難い世に、吾等は生まれ得たことか。

国家のために天皇のために死を強要することは仏教ではない。当時の仏教者はこのようにして青年を戦地に送り、銃後の人々にも死を強要した。これが「戦争犯罪」でなくていったい何だろう。戦後、山田禅師はどのように責任をとったのか?

No.516 2008/01/17(Thu) 08:37:50


どうして宗門は / かものはし 引用

徹底的に反戦の意思を表さないのか不思議でしょうがない。そのことに尽きる。どうして坊さんはそうしないのか。朝比奈老師の履歴を知ることも大切である。同時に
この国の懲りない面々をさらに追及することも大切である。もし唯今反戦というなら政権交代がまず最大の課題であろうと思う。それに目をつぶってそれは政治的だと
おっしゃる方を信用できない。もしいま内山愚童師が生きていたらどう思うか。どう彼は発言しどう行動するか
そのことへの想像力が一番必要である。命が大切 神仏が大切 家庭が大切 環境が大切 人権が大切と おっしゃる方々が 憲法改憲を言い 自民公明現政権を支持するのは所謂ダブルスタンダードで実に欺瞞的である。
そのことが判っているのか頬かむりなのかそこが今最大の問題点であり、そこを捨象しては何も前に進めるわけがない。エコを叫ぶ人間にイラク戦争もアメリカの政策も現日本の対イラク政策も支持する人が多い。そこが最大の自己欺瞞であり犯罪的である。と思う。

No.514 2008/01/16(Wed) 21:23:39

 
Re: どうして宗門は / 地の声 引用

戦争責任を果たさなかったからでしょう。いまだに宗門がはっきりした反戦行動がとれない最大の原因です。

今回のシリーズでは、時間とともに消されていく仏教者の戦争責任を掘り起こしたいと考えています。

事実をもう一度白日の下に晒すことで、いまの仏教者を覚醒したいと思います。

No.515 2008/01/17(Thu) 08:09:13


仏教者の戦争責任(2) / 地の声 引用

朝比奈宗源 (あさひな・そうげん) 明治24年(1891年)1月9日 - 昭和54年(1979年)8月25日)は昭和期日本を代表する臨済宗の禅僧の一人。

静岡県出身。鎌倉・円覚寺住職。臨済宗円覚寺派管長。水戸黄門、大岡越前など、時代劇の題字を手がけたことでも知られている。

日本大学宗教専門部卒。京都妙心寺、鎌倉円覚寺で修行。駒沢大学教授。

『碧巌録訳註』『臨済録訳註』など著書多数。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E6%AF%94%E5%A5%88%E5%AE%97%E6%BA%90

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我が国民は果たしてこんなに、上から下まで愚かであり事理に暗い国民なのであろうか。万一戦局が利を失ったとして、我国がどうなり、我民族がどうなるかを考えて見たであろうか、米英の我国民への憎悪は深刻なものがある、ドイツやイタリーに対する感情とは根本的に違う。彼等が一世紀に亘り世界王者顔して来た横顔を、思いきり痛打したのは我国である。況んやこの戦いはヒ総統(ヒトラー:地の声注)も指摘しているように、経済的に世界支配の確立を実現せんとする猶太(ユダヤ)民族が地球上唯一の猶太(ユダヤ)人の手の届かぬ性格をもつ、純粋なる民族的国家である我国の存在を咀(のろ)って、これを打倒せんと企みに企んだ戦いである。表面は米英との戦いであるが、その裏面には二千年に亘って欧州を毒して来た陰謀民族、悪魔の如き猶太(ユダヤ)民族が潜んでいるのである。・・・繰り返して云う、我国民は、国運の艱難を真実に知らしめ、励ますに道を以ってしたならば、一人残らず抛身(ほうしん)捨命君恩報答のために振いたつを信じて疑わない。又現に幾十万の若人は潔く君国の為に死なんと覚悟していらるるのだ。世界に国も多く民族も多いが、何処にかかる例があろう。当局がこの超人的要素に着眼し、組織し指導して一大戦力たらしめ、昭和の神風として傍若無人に太平洋上に横行しつつある敵機動部隊を殲滅し、進んで攻勢の転機を捉え、敵米英を撃破して、一日も速やかに、宸襟(しんきん「天子の御心」:地の声注)を安んじ奉るの日の来らんことを冀念してやまない。

(朝比奈宗源「時感一則」『大法輪』昭和19年10月号 pp6-8)


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露骨かつ臆面もない「レイシズム(民族差別)」。無根拠なプロパガンダに踊らされ戦争を賛美する。それも「高僧」だけにやりきれない。

15年戦争は侵略戦争である。その背景に大和民族対劣等民族という民族差別の図式があった。支那は天皇のいうことをきかない悪い国だから、膺懲(ようちょう・懲らしめること)しなければならならないというのが当時のプロパガンダだった。

レイシズムはお釈迦さまが否定したものだ。仏教者たるもの真実を見る目、真実を語る口、真実を実現する勇猛心がなければならない。残念ながら朝比奈宗源にはその能力と精神が無かった。要するに自らいみじくも語っているように「愚かであり事理に暗い」ことである。

彼が残した言葉に

「雑念や妄想はなくならない。 なくならないものをなくそうとするから またひとつ煩悩になる。 煩悩は、整理すべきもの。」とか「「良い方を見て明るく生きてください」などがある。

戦時中の彼の差別意識と無原則な戦争賛美を知ると、これらの言葉がなんとも底浅く聞こえる。まるでダメな自分を擁護しているかのようだ。

No.513 2008/01/15(Tue) 07:38:17


仏教者の戦争責任(1) / 地の声 引用

15年戦争後、63年を迎えた。ドイツと比較して、この国は戦争責任をはたさなかった。その結果、「無責任」「なんでもあり」「力と金が正義」という世界でも有数の精神的荒廃国家となった。逆に無節操であるがゆえに詭弁やごまかしには長けて、経済的には強者となった。

仏教者としてとても認められるものではない。恥ずかしい。

戦後仏教界も戦争責任を果たさないまま今日に至っている。宗門は「懺謝文」を出したが、いまでもその精神が宗侶に徹底されているとはとても言えない。戦時中の狂った仏教観をいまでも支持し、反省に露骨に反対する勢力さえある始末だ。そこで、仏教者がどのように戦争を賛美し協力してきたかを数回にわたって公開する。ここに登場する「仏教者」たちの戦争賛美と戦争協力が、いつどのように「反省」されたのか、寡聞にしてわたしは知らない。いや、戦争責任に対する真摯な反省がおこなわれていれば、今日のような正義と良心を失い崩壊しつつある仏教界は存在しないはずだと思っている。

この国の仏教界が不正体質を今でも引きずっている最大の原因は戦争責任という重い問題を自ら解決できなかったことに起因している。曹洞宗の掲げる「平和」がどこか言い訳めいて見えるのも、こんな背景があるのだと思う。

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そこで、今空襲で爆撃せられた時に於いてどうするか。そこを去って逃げる。それは実は本当ではない。それに即せよ。即するということは当體全是(とうたいぜんぜ)の即が一番の即なんであるから、そうして見ると、爆弾と一つになれということである。それが当體全是の即だ。逃げるのでもなければ隠れるのでもない。不可抗の力に相会うた時には、それと一枚になる。その覚悟が本当に出来ておりさえすれば、そこに本当の余裕のある態度が出来て来る。当體全是の即、これはまことに味はなくてはならん。又言葉を換えて見ると、そのものがそれだ。そこが八風吹けども動ぜざる所の境地である。そのものがそれだから、そのものに善処するということが自然に出て来る。その態度が本当に出来なくてはならん。その心構えが確かであって、その態度が正しく出て来なければならない。それが当體に全是した姿である。生きた仏法とはそういうことを言うのであって、現実を離れて仏教はない。現実に徹底する。そこに真の仏教がある。‥そしてそれが実現するようになるまでにはどうしても坐禅をしなくてはならん。坐禅より外に道がないのである。

(鶴見総持寺貫首・渡辺玄宗「八風吹けども動ぜず」 『大法輪』昭和19年10月号 p.21)

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敗戦色濃い昭和19年。死ぬ覚悟と坐禅がテーマとなっている。これが仏教者とは情けない。命の尊さを説くのが仏教者の務めであるのに、坐禅をして爆弾に当たって死ねという。これでは坐禅は非仏教であるということになる。なぜ「逃げろ」と言わないのか?なぜ「反戦」を唱えないのか?おそらく‥語気の強さと裏腹に、真の勇気がなかったのだろう。禅師たるもの、たとえ処刑されても仏法を貫くべきだったのではないか。

このような非仏教的支離滅裂な言説に惑わされた仏教者も当時少なからずいたことを考えると、その責任は甚大であると言わざるを得ない。

No.512 2008/01/13(Sun) 19:10:26


佐藤正導『日中戦争ーある若き従軍僧の手記』を読む / 地の声 引用

標題に引かれて読んだ。ところが‥彼は従軍僧ではなかった(残念)。彼は僧の資格をもった「宣撫工作員」である。軍部の命を受け日中戦争時代、情報収集や宣撫工作を行うとともに、爆薬製造には不可欠の硝石工場をたちあげる。
仏教者としての責務より、軍の手先であることを使命とする。彼がときおり見せる「日中共栄」の精神も、支配者日帝があくまでも主体である。

曹洞宗の水野梅暁もこのような役割をはたしていたのだろう。

従軍僧とは別の意味で、仏教者の戦争責任を知ることができる書ではある。

(1992 日本アルミット株式会社刊)

No.509 2008/01/08(Tue) 20:46:17


従軍僧 / 地の声 引用

戦時中の従軍僧の実態については資料・証言ともに少ないためその実態が明らかにされていない。しかし、漏れ聞くところによればとても仏教者ではなかった。15年戦争は日本の仏教および仏教者の正体を暴露し、社会的評価を著しく低下させた。いまでもその負の遺産を引きずっている。寺、僧侶に一部は郷愁に似た思いを抱いてはいる。しかし真の信頼と尊敬は無い。せいぜい、葬式屋、読経屋としか認められておらず、まさに従軍僧が戦地で担わされた役割となにも変わっていない。

とんでもないサイトをみつけた。

「日本在郷軍人會」が従軍僧を募集しているのである。
http://www.zaigou.com/juugunnsou1.html

1、従軍僧とは

 自衛隊が海外にPKO要員として派遣され、大いに国際貢献に尽力している姿は頼もしくもあり我々の誇りとするところであります。さて逐次国際貢献の比率が高まり、いよいよ国連平和維持軍に参加との気運も昂まって来ています。
紛争地に入る訳ですので当然危険を伴います。武運つたなく戦死・戦病死をも意識の範疇に置かなければなりません。
 そこで私たち神職、僧侶等の教師達による『魂の救済』が必要と思われます。また紛争地に於ける精神を病む将兵のカウンセリングも重要な職務となりましょう。

『自衛隊PKF派遣時、海外進駐時に将兵と共に征く』

これを従軍僧と云います。

(同HPより引用)

この国は右傾化しているという話はよく耳にするところだが、ここまで進んでいるとは正直思わなかった。武力で平和はつくれないというのが日本の憲法であり、それは仏教者の基本的スタンスである。戦争遂行のために仏教を利用するのもいいかげんにしてもらいたい。

恐れるのは、戦争の悲惨と無意味を知らない今の若い仏教者たちである。うっかり応募し登録するものなきにしもあらずだろう。曹洞宗、仏教界は直ちにクレームを出すべきだ!

こんな空恐ろしいことをHPで公然と募集している厚顔さが不気味だ。いずれ、従軍僧だけでなく従軍「慰安婦」も「募集」するのだろう‥。

No.508 2008/01/07(Mon) 07:28:24


素直に喜べない / 地の声 引用

駒大が箱根で優勝した。駒大関係者は喜び、負けたチームの関係者は嘆いているだろう。スポーツを応援するとき、人は必ず自己同化する対象を選び他と区別する。いい例が高校野球。はじめは地区出身校を応援するが、負けるたびに県、地方、さらには東西日本などの自分にいくらかでも距離の近いチームを応援する。これが国際大会となると・・・「日の丸」ということになる。

要するに、スポーツ応援の原点に「線引き」があると言いたいのだ。元来無いはずの線を引き、対戦相手を誹謗する・・こんなさもしい精神は一体どこからくるのだろう。B.ショーだと思うが「私はスポーツは嫌いだ。無作法のかぎりだから」という冷静な批判は貴重だ。

「線引き」は差別を生みだす。

朝刊に大八木監督がクローズアップされていた。

‥レース中には「男だろ」と選手に何度も叫び続けた。喜びの高い声はかすれていた。(「この人」)

これをジェンダー差別という。大八木氏は多分「ジェンダー差別」の意味を知らないのだろう。その差別発言の重大さにいまだ気づいていないだろう。

駒沢大学の建学精神は多分「仏教精神」だろうと思うが、差別は仏教の否定するところであるし、その克服が曹洞宗の看板ではなかったか?

同大陸上部のウインドブレーカーの背中には「おれ(大八木監督)が座禅した姿」というエンブレムがあるという。「座禅」は知っていても、その精神は知らないようだ。座禅の安売りは勘弁してもらいたい。座禅は勝負に勝つ道具ではない!

こんな自己矛盾をいつまで放置しておくのだろう。曹洞宗は系列学校の度重なる不祥事からなにも学んでいない。ただ勝てばいいというのは仏教からほど遠い。今回の優勝をとても素直に喜べない。

No.507 2008/01/04(Fri) 07:49:17


淵宗務総長「年頭にあたって」について / 地の声 引用

宗報平成20年1月号に宗務総長のことばが載っている。強調されているのは「絆」と「人権・平和・環境」の三大スローガンである。

常々思うのだが、「絆」とは「字通」によれば

「馬の縶(チュウ)(きずな)なり」とする。すべて紐状のもので束縛することを羈絆(きはん)という。
[1]きずな、ほだし、馬の足をつなぐひも [2]つなぐ、つなぎとめる

とある。語源的には自由を束縛するということで、語感とは裏腹にどうもいい意味はないようだ。宗門はいま改革の産みの苦しみと混乱状態にある。こんな折、「絆」を強調することはとりもなおさず、結束を強め権力の命に従うことを意味する以外のなにものでもない。権力者に従えと露骨に言えないために「絆」を持ち出した。その真意は問題の根本解決を曖昧にする策動としか思えない。「絆」でなくても「和」でもよかったかもしれない。「和」という伝家の宝刀を持ち出して切るという方法もあったのではないか?議論することは「和」を乱すことである。宗門人たるもの「和」を大切にして議論などするなと言ってもよかったのではないか?因みに聖徳太子十七条憲法はそのことを如実に語っている。すなわち「和を以て貴(たつと)しと為し、忤(さから)ふこと無きを宗と為す」。いかがだろうか。前段のみしか読んだことがない人は驚かれるかもしれない。実は聖徳太子の「和」とは「忤(さから)ふこと無き」を目的としたものであって、権力に無原則に従えということなのである。

それはさておき、三大スローガンに関して。

これも常々疑問に思っていることなのだが、このような公式な文には必ずといっていいほど「平和の維持」という表現が見られる。多分、この言い方は曹洞宗の内部で暗黙的に了解された見解なのであろう。随分以前から、歴代宗務総長が同じ表現をしている。ということはすなわち、総長が自分で作成しているのではなく、担当職員が原稿書きをしているということになると思うのだが、それも情けない話だ。それもさて置き、問題は宗門の「平和」の概念、捉え方にある。

「平和を維持する」と言ったとき、すでにどこかに「平和」があって、それを失わないように維持するという意味になる。曹洞宗は日本を「平和」な国と捉えているのだろう。しかし、仏教者として果たして能天気に「平和」を享受していいものだろうか?

この国の平和は他国の戦争という悲惨さの犠牲の上にあることを知らなければならない。

日本を含む先進諸国は開発途上国の資源を略奪し、その国の人々を経済的窮地に陥れ、衛生的な水・十分な食料・医療などのアクセスを遮断して人命を奪い、あるいは抵抗し自立しようとしている人々を殺戮しながら成り立っているのは周知の事実である。世界各地で勃発している内紛・外紛というトラブルはみな「戦争」である。規模の大小で誤魔化されてはならない。この国は「戦争」を誤魔化すために「事変」とすら言ったものだ。忘れてはならない。

この国の「平和」は「戦争」の上に乗っかっている「平和」である。これを「平和」と呼べるだろうか?こんな「平和」など維持したくもない。

大切なのは、本当の「平和」を「実現」し維持することである。

「縁」は仏教思想の命脈である。この国が見かけだが「平和」であることは、とりもなおさず、世界中の「縁」によって支えられているのである。

仏教者は世界という大きな見地から国を見なければならない。先進国の横暴に歯止めをかけ、開発途上国の権利と主張に耳を傾けなければならない。そのときはじめて戦争を回避できる。平和を実現することができるのである。「平和」はいまだ実現していない。偽の「平和」を「維持」するなどもってのほかなのである。

余談だが、石油高騰の原因は、先進国の経済を(世界経済を)リードしている国際投資ファンドの先行投資によるものである。彼らは国際的社会的弱者を犠牲にしてしこたま儲けている。今年北海道洞爺湖サミットが開催される。世界から「人権・平和・環境」を奪い続けている先進諸国が一同に会する。表向きは「アフリカ問題」をキャッチフレーズにしているようだが、ゆめゆめ騙されてはならない。彼らが自分の利益のためにいままでしてきたこと、また石油問題のようにいまでもしつづけていることを見逃してはならない。そこに本質があるとも言える。

曹洞宗などにこんな期待を抱くこと自体無理なことかも知れないが、いやしくも「人権・平和・環境」を論じるならば、G8に対してしっかりとした要請をおこなうくらいの気概が欲しい。さらに今年は世界仏教徒会議(WFB)が東京で開催される。莫大な収支予算をもってお祝いと飲食に終始するでなく、仏教者として世界の「人権・平和・環境」に取り組む意思を明確に示し、文字どおり地球を救うために先進国独走態勢に強くブレーキをかけてもらいたいものである。

No.506 2008/01/01(Tue) 10:21:57


「平和」そのまとめ / 地の声 引用

曹洞宗の三大スローガン「人権・平和・環境」にどうとりくむのか。「平和」は「反戦」であると以前書いた。すなわち戦争加担責任を宗門および個々の宗侶が深く反省し、戦争を否定する行動を起こすことである。過去の事実を消し、抽象的に「平和」を論じることは欺瞞である。

石川達三「生きている兵隊」(発禁本)には、スコップで二十人以上もの首を切り落とす従軍僧の話があるが、従軍僧が戦地で不殺生戒を犯すどころか、率先して兵の範を垂れたことはよく知られたことである。事実、わたしも近隣の住職(すでに逝去)が酔えば「武勇談」を語っていたことを記憶している。

最近書き込みがない岡孝順氏のブログに実に興味深いエントリーがある。ご本人は「私は、戦争には反対だが、この話には価値判断を加えずに、敢えて聞いたままを記したい」とこの問題に距離を置いている。以下無断引用する。

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25歳の後半に、在外研究のため赴いたサンパウロの、南米開教総監部で私は初めて、元日本軍従軍僧侶であった青木総監にお会いした。日系人のための仏教活動を展開する南米総監部に、手伝いも兼ねて週に1度通いながら、青木師から戦争当時の話を幾度か聞いた。
 青木南米総監は、戦時中陸軍中尉として従軍し、将校として働く一方、従軍僧侶としての任務も受け持っていたと言う。その当時既に戦後50年を超えていたが、青木師の意識の中にはこの陸軍将校として送った時代の精神が、濃厚に残存していたと、私は思う。初対面時に、開口一番「僕は、軍人だからね」と、自らを紹介した同師の言葉に、当時の私は大分戸惑いを覚えた。

 青木師の話の中で、印象深いのは捕虜の首を軍刀で斬った時のものである。従軍僧と言えども、命令や任務の一環として、このような役目も果たさなければならなかった事にも、少なからず驚いたものだった。「首の皮一枚残して斬るんだよ。これが、むずかしかったなあ。」
 青木師は、中国戦線に派遣され、そこで様々の軍隊経験をなさったそうだが、夜間の見周りもその任務の内だった。中国人捕虜を処刑した後、しばしば同師の当時の部下達は、この遺体の頭を、大きな鍋で煮て、ひそかに食していたのだと言う。臭いが強いから、これをやるとすぐに分かるが、禁じる事はできな買ったと言う。「部下達もこういう時でも無いと気が休まらないんだよ。だから、見逃してやるのさ。これも、指揮官として部下を統率するためには仕方が無かったんだ。」
 青木師はヘビースモーカーであった。「煙草は僕の健康のバロメーターだ。君も遠慮なく吸いたまえ。」とてもさばけた人であった。

 その後には日本で、元陸軍大尉で従軍僧を務めた楢崎師にお仕えした。この人も中国戦線で、上述の青木師とは先輩後輩の間柄でおられた。軍隊経験の事はあまりお話にはならなかったが、軍隊から戻ったばかりの頃は、その癖で自らのお弟子や、修行僧をしばしば殴ることがあったという。片っ端から殴って歩き、怖れられたものだったと、ご自身はお話だった。

 町場の住職にもこういう経験をした人がいた。私の友人の父上だが、この人は戦車隊の下士官で、将校よりも統率力が必要だったという。軍隊と修行時代と、どちらが楽しかったですか?と聞いてみた事がある。「そりゃあ、軍隊が面白かったよ」
 どういう訳か、こうした人々は、軍隊が楽しい経験の一つになっている場合が多い。

「私が会った元日本軍従軍僧侶達」
http://blogs.yahoo.co.jp/cal95769/16984739.html

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これは資料としても貴重である。

曹洞宗が戦争責任を曖昧にしてきた実態を明らかにする証言とも言える。

2007年、わたしは満洲国建設にあたって仏教界が軍部に協力し中国人民を「宣撫」したことを『日中両国の視点から語る植民地期満洲の宗教』からの長い引用によってデジタル公開した。また、僧個人が率先して殺戮をおこなった事実も明らかにした。

曹洞宗に「平和」を語る資格はない。ただし、「ソーファー(これまでは)」ということだ。曹洞宗が真摯に戦争責任を反省したとき、はじめて「平和」が意味をもつことになる。そして、「反戦」行動を起こす力が培われる。

2007年の「平和」問題のまとめとして、一文を揚げておく。

No.505 2007/12/31(Mon) 07:30:49

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