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山田霊林(やまだ れいりん)元永平寺貫首。眼蔵家。
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ますらおの悲しきいのち積み重ね積み重ねまもる大和島根を。(三井甲之)
皇軍の一人々々のいのちは、大君が股肱(ここう。天皇が信頼する臣下:地の声注)と頼ませたまういのちである。大事な惜しい愛しいいのちである。そのいのちを、ぶち込んで積み重ね積み重ねねば、大和島根を万古に揺るぎなき大盤石に築きあげることができないのである。 しかもそれは、武力の第一線に於いてのみでない。国民一億悉くのいのちを今、大和島根を大盤石に築きあげるために、積み重ねねばならぬ時が来たのである。 泡沫のごとき、はかない吾等のいのちが、忠誠一徹の烈火に燃えて、金剛不壊の大盤石となる日が来たのである。何という有難い世に、吾等は生まれ得たことか。
(山田霊林「烈々たる敢闘精神・寥々静寂の禅」『大法輪』昭和19年10月号 p.23)
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>何という有難い世に、吾等は生まれ得たことか。
国家のために天皇のために死を強要することは仏教ではない。当時の仏教者はこのようにして青年を戦地に送り、銃後の人々にも死を強要した。これが「戦争犯罪」でなくていったい何だろう。戦後、山田禅師はどのように責任をとったのか? |
No.516 2008/01/17(Thu) 08:37:50
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