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仏教者の戦争責任(12) / 地の声 引用

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「合掌運動を提唱す」

・・吾等がここに大に叫ばんとするのは、「東亜共栄圏の建設は先ず合掌から」ということである。

今や我が国は、百難を排除して大東亜戦争を完遂し、十億民族(中国:地の声注)をして英米の搾取と桎梏より解放せしめ、この菩薩の大願行とも云うべき使命達成に邁進せねばならぬ。而して大東亜共栄圏確立の根底を何処に求むべきかというに、それは宗教、殊に仏教に求めねばならぬ。しかもこれを最も端的に現したのが、即ちこの合掌である。

東亜共栄圏内の国々は、日本・満洲・支那をはじめ、仏印・タイ・ビルマ・蘭印等、悉くが仏教国であり、合掌の国である。これ等の国々が有無相通じ相協力する。東亜共栄圏建設の所以はここにあること勿論なるが、それを実現する為には、先ずお互いの心を通じ合うことが肝要である。幸いにも宗教を同じくして居る我等は、我等仏教徒の信仰の象徴たる合掌によって、堅く心と心を結び付ける様努力することが、この際取るべき最も賢明にして妥当なる行為であると確信する。

この昭和十七年からは、早天起床、洗面先ず、皇居に向かって合掌し、朝夕祖先の霊前に向かっての合掌は勿論のこと、人と対する時の礼儀にも、特に食事の前後には必ず合掌し、且つ食前には必ず五観の偈を読誦し、或は念誦する様にしたい。

最後に仏教の根本教義である「般若心経」の精神に徹し、衆生救苦の願行成就の偈を誦え、且つその意味を掲げ、以って国難突破、時難克服の途に供すると共に、大東亜百年の平和を確立するの覚悟を新たにし度いと思う。

『羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶』
(訳)さあ行こうよ行こうよ、あの勝れた所へ行こうよ。あの勝れた所へ、一人も残さず皆悉く行こうよ。そして仏の悟りを成就しよう。


(「大東亜共栄圏の建設と合掌運動の提唱」『大法輪』昭和17年新年号トップ見開き)

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侵略戦争と仏教を結びつける大罪を犯した仏教雑誌『大法輪』。これでは仏教者はみな戦犯ということになる。

No.533 2008/02/01(Fri) 06:54:56


仏教者の戦争責任(11) / 地の声 引用

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十二月八日の黎明、東亜十億の民を、米英の奴隷的地位から解放せんとする大東亜戦争の火蓋が切られた。釈尊が菩提樹の下、金剛坐上に、全人類を煩悩の桎梏(しっこく)から解放する解脱の大道を獅子吼せられたのも十二月八日の黎明であった。同じ暁の星の下に、永遠に人類史の上に牢記さるべき二つの聖なる解放戦が宣せられたことは奇しき因縁である。
米英がABCDの国々を駆って帝国の四辺を包囲し、世界制覇を夢に描いた野望が美事(ママ)に打ち破られたのもこの朝であり、天魔波旬の軍勢が、毅然として端坐する釈尊を巡って、其の成道を阻止せんと試み、遂に其の膝下に降伏せしめられたのも此の朝である。
永遠の平和を目指す世界再建の鉄石心は、正覚を成ぜざれば此の坐を立たじと念ぜられた釈尊の盤石不動の信念に脈々として通うものがある。龍樹菩薩が描かれた佛所行讃の美しき文字の跡を追いながら、聖戦完遂への示唆を把えたい。


(詩文略)

(山内眼雄「大東亜戦争と降魔成道」『大法輪』昭和17年新年号 p.26)

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お釈迦様の成道と侵略戦争を一緒くたにした、支離滅裂な弁だ。もはや仏教とは言えない。

「あらゆる戦争は自衛を口実に行われる」という。日帝侵略軍はジュネーブ条約で禁止されていた「毒ガス」訓練を満洲でおこない、また実際使用したが、その理由は「中国軍が毒ガスを使用したとき反撃するため」だった。

自分が宣戦布告もせずに中国に侵略しておいて、それに反対する世界各国を悪者よばわりするのだから手がつけられない。閑話休題。

「フィリピン攻略は釈尊の涅槃会に達成されるだろう」と「予言」した高僧もいたが、お釈迦様の成道と日米開戦を結びつけるという、とても常識では考えられないことを滔々と語る状況は、この国の追い詰められた危機感と相俟って、仏教者の精神崩壊を如実に顕わしている。

No.532 2008/01/31(Thu) 06:44:11


仏教者の戦争責任(10) / 地の声 引用

伊藤慶道(宗学家)

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近来禅が勃興して来た。都鄙至る所に参禅会、修道会が開かれ、期せずして興禅護国思想が力強く叫ばれるようになったが、これは真に喜ぶべきことである。思うに非常時局の進展と共に、新体制の問題が活発に取り上げられ、全日本の政界といわず、産業界といわず、思想界といわず、宗教界といわず、実に遽しい雲行きをみせている。この世相の遽しさ、未経験の新体制に対する不安が、人心を駆って、確固不抜の精神を養う禅への関心を呼び起こしたものであろうと思う。・・

真の人の確立がなくして、組織が何であろう。体制が何であろう。最後は何処までも人、人、人である。この道理を七百年前の昔に道破し、純禅の挙揚によって護国の精神に生きられたのが、実にわが道元禅師である。・・道元禅師が『興聖護国寺』の寺名を附されたのは、この真字正法眼蔵の撰号と、僧堂の規式を定められた重雲堂式の巻の識語にだけ用いられているところをみると、道元禅師の真意が僧宝打出そのものにあり、そこに興聖護国の達成を期されたことが察知されるのである。・・

誠に、王法仏法不二の精神に生きるところ、個人の一挙手一投足は、そのまま国家の上に響くものである。一人の持戒はそのまま護国の大業ともなる。・・されば、真に愛国の精神に生きんとするならば、その一行一言と雖も、持戒の精神を離れてはいけないのである、そこに念々国恩に報じ、行々宝算(天皇の聖寿:地の声注)を祝する仏法の実践があるのである。道元禅師は正法眼蔵弁道話に、

 国家に真実の仏法求通すれば、諸仏諸天ひまなく衛護
 するがゆえに、王化太平なり。聖化太平なれば、仏法
 そのちからをうるものなり。

と、興聖護国王仏不二の精神を説いて居られる。嗚呼、今や未曾有の非常時局に際会し、邦家の前途益々多事多難を予想せられるとき、決然と立って昭和の聖代に道元禅師を再現するものなきか。


(伊藤慶道「道元禅師の興聖護国の精神」『大法輪』昭和16年新年号 pp44-53)

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「興聖護国王仏不二」と言い、道元禅を戦争に結びつけた端的な例と言える。

昭和16年といえば、日中戦争が泥沼化し国民が危機を感じつつある頃(同年12月8日真珠湾を攻撃し、最終的に計50ヶ国と戦争状態に入る)。国は統制を強め同年「治安維持法」を改定。「国体を否定し又は神宮若は皇室の尊厳を冒瀆」することを禁止した。「禅」はそんな状況下で、「確固不抜の精神を養う禅」として国民の批判精神をそぎ落とし、ひたすら国策に従う人間を作る装置としての役割を担った。その非仏教的意味合いで全国的に「禅ブーム」がおこったことは実に慙愧に耐えないことと言える。

No.531 2008/01/30(Wed) 09:40:32


政治囚支援協会編・発行『ビルマ―僧侶が還俗させられ、投獄される国』 / 地の声 引用

日本語版出版募金への寄付のお願い

「サフラン革命」と呼ばれる、僧侶たちの平和的な街頭行進はなぜ起こり、あれほど多数の人々に支持されたのか?暴力と恐怖で人々を支配する軍事政権は、なぜ非暴力の覆鉢行に対してこれほどまでに凄惨な弾圧を加えなければならないのか?−−『ビルマ―僧侶が還俗させられ、投獄される国』は、軍事独裁政権下において仏教者が行っている慈悲行の真実の姿を、最もかつ忠実に私たちに知らせてくれる報告書です。2004年に英語版が出版されていますが、日本語版はありません。
そこでこの度、私たち呼びかけ人は、政治囚支援協会による報告書の日本語版翻訳・出版に向けて、ビルマの人々へ同苦同悲の思いをお持ちの方々に、寄付を募ることにいたしました。日本語版については根本敬・上智大学教授(ビルマ近現代史)による解説のほか、ビルマ各地の弾圧について最新情報を追加しています。
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2007年8月15日の燃料費高騰によって、ビルマで抗議デモが起こり、数多くの民主活動家が逮捕・拘留されました。9月初旬からは僧侶が各地でデモの先頭に立ち、そして9月26日以降、僧侶や市民に向けて治安部隊が無差別発砲を行いました。死者は200〜1,000名といわれ、僧侶を含む数千人(うち約1,000人が僧侶)が拘束されています。その数字は現在も増え続けています。
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現在の状況(2007年10月時点)

◆軍政は僧院を封鎖して僧侶を市民から隔離。托鉢に出られなくして、兵糧攻めにしている
◆軍政は夜間に僧院を急襲して建物や仏像を破壊し、僧侶に暴行を加え、連行
◆僧侶に対する暴力は、高齢の老僧でも10代の見習い僧でも、無関係に行われる
◆僧院への襲撃に抵抗する近隣住民に軍が発砲、僧侶のデモを支持した市民が逮捕されている
◆軍政は証拠隠滅のために遺体を焼却し、川に投棄している
◆泥だらけになった袈裟がわずかに身体に残った、痛ましい姿の僧侶の遺体も発見された
◆僧侶たちは収容先で僧衣をはぎ取られ、他の収容者と同じ扱いをされている
◆収容先でも覆鉢を続けてハンストを行っている僧侶もいる

どうかビルマの人々の苦しみに耳を傾け、この報告書の日本語出版にご賛同の上、募金にご協力くださいますよう、心からお願い申し上げます。いただきました募金は、翻訳、出版、広告の費用に宛てさせていただき、本の収益は、ビルマ民主化支援・難民支援・日本で活動しているビルマ人の方々への支援に充てさせていただきたいと思います。

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【募金要領】

募 金  1口 3,000円(何口でも結構です)

募金先  郵便振替 00960−2−253674
     「ビルマ僧侶報告書出版基金」

連絡先  ビルマ僧侶報告書出版基金 事務局
     〒580−0033
     大阪府松原市天美南1−108−1
     阪南大学 守屋研究室気付
     E-mail:aapp-jp@peace.nifty.jp
     TEL:072−332−1224(代)

呼びかけ人 阿満利麿、中尾恵子、箱田徹、馬島浄圭、小武正教、守屋友江

賛同団体 日本ビルマ問題を考える会、日本ビルマ救援センター、アーユス仏教国際協力ネットワーク、ビルマの僧侶と連帯する仏教徒の会
※呼びかけ人、賛同団体になっていただく場合は、上記メールアドレスへご連絡下さい。

(「寄付のお願い」チラシから転載)
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一欲を抑え、協力しよう。ビルマ僧侶の窮状を見て立たざるは仏教者ではない。日本仏教者の良心を示せ。

No.530 2008/01/29(Tue) 17:42:08


政治的で何が悪かろう。 / かものはし 引用

よりにもよって本日この日再びイラク戦争に加担する米国の侵略戦争の兵站として後方支援に軍艦マーチのなりもの入りで出航した。イラク人はこの2003年から5年の間に15万人が死んだ。町村官房長官と石破防衛大臣は大嘘をこいた。国のためと言い国際貢献というた。
反テロともいうた。暴力や戦争でテロを防ぐことはできない。いまこの日を忘れない。早くこの好戦政府を倒しましょう。それは仏教徒の役目です。

No.527 2008/01/24(Thu) 23:42:31

 
Re: 政治的で何が悪かろう。 / 地の声 引用

先日、ある坊さんが「わたしは政治のことはよくわからない」と言っていました。いかにも仏教者は政治に関わってはならないと言わんばかりでした。

日本仏教は政治に利用されつづけてきたと言えます。体制にとってこれほど魅力的で利用価値の高い組織はないからです。大衆のマインドコントロールもできますからね(笑)。

政治体制は仏教を利用し、仏教の側は政治体制におもねる。その構造は戦時中のみならずいまでも変わっていません。身辺を見ると、いわゆる公職といわれる体制補完職についている坊さんのなんと多いことか!なかには「仏教の精神で中道をもって公職にあたる」などと平気で語る僧侶もいます。無知というか暗愚というか、馬鹿丸出しです。

日本仏教は政治そのものです。政治批判しないで実は協力しているのです。嘘つきです。

No.528 2008/01/25(Fri) 10:05:13


今日「愚童忌」 / 地の声 引用

内山愚童。曹洞宗僧侶。明治7年5月17日、新潟県北魚沼郡小千谷にて出生。明治44年1月24日、東京監獄にて処刑。同午前11時23分絶命。38歳。

一弁の香をたむけ供養する。愚童よ、君は曹洞宗の正義と良心だ。愚童よ、君がやりのこしたことをしっかり受け継ぎ実現しよう。われわれを見守っていてもらいたい。そして時々叱咤してくれ、なまけ心や妥協心がおきたときに。

「春三月 縊(くび)り残され 花に舞う」(大杉栄)

No.526 2008/01/24(Thu) 07:28:31


仏教者の戦争責任(7) / 地の声 引用

椋本龍海(真言宗泉涌寺派管長)

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大非代受苦の皇軍将士

今日の日本は世界救済を使命として存在する帝国である。左あればこそ古来世界の文物は潮の如く我国に慕い寄って此処に留まったのである。過去既に然り将来も亦然らんと観察する時これはこれ天が人類愛護のため其大使命をこの国土に委ねたと解して差支えなかろう。

かかる大使命を担った国民精神の建設に大なる貢献を与えた過去の仏教の母体を省察する時、その系統を継ぐ現代の仏教は、茲に大なる反省を要求されると共に、今や教団の使命の愈々重大なるを加えつつあることを自覚される。

内外多様の刺激を受けて、教団も亦新しき飛躍と貢献を期待されるのである。


(椋本龍海「皇国の春に寄す」『大法輪』昭和13年新年号 p.201)

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仏教は戦時下国家神道に隷属した。皇国が世界の中心であるという思想が侵略戦争に正当性を与えた。仏教はこのように、ヒトラーですら嫉妬したと言われる日本帝国ファシズムの一翼を担った。

No.524 2008/01/22(Tue) 07:29:58


失礼ながらも。 / かものはし 引用

仏教者の戦争責任シリーズを拝読すると益々我々の責任を痛感しますが各宗派宗門の最高責任の方々がこのありさまでは一体仏教者宗教者僧侶って何んだろうと思って
おります。貫主さんの悟りとはなんだろう。立派な人とは何だろう。考え込んでしまいます。これじゃあ仏教者
ではないということにならないだろうか。戦後の貫主さんたちは極力政治からはなれて見ぬふり触らないで今日まで来たようにも思えますし戦前と変わっていないようにも思えます。こちらが異端扱いではないでしょうか。

No.522 2008/01/21(Mon) 21:34:19

 
Re: 失礼ながらも。 / 地の声 引用

はっきり言って仏教者ではありませんでした。だから「仏教者の戦争責任」があり、それを反省しないまま今日に至っていることから「仏教者の戦後責任」があります。(浄土真宗にはいまだに「戦没者院号法名下付願」があるそうです。1994発行大東仁『お寺の鐘は鳴らなかった』p.49 曹洞宗はどうか‥)

曹洞宗の犯罪の土台に、こんな無反省と金・権力体質があると私は思っています。

このシリーズで、ひとりでも多くの宗侶に高僧らの戦争協力発言を具体的事実として知っていただきたい。そうすればより真剣に仏教者として「平和(反戦)」にとりくむ姿勢が生まれるのではないかと期待しています。

No.523 2008/01/22(Tue) 07:10:50


仏教者の戦争責任(6) / 地の声 引用

清水谷善照(清水寺貫主)

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観自在菩薩の慈慮

昨年七月、日支事変が起こってから茲に約半歳、さしもの抗日支那も今や皇軍の神速果敢な進撃の前に漸くその迷夢から醒めんとして居ります。かくも迅速に抗日支那の暴威が平定されるに至ったことは、素より、陛下の御稜威(みいつ 天皇の威光:地の声注)の然らしむるところでありますが、生きて国家の干城(谷干城 明治初期、熊本鎮台司令官となる。西南戦争時は籠城策を取り52日間にわたる薩軍の猛攻に堪え勇名を馳せる:地の声注)となり死して護国の霊鬼となる燃ゆるが如き日本魂(やまとたましい)の発露の賜物に他ならないのであります。

しかも、この日本魂の発露である挙国一致の信仰の力は之れ観音力に他ならぬのであって、この念彼観音力が顕れて赤魔を防ぎ、支那全土の大魔を降伏し、最勝成就の平和克服も敢て遠きに非ずと信じ、愈々諸願成辨観自在尊を念ずべきであります。

かくも神速に聖戦の目的を達成されんとしつつあることは、これは全く観自在菩薩の深甚なる慈慮に依り、般若波羅密多を実行なされた結果に他ならないのでありますから、顕教に依る戦勝の祈願は大般若六百巻の転読とか、千巻心経を誦(あ)ぐるなどは極めて霊験の大なるものがあります。


(清水谷善照「日本魂は観音力なり」『大法輪』昭和13年新年号 p.162)

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毎年話題となるのが「今年の漢字」。清水寺貫主が書く。昨年は「偽」。ここでいちど批判を加えたことがある。「なぜこんな世の中になったのか?」と尋ねられて「仏教を知らないからだ」と答えたという。

日中戦争当時のこの貫主は、まさに「仏教を知らない」偽僧だった。いま清水寺ではこの貫主をどのように評価しているのか実に興味がある。

No.521 2008/01/21(Mon) 12:27:40


仏教者の戦争責任(5) / 地の声 引用

高階瓏仙(たかしな ろうせん 1876〜1968)福岡県嘉穂郡上臼井村に生まれた。明治23年に、同村永泉寺の高階黙仙について得度。明治34年に、曹洞宗大学林(現駒沢大)を卒業。明治36年永泉寺住職となり、翌年から四年間、静岡県可睡斎の日置黙仙に参禅した。大正4年に、福岡県博多の安国寺住職、翌年永平寺に移る。大正12年インド仏蹟参拝、中国五山禅剰の巡礼を実行。大正14年宗務院総務、昭和3年朝鮮布教総監、昭和6年に可睡斎住職、同16年に総持寺に晋住、同年に永平寺に昇任し、昭和19年十八代管長。昭和25年にセイロンで行われた第一回世界仏教徒会議に日本代表として出席、その後ハワイ、北米、南米などを巡教、昭和32年全日本仏教会長。著書に「般若心経講義」「禅の要諦」「炉辺閑話」など。

http://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/16_ta/takashina_rousen.html

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国民精神を喪った支那

自分は今次の事変(1937.7.7支那事変:地の声注)に就いて近頃痛切に感じて居ることは、支那は既に国民精神を喪って居ると思うことである。精神の無くなった者は亡び行くことは当然である。その国民精神と云うは、支那の国は開闢と同時に皇帝があり、皇室を中心に出来ている国である。尤もその皇室と云うは、我が日本の御皇統の一系連綿であるとは違い、彼は革命的連続である。併しながらそこに君臣の道を立て、忠孝の教えを以って国民精神として来たものである。

然るに最近に到り皇帝及び皇室を廃滅して民国と云うものにしたことが国への忠道を失ったものである。亜米利加の如く開闢当初より共和で出来て来た国柄ならば兎も角、支那の国史はそうで無いのに今日の民国政体にしたと云うことは、国民として上に対する忠道を失ったと云うことになる。それが既に国民精神を喪失したものと思う。

今の支那の状態は人間で言えば首を失った人の身体が手足丈を動かして統制する頭脳(あたま)が無い様なものと思う。今は彼れも非常時に際し、蒋介石に引きずられて行って居る様なものの結局安泰の出来ぬ哀れを告げることと思う。


(高階瓏仙「可睡清話」『大法輪』昭和13年新年号 p.17)

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中国は孫文の辛亥革命によってようやく封建時代から脱却し近代国家への道を歩みはじめた。蒋介石は孫文の弟子である。天皇を最高位にいただき、無原則にそれに従い侵略戦争に突き進む日本と比べてどちらがマトモか考えてみるがいい。

>支那は既に国民精神を喪って居ると思うことである。精神の無くなった者は亡び行くことは当然である。

この傲慢さはどうだ。戦後どのように「転向」したかは知らないが第一回世界仏教者会議日本代表とは恐れ入る。いったいどんな演説をしたのだろう。しっかり反省したのだろうか。彼の地位と影響力を考えれば「すみませんでした」では済まされない甚大な責任があるのではなかろうか。

No.519 2008/01/19(Sat) 13:44:20

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