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井桁碧・論文「仏教と『国家』」を読む / 地の声 引用

『曹洞宗海外開教伝道史』は1980年11月に発行され関係者に600部無料配布されたという。前半部分に戦時中朝鮮や中国で開教に従事した曹洞宗僧侶の生の声が掲載されており、曹洞宗の戦争加担の実態を明らかにする貴重な資料と言えるのだが、1992年差別図書として回収され現在入手することはできない。井桁論文にその冒頭部が載っている。

「わが宗門の海外伝道が、国際事情とそれに伴う邦家の国策路線と軌跡を同じくしているということは理の当然であり海外開教が、近きより遠きに及ぼすことも、時代の客観状勢と推移からいって、教団の開拓は、まずアジア地域を中心として為された‥‥。(3頁)(曹洞宗宗学研究所『宗学研究』三十六号1994年3月 p.275)

個々の証言が載っていないのは誠に残念だが、「敗戦後すでに三十五年の時を経過して‥執筆者の全員が「軍国主義」「皇民化政策」を称賛‥」とあるところをみると、その内容は想像に難くない。

井桁論文は同年発表された「懺謝文」を引用しつつ、「仏教と国家」はいかなる関係をもつべきなのかという根本問題を提起、「私たちは「国家」や「民族」を相対化するという厳しく困難な思想的課題を自らに課さねばならないだろう」(同書p.279)とし、

「仏教の徒がそうした歴史への反省を欠き、また現〈近代国家〉体制を絶対視してしまうか、また現在の〈民主主義国家〉を王法論に依拠して解読しようとすることしかできないなら、『海外伝道史』がたとえ全部回収されようと、幾度でも「国家」の政策に乗ることを「理の当然」としていくだろう。自覚的仏教徒が、その理想として「世俗」を超絶するという志向性を持ち続けるとしても(世界を徹底して相対化し続けるという意味において、そうあるべきだろう)、その営為は〈社会的意味〉を持つ。今仏教徒は己の〈社会的意味〉を問われている。」(同書p.280)と結論している。

この『宗学研究』には井桁論文のほか、石川力山「内山愚童と武田範之―近代仏教者の思想と行動・対戦争観・朝鮮開教問題等をめぐって―」、中野重哉「内山愚童の名誉回復における経過と今後」、工藤英勝「曹洞宗と国家(四)―第一次世界大戦の動向を中心に―」が含まれている。「現教団の立場は国家をどのようにとらえるのか」(中野論文)、「名誉を回復したのは内山その人ではなく、宗門のプライドやイメージの方ではないのか」(工藤論文)とこちらもなかなか手厳しい。曹洞宗三大スローガン「人権・平和・環境」が出されたのは3年前(1991年)のことであった。当時宗門は三大スローガンに夢と希望を抱き、実にラジカルに取り組んでいたことがこの『宗学研究三十六号』から伺えるのである。しかし‥いまはどうか。今年人権啓発ビデオ『内山愚童』が公開される。私たちは「曹洞宗と国家」「曹洞宗の戦争責任と現在の取り組み」というラジカルな目線で学習しなければならないだろう。

No.546 2008/02/16(Sat) 06:30:53


大政翼賛会 / 地の声 引用

『大東亜戦争完遂 翼賛○○県大人名録』という古い本が手元にある。表紙はアジアの地図(北はバイカル湖から南はオーストラリア北部まで)で当時日本軍が展開していた範囲なのだろう。右下隅には2602とある。いわゆる皇紀で1942年(昭和17年)のこと。日米戦争の決着が付いたと言われるミッドウエー海戦は同年6月5日。巻末に8月20日10,000部発行とある。

某支部の役員は次のようになっている。(名前を伏せ、職業のみ記す。順序はそのまま)

支部長   町長・元国民学校校長
常務委員  医師、僧侶、官吏、歯科医師・元青年団長、薬商・商報幹部、農実組長
顧問    地主・産組長・農会長、警察署長、木材商・町議、地主・町議、農業・郷軍分会長
参与    町助役、国民学校校長、商業・商報会長、農業・農実組長、公吏
常会員   未定
推進員   未定

戦争遂行に僧侶が果たした役割の大きさをあらためて思う。

※大政翼賛会については
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/taiseyokusannkai.htm

No.545 2008/02/15(Fri) 07:02:13


市川崑監督を追悼する / 地の声 引用

日本映画界不世出の巨星・市川崑監督が昨日亡くなった。92歳だった。

映画はあまり観ない私でも、「犬神家の一族」、公式記録映画「東京オリンピック」、「破戒」は記憶に残っている。「木枯らし紋次郎」などは、ドイツのとある街で鼻歌を歌っていたとき、かたことの日本語で「それは木枯らし紋次郎の歌ですね」と声をかけられた思い出がある。

昨年、南京でフィールドワークに参加した。帰路機内で観たのがリメーク版「ビルマの竪琴」だった。オリジナルは白黒だったと思う。迫力は数段増しているがストーリーは同じだ。

水島上等兵は日本の敗戦を受け入れられず立て籠もる部隊を説得するために遣わされる。その間、自分の所属する小隊は捕虜となる。彼は帰隊し仲間と合流するためにひとりで旅を続ける。空腹に耐えきれず僧の法衣を盗み「偽僧」になる。僧はタンブン(お布施)を受けることができるからだ。旅の途中で多くの死者を見る。戦争の悲惨さが彼を捉えて離さない。彼はビルマに留まり戦争の犠牲者を供養することを決意する。

この映画では「埴生の宿」とともに、身を隠す水島と小隊長の「連絡掛」となったオームが実に印象的だ。「オーイ、ミズシマ。イッショニ、ニホンニカエロウ」とオームが話す。揺れ動く水島の呟きが小隊長に伝えられる。「アア、ヤッパリジブンハ、カエルワケニハイカナイ」。

この映画は「偽僧」が「本物の僧」になっていく、水島の悟りのプロセスを描いているとも言える。「慈悲喜捨(世のため、人のため)」という仏教精神によって、水島は自己実現を果たす。

法衣を纏い読経していながら、なんと「偽僧」の多いことか・・。市川崑監督はいまの曹洞宗の事件をあの世からどんな思いで眺めていることだろう。

※リメーク版はこちら
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%81%AE%E7%AB%AA%E7%90%B4-%E4%B8%AD%E4%BA%95%E8%B2%B4%E4%B8%80/dp/B00005QYIF

No.544 2008/02/14(Thu) 07:34:51


提言:平和資料館の建設を / 地の声 引用

平和を実現するためには、徹底的に戦争を否定しなければならない。戦争は被害と加害の二つの顔を持つ。15年戦争は行き詰った資本主義を外国の資源を略奪することによって解決を図った日本がしかけた「侵略戦争」である。よって、被害意識より加害責任を考えることこそが、日本人が戦争から学ばなければならない要点である。その作業によってはじめて戦争の真実に近づくことができる。被害のみ強調されれば、なかには復讐心を抱くものも出てくる。この「逆切れ」現象は極めて危険である。「平和」実現への取り組みが仏教を外れないようにするためには、加害責任をどこまで自ら問うことができるかどうかにかかっている。

この国には被害を展示する(あるいは顕彰する)施設は無数に存在する。特別展なども頻繁に行われている。一方、加害責任を学ぶことができる施設は全国にたった一か所しかない。立命館大学国際平和ミュージアムである。(http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/j_kancho.html)この国にあっては実に貴重な存在である。是非訪れていただきたいと思う。

埼玉県平和資料館(http://homepage3.nifty.com/saitamapeacemuseum/index.html)に至っては、従軍慰安婦否定論者上田知事が「展示に自虐史観がないか見直す」として@「南京大虐殺」→「南京虐殺」A「従軍慰安婦」→「慰安婦」Bここでも資料として紹介しているが南京大虐殺の項に添えた村瀬守安氏撮影の写真の削除C「日本軍の非人道的な行為があり、今日でもその責任が問われています」という解説を削除D「三光作戦」→「三光政策」。それに反対した館長と職員を異動させるという、まさに戦争責任を消し去ろうとする信じられない動きもある。

この国はA級戦犯容疑者岸信介の「願い」を実現しようと戦後絶え間なく「戦争ができる普通の国」を目指してきた。彼は満洲で「統制経済」の名の下、経済侵略と支配を計画し、あるいは中国人を日本に強制連行して過酷な労働に就かせた(大勢が亡くなった)張本人である。水面下で徐々に戦争肯定派づくりが進行しているおりから、曹洞宗は本腰を入れて「平和」の問題に取り組まなければならない。信じられないことだが、ほとんどの戦争は「平和」を看板に掲げるものなのである。この国が「満州国」をつくったのも「八紘一宇」「五族協和」など平和を大義名分にしたことを忘れるには早すぎるのである(因みに提唱者国柱会田中智学は元日蓮宗僧侶、仏教者である)。曹洞宗は本腰を入れて「平和」の問題に取り組まなければならない。表を軽くなぞる程度の「平和」活動はかえって体制に巧妙に利用され戦争に協力することにもなりかねない危惧を憶えるからだ。

私は以前にも主張したが、曹洞宗に「平和資料館」の建設を再度提案する。宗門に戦争責任研究センターを設置し、時間とともに失われつつある曹洞宗の戦争責任資料を収集することは焦眉の問題である。その展示に「内山愚童」「遺骨収集の取り組み」を併置する。同センターが研修やスタディツアーなどを企画し宗侶の平和意識を啓発することも必要だ。毎年無意味に億単位の余剰金を発生させている曹洞宗。これもまた億単位の公金横領。金があるから不正事件も勃発したとも言える。その金をつぎ込めば平和資料館の建設などたやすいものである。これこそ21世紀の曹洞宗が行うべき事業ではないだろうか。

No.542 2008/02/11(Mon) 07:13:59


提言:寧波を「平和」の聖地に / 地の声 引用

寧波(ニンポー)は浙江省の港町。道元禅師入宋上陸の地である。上陸前の老典座との出会い、修業開悟の場天童山・・禅師の原風景がここにある。宗侶なら一度は訪れたい曹洞宗の聖地だ。

日本人は戦争責任を果たさなかったから、自ら犯した加害行為に鈍感無知である。それは僧侶とて例外ではない。ほとんどの日本人は、戦争被害者と心から「対話」することができない。人は三代前を遡れないという。曾祖父母のことはよくわからない。だが、大きな傷を負った人たちは違う。いまでもその傷が心にしっかりと刻み込まれていることを忘れてはならない。寧波もそんな過去をもっている。そのことを曹洞宗の僧侶は一体何人知っているのだろうか。

「一九四〇年一〇月、港湾都市寧波(ネイハ)の開明街地区にペスト攻撃が加えられた。七三一部隊とその支隊の一つで南京を基地とする一六四四部隊との合同作戦によるこの攻撃では、ペスト菌を混入した小麦、トウモロコシ、布きれ、木綿が空中投下された。(注:投下の際「国民党政府は食料不足で困っているが、わが日本軍は有り余っているのでそれをみなさんに差し上げる」と宣伝した。注:地の声)
攻撃を受けた地区の住民銭貴法(チェングイファ)は当時一四歳で、酒店で働いていた。彼も感染したが、なんとか治癒した。彼は、現在寧波細菌戦実験のただ一人の生き残り証人である。・・・単葉の飛行機が一機東北方から飛んで来て、開明街や東後街あたりにたくさんの小麦粉、粟などを落とし、同時に日独伊三国の国旗と両国が握手している「中日親善」を示すビラを撒いた。二日目に大雨が降り、屋根の上の粉が流れて地面に落ちた。三〇日になって、隣の豆腐屋の主人頼富正(ライフウション)夫婦が病死した。その夜私の店の何福林(ホーフーリン)が発病し、一日も経たないうちに死んだ。その頃、他の店でも急病にかかって死人が出たそうだ。私はその日の夕方熱が出て頭痛がし、リンパ線が腫れて痛く、苦しくて手足の置きどころもないありさまだった。私が病院に入ってから、いっしょに入院した者たちがつぎつぎに死んだのを見た。私だけが死を免れた。
一〇〇人以上が空襲の数日後に死亡した。被害を生じた地域は、新たな感染の危険がなくなったことが確認された一九六〇年代まで封鎖されたままになっていた。」(ハル・ゴールド『証言・731部隊の真相』廣済堂出版pp81-82)


故宮崎禅師は訪中のおり戦争責任にふれ謝罪したと記憶している(確かではないが)。平和を祈る仏教者は、海外に赴くとき常に謝罪の念を忘れてはならない。それなくして真の交流と対話は成り立たない。同じようなことがグアム、サイパン、フィリピンなどの南方の戦地でも言える。撤退時日本侵略軍は軍の機密を守るためと称し住民を虐殺した。その最たるものが沖縄に於ける「集団自決」の強制であると言えるだろう。現地の女性を軍「慰安婦」としたことや死の強制労働の問題も忘れてはならない。特に留意すべきは、仏教者が現地で日本兵の供養を行うのであれば必ず被害者の供養も行わなければならないということだ。さもなければ「日本鬼子(リーベンクイズ)」がまた来たのかという批難を甘受しなければならないだろう。その覚悟もないのなら、現地ではお買い物に現を抜かす軽薄な日本人となりきり、仏教者であることをひた隠しにすることである。歴史的事実に無知であることは仏教者として言い訳にはならないのである。

曹洞宗の聖地「寧波」。21世紀の曹洞宗はこの地を反省と贖罪の地とし、真の平和を築くための「聖地」としなければならない。

No.541 2008/02/10(Sun) 10:16:54


南京大虐殺資料集 / 地の声 引用

南京大虐殺は世界三大虐殺のひとつである(他は原爆とホロコースト)。戦争は人間の良心を奪い残酷さを露呈する。戦争の正体をわたしたちは南京大虐殺に見ることができる。南京城は熊本、名古屋、京都、宇都宮、仙台、金沢の師団によって包囲攻撃された。連隊では大阪、三重、奈良、富山、鯖江、敦賀、会津若松、大分、鹿児島・・・などである。地名を聞くと、とても他人事でいられなくなる。と、同時に当時仏教界も侵略戦争を全面的に支持していたことに思いをいたすとき、自ら背負っている戦争責任の重さを痛感せざるを得ない。
南京大虐殺の事実を否定する人々がいる。そして公立の図書館が公費で彼等の書物を購入し貸し出しているという。南京大虐を正しく知るためには、事実を語る書物を手にしなくてはならない。以下関係書籍等を一部紹介し南京大虐殺理解の一助としたい。

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◎全体像を知るために
 笠原十九司:「南京事件」岩波書店 1997
 藤原彰:「南京の日本軍−南京大虐殺とその背景」大月書店 1997
 秦郁彦:「南京事件」中公新書 1986
◎体験者などによる手記
 東史郎:「わが南京プラトーン」青木書店 1996
 創価学会青年部反戦出版委員会編:「戦争を知らない世代へ(53)揚子江が哭いている−−熊本第6師団大陸出兵の記録」第三文明社 1979
 創価学会青年部反戦出版委員会編:「戦争を知らない世代へ(U−8)鮮血に染まる中国大陸−−加害者体験の記録」第三文明社 1983
◎現地調査と証言
 本多勝一:「中国の旅」朝日文庫 1981
 本多勝一:「南京への道」朝日文庫 1989
 松尾章一:「中国人戦争被害者の証言」皓星社 1998
 侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館編(加藤実訳):「この真実を・・・−−『南京大虐殺』生存者証言集」ストーク 2000
 ヴィダル=ナケ P.(石田靖夫訳):「記憶の暗殺者たち」人文書院 1995
◎論文集
 洞富雄・藤原彰・本多勝一編:「南京事件を考える」大月書店 1987
 洞富雄・藤原彰・本多勝一編:「南京大虐殺の現場へ」朝日新聞社 1988
 本多勝一:「裁かれた南京大虐殺」晩声社 1989
 洞富雄・藤原彰・本多勝一編:「南京大虐殺の研究」晩声社 1992
 南京事件調査研究会編:「南京大虐殺否定論13のウソ」柏書房 1999
 ジョシュア A. フォーゲル編(岡田良之助訳):「歴史学のなかの南京大虐殺」柏書房 2000
◎写真集
 「写真集・南京大虐殺」を刊行するキリスト者の会:「写真集・南京大虐殺」エルビス 1995
 上羽修・中原道子:「昭和史の消せない真実」岩波書店 1992
 アジア民衆法廷準備会編:「写真図録 日本の侵略」大月書店 1992
 曹紅:「中国抗日戦争図誌」(全3巻)柏書房 1994
 ノーモア南京の会:「報道にみる南京1937」ノーモア南京の会・東京 1997
 村瀬守保:「新版 私の従軍中国戦線」日本機関紙出版 2005
◎南京大虐殺をめぐる文学作品
 石川達三:「生きている兵隊」中公文庫 1999
 周而復(日中21世紀翻訳会訳):「南京陥落・平和への祈り」(上・下)晃洋書房 2000
◎資料集
 小野賢二・藤原彰・本多勝一編:「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」大月書店 1996
 ジョン・ラーベ(平野卿子訳):「南京の真実」講談社文庫 2000
 ミニー・ヴォートリン(岡田良之助、伊原陽子訳):「南京事件の日々−−ミニー・ヴォートリンの日記」大月書店 1999
 森正孝・糟川良谷編:「中国側史料 中国侵略と七三一部隊の細菌戦 -日本軍の細菌攻撃は中国人民に何をもたらしたか」明石書店 1995
 笠原一九司:「南京難民区の百日 虐殺を見た外国人」岩波現代文庫 2005
◎ビデオ
 映画『侵略』上映委員会制作:『侵略』パート5「細菌戦部隊・731」映画『侵略』上映委員会 1993
 ムー・トンフェイ監督:「黒い太陽・南京」ゼイリブ 1995
 ジョン・ウー制作:「南京1937」マクザム 1995
◎演劇
 渡辺義治・横井量子 構成・演出・出演:「地獄のDECEMBER−−哀しみの南京」

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No.540 2008/02/09(Sat) 12:45:19


森村誠一『悪魔の飽食三部作』を読む / 地の声 引用

この国の侵略戦争の正体を露呈した象徴的事件が南京大虐殺と石井731部隊の生体実験だろう。今回、じっくり腰を据えて読んだ。

3000人以上の中国人、朝鮮人、ロシア人が実験材料(丸太)にされ殺された。凍傷実験で手足を失いながらも生きている「丸太」は細菌実験に回されて殺され、最後にはあらゆる臓器が摘出された。なかには医師の興味本位でおこなわれた実験もあったという。

石井731部隊でこのような残虐な行為に及んだのは医師だった。自他ともに認めるエリートである。戦争は人間を狂わすといえばそれまでだが、彼らには良心というものがなかったのだろうか。時折本を置いては残酷さから逃れるために読書を休止しなければならなかった。そして、絶対許せないと思った。と同時に、なぜこんな行為が可能だったのか、この答えを自分なりに見いだし解決しなくてはならない。さもなければ、また状況によっては(自分も含み)同様の悲惨が繰り返される可能性もある。大きな課題を与えられた。

戦争が人を狂わす。はたしてこれが答えとなるだろうか。否である。人間はもとより良心と残虐性を持っている。戦争という場面では後者が前者を駆逐する。しかし、良心に基づいて抵抗するのも人間である。戦争に責任を転嫁してはならない。戦争という場は個々の人間の真価を問う場でもある。

以前、医療問題に関わったことがあった。日頃見ることのできない医療の実態と医師の実態を学んだ。そこで知ったのがいわゆる「医師も人間」ということだった。この場合の「人間」は残念ながらいい意味での「人間」ではない。もちろん良心的医師も大勢いる。しかし、大抵はスペシャリストとしてのエリート意識がつよい。それが患者との間に壁をつくる。本来患者と医師の二者一体でなければ成立しないはずの医療現場が、ややもすれば医師主導(医師絶対)となって患者が置き去りにされる場合がある。これは医師が医療をどう捉えているかという医師の医療認識の問題に関わる。医療は患者のためにあるという大原則がゆらいでいるのである。この国の医療は世界でも高水準と言われるが、しかし医師の精神はいつどのように深められてきたのだろうか?『悪魔の飽食』はこの国の医師の不確かな精神を告発したものだ。

仏教はどうだろう。仏教は世のため人のためにあるという大原則が守られているだろうか?戦争を原因に従軍僧を否定するのは簡単だ。ここで見抜かなければならないのは夙に仏教者の精神に関わる問題ということだ。白衣を着、聴診器を下げているから医師なのではない。剃髪し法衣を着ているから仏教者なのではない。注射したり手術していても精神が伴わなければ「真の医師」とはいえない。読経し葬式をやっているからといって精神が伴わなければ「真の仏教者」とはいえないのである。

「国の犯した過誤が粉飾なく語り伝えられることは民主主義が健在である証拠である」(『新・悪魔の飽食』p.132)

同書は右翼攻撃を受けて一時絶版に追い込まれた。現地調査に赴く前夜遅く、筆者は成田のホテルで「写真誤用問題」を聞かされる。そんな切羽つまったなか、石井731部隊の実態を調べ伝えることこそ使命と勇気を振り絞ってハルビンに向けて旅立つ。正義と良心を貫くには勇気が必要なのだとあらためて知らされる。「あなたはどうする?」という人間の存在意義まで問う、重い、極めて重い作品だった。

(森村誠一『新版・悪魔の飽食』『新版・続悪魔の飽食』『第三部・悪魔の飽食』角川文庫)

No.539 2008/02/07(Thu) 07:35:29


祖院復興 / 地の声 引用

約4000件が被害にあった能登半島地震からまもなく2年になろうとしている。良寛のように「災難に逢う時節・・・」と達観するのも結構だが、一日も早く復興がなることを祈らずにいられない。

祖院再建計画が宗門をにぎわしている。再建はもとより必要だ。これに異論はない。問題は方法と規模が適正であるかどうか。宗門の宝であるがゆえにことは慎重にとりくまれなければならない。と、同時に、宗教施設であるがゆえに、その再建は宗教的意義がなければならないと思う。

大きく豪華な家はだれしもが憧れるものだ。寺院も例外ではない。なかには寺の再建に数十億という予算を持つものもある。そして、それはみな檀家信徒からの寄付である。「寺のため」「ご先祖のため」と大抵の人々はしぶしぶ寄付に応じるが、はたしてそれほどの価値があるのか?宗教的意味があるのか?・・と当の住職は考えたことがあるのだろうか。その原則をしっかりわきまえていないと見事に仕上がった寺も空虚なるものである。「達磨廓然」はその消息を語ったものであり、禅坊主の基本の「キ」であろう。

門前町の被災者はいまでも大変難儀されている。そこに豪華な寺が出現したとき、市民はどう思うだろう。確かに、観光収入が増え町が活性化するという効果はあるだろう。しかし、それは禅道場の本来の目的ではないはずだ。寺は市民と苦楽を共にし、共に泣きあるいは喜ぶものでなければならない。「同事」は空文句ではない。こんなときこそ、宗門がいま「おことば」で掲げている「同事」が実践されなければならないのではないか。

禅寺の美は綿密に手入れされた美しさにあると思う。キンピカや世俗的豪華絢爛はふさわしくない。節約、倹約、破れた障子の穴には紙を切って貼る。古くなったからと言ってすぐに買い替えない。禅門には「環境」の精神が元来培われていたのだが、昨今の再建された寺院を見るにつけ嘆かざるを得ないのだ。

たかが建物と言ってはいけない。仏教者たるものが行動するとき、それは仏教的でなければならない。折角の祖院復興である。さすが曹洞宗は違うと大向こうを唸らせる「仏教精神」の滲み出るような事業にしてもらいたい。

No.538 2008/02/05(Tue) 07:19:32


大法輪 / かものはし 引用

創刊はいつだろうか。雑誌『大法輪』も戦争扇動した重大な責任があるわけだ。いまも無反省かもしれない。シリーズこの仏教者の戦争責任はとても勉強になりました。戦後60数年無反省で来たのではないかという思いがつのります。まずこのシリーズのことを課題に挙げる
ことが一番最初の登竜門かもしれません。問題意識がなさすぎるのが現状ですし、あきれるほどその矛盾に頬かむりが過ぎます。朝鮮戦争・安保闘争・ベトナム反戦運動・アフガン戦争・イラク戦争の今。無残な仏教界だと
恥さらしの現状だと思います。わが宗門の管長さんは先頭に立って仏教徒の反戦平和に立ちあがってほしい。
少なくとも態度を鮮明にして頂きたい。どちらなのか
いま我々の税金はイラク戦争反テロ戦争のアメリカに使われているそれに反対か。しょうがないのか賛成か。仏教徒としてどちらが正しいのか。ブッダはどう思うか。

No.536 2008/02/03(Sun) 01:10:38

 
Re: 大法輪 / 地の声 引用

大法輪の創刊は昭和9年です。昭和7年=満州国成立、昭和8年=国際連盟脱会、昭和11年=2.26事件。
この国が大陸侵略を本格化させた時と一致します。

因みに、社長石原俊明は曹洞宗の僧侶。

No.537 2008/02/03(Sun) 17:39:22


大東仁『お寺の鐘は鳴らなかった』を読む / 地の声 引用

(「仏教者の戦争責任」まとめにかえて)

私の住持する寺は戦時中東京の疎開児童を受け入れた。大人になったかれらは戦後幾度か寺を訪れ、先代住職と昔話に花を咲かせていた。寺が宿泊を提供することで戦争の悲惨さから子供たちを守った・・と、なにもわからない私はそのころ寺を誇りにすら思っていた。

「クラスでひとり残されたわたしは、疎開列車が駅を出るのを校舎の蔭から泣きながら見送っていました。」みなが疎開できたわけではなかった。これは被差別部落の方が小学校の同窓会で語った言葉だ。この事実を知ったとき、わたしの「誇り」は揺らいだ。

大東仁氏は、寺と学童疎開の関係を明確に述べている。
「一般的に、寺院というのは土地・建物が大きいといえます。戦時下ではこの寺院の建物がいろいろ利用されています。その一つが疎開児童の受け入れです。アジア太平洋戦争末期、都市部への空襲が予想されると、国民学校(小学校)三年生から六年生の児童は、空襲の危険性が少ない地方へと集団あるいは個人で疎開しました。一九四四年(昭和十九年)八月一日、東西本願寺は疎開児童の受け入れを全国の寺院に指令しました。学童疎開はその三日後にはじまっています。第一回「平和展」に先立ってのアンケート調査では、一四三の寺院が疎開学童を受け入れたと回答しています。戦争遂行のために決定された学童疎開。この児童を受け入れることは、寺院施設が戦争遂行の底辺を支えたことになります。」(大東仁『お寺の鐘は鳴らなかった』1994教育資料出版会p.52 )

寺が戦争遂行の底辺を支えたこと。言われてみればそのとおりなのだ。私は自分の寺も戦争に協力していたことにようやく気付いた。これは寺の戦争責任であり、現住である私の戦争責任である。

同書は真宗が戦争にどうかかわったかを実に明瞭に語っている。「金属回収」「建艦翼賛運動」「慰問袋」「軍隊歓送・遺骨奉迎」「神社参拝」「戦死者葬儀」「名誉の戦死と英霊」「軍人院号」「戦死者追弔会」「各種法要」・・・。それぞれが具体的事実とともに描かれており、仏教が積極的に戦争に協力した様が理解できる。平和を願う仏教者必読の書である。これはなにも真宗に限ったことではない。曹洞宗も状況は同じだ。

十数回にわたって「仏教者の戦争責任」で資料を提供してきた。事実は雄弁に勝る。仏教者が犯した戦争犯罪の事実は、今後さらにより一層明らかにされなければならない。

「日本が過去に中国やアジアで行った戦争での残虐行為について知っているのは、被害を受けた国々の子供だけです。加害者である日本の子供たちは、何も知りません。これでは将来、日本の子供たちは、アジアの子供たちと真の友好はできません。」(ハル・ゴールド『証言・731部隊の真相』2002年廣済堂出版 pp227-228)

いま現役の仏教者のほとんどが戦争を知らない世代である。この国の仏教者が「平和」を尊ぶ真の仏教者たり得、アジアを含む世界の人々と「平和」を実現するためには、まずはこの国の戦争責任と仏教者の戦争責任を直視することである。無反省からは独善しか生まれない。

また、心底から戦争を憎まないものに「平和」を語る資格はない。恨み辛さが平和を実現するエネルギーとなる。仏教者にいま求められているのは、問題を抽象化し或いは無化することでなく、事実を直視することであろう。そして、どうしようもない責任の重さに押し潰されながらも、不格好でいいからヨロヨロと立ちあがることである。

No.535 2008/02/02(Sat) 06:42:22

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