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中国の名僧・太虚 / 地の声 引用

日本帝国主義は中国東北部を侵略して偽満州国を造り、宗教界が宣撫工作を行った。当時、中国の仏教者はそれに対してどう反応したのか。

のちに日本宣撫工作機関「満州国仏教総会」の会長となった中国僧・如光は、国と信仰を捨て日本に「身を委ね、寵愛を受け」た。この件については『植民地期満洲の宗教』pp60-103呂元明「満州における如光」に詳しい。一方、仏教者として日本の侵略を厳しく批判した僧もいた。名僧・太虚(1890−1947)である。以下、中濃教篤『天皇制国家と植民地伝動』から引用する。

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「満州事変」勃発の年の十月、当時の中国仏教界における最高指導者と目されていた太虚(たいきょ)が、「瀋陽事件のために、台湾、朝鮮、日本四千万仏教民衆に告ぐるの書」を発表、そのなかで、日本の「満州」(中国)侵略政策に関し、「これは日本の少数の貴族軍閥のなすところであり、日本全国民の公意であるとは思われない。‥‥ここにおいて、台湾、朝鮮、日本四千万仏教徒は、速かに一大連合をなし、菩薩の大悲大無畏の神力を以て、日本軍閥政治家に因果の正法を諭し、その一切の非法行動を制止させよう。台湾、朝鮮、日本四千万仏教同胞よ速やかに起て」(華文『太虚大師年譜』)と激しく、しかも切々と訴えたことを記憶しておくことは重要であろう。太虚はその後も一九三五年(昭和十)の「日本仏教大衆に告ぐ」、一九三七年(昭和十二)盧溝橋事件をふまえた「全日本仏教徒衆に告ぐ」、一九四〇年(昭和十五)の「日本仏教徒に告ぐるの書」、敗戦直前の一九四五年(昭和二十)七月、「日本四千万仏教徒に告ぐ」という日本の無条件降伏を訴えたものと五たびに及んで、日本仏教徒が中国侵略政策に批判的態度を堅持することが仏陀の精神にかなったものであるとの呼びかけを続けている。
‥‥「お国のお坊さん方が、万里の海を越えて、この支那大陸に渡り、何をなさろうとするのですか。漢民族の大部分は、現在の日本人が仏教を尊んでいる程度では、日本人の人後に堕ちませんよ。漢民族のわたしどもに仏教を説く前に、日の丸と銃剣の威光を背景に、この大陸に流れ込んできて、我欲一点張りにわれわれをさいなもうとしている日本人をまずご教化下さい。いやいや、それよりも、近衛さんや東条さんのような日本の指導者にお念仏を勧めて下さい。日本の指導者が敬虔な仏教徒になって下されば、この不幸な今日の事態も即刻解決するのではないでしょうか」‥‥
‥‥ところで、さきの太虚による日本仏教徒への呼びかけのうち一九三五年(昭和十)の抗議声明に対し、こともあろうに日本の仏教有識者で組織していた明和会は、「要するに、支那政権軍閥の徒の飽くなき貪欲の為‥‥又人類人道の公敵たる共産党‥‥を全支より駆逐し、真に憐むべき民衆を救済し、以って東亜永遠の平和を確立せむが為‥‥この已むに已むを得ざる大悲折伏、一殺多生はこれ大乗仏教の厳粛に容認する所である」(『禅学研究』第五十号市川白弦稿『仏教における戦争体験』より)などと反発の文書を送っている。

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ここで引用した中濃教篤著『天皇制国家と植民地伝動』は1976年に国書刊行会から発行された(定価1,800円)。市川白弦の研究と並ぶ、仏教の戦争責任に取り組んだ初期の名著と言えるだろう。ちなみにわたしは、この書を古本屋で入手した。10,000円だった。むべなるかな・・と思っていたが、後日調べてみると、なんと、ニチレン出版から2,200円で販売されているではないか!「とほほ」な目にあっただけに印象深い書となった。

No.557 2008/02/25(Mon) 06:59:46


提言:実行力のある体制を / 地の声 引用

提言:実行力のある体制を

浄土真宗本願寺派はこの度、貧困・環境問題への取り組みや災害救援などを進めるNPO法人「annon」を設立し、大遠忌宗門長期振興計画・推進事項の『千年の森(本願寺の森)』事業と連動させることになったという。曹洞宗で言えば「人権・環境・平和」問題に取り組むNPO法人を立ち上げることに相当する。

曹洞宗の三大スローガンが、いまひとつ迫力を伴わず、成果もなく、一般寺院に白け感が漂っているのは、このように実行力のある組織を立ち上げないからである。いいものは見習い早速曹洞宗も導入すべきである。「平和」に関しては曹洞宗戦争責任研究センターの設立を既に提言しているところだが、「環境」に関して、あるいは「人権」に関してNPO法人の立ち上げも是非とも実現していただきたいものだ。その活動から曹洞宗が得るものは極めて大きいものがあるはずだ。

それに合わせて、人材の育成も急務である。折角仏縁あって仏教学部に在籍しても、4年間無為に過ごす学生のなんと多いことか。就学時にアルバイトやインターンシップに参加して職業経験をつむ制度を「デュアルシステム」というが、この制度を発展させ、就学時に一定期間、「人権・平和・環境」に関するボランティア活動に就かせるシステムを大学の仏教学部に導入してはいかがだろうか? 「三周遅れ」と「もの申す」で揶揄されている現在の曹洞宗。曹洞宗に黎明が差すこと間違いないと思う。

No.556 2008/02/24(Sun) 06:39:04


戦時下宗教界の「献納機」(補足:軍用飛行機「曹洞号」の献納について) / 地の声 引用

「集団ヒステリー」一語でかたづけられるものではない。なぜか戦時下この国の人々はまるで競うように軍用機を献納した。「愛国第31号」は全国の幼稚園と小学生が一人一銭を献金して献納した軽飛行機である。こんな異常な状況をつくりあげた背景には宗教の果たした役割が大である。いわゆる「精神」をつくる(マインドコントロールする)のは教育であり宗教であったからだ。「集団ヒステリー」でなく「マインドコントロール」がおこなわれたのである。

思うのだが、侵略戦争が国民運動化されたのは1937年を嚆矢とするのではなかろうか。6月9日に近衛内閣が発足し、7月7日日中戦争開始、8月「国民精神総動員体制」発令、「国体の本義」が出され南京大虐殺がおこなわれたのが1937年、昭和12年である。ごく少数の良心的平和主義者を除き、宗教界は諸手をあげて侵略戦争に協力した。いや、リードしたと言っていい。その象徴が献納運動であったと言えるだろう。梵鐘、燭台、仏具までを献納し、軍用機を献納した。宗教界が率先して範を示すことによって、なんと子どもたちまでが侵略戦争に有無を言わさずに組み込まれたのである。

いまだ軍用機の献納については詳細が明らかにされていない。『陸軍愛国号献納機調査報告』(http://www.ne.jp/asahi/aikokuki/aikokuki-top/Aikokuki_Top.html)だけが総合的に情報を入手できる唯一の場である。しかし、管理者の言うように(そのマニアックな情報収集力にもかかわらず)未だ不完全である。「補足」として、宗教界の献納実態をそれから抜き出して記す。
(金光教、曹洞宗、キリスト教団体は既出のため省いた。管理者によれば5,000機以上の献納があったが、献納者が明らかになったのは1,643件。以下の献納数は最少であって、実際はそれ以上献納された可能性が高い)。

注:献納日が9月20日が多いのは1940(昭和15)年に制定された「航空の日」にちなむか
らだろう。日本で最初の飛行に成功したのは、1910(明治43)年12月19日に東京・代々木
錬兵場で徳川大尉が行った飛行実験だった。しかし12月では気候的に「航空日」の行事に
適さないため、帝都上空一周飛行が行われた9月20日を「航空日」とした。(「今日は何の日」http://www.nnh.to/09/20.html

◎西本願寺・・・・3機
昭和17年9月20日 「鹿宮綾本願寺号」(献納番号1255)
 但し、鹿児島県、宮崎県の両本願寺門徒の献納
昭和18年9月20日 「西本願寺北海道号」(献納番号1353)
昭和18年      「西本願寺号」(献納番号1471)
◎日蓮宗・・・・3機
 昭和18年9月20日 「立正報告号1〜3」(献納番号1384〜1386)
◎成田山新勝寺・・・・1機
 昭和13年5月30日 「新勝号」(献納番号275)
◎密教護国団(高野山僧侶)・・・・1機
 昭和9年6月15日 「偏照号」(献納番号115)
◎その他、中外日報の献納1機(2機か?)
 昭和19年9月27日 「第二中外日報号」(献納番号4981)

『日本昭和航空史 日本陸軍愛国号献納機』(モデルアート2001)に、興味深い献納命名式の写真が載っている。「写真上と右の3葉は、一風変わった献納式で、昭和14年2月4日、立川飛行場で行われた愛国313号相撲号の献納命名式の模様。大日本相撲協会が献納したのは九七式戦闘機で、この式典では、横綱双葉山以下取締役など150名が参列、玉串奉奠に当り双葉山、男女ノ川両横綱による土俵入りが行われた」と解説されている。なんとも異様な不思議な光景だ。献納機に向かって土俵入りをしているのである・・この国の文化・伝統の正体を見た思いだ。

曹洞宗は推定10億円(現在価値)を集め3機を献納したが、献納命名式はさぞや賑々しくおこなわれたに違いない。おそらく羽田空港が会場となったと思われる。曹洞宗のトップらが参列し(玉串奉奠があったかどうかは分からないが)、必勝祈願法要くらいは営まれたに違いない。誰がどんな香語を語り、何を読経し、回向文はどんな内容だったのか・・。

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※さらに補足として

No.549で曹洞宗の献金額と実際に献納された軍用機の数に疑問を呈したが、9機献納した金光教の献金総額は157万円だった(換算すれば40億円近い)という。ここでも献金と軍用機数の間に大きな乖離がある。『日本昭和航空史 日本陸軍愛国号献納機』に、山下汽船会長の山下徳太郎は航空機研究開発のためとして100万円を寄付、政府は陸海軍にそれぞれ50万円ずつ分配し、陸軍は「陸軍学芸技術奨励規定」を設けて、他の寄付金も併せて研究開発および機材購入にあてたとある。また大戦末期に現れた毒ガスなどの研究開発なども行ったとある。(同書p.2)
731部隊長石井四郎は部隊の年間予算は東北6県の一年分の予算に匹敵すると豪語していたそうだが、その豊富な資金はいったいどこからでていたのだろうか?献納運動によって集められた金の一部が流れ込んでいたと考えるのは無理だろうか?

No.555 2008/02/23(Sat) 06:29:31


高僧迷言集(下) (B・A・ヴィクトリア『禅と戦争』から) / 地の声 引用

◎井上円了(真宗)
「本団の目的は、皇室の尊崇を保護し、仏教の勢力を拡張して、以って大日本帝国の元気を充実せしむるに在り。其我大日本帝国古来の精神たる政教の本基即ち我皇室と我仏教とに対して毫髪ばかりも毀損を防御せざるべけんや」(尊皇奉仏大同団・目的)
「古来我国民は君の為に其身を棄つるは弊履を脱するが如し。」
「若し果たして彼より我を視て神敵と云うならば、我より彼を視て仏敵と云わざるべからず。彼の軍が神軍ならば、我の軍は仏軍なるべし。是に於いて露国は我国敵なると同時に仏敵なり。」

◎大須賀秀道(真宗)
「念仏を唱えるから、戦場に出られるのである。死ねば極楽と思えばこそ、死ぬ覚悟も定まって、奮闘することが出来るのである。ああ義の為に戦い、慈悲の仏心で戦い、世に忠臣となり死んでは浄土へ迎えられることは、実に何よりの幸福ではないか」

◎佐伯定胤(法相)
「其如来の大悲、大悲と云う其信仰、其理想を之を政治の上に施して見ますれば、日本の領土に居りまする国民は一人として、天皇の赤ん坊でないのはないと云ふことのなるのであります」

◎椎尾弁匡(浄土)

「我が皇室の中に宇宙の正義の中の最も正しき正義が見出され、宇宙の求道力の中の最も正しい正義が宿って居る。この真実を求めて止まざる力が九重の雲深き中にありながら、野に照らし出されて、さうして真実の信仰を見出し育てて行く、正しい信仰を見出して行くのである。」

◎高佐日皇(日蓮)

「故に皇道仏教の御本尊は印度応現の釈迦牟尼仏ではなくて万世一系の天皇陛下で在らせられます。」

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著者を駒沢大学のキャンパスで何度か見かけた。背筋を伸ばし凛とした堂々とした風貌だった。ラストネームから僧名を「勝利」と言ったと思うのだが、この書にはそのことは触れられていない。悲観のあまり、日本の仏教者名を捨てたのだろうか‥。同書は「第一二章 戦後日本における企業禅の登場」で終わる。「軍人禅」が無反省からその本質を維持したまま姿を変えて企業への服従、忠誠、「定力」を生産する装置となっていることを指摘している。「軍人禅」は現在も進行中で、そこでは戦死が過労死に姿を変えている。社会の禅に抱く幻想と期待は大きい。子ども参禅会、前述の社員研修、スポーツ界の鍛練・・坐禅そのものを否定する気は毛頭ないが、指導者自身が禅をどう理解しているかは実に重大な問題である。ひたすら忍耐を強要する「我慢大会」は仏教とは言えないし、気分転換を目的とすることもまた仏教とは言えない。

仏教は智慧の宗教である。無原則に信じ込むのは智慧とは言えない。戦時下の「高僧」を相対化すること。そこから今の仏教者の進むべき道を模索すること。これがいま「平和」に取り組む私たちに求められていることである。ひとつだけ疑問を呈する。明らかに戦争遂行装置だった「仏教」が、なぜ戦争犯罪を問われなかったのか?石井731部隊のように、あるいは大元帥裕仁(天皇)のように連合軍特に米国によって見逃された理由があるはずだ。その隠された理由が今でもこの国に通奏低音となって流れ続けている。

話は飛ぶが、パリ郊外に曹洞宗「公認」の禅道場が誕生した。そこで修業する方々がこの著者の体験した挫折を繰り返えす(あるいはこの厳然たる事実に気づかないまま漫然と坐禅する)ことになれば、金ばかり掛かる、なんとも無意味かつ非仏教的禅道場ではないだろうかと思うのだ(この禅道場建設では、刑事告訴された宮崎英輝宗議と小林千秋本庁課長が現地を訪れてプラン固めをしていることも忘れてはならない)。禅が外国人にとってE.サイードの言う所詮「オリエンタリズム」でしかないのなら、それはオペラ「お蝶夫人」のようなエキゾチックでわくわくするお芝居でしかない。それは禅ではなかろう。

最後に訳者の言葉を紹介する。

「訳者として‥‥将来ある青年たちが、二度と再び「宗教」の狂気―そこには洗脳する側と求める側があったこと―に惑わされることなく、またいかなる国家主義にも翻弄されてはならない時代がやってきたことに目覚めるきっかけとなればとの思いの一念でやりとげたことをご報告しておきたい。」(2000年初夏のオーストラリアにて エィミー・ルイーズ・ツジモト)

No.554 2008/02/22(Fri) 06:50:17


貫主と愚童 / かものはし 引用

高僧って一体何んなんだろうって思いますね。現代の
高僧もかってのそれ迷言集とあまり変わらないのではないかと思っています。それじゃあ別に高僧でも何でもないってことになります。まさに寒気がするほどです。
しかしここから出発するしかありません。この矛盾のなかで何が正しく高僧はだれか高僧とは何か見極める眼力
が必要なのでしょう。内山愚童しと高僧がこれから一人一人の僧侶が考えるべき乗り越える対象ということでしょうか。今度のビデオが内山愚童師に限定されることなく大きな広がりのなかでとらえられる第一歩になれば幸いですしそうならなければ意味がありません。

No.552 2008/02/21(Thu) 14:01:00

 
Re: 貫主と愚童 / 地の声 引用

恐るべきは、「高僧」の実態がわからないまま床の間に墨跡を掛け、有りがたがっている幼稚なる仏教者。戦争責任を回避するものは自己正当化します。子どもにもそう語ります。その犠牲者が現在の仏教者。高僧無謬論を批判する理由です。

ビデオ「内山愚童」が、全国で批判的に学習されることを切に願っています。ポイントは「曹洞宗と国家」です。国家に隷属し、いまでも基本的体質の変わっていない曹洞宗をこのビデオを通じて明らかにしていきましょう。それが内山愚童の処刑に自己が仏教者として応えることだと存じます。

No.553 2008/02/21(Thu) 22:11:42


高僧迷言集(中) (B・A・ヴィクトリア『禅と戦争』から) / 地の声 引用

◎飯田攩隠(とういん)(曹洞・原田祖学の弟子)

「古来の武士が禅に参じた例は、実に枚挙に遑がない、禅がいかに武士道に力を与えたかを知るがよい。近頃も幸いに軍人間に禅宗が流行するは、実に悦ばしきことである。」

◎安谷白雲(曹洞・原田祖学の弟子)
「大乗の菩薩たる仏弟子は第一不殺生戒の立場から、如何なる態度をとるべきものであるかといふのであります。これは大乗戒の精神が分った人には、直ちに解答が出来る筈であります。それは勿論殺すのであります。大いに殺すのであります。大いに戦って、敵軍をみなごろしにするのであります。」
「仏法は平等主義であるなどと云ふて、差別の道を軽んずるやうな見方をする者もあるが、それは誤りである。平等は吾人の本質論であり、内容論であって、それはただ内在の仏徳についていふのである。現実は必ず差別であって、現象界に平等といふものは絶対にないと説くのが仏の正法であり、それが世界の事実である。之に反して現象界に於いて平等を説き、以って国家社会の秩序を乱し、統制を破らんとするが如きはユダヤの魔説であることを知らねばならない。」
「今日右翼団体と称するものが、本当の日本主義であり、本来の日本を護持することを目的としている。ソ連や中共の誘惑や謀略にひっかかって、本来の日本を忘れ、国体を忘れ、伝統を軽蔑し、皇室を無視するような片輪(ママ)になっている。これらの片輪に対する憤激が、時に山口二矢君の行動となったり、三島由紀夫氏の言動ともなる」
「今や日本には野党四派をはじめ、総評だの官公労だの、日教組だの、青法教会だの、ベ平連だのと、いろいろな団体があって、‥‥みずから進んで国賊となっている。‥‥こんな大学は片っぱしからつぶしてしまわねばならない。それが現憲法では出来ないというなら、そんな反日本的な亡国憲法、すなわち占領軍の落し子たる偽憲法の失効宣言を、一日も早く実行」
「機械の組み立てはすべてネジを右に巻くことによって成り立つ。右まきは成立を意味し、左まきは破壊を意味する」

◎忽滑谷快天(曹洞)
「もし人が動物としてではなく、人としてあるのなら、『サムライ』になるべきこと。つまり、勇敢で施しある誠実な人柄、忠孝心もあり、男らしく自信に満ち自尊心があると同時に自己犠牲の精神にも溢れた人格を要する」

◎新井石禅(曹洞)
「仏教はかならずしも戦争に反対するものではない。‥‥もしも我々が国家に対する忠孝を忘れるなら、いかなる人類愛を主張しようが、決して真の平和は訪れない」

◎秦慧照(曹洞)

「尤も釈尊は因地修行の際、義ある戦ひをなされたが、その功徳によってこの世に仏として出現なされたといふこともあるのだから、義ある戦ひは、仏教のうちの一つの仕事であると云へるし、敵国降伏といふことも、やはり仏教のうちの一つの行事に数えられてゐるのである。今日このやうな美事な戦果を収め得たのも、国民の念力が與って力あることゝ思ふ」
「此の日、釈迦牟尼世尊は、一見明星、菩提樹下に大悟成道なされたのであるが、わが東亜はまさしく、昨年十二月八日、米英撃滅の大詔渙発により、新東亜、大東亜としての新発足、いはば、成道をしたのである。われわれ日本帝国臣民として、此の栄ある時代に生をうけたる者、いや、大東亜の今日を、明日を、双肩に荷担ふべく生まれあはせたるわれわれお互いは、此の大東亜成道の暁をして真に有終の美をなさしむべく、絶大の覚悟を固め、絶大の努力を払わなければならぬ。われわれは今、大東亜戦争勃発一周年の記念日を迎えんとするに当たり、前途の容易なからざるを思ふと共に、勝たずばやまぬ必勝の覚悟を固くせざるをえないのである」

◎大森禅戒(曹洞)

「高祖大師の親訓に『仏道をならふといふは自己をならふなり、自己をならふといふは自己をわするるなり』とある。自己を忘るる仏道の大本に立脚することが臣道実践の真髄である。いつでも、どこでも、何事にでも此の真髄を体現してこそ初めて仏教報国の行願となるのである」

◎増永霊鳳(曹洞)
「倫理的実体としての国家と宗教とは、その深き根底に於いて、当然結合しなければならない。‥‥特攻精神の根源は、個我の否定によって、ともに歴史を担う魂の復活の存する。この心の転換を、禅は古来大悟徹底と呼んだのである」

◎林屋友次郎・島影盟(曹洞・学者)

「仏教が戦争を悪いとも良いとも定めないといふのは、形の上の戦争を見ないで、その目的を問題にするのである。そして、善い目的を持つ戦争ならば善いとし、悪い目的を持つ戦争をば悪いとする。仏教は仏教の心に叶った戦争を是認するばかりではない。もっと積極的に動く時は、仏教自身が戦争主義者でさへもあるのである」

◎山田霊林(曹洞)

「仏教が果たして、お上の御用にたってゐるかどうか、質に於いても量に於いても、最も優秀に、お上の御用にたつことを要するのである。何れの宗派たるを問はず、等しく大政翼賛の大義に挺身することを要するのである」
「英霊の正体は忠勇義烈なる善業力そのものである。火の玉のやうに熱しきった善業力そのものである。これが無くなることはあり得ない。英霊は英霊自身その力によって、食物や気息をその中に巻き込み得る因縁の純熟を俟って、肉体を具えて現れること必定である。‥‥この業力の生み出す身や心が、今のものと変ることはあり得ない、といふ意味を述べていられる。‥‥忠勇義烈な将兵が、天皇陛下の万歳を唱えて絶命する、この将兵の英霊が、日本の此の国土に生まれることは、当然過ぎるほど当然だといはねばならぬ」

◎榑林皓道(曹洞)

「今次の北支事変が正義の為の戦争であることはいうまでもない」
「故に皇軍の進む所には仁愛のみあって、支那兵の如き残虐無道の行為は有り得ない。これこそ実に仏教が永い間かゝって育成し来った偉大なる成果と云ってよいであろう。言ひ換えれば仏教精神に鍛えられた皇軍将士には残虐性そのものが存しないのである」

                      (続)

No.551 2008/02/21(Thu) 05:55:46


高僧迷言集(上) (B・A・ヴィクトリア『禅と戦争』から) / 地の声 引用

1970年春、ベトナム反戦運動をしていた著者は丹羽廉邦(当時永平寺東京別院監院)に「禅僧たるものは一切、政治活動に関わるべからず」「この警告を無視するようなことがあらば、僧籍剥奪ということもやむをえまい」と叱られたという。あの温和な丹羽廉邦禅師にもこんな一面があったのかと驚く。筆者はベトナム戦争に反対し良心的徴兵忌避者として宣教師となって来日した。キリスト教に限界を感じ仏教(禅)に平和を期待して出家した筆者が、日本仏教の実態に触れての落胆は察するに余りある。同書から「高僧」の「迷言」を抜き出し、いまだに無根拠で根強い高僧無謬論を批判する。
(ブライアン・アンドルー・ヴィクトリア著『禅と戦争 禅仏教は戦争に協力したか』光人社 2001年。 原題は“Zen At War”1997年にドイツ語、フランス語、イタリア語で出版され、2001年に邦訳出版された。)

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◎釈宗演(臨済)
「人生のもっとも残酷な行為を通して自分の信仰を試したかったこと。同時に我々の勇気ある兵士たちに仏の崇高なる思想を通して、生気をとり戻してやりたかった。それによって兵士たちに彼らの任務が偉大かつ崇高であることの自信をうえつけることで、戦場での死を迎えさせてやりたいと思ったのである。」(日露戦争第一師団従軍布教師当時)
「釈尊はまちがいなく不殺生を説いた。一切衆生は大慈悲心で統一されぬ限り、平和は決して訪れない。それゆえに互いに矛盾する物事を調和させるには、殺戮と戦争が必要になってくる」(戦争批判を求めるトルストイへの返信)

◎鈴木大拙(臨済)
「宗教とは、まず国家の存在を維持せんことを計る」
「兵を養ひ武を練るは‥但々自国の存在をして邪魔外道の侵す所とならしめざるに在るのみ。巨艦を造り大砲を鋳るは‥但々自家の歴史をして不義無道の乱す所とならしめざるに在るのみ。」
「一たび外国と釁を開くに当たりて、海兵は水に戦い、陸兵は野に闘ふ。剣花閃き砲煙漲るの間に在りて、縦横馳騁、命を鴻毛の軽きに比して義を泰山の重きに見る、只斃れて已むを期せんのみ。是之を有事の宗教と謂う。」

◎山本玄峰(臨済)
「仏教は人道の真の円満を根底となすが故に、之を破壊する者あれば、止むを得ず善人といえども之を斬るなり」

◎関精拙(臨済)

「今や聖戦第六年時局重大の時に当たりまして、諸君はよく御勅諭の旨を奉戴し、忠勇にして節操あり、質実にして剛健に、精神的にも肉体的にも益々修行をつまれて、帝国軍人として恥ずかしからぬやう、古武士の如く雄渾なる精神を体得し、真に東亜の建設、世界の平和のために御奉公あらん事を冀って止まん次第であります」

◎日種譲山(臨済)
「理想より云へば、自己を犠牲にして、支那を赤化または経済的奴隷化より救ひ出し、彼等をして東洋人として生かさんが為の義戦であり道義戦である。一に之を菩薩の大行的聖戦であると云っても恐らく不当ではあるまい」

◎山田無文(臨済)
「日本は自らを滅ぼして、しかも立派にアジアの国々を独立させました。まさに聖戦の名に恥じない成果であったと思います。これらはすべて忠勇無双なりしわが二百五十万の英霊諸士の功績に外なりません。独立できたアジアの民族は、永久にその勲功をたたえて止まんと思います」

◎原田祖学(曹洞)
「進め、トツトツトツ、撃て、パチパチ。是は之れ、無上菩薩の露堂々。戦禅一体と云うも、聖戦を去ること百万百里、喝、稽首礼無上尊」
「内外浄化運動として刀(武器)を取らざるをえまい。これは大乗禅での殺人剣、すなわち活人剣をいう。ゆえに一部の者がいう戦争罪悪論などはタワケた寝言である。‥‥願わくは十ヶ年ほどファッショ政治にして、国民をよく鍛練してから立憲政治に還更するがよい」
「一億総玉砕の覚悟を要する‥‥見敵必殺、破邪顕正は禅門の要諦である。人を斬らば須らく血を見るべしともある。倒まに鉄馬に騎って鉄城に入るともある。平素坐禅したのは、斯かる一大事の時に役立てるためではないか」

◎沢木興道(曹洞)
「日露戦争を通じて、わしなども腹一ぱい人殺しをしてきた。なかでも、この得利寺の戦いでは、敵を落とした穴に追い込んで、ねらいうちにして能率を上げたもので、中隊長はとくに、わしのために個人感謝状を申請したが、感状はおりなかった」
「みんなが、『ありゃいったい何者だい』『うん禅宗の坊さんだげな』『なるほど、さすが禅宗の坊さんはちがったものだ、肚がでけとる』」
「一切の欲を捨てる。‥これを我が日本の軍隊にすれば、軍旗の下に水火もいとわん。軍旗の下に命も物の数ではないと云う、その境地である。わしはそれで、念彼軍旗力と云う。この軍旗の下に身を捨てる。これは実に無我である。」
「上長の命令に服従し、これに従っていくとき、直に陛下の股肱として、完全なる兵隊になる。この中では、杉本中佐は我を捨てることを念彼天皇力といっている。かの天皇の力を念ずれば、生死を離れ、幸不幸を超越して戦をする。‥‥これが無我の体得である」

                     (続く)

No.550 2008/02/20(Wed) 06:27:55


軍用飛行機「曹洞号」の献納について / 地の声 引用

「献納機」とは企業や団体、個人からの寄付金を集め、戦闘機などの軍用機を献納したものである。昭和7年(「満州国」成立)から始まり終戦まで続いた。陸軍は「愛国号」海軍は「報国号」と呼ばれ、献納者などにちなむ名が命名式で付けられた。陸軍「あいこく1号」から始まったが、同18年(1943)頃から、朝日新聞の献納運動キャンペーンなどもあって、瞬く間に全国的に広がった。国民総動員、国を挙げての侵略戦争を象徴するものである。

体制補完装置である宗教界もご多分に洩れず、競うように軍用機の献納をおこなった。なかでも金光教は9機と際立つが、キリスト教団体も4機献納している。曹洞宗は昭和17年、「曹洞号」の献納をおこなった。

「高度国防国家建設の国策に重農する挙宗一体の赤誠は、やがて曹洞号の勇姿となって東亜共栄圏の空高く飛翔すると共に、新宗制によって発足せる宗風も高く挙揚されなければならぬ。一面に於いて宗徒翼賛の気魄を示す機会ともなるが、一面に於いては国民精神の振起興隆に資するところも亦大なるものがあるを信ずる」(「曹洞宗報」1941年9月1日)

『献納者一覧表』が「曹洞宗報」第66号別冊として配布されている。全国の曹洞宗寺院、大本山、系列学校、僧堂・・すべてが献金に協力しており、個々の献金額が一覧できる。

総額はいったいどれほどだったのか・・ラフに計算してみた。昭和17年と現在では寺院数が大きく変動しているので、当時と現在と教区数が変わらない岩手県(教区数12)をサンプルに採りあげた。同県第一宗務所第一教区の献金合計額は453円である。貨幣価値は1円≒2500円、教区数は現在およそ800だから、453円×2,500×800=906,000,000円となる。寺院の献金の他に、「管長・秦慧昭1,000円」「大本山永平寺5,000円」「大本山總持寺5,000円」「宗機審議会・高階瓏仙5,000円」「同・福山界珠5,000円」、植民地下の台湾からは「台北中学校職員生徒一同1,000円」宗内特志分として「東京・高岩寺・来馬権威500円」などあり(他にも多数あるが省く)、以上献金総額はいまの貨幣価値に換算して10億円以上と推定される。(参考:5,000円は12,500,000円に相当する)

では、献納機はいくらかというと、

「愛国号献納王の小布施新三郎氏(当時60歳)のことも、やはり同書に出ていました。 一月末か二月初めの某日、商人風の老人(小布施氏)が陸軍省徴募課を訪れ「飛行機を献納したいのだが、価格はいくらくらいでしょう」と尋ねたので、「戦闘機でも七万円位です」と答えたところ、突然2月5日の朝になって15万円を陸軍省に持ち込んで来たのである。」(「陸軍愛国号献納機調査報告」(http://www.ne.jp/asahi/aikokuki/aikokuki-top/Aikokuki_Topics.html 内「国防献品記念録」参照)


つまり一機7万円程度(現在の価格に換算すると175,000,000円)である。「戦闘機でも」と断っているところを見ると他の軍用機はもっと安いことが伺える。事実、埼玉県の曹洞宗宗侶は昭和8年2月23日、自分たちだけで「埼玉県下曹洞宗僧徒愛国機」を一機献納している事実が明らかになっている。

曹洞宗は結局10億円以上集め(推定)、海軍へ戦闘機1機、陸軍に患者輸送機2機を献納した。しかし、これはどうも計算が合わない。3機であれば70,000×3×2,500=525,000,000円で約5億円ということになる・・。

それはさて置き。侵略戦争戦時下、積極的に献納運動キャンペーンを展開した朝日新聞。同社記者「むのたけじ」はジャーナリストの良心に鑑み戦争責任を自覚的に受け止めて退社した。曹洞宗にあっては戦後も無反省に宗門のトップに居座り続けた「高僧」らのなんと多いことか。いやしくも仏教団体が殺戮兵器を献納したという揺るぎない事実は、今日にあってもなお厳しく批判されなければならない。

No.549 2008/02/19(Tue) 06:37:24


曹洞宗「世界平和を願う曹洞宗の祈りと誓い」 / 地の声 引用

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世界平和を願う曹洞宗の祈りと誓い
―過ちは繰り返しません―

 すべての人は、幸せでなくてはなりません。
 世界中、すべての人が、等しく幸せの日々を願っています。
 今、私たち、曹洞宗では、すべての人の幸せを願って、人権・平和・環境の問題について積極的に取り組みを進めております。お釈迦様のみ教えと、道元禅師、瑩山禅師のお示しを拠り所として、争いのない慈悲と寛容に満ちた社会を築くべく、誠意をもって努力することを誓願し実践しています。
 人権、平和、環境の一つひとつ、どれも幸せを実現する鍵ではありますが、ひとたび戦争が起きると戦禍はすべてを破壊し尽してしまいます。
 みんなが幸せを願いながらも、それぞれが正当を主張し、武力をもってぶつかり合う時、死が人々を襲います。友を失い、愛するものを失って、かけがえのない人間の一生が無惨に踏みにじられてしまいます。残された家族においても、実現できたであろう共に生きる喜びを奪い取られてしまいます。こんなに恐ろしいことが、今、世界中で起こっているのです。地獄の様相を呈していると思わずにおれません。
 そんな状況下で、自衛隊のイラク派兵が決まりました。これから日本はどこに向けて歩むのでしょう。今日、日本は戦争を知らない世代に変わろうとしていますが、しかし、過去、日本は戦争で沢山の尊い命を失い、苦い痛切な思いをしたはずです。また、昭和二十年八月、広島と長崎に投下された原爆の悲しみを、悲惨な光景を忘れてはなりません。昭和二十七年八月六日、自らも被爆された広島大学の故雑賀忠義(さいが・ただよし)先生が「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから。」という誓いの言葉を碑文として残されました。主語をめぐる論議から沢山の方々に吟味され、それ故に時代を超えた崇高にして、象徴的な言葉です。
 どのような戦争であれ、戦争という過ちによって失われてしまった命に、戦争が止められなかった者としての慚愧の念いを痛切に感じます。「過ちは繰り返しませぬから」この言葉の思いと重みを皆さんと共に受け止めたいと願っています。
 曹洞宗では、不戦の立場から、戦争は誰にとっても過ちである、ことを主張します。
 いまここに、私たちは全世界の人々に人権の尊重と安寧なくらしが共有され、安心して暮らせるよう、曹洞宗にかかわるすべての人々とともに平和を祈ります。
 
        2003(平成15)年 12月
        曹洞宗宗務総長 有 田 惠 宗

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「懺謝文」が差別図書回収のために出された背景を考えると、この「祈りと誓い」は曹洞宗がはじめて公式に表明した「平和宣言」である。広島原爆記念公園の碑文が引用されている。「主語をめぐる論議から沢山の方々に吟味され、それ故に時代を超えた崇高にして、象徴的な言葉です。」とある。実に意味不明の文だ。議論があったから崇高な言葉という括りは到底理解不能である。そもそも主語がない文は文章ではないし意味をなさないのだが、これを良しとする曹洞宗は自分自身も明確な概念をもっていないことを告白したようなものである。ここに曹洞宗のずるさを感じるのは私だけではあるまい。

主語は侵略戦争を始めた日本帝国主義である。原爆を投下した米帝国主義である。このことをはっきり認識しないと「戦争とは何か」「平和とは何か」という問いに決して答えることはできないし、どう取り組むべきかという指針も永久に持つことはできない。

一読してわかるように、この「祈りと誓い」には自ら犯した戦争の加害責任は一切触れられていない。ある種の作為すら感じる。かの有名なヴァイツゼッカーの演説「荒れ野の40年」と比較してなんと貧弱なことか。戦争の根本原因に真摯に目を向けないから、「祈り」に逃げ込むしかないのである。そもそも平和は祈りだけで実現できるものではない。「懺謝文」から随分後退したものだ・・。

昨年、広島原爆記念公園を訪れた。「原爆の子の像」(貞子の像)の前で読経したかったからだ。私は「ゲリラ読経」と勝手に命名しているのだが、戦争犠牲者を供養するのは仏教者としての義務と心得ていて、いきなり大声で読経するのである。周囲の観光客らは当然ビックリするが、次第に意味が伝わり共にお参りしてくれる。哀しくも美しい貞子の像の前で「ゲリラ読経」をしながら、平和・反戦活動にもっと真剣に取り組まねばならないと自らを叱咤したものだった。

No.548 2008/02/18(Mon) 07:36:34


人権:「善悪遺伝の恐ろしさ」(『星華』から) / 地の声 引用

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おれ一人位が悪くも良くも世界人類の数に比すれば何でも無いと云う人があるが、善悪共に自分一人だけで済むものでは無い。左に善悪の子孫に遺伝する面白い統計がある。
独逸(ドイツ)に昔、アダヨークと云う善からぬ婦人があって、日夜酒を呑んだり博奕(ばくち)を打ったり悪い事づくめで世を終わった。その後七十六年間のその子孫七百九人中、私生児百九人、乞食百四十二人、醜業婦百八十一人、監獄入り七十六人、養育院入り六十四人と云う事で、その為に費やした国費は実に二百五十万円に上ったと云う。
之に反して偉人ジョナサン・エドワードの没後百余年間の子孫中では大学総長十四人、大学教授六十五人、判事弁護士各々三十人、医師文学者各々六十人、宣教師百人、政治家八十人、実業家三十五人を出して、それぞれ社会に貢献している。
おれ一人位どうでも宜(い)いと云う考えを以って勝手な振舞をする連中は、年改まると共に大いに反省してよかろう。

(1929年発行曹洞教会『星華』第四・新年号 pp 2−3)

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以前にもここで紹介した『星華』から引用した。「善からぬ」人間の子孫は「善からぬ」ものとなり、「偉人」の子孫は社会に貢献するという。これを「門地・世系(descend)」による差別と言う。国連が1965年に採択し、現在日本を含む173ヶ国が締結している「人種差別撤廃条約」の第1条1項は

「この条約において、「人種差別」とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう。」

として、世系による差別を明示している。

「80年も前のこと。今の曹洞宗は違う。そんな差別は無い」と言い切れるだろうか?人は個として尊重されなければならない。基本的人権の尊重である。家柄、職業、病気、貧富、地域‥これらによる差別がこの国から無くなってしまったとはとても思えないし、曹洞宗の宗侶にも厳然として「世系による差別意識」が存在していると私は考えるものである。「あなたのお家柄は先祖代々院号ですから、この度も院号をお付けいたしましょう」‥‥こんな話を聞いたことがあるし実際行われているようだ。逆に言えば家柄が「善からぬ」場合は、院号を出さぬということであり(金をもらえば出しそうだが・笑)、これは宗教的差別そのものである。

「人権問題は坐禅をすれば解決する」という名言(迷言)を放った宗侶がいた。仏教2500年の歴史から見れば80年などほんのわずかな時間でしかない。「もう80年経った」のではなく「まだ80年しか経っていない」のである。長い間人権意識をもたなかった曹洞宗が急に人権に目覚めるということは難しいことだ。過去を否定することはあまり嬉しいことではないが、「変えなければならないものは変える」という断固たる決意なしには曹洞宗の21世紀は無いだろう。

No.547 2008/02/17(Sun) 06:44:09

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