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偽満州国首都・新京で歌われた風刺ソング / 地の声 引用

中折れ帽をかぶり
金縁眼鏡をかけて
そろったよい歯に 金歯をはめて
手にはステッキを持ち
指の間に「朝日(たばこ:地の声注)」をはさみ
日本のマッチでパッと点け
口を開くや日本語しゃべり
人の悪口バカと言う
食事のことをメシと言い
頬を殴って行ってしまう

満州の中国人のなかには、自民族を裏切り日本におもねるものもいた。中国ではこのような売国奴を「漢奸」と呼んだが、さしずめ「満奸」と言ったところか。「満奸」を風刺していると共に、日本人を批判していることを読み取らなければならない。日本は侵略支配を「五族協和」という欺瞞でごまかそうとしたが、だれにも受け入れられなかった。

「民族問題についていうと、大同学院では日・朝・満・漢・蒙の「五族協和」が強調され、一年間、同じ釜の飯を食い寝起きも共にする過程では「平等」が実践された。だが、それは表面だけであって、意識差は消すべくもなかったということを、わたしが知るようになるのは、敗戦後数年たってからのことである。建国大学を終えて大同学院に入った中国人学生たちが、戦後、日本人の同学に打ち明けたことだが、毎日の行事だった東方「遥拝」(ヤオバイ)の号令に、不快感、いや反感を抱き、同音異義の「要敗」と置き換え「日本の敗北」として最敬礼していたという。」(http://www2.wbs.ne.jp/~bokemon/0-1-3-jibunsi.htm『亭主のコマギレ自分史』より)

先を争うようにして満州に建設された数多くの仏教寺院のほとんどは現在あとかたもない。それどころか今では所在すら判明しないという。日本仏教の本質である侵略主義を見抜かれていたということだろう。また今日、日本仏教が自画自賛するように真に「仏教」であるならば、なぜに旧侵略国に教線を拡大しないのか?仏教は本来国境をこえたものではないのか?

ハワイ、ブラジル、ヨーロッパに「海外布教」しておりますと云うせこい曹洞宗。単独講和で戦争責任がクリアーされた海外地域でいくら寺を建てても無意味である。旧朝鮮・台湾・中国に曹洞宗の寺を建ててみよ。逆立ちしても今はできないだろう。欺瞞と打算を乗り越えて曹洞宗が本来の仏教団体になれるかなれないか‥。それは侵略仏教を反省できるかできないかに架かっているのである。仏教者たちよ曹洞宗よ、「仏奸」から脱却せよ。

No.585 2008/03/23(Sun) 06:25:48


チベットの僧侶と民衆への連帯声明 / 地の声 引用

2008年3月16日
No.1/2008
サーサナモリ−国際ビルマ仏教僧協会*

 私たちの元によせられた痛ましい報告によれば、チベットでは、中国政府を代表する当局および兵士と、チベット人、仏教僧および在家信徒との間で緊張が高まり衝突が起きている。また同時に、僧侶や一般人が弾圧、逮捕され、殺害さえされており、僧院への強制捜索や閉鎖が行われているといった、激しい弾圧の模様が数多く伝えられている。

 今回の出来事は、ビルマでの「サフラン革命」と共通点を持っている。ビルマでは数ヵ月前に、街頭で慈経を唱えて行進した仏教僧が政府当局によって残酷な扱いを受ける事態が発生している。私たちは同胞であるチベットの仏教僧に深く同情し、仏教の将来を深く憂慮する。

 私たちは、中国政府当局に対して、暴力的な弾圧を停止すると共に、「チベットの人々の真の願いの実現」に道を開くような対話に、一刻も早く着手するよう強く求めるものである。

最高顧問
バッダンタ・コウィダビヴァンサ長老

【原文】
http://bp2.blogger.com/__KaxoHjJxbg/R92w5K0zKoI/AAAAAAAACCw/Y8ZdoLilTqk/s1600-h/Tibet+Statement%28+English%29.jpg

* サーサナモリ−国際ビルマ仏教僧協会は2007年10月27日にカリフォルニア州ロサンゼルスで結成されています。

(情報提供:アーユス)

No.583 2008/03/21(Fri) 15:56:52

 
Re: チベットの僧侶と民衆への連帯声明 / 地の声 引用

南京攻略時、この国の軍隊は多数の中国僧を惨殺した。国家権力による仏教者弾圧は決して他国の問題ではない。曹洞宗を含め日本の仏教界は「憂慮する」あるいは「チベット情勢の推移を注視(全日仏理事長声明3.17)」するだけでなく、自らの問題と捉えて直ちに中国政府に対して抗議を行うとともに、チベット僧侶への連帯声明を出すべきである。

No.584 2008/03/21(Fri) 16:07:54


「新京の澤木禅談」(『大法輪』昭和14年6月号) / 地の声 引用

昭和14年3月20日から26日まで、澤木興道は偽満州国の首都新京(長春)で講演をおこなった。会場となったのは建国大学、満州国協和会、満拓公社、満州電業、新京商業学校、大同学院、満州興業銀行である。どんな講演がおこなわれたのか記事は触れていないが、「国都新京に在って新興国家建設に参画する人々に多大な感銘を与えた」とあるから、侵略政策の期待にかなう内容だったことは想像できる。

「建国大学」‥総長(学長)は国務総理だが、実質的な責任者は副総長(日本人)であった。民族協和の実践を目指したが満州国と同様の矛盾を抱えていた。反満抗日活動を行った中国人学生は検挙された。(参考:wikipedia)
「満拓公社」‥日本からの開拓者に土地を提供した。中国人の既耕地を涙銭で奪い取ることもあった。
「大同学院」‥建国大学の上級学校。五族協和を掲げるが、あくまでも日本民族に他民族(漢、朝、満、露)を隷属させるものだった。

「満州国協和会」はこの期間中二度講演会を開催している。同首都本部(22日)、同協和会中央本部(26日)である。おおとりが協和会でおこなわれていることを見るに、新京での講演会は満州国協和会が主催したと思われる。

「満州国協和会」は満州事変以来関東軍の要請にしたがい鉄道復旧や建国工作、民衆の宣撫工作に従った「満州青年連盟」を母体に昭和7年7月に結成され、活動費は満州国が出した(参考:『図説満州帝国』河出書房)。満州国唯一の政治団体で、中国東北部侵略の先鋒である。

当協和会の中央本部総務部長をつとめていたのが、甘粕正彦(満映理事長)である。甘粕正彦はご存じのとおり、関東大震災のどさくさにまぎれ大杉栄ら3人を殺害したとされる元憲兵である。大杉栄は幸徳秋水に同調し官憲の弾圧を受けたアナルコ(アナーキスト:無政府主義)サンディカリスト(労働組合)である自由平等反戦の思想家である。「赤旗事件」で投獄中だったのがある意味幸いし、「大逆事件」では検挙を逃れた。明治43年、東京監獄の獄中で同志である大逆事件の被告らと「すれ違った」という。その中に内山愚童もいた。「春三月 縊(くび)り残され 花に舞う」。出獄後、処刑された同志に向けた大杉栄の痛恨のレクイエムだ。

平和を願い毅然として死刑台に立った内山愚童。平和を叫ぶ愚童の同志、大杉栄を死に至らしめた甘粕正彦。甘粕に協力し「禅談」を滔々と語った澤木興道。澤木興道をいまだに高く評価する曹洞宗。そのような曹洞宗が内山愚童を評価するのは大きな矛盾ではないだろうか。この矛盾を解決しようとしない限り、曹洞宗はダブルススタンダードの誹り免れず、「人権・平和・環境」の取り組みも不徹底たらざるを得ないのではないだろうか。

No.578 2008/03/20(Thu) 16:13:03

 
Re: 「新京の澤木禅談」(『大法輪』昭和14年6月号) / 地の声 引用

満洲協和会と曹洞宗の関係は、今後明らかにされなければならない大きななテーマだろう。研究者諸氏の奮起を促したい。

No.582 2008/03/21(Fri) 10:26:49


ダライ・ラマ法王日本代表部事務所からのアピール/日本の皆さまへ / 地の声 引用

2008年3月19日 ダライ・ラマ法王日本代表部事務所

ご存知の通り、今チベットは重大な危機に直面しています。平和的デモの参加者が、銃や戦車で残虐に弾圧されています。中国当局は、大量のチベット人を逮捕拘束し続けています。今チベット全土は極度の緊張が続いています。
中国当局は事態の沈静化を宣言しましたが、実際は事態はいまだに戒厳令下のような状況です。中国が外国メディアや外国監視団の現地立ち入りを禁止し、状況の把握を許可していないという事実自体がそのことを物語っています。

中国当局は、「ダライ・ラマに扇動されて動乱が起きた」「ダライ・ラマが北京五輪のボイコットを呼びかけている」と繰り返し述べていますが、ダライ・ラマ法王やチベット亡命政府が北京五輪の開催に反対したことは一度もありません。この点は、ここで再度はっきりと申しあげたいと思います。
オリンピックは、地上に生きるすべての人々の平和、自由、調和を象徴しています。我々は、このオリンピック精神が北京五輪で花開き、地球全体が平和に包まれるところをこの目で見たいと願っています。しかし、それを実現するには、一人一人がオリンピック精神にのっとって行動しなくてはなりません。

ラサをはじめとする各地で行なわれたデモ行動は、北京五輪とはほとんど関係がありません。これは、長年抑圧されてきたチベット人全員の中に鬱積していた憤りや不満が一気に噴出して起きたものです。チベット人は、中国による植民地統治のもとで、現在に至るまで想像を絶する苦しみを強いられてきました。いくら中国側が、「チベットは発展し、チベット人は幸せになった」と述べ立てたところで、今回の事件は、中国の統治下におかれたチベット人は、まったく幸福ではない、というチベット人の明確なメッセージなのです。

我々は、チベットの状況を深く憂慮しています。我々はこれまでも中国当局に対し、武力による解決を慎み、我々チベット亡命政府と話し合いによって双方の相違点を解決するよう要請してまいりました。
我々は、国連や各国政府が事態の調停に乗り出すよう要望しております。

私は苦しむチベット人全員を代表し、日本の皆様に手を合わせてお願いしたいと思います。どうか、中国当局が我々の誠実な気持ちを理解できるよう、また、現在のチベットの状況に国際的な基準とオリンピック精神にのっとって対応できるよう、日本の皆様のお力をお貸しください。

皆さまのご理解とご支援に、心より感謝いたします。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
代表 ラクパ・ツォコ

http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080319_release.html  

No.581 2008/03/21(Fri) 10:15:43


緊急!賛同の願い:チベットに関する要請文 / 地の声 引用

(アーユスから本日メールが届きました。ひとりでも多くの仏教者に賛同をお願いいたします)

*****

胡錦涛中華人民共和国国家主席

 私たち日本の仏教者及び仏教団体は、3月10日にチベット・ラサで始まった「平和的抗議行動」が、ここ数日暴力による衝突に発展し、中国各地に広がって多くの死傷者を出していることに対して、大きな衝撃と悲しみを禁じ得ません。
 チベットのみならず、世界各地で毎年この時期に行われてきた「平和的抗議行動」は1959年3月10日にダライ・ラマ14世のインド亡命をもたらしたチベット民族蜂起にちなんだもので、今回の事態は現行の統治体制の下、半世紀の間チベット民衆が抱き続けてきた憤りのあらわれとも見られます。
 今般の抗議行動に対する中国当局の制圧で僧侶や市民に対して武器が使用されたことにより、多数の死傷者が出たと伝えられています。その実態については、速やかに明らかにされなければなりません。また、拘禁されている僧侶及び市民の安全も危惧するものです。
 私たち日本の仏教者は、この度の事態に遺憾の意を示すとともに、中国政府に対し、現状をあきらかにするための国際調査団を受け入れること、また「一時的な統一と安定を求める暴動鎮圧」ではなく、「対話による平和的恒久的な解決」を求めることを要請します。


特定非営利活動法人
アーユス仏教国際協力ネットワーク

平和を学び考え願う仏教者の集い(平仏集)

〒135-0024
東京都江東区清澄3-4-22 TEL 03-3820-5831

*****

アーユス仏教国際協力ネットワーク、平和を学び考え願う仏教者の集い(平仏集)では現今のチベット情勢に際し、「中華人民共和国国家主席」宛に要請文を提出いたします。ご賛同いただける方はアーユス事務局(tokyo@ayus.org)までご連絡ください。締切は明日(20日)午後3時まで。

No.577 2008/03/19(Wed) 17:34:30

 
Re: 緊急!賛同の願い:チベットに関する要請文 / 地の声 引用

要請行動は終了いたしました。

No.580 2008/03/21(Fri) 06:52:10


小学校に於ける宗教教育(昭和11年) / 地の声 引用

静岡県西端の白須賀小学校で、昭和11年当時徹底した「宗教教育」がおこなわれていた。『大法輪』昭和11年2月号に特派記者によるレポートがある。ここでいう「宗教」は仏教である。
(同誌引用文は「 」。現代文に書き換えた)

「私は前日拝宿した蔵法寺主井上正隆師に伴われ白須賀校への道に於いて、行き過ぎる児童がことごとくお坊さんに向かって敬礼するのにおどろいた。ここは東海道の旧駅、余り人柄の良いところではない!坊さんなるものは近頃は多く侮蔑の対象ではあるのだ。尊敬の情が宿場町の子供にあるのも珍しい。しかし坊さんが尊敬されていたのはなおさら意外であった。しかしこれらの児童は道々過ぎる所の神社仏閣には一々敬礼し、潮見坂上の、明治天皇御遺蹟地ではうやうやしく最敬礼をおこなった。」

坊さんが侮蔑の対象であることは今に限ったことではなかった。というより、過去に仏教者が道を失った結果、この国では仏教者は常に侮蔑の対象であったし、現在もそうであることに私たち仏教者は襟を正さなくてはならない。話が逸れたが、記者も驚くこの異常とも思える子供たちの行動はいかにして形成されたのか?その装置が宗教教育を徹底させた白須賀小学校だったのである。

「白須賀小学校に一歩を入れた人々は、その清掃された校庭に驚くだろう。厳粛な気分、それはこうした所まで行き亘っているのだ。しかし最も感激的なのは、何と言っても会礼の行事である。知、行、合一で朝礼をおえた全員は回れ右をして国旗に対する。‥‥やがて左向け、で元の姿勢に復した全児童を前にして校長馬淵俊一氏の朗々たる声音がひびいてくる。『人身受け難し、今すでに受く、仏法聞き難し、今すでに受く‥‥』」

号令一下、一糸乱れぬ児童たち。まるで軍隊である。合掌すら号令によっておこなわれる。10歳前後の子どもたちをここまで作り上げたのが宗教(仏教)だった。

「道元禅師の示されたお言葉に『仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘るるなり、自己を忘るるというは万法に證せらるるなり』‥‥自分というものを全く忘却しきって仏そのものに代わってもらって、ここに初めて揺るぎなき自信もできてきます。‥‥仏の眼からみたら、私(校長:地の声注)とて児童と同様仏の前には単なる生徒である。そこで私達は生徒を導かんとすると共に、生徒と同体となって共に求道の人とならなければなりません。私も子供達と手を取り合って共に仏たらんとせねばなりません。‥‥一言にしてつくせば、全ての人々児童に仏性(皇魂)を認め、それの開発を計ることこそが教育なので、成仏こそが教育の最後の理想でなくてはならぬのです」

真の仏教精神を識らず、時代に迎合して仏教を歪曲し、さらにはそれを子供たちに強制する。仏性はアジアの一島国の「天皇」の精神などでは毛頭ないのだが、問題は教師生徒共々が侵略戦争用「仏教」を信じ、あるいは信じ込まされて全身全霊を傾注し、そこに自己実現を果たそうとしていたことにある。批判なき絶対主義は仏教を殺し、人間を殺すのである。

旧・白須賀小学校で戦時仏教教育を受けた子供たちの多くが、戦地で仏教と皇魂を信じて死んでいったことに思いをいたすと、やりきれなくなる。同じ仏教者として、とてもやりきれなくなる。

白須賀小学校は湖西市立白須賀小学校となった。ソニー科学教育研究会全国大会で現白須賀小学校は平成18年度最優秀プロジェクト「ポスターセッション」に選ばれている。同小学校の掲げたテーマは「見つめよう・高めよう・振り返ろう・自分の心で」である。

「全ての人々児童に仏性(皇魂)を認め、それの開発を計ること」から「見つめよう・高めよう・振り返ろう・自分の心で」へ。この大きな進歩に救われる思いがする。「振り返ろう」というスローガンに、非仏教的戦時宗教教育も含まれているのかもしれない。いや、是非そうであって欲しい。また、スポンサーのソニーとて一企業であることに変わりはない。利益を追求することでは戦時下のこの国と基本的にはなんら異なるものではない。このことも「自分の心で見つめて」もらいたい。

「振り返る」こと。歴史から学ぶこと。同レポートには数葉のスナップ写真が掲載されている。「皇魂課外授業の実際―四年生以上の静坐」「もみじの手を合わせて静粛黙想の一年生」‥‥本来あどけないはずの子どもたちが、なんと難しい表情をしていることだろう。いまは亡き彼らの声なき声を聞くこと、「振り返る」ことは私たち仏教者に突きつけられている義務である。

No.576 2008/03/18(Tue) 20:40:20


仏教雑誌『大法輪』に見る15年戦争 / 地の声 引用

先の戦争を、前期(昭和6年満州事変〜)を対中国戦争とし後期(昭和16年真珠湾攻撃〜)を対米英戦争とする見方がいまだに根強い。これは大きな間違いである。現在でも根強いある種のプロパガンダ(学校教育を含む)によって捏造作されたものである。少しでも歴史書を読めば、それが事実ではないことが即座に理解されるだろう。

この国は自国の経済破綻を帝国主義(すなわち他国侵略)で乗り切ろうとした。朝鮮から隣接する中国東北部へ、中国東北部から中国中央部へ。更には南アジア・南太平洋地域まで侵略の手を伸ばした。戦争を遂行するにはマンパワーが必要で、かつ消耗品なるがゆえに常に補充のきくシステムが必要である。そこでこの国が考案したのが、(1)戦死者を靖国神社に「英霊」として祭り上げること(2)侵略に抵功する「敵」に対して本能的に憎しみを抱かせること、だった。

仏教雑誌『大法輪』は、当時の仏教界の実態を知ることができる貴重な資料である。

「満州国」が成立して二年後の昭和9年に曹洞宗関係者によって発刊され、戦時中仏教界の、ある意味オピニオンリーダーとして活躍した。(さすが、敗戦時は薄っぺらな合併号を余儀なくされたが、いまだ健在である。)当時の記事を見て興味を抱いたのが、「対中戦争」時と、それに連続し重層的に同時進行した「対米戦争」時の内容の変化である。

対中戦争時(昭和9年〜昭和16年)には「暴虐飽くなき支那の排日(グラビア:昭11)」など「暴支膺懲」すなわち「暴れて言うことをきかない支那をこらしめる」という中国人蔑視がいたるところに見られるのだが、対米戦争時(昭和16年〜敗戦)ではなぜか「米国膺懲」とかいう表現はない。「鬼畜米英」とは言うが、米英を中国ほど決定的に(情感的に)差別しないのである。『大法輪』がトーンダウンする。「第二国民の不良性(昭和16)」、「皇室と仏教(昭和19)」、「疎開と宗教教育(昭和19)」、「一人残らず死に切れ(昭和20)」‥‥。依然中国人蔑視は続くものの、テーマは敗戦処理に向かっていたのか?あるいは米英は「脱亜入欧」以来のコンプレックスなのか?

わたしはここに、この国および仏教界の底浅さを見るものである。

戦時には敵を人と思わないことが兵士の条件となる。ジョン・ダワーは『容赦なき戦争』でそれを克明に描いた。だが、同じ敵でありながら『大法輪』に見られる偏執的な中国人差別攻撃と、対米英人への態度の違いはいったいどこから来るのだろう。

答えは簡単である。中国人を含むアジア人は劣等民族であり、米英欧は優等民族であるという民族差別意識である。仏教雑誌『大法輪』も平等と共存を説くべきときに、御都合主義的相対的差別意識の枠の中でくだらない仏教講談を語っていたということである。

この国の戦争は15年間のスパンでとらえなければならない。いまだにアジアを蔑み、目を経済先進国に向けてはいないだろうか。「日本はアメリカに負けた」のではなく、「日本は中国に負けた」のであるという厳然たる事実をいまだに認めない・・それによって侵略戦争の意味を無化し、「物質的戦争力」の差に問題をごまかそうとするどうしようもなく卑怯な発想を、はやくも当時の仏教雑誌『大法輪』に見るのである。

No.575 2008/03/17(Mon) 21:26:05


曹洞宗報国会 / 地の声 引用

侵略戦争に向けて昭和13年に国家総動員法が発布。翌14年には宗教団体を統制するために「宗教団体法」が公布された。宗教団体を「皇国宗教化」する動きは、もとをたどれば廃仏毀釈から行われてきたことだが、明治43年「大逆事件」で曹洞宗、真宗大谷派、臨済宗妙心寺派の僧侶をみせしめとして裁くことによって宗教界に大きな衝撃を与え、さらには昭和10年大本教弾圧により武力も辞さない姿勢を明らかにした。宗教界は本来の教義を捨てて次々と先を争うように「皇国宗教化」に協力していく。

そこで自発的に生まれたのが「曹洞宗報国会」である。(以下、『歴史地理教育』643号 水田全一・私の研究ノート「太平洋戦争下の仏教教団――曹洞宗報国会」を参考にした)

報国会は、国民を挙げて侵略戦争に与するために産業界のみならず文学界に至るまであらゆる分野で組織された。宗教界では(財)大日本戦時宗教報国会がある。曹洞宗報国会は秦慧照管長告諭により昭和16年に結成を命じられている。他の報国会結成より数年も早く告諭されたことに、曹洞宗がいかに率先して侵略戦争の先棒を担いだかが伺われる。

論者水田全一(みずた・ぜんいつ)氏は、その著書『戦闘機臨済号献納への道』をこのBBSでも紹介したが、臨済宗妙心寺派の僧侶である。平和を希求し仏教の戦争責任を問う良心の僧である。当論文に、曹洞宗報国会の活動のひとつである「練成会」の実態が述べられている。「練成会」とはすなわち曹洞宗々侶を皇国史観に基づいて改造し、アジア・太平洋戦争を遂行する仏教者を育成するものであった。全国で100会場以上、修練者(僧)は13,000人を超えたという。

曹洞宗の練成会で用いられた「皇民練成会中の唱文(成田大兆案)」は以下の通りである。

【食事時の辞】
「夫(そ)れ 食飯は保命の薬餌なりと雖も いま此の食を餐(う)くるは 即是皇運扶翼の臣道なり その来由を憶念(おも)う 濃淡の多少を択(えら)ぶ無し 己が徳業の全欠を省み 道行の成らざるを畏(おそ)る 唯々応供の冥加に感謝し奉る 頂きます」

【食後の辞】
「われここに浄食を餐(う)け畢(おわ)る 願わくは神仏の冥助により この身心を献げて 専ら無極の鴻恩(天皇の恩に報いるための決意を新たにすること:論者)に酬い奉らん 御馳走さま」

【一億一心臣道実践の誓】
「我等は神仏の照鑑を仰ぎて 一切の私心を超(さ)り 大御心(天皇の意志:地の声注)を奉戴して協心戮心(りくしん:「戮」は「殺す」「力をあわせる」の意:地の声注)臣道実践に邁進せん」

【入場の辞】
「われ 今 享け難き人身を得て 比なき 皇国にうまる 天照す 皇輝を仰ぎて 正法を見聞し 至高の境涯に感謝しつつ臣道実践す 規律を守りて言動を慎み 和合を旨として 悠久の大義に生き貫くを喜ばん」

【就寝時の辞】
「ここに終日臣道行じ畢る 皇室の弥栄(いやさか)をことほぎまつりて 唯 感激と感謝あるのみ さらに正邪の念想無し 一切の冥護と恩恵とに依りて 将(まさ)に 静けく 安らかなる眠りに就かん おやすみなさい」

【普回向】
「願わくはこの功徳普く八紘に及び 衆生と我らと皆倶に仏道を成ぜんことを」

【臣神末裔の自覚】
「天皇陛下は現人神なり 我等の祖先は臣神の裔(すえ)なり 我等は 日本臣民なり 我等は 天皇陛下の御為にうまれ 天皇陛下の御為に修し 天皇陛下の御為にのみ 悠久に生き貫くものなり」

【本来佛の自覚】
「我等は 本来佛なり いま皇国(すめらみくに)に 皇民(みたみ)如来(われ)としてうまる。専ら妙行を修し 妙修を行じ 愈々(いよいよ) 皇国(みくに)を荘厳(そうごん)し奉らん」

-------------------------------

当論文の末尾に、曹洞宗が再度軍用機の献納に取り組んでいたことが記されている。今度は最低目標金額を二百五十万円(戦争末期の貨幣価値を今に換算するのは難しいが、おおよそ75億円程度ではないかと思われる)として、前回(昭和17年)とは桁違いの三十機以上を献納するという、とほうもない計画だった。期限が昭和20年9月30日だったため実現しなかった。

ところで・・それまで集められた多額の寄付金はどこへ消えたのだろう。今回の総持寺祖院再建でも言えることだが、曹洞宗は実に安易にトップダウン型の寄付を要請する体質があって、その体質は戦前・戦中から引き継がれたものである。反省のない組織はおよそこのようなものである。

No.574 2008/03/15(Sat) 07:12:20


仏教と「青年学校」 / 地の声 引用

兵器の進歩に兵士の能力がついていけない状況を打開するために、国は「青年学校」を設置した。昭和10年当時、小学校を卒業して上級学校に進学したものは全体の15%に過ぎなかった。大多数が就職していた。彼等を兵士として育成するのが「青年学校」の役割だった。

昭和10年4月、勅令により従来の青年訓練所と実業補習学校を統合して「青年学校」とし、軍事教練を施す。当時公立青年学校は16,600校、私立青年学校は502校あったという(昭和11年5月現在)。

小学校を間借りしたり、工場に併設されたという。

昭和14年からは「青年学校」が義務教育化され、まさにこの国の教育は軍事一色となる。

昭和11年に撮影された実に興味深い写真がある。剃髪した坊さんが法衣を纏い、銃を肩に、列を作って軍事教練を受けているのである。某仏教宗派が「修行」と「軍事教練」をおこなう「青年学校」を開設していたのだろう。この世のものとも思われない、空恐ろしい絵だ。

あの時代はやむを得なかった・・という声をいまでも聞く。しかし実際は「青年学校」が義務教育化される何年も前に某仏教宗派が兵僧を養成していたことからわかるように、実は先頭に立って積極的に戦争を推進していたのである。

No.573 2008/03/12(Wed) 13:28:55


敗北を抱きしめて / 地の声 引用

2008年2月29日は曹洞宗の「一番長い日」となった。それを演出したのは有道会会長渕英徳宗務総長である。

有道会の総意を裏切って同執行部がファシスト総和会に迎合し、総持寺祖院案件を可決に導いた。曹洞宗は生まれ変われなかった。改革は大きく後退した。曹洞宗は最も大切な「信頼」を自らドブに捨てた。

外部の敵と闘うときは、どんな艱難辛苦にも耐えることができるし頑張れるものである。理想の旗の下に同志の団結は弥増しに強まり、決して崩れることはない。しかし・・内部から裏切られるとき、そのダメージは計り知れない。私も何度もそういう目に遭った。信じていたものに裏切られたとき、重い疲労と絶望感に襲われ人間不信に陥った。

政治とはそういうもの。政治の本質は妥協である。そのとおりかも知れない。裏切りや姦計こそが政治の本質なのだろう。百歩譲ってもいい・・しかし、曹洞宗は仏教団体である。そこにはやっていい妥協と、やってはならない妥協が自ずからあるのではないだろうか。さもなければ、あまりにも「貧困なる」宗政ではないだろうか。

私が特に恐れるのは、これから予想される敗残兵狩りである。祖院案件を通した総和会とグルになった有道会の執行部は、勝利をテコに必ずや反対派の切り崩しにとりかかる。「総和会に騙された」と感情論に走るような議員は、すぐにも彼等のターゲットとなるだろう。ことはメンツではなく正義の問題である。

25名の心ある有道会議員諸君の変わらぬ結束を願わずにいられない。それは正義を尊ぶ全国の寺院の声でもある。切り崩しの行き着く先は「刑事告訴」取り下げにあることは明白である。ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」ではないが、焼け跡から立ち上がるために、改革にむけて再度結束しなおさねばならない。有道会は即刻臨時総会を開催し執行部不信任を叩きつけなければならない。その毅然たる決意が、いまはまだ立ち上がることができない未熟なる総和会の良心を打つ。

No.566 2008/03/05(Wed) 20:22:39

 
Re: 敗北を抱きしめて / 坐禅修行者 引用

なんと言っていいのかわかりませんが、短期的には万策が尽きているように見えます。また、掲示板の書き込みから察すると、宗門の分断や集団での単立化など革命的行為も辞さずと考えている人はいないようです。とすれば5年〜10年という長期的視野で改革派全員が足並みをそろえてできることは何かを今から考えることが必要ではないでしょうか。癌を投薬だけで治療することを決断するようなものですが、他に方法はあるのでしょうか。千代川氏は強力なコーディネーターの必要性を感じているようですが、経験上並のコーディネーターなら足手まといになるだけでいないほうがましだと思います。今の曹洞宗にはマッカーサーと対等に渡りあった吉田茂のような人材が必要です。

No.570 2008/03/11(Tue) 18:23:33

 
Re: 敗北を抱きしめて / 地の声 引用

和平工作者として「作られた」吉田茂の価値は、それとして、千代川氏を中心とした新会派の発足を私は期待しています。すべての元凶は両本山体制から来る権力争いで、金権という共通の利益によってトップ同士で癒着したことにあることが多々良事件で明らかになりました。それが再び繰り返されました。
時代がヒーローを作ります。曹洞宗はいまその時を迎えています。第三会派のリーダーとして、千代川氏以外は考えられません。一日も早く新会派結成に踏み切ることを願っております。

No.571 2008/03/11(Tue) 20:56:00

 
Re: 敗北を抱きしめて / 坐禅修行者 引用

千代川氏にそのようなご決意があるのであれば、前言は全て撤回します。ご活躍お待ち申し上げております。

No.572 2008/03/12(Wed) 10:50:26

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