★ 道端良秀『仏教と儒教』を読む / 地の声 |
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仏教と儒教。この根深い関係にしては研究がほとんどおこなわれていない。学者も飯が食えなければ暮らしていけないのは当然であるが、いやしくも仏教学をテーマに掲げるのであれば、当分野の研究に挺身するものがいてもいいのではないだろうか。再度、「日本国仏教」のタブーを見た思いがする。
私が求めていたものは残念ながら本書では得られなかったが、別の意味で大変興味深い内容だった。
特に、地獄に関する部分は出色である。
仏教は「中有」を言うが、それは49日まで。その後はすべての亡者の行き先が決定される。だが、道教の「十王信仰」と融合したため冥府の王は7人から10人に増えてしまった。そこで、行き先未決定の亡者を付け焼刃的に作り出し、それを100ヶ日、一周忌(儒教では「小祥忌」)、三回忌(同「大祥忌」)に振り分けたという。また、それぞれの審判で王たちは口繁く、成仏のため「孝子の供養」を語るのだが、これこそまさに儒教そのものである。
儒教の特色は「家」(それも直系主義)、立身出世、親孝行、主従関係の徹底(支配関係)、などあげられる。それに対して、仏教は「出家主義」であり、名利を否定、親鸞ではないが「親のために念仏せず」、人はみな平等を説く。まるで水と油ほど違う。
いま、目を曹洞宗に転じると、儒教化したのはあの世観だけではなく、教義の中にも入り込んでいることがわかる。例えば『本尊上供回向文』の「家門繁栄 子孫長久」は儒教そのものであるし、「四恩総べて報じ三有斉しく資け」では前者は儒教(四恩:父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩)と仏教の混合である。のちに「四恩」が、天地の恩、師の恩、国王の恩、父母の恩とされるが、より仏教の儒教化が進んだことを示すものであろう。後者「三有」は三界であるから、これは仏教である。
当たり前のことだが、おもしろいことに気がついた。中国で儒教化された仏教と本来の仏教を区別する方法は、その仏教語がいつ作られたものか、即ちサンスクリット語やパーリー語を語源としているかどうかを見ればいい。
さて、同書によれば「喪」は儒教であり、「忌」は仏教であるという。日頃、「喪主」とか「服喪中」とか無意識的に使っていたが、自分自身、儒教化の甚だしきを痛感するものである。
食事中話をしないのは儒教の作法だという(「食うには語らず」『論語』)。しかし、それではあまりにも味気ないので荻生徂徠は「教訓めいた話をしないこと」と読み替えたという(ひろさちや『仏教と儒教』)。三黙道場では話をしてはいけない。食事の際、会話をしてはいけない。これは本来儒教なのだが、「食べるときは食べることに徹する」などと奇妙に発展させたのが禅である。その結果戦時中、禅は仏教から乖離し戦争に「徹する」ようになったことを忘れてはならない。禅の内蔵する「暴力性」も、おそらくは儒教の主従関係(あるいは権力関係)という要素も大きいのではないだろうか。坐禅に警策は付き物だが、江戸時代からのもので両祖時代にはなかった。もちろんお釈迦様の時代にもない。「日本国仏教」のオリジナルである。居眠りを防ぎ修行に集中させるのが警策であるという。はて、江戸時代から坐禅修行中の「居眠り」がいきなり増えたのだろうか。ありえないことだ。体制化された禅宗が権力を帯び、それを坐禅道場で具体化したのが警策である。これは非仏教的「武器」である。さらに個人的には、戦争が禅の「暴力性」を増幅したと思うものである(永平寺での軍事教練、帰還兵士らによる修行道場への軍隊精神の持ち込み)。
二祖国師大遠忌のキャッチコピーが「孝順心」だったことを、ふと思い出した。現宗務総長の掲げるテーマは「絆」であるが、なにをどう縛るのかが問題だ。もしも非仏教的儒教思想がその中にあれば、仏教を大きく踏み間違えることになる。
同書はいずれにしろ興味深い本であり、いろいろ考えさせられる好書である。筆者は「孝」をテーマにした『仏教と儒教思想』も著している。楽しみである。
(第三文明社 レグルス文庫69) |
No.619 2008/04/19(Sat) 13:41:24
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☆ Re: 道端良秀『仏教と儒教』を読む / 坐禅修行者 |
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勉強になりました。提示された本どれかを私も探して読んでみます。 |
No.624 2008/04/22(Tue) 14:15:02
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