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チベット関係デモ / 地の声 引用

◎【2008年4月26日「非暴力・仏教徒の会」“原爆ドーム前で平和の願い集会”のご案内】

チベットの人たちの文化と人権をまもろう−ただし、私たちは北京五輪の開催に反対するものではありません

 *とき  4月26日(土)10時から12時
      8時すぎ北京五輪の聖火リレーがスタートします。
      それに合わせて、広島の原爆ドームの前で平和の願いを現す集会を持ちたいと思います。

 *ところ 原爆ドーム前  リレートーク・署名・など     
 
「非暴力・仏教徒の会」   
事務局 小武正教 電/FAX 0824-63-8042
非暴力・仏教徒の会HP:http://tibet-buddhist.com/

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◎チベットに平和を、世界に平和を・・・
静かなピースウオークのお知らせです。

時々「FreeTibet」と言いますが、それ以外の言葉は使いません。・亡くなったチベットの方の名前をかいた横断幕(こちらで用意)を持ってあるきます。・各自、献花
用のお花を一輪お持ちください。

★集 合: 4/27(日) 午後2時30分 中之島公園 めがみ像前(大阪市役所東側)
★コース: 中之島公園(3時頃スタート)→御堂筋を南に下がる→元町中公園
★解 散: 午後4時15分頃 元町中公園 (浪速区元町1-6) で解散

大阪在住、TSNJ=Tibet Suport Network Japan http://www.geocities.jp/t_s_n_j/
サポーターの女性たちを中心に(もちろん男性もいます)ピースウォークをします。エイエイ・オー!と叫ぶようなデモではありません。チベット蜂起弾圧(?)から49日の追悼の意をこめて、一人一人が一輪の花をもって歩きます。小さな子供を連れたお母さんも参加できるような静かなピースウオーク。「愛」の反対語は「無関心」。
小さなことでも何かしたい。そんな気持ちで始めます。みなさんの「愛」でチベットに、世界に、(そして私たちひとりひとりにも)「平和」が訪れる事を祈りつつ歩きましょう。

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お近くの方はどうぞご参加ください。

No.625 2008/04/23(Wed) 08:33:41


道端良秀『仏教と儒教』を読む / 地の声 引用

仏教と儒教。この根深い関係にしては研究がほとんどおこなわれていない。学者も飯が食えなければ暮らしていけないのは当然であるが、いやしくも仏教学をテーマに掲げるのであれば、当分野の研究に挺身するものがいてもいいのではないだろうか。再度、「日本国仏教」のタブーを見た思いがする。

私が求めていたものは残念ながら本書では得られなかったが、別の意味で大変興味深い内容だった。

特に、地獄に関する部分は出色である。

仏教は「中有」を言うが、それは49日まで。その後はすべての亡者の行き先が決定される。だが、道教の「十王信仰」と融合したため冥府の王は7人から10人に増えてしまった。そこで、行き先未決定の亡者を付け焼刃的に作り出し、それを100ヶ日、一周忌(儒教では「小祥忌」)、三回忌(同「大祥忌」)に振り分けたという。また、それぞれの審判で王たちは口繁く、成仏のため「孝子の供養」を語るのだが、これこそまさに儒教そのものである。

儒教の特色は「家」(それも直系主義)、立身出世、親孝行、主従関係の徹底(支配関係)、などあげられる。それに対して、仏教は「出家主義」であり、名利を否定、親鸞ではないが「親のために念仏せず」、人はみな平等を説く。まるで水と油ほど違う。

いま、目を曹洞宗に転じると、儒教化したのはあの世観だけではなく、教義の中にも入り込んでいることがわかる。例えば『本尊上供回向文』の「家門繁栄 子孫長久」は儒教そのものであるし、「四恩総べて報じ三有斉しく資け」では前者は儒教(四恩:父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩)と仏教の混合である。のちに「四恩」が、天地の恩、師の恩、国王の恩、父母の恩とされるが、より仏教の儒教化が進んだことを示すものであろう。後者「三有」は三界であるから、これは仏教である。

当たり前のことだが、おもしろいことに気がついた。中国で儒教化された仏教と本来の仏教を区別する方法は、その仏教語がいつ作られたものか、即ちサンスクリット語やパーリー語を語源としているかどうかを見ればいい。

さて、同書によれば「喪」は儒教であり、「忌」は仏教であるという。日頃、「喪主」とか「服喪中」とか無意識的に使っていたが、自分自身、儒教化の甚だしきを痛感するものである。

食事中話をしないのは儒教の作法だという(「食うには語らず」『論語』)。しかし、それではあまりにも味気ないので荻生徂徠は「教訓めいた話をしないこと」と読み替えたという(ひろさちや『仏教と儒教』)。三黙道場では話をしてはいけない。食事の際、会話をしてはいけない。これは本来儒教なのだが、「食べるときは食べることに徹する」などと奇妙に発展させたのが禅である。その結果戦時中、禅は仏教から乖離し戦争に「徹する」ようになったことを忘れてはならない。禅の内蔵する「暴力性」も、おそらくは儒教の主従関係(あるいは権力関係)という要素も大きいのではないだろうか。坐禅に警策は付き物だが、江戸時代からのもので両祖時代にはなかった。もちろんお釈迦様の時代にもない。「日本国仏教」のオリジナルである。居眠りを防ぎ修行に集中させるのが警策であるという。はて、江戸時代から坐禅修行中の「居眠り」がいきなり増えたのだろうか。ありえないことだ。体制化された禅宗が権力を帯び、それを坐禅道場で具体化したのが警策である。これは非仏教的「武器」である。さらに個人的には、戦争が禅の「暴力性」を増幅したと思うものである(永平寺での軍事教練、帰還兵士らによる修行道場への軍隊精神の持ち込み)。

二祖国師大遠忌のキャッチコピーが「孝順心」だったことを、ふと思い出した。現宗務総長の掲げるテーマは「絆」であるが、なにをどう縛るのかが問題だ。もしも非仏教的儒教思想がその中にあれば、仏教を大きく踏み間違えることになる。

同書はいずれにしろ興味深い本であり、いろいろ考えさせられる好書である。筆者は「孝」をテーマにした『仏教と儒教思想』も著している。楽しみである。

(第三文明社 レグルス文庫69)

No.619 2008/04/19(Sat) 13:41:24

 
Re: 道端良秀『仏教と儒教』を読む / 坐禅修行者 引用

勉強になりました。提示された本どれかを私も探して読んでみます。

No.624 2008/04/22(Tue) 14:15:02


武田範之は閔妃暗殺事件の立案者か? / 地の声 引用

以下、井上右(たすく)『武田範之伝 興亜風雲譚』(pp151-152)より。

和尚(範之)はその(閔妃暗殺事件)の謀将として、多数の同志と共に広島の獄に投ぜられたが、二十九年一月免ぜられて出獄し、東海散士柴四郎と共に散士の別野熱海の磊々軒に投ずる為に東上の途に在った。和尚は出獄して自由の身となるにつけ、胸中を徂徠するものは、盟友李周会の生死であった。明治二十五年の頃、絶海の孤島金鰲で二人が画策した閔姫の抹殺はこゝに成功し、三千里疆に根を張り、二千万同胞の膏血を吸い尽しつゝあった葛の根株は、見事に断たれたのであった。紅蓼白蘋の金鰲島で、雨脚風を趁うて簫々たる一夜、和尚は周会に向って説いていうには、たゞでさえ韓廷は国際問題紛糾の淵叢であり百鬼横行の巣窟である、この時に当たって日本志士の手を以て閔姫を抹殺することは容易であるにしても、その後患は必ず韓土を覆被するであろう。然しその下手人として韓人が自主するならば、後患を薄らげることが出来る、今や韓人中身を殺して仁を成す底の義理の士は、貴下を措いて他に求めることは至難に属する、その時期が到来したならば貴下は貴下の任侠の義魂を振起して、この大筋に殉じて貰い度いという悲壮な要求であった。

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これは衝撃的な記述だ。事実、閔妃暗殺後韓国側の首謀者として李周会は死刑となる。著者は玄洋社系のバイアスがかかっていることを割り引かなければならないとしても、武田範之こそ閔妃暗殺計画の立案者であると断じている。これは武田範之が実行した白色テロである。当時曹洞宗が武田範之を重く見ていたことを考えると、曹洞宗自身が白色テロを支持したといっても過言ではない。武田範之は閔妃暗殺事件の謀殺及凶徒聚嫌疑で逮捕され広島監獄に拘留された(1895)。内山愚童が逮捕されたときは、曹洞宗は早々と「諭旨免職」の処分を下しているが(1909)、武田範之にはなんのおとがめもなかった。

井上右『武田範之伝 興亜風雲譚』の記述が嘘というのであれば、曹洞宗は客観的事実をもとに証明しなければならない。そして、それが証明できないのであれば、曹洞宗はいまからでも遅くはないから、武田範之を宗内擯籍処分にしなければならない。それが真の「懺謝」というものであろう。行動の伴わない口ばかりの反省は欺瞞だ。

ソウルで、元日本軍「慰安婦」の方に兵隊僧にひどい目にあったと訴えられたことがある。言葉がなかった。ソウル・瑞龍寺に建てられた範之の分骨塔は戦後破壊されていまは無い。これが韓国の人々が下した武田範之評価である。曹洞宗は閔妃暗殺事件の武田範之をどう処分したのか?と尋ねられたら、私は再び言葉を失うだろう。なんと空しい三大スローガンではないか。

No.623 2008/04/22(Tue) 07:21:16


武田範之の「謎」〜祖院再建問題 / 地の声 引用

日帝侵略の先棒を担ぎ裏舞台で暗躍しただけに、武田範之には謎が多い。

喉頭ガンを患い死期を悟った武田範之は遺産の分配を記した(1911年4月29日、川上善兵衛に渡す)。

一 小衲ガ後事ノ処分ハ簡単ナルモノニ御座候。
第一  一切ノ書類ハ御貴所ニテ永久御保存ヲ乞フ事。
第二  文房具及書類ハ保寧山ノ常什ヘ納ムベキ事。
第三  衣類及其他ノ物具ハ祥雲ニ与フベキ事。
第四  金銭ハ一切ノ費用(鉤玄印刷費を并セテ)ヲ扣除シ、其残額ハ左ノ割合ヲ以テ配当ヲ乞フコト。
一  総持寺再建費                二
一  顕聖寺僧堂維持費              三
一  実弟三郎 甲州猿橋ニテ電報相届キ候     二
一  草野ノ母                  一
一  タク                    一
一  田主丸妹                  一
 一人前四、五円位ト相成テモ致方ナシ
(川上善兵衛原著、市井三郎・滝沢誠編『武田範之伝―興亜前提史―』pp680-681)

葬儀費用をいくら見積もったかはわからない。密葬は6月27日、本郷の喜福寺を会場に、遺弟祥雲(さぐも)晩成(後に満洲国布教総監)、子爵三浦梧楼、子爵宋秉o、内田良平らが執り行っている。内献の密葬であれば、さほど経費はかからない。「一人前四、五円位」ということから残金総額は四〜五十円。密葬経費は五十円といったところか。
滝沢誠氏がその著書『武田範之とその時代』(p.261)で疑問を投げかけているのが、範之が受け取った一進会解散金1,000円と併合時に寺内総督から受け取った恩賜金3,000円、合計4,000円の行方である。
分かりやすく、明治40年代の金銭価値を現代に置き換えてみる。1円=5万円ほどになる。範之は解散金及び恩賜金として2億円もの金を手にしたことになる。死亡時手元には500万円程度しか残っていない。入院までの一年足らずでいくら乱費しても使いきれる金額ではないし、入院治療費は内田良平、川上善兵衛、総督府が出している。几帳面な範之のことで、借金返済に充てたのなら領収書があるはずだ。2億円はどこに消えたのだろうか。

余談だが、範之は当初「総持寺再建費」を揚げていたが、6月7日にはその部分を「顕聖寺後継者の教育費」と改め自署した。能登の総持寺が火災で焼失し、これを契機に大本山を鶴見に移したが、地元の強い要望もあって「祖院」として再建することになった。範之が書いた「総持寺再建費」(換算すると50万円程度)はその寄付金である。だが、彼はどういう理由か取りやめている。森田悟由・石川素童の信頼厚き武田範之ですら寄付をしなかったのである。私はここに、祖院再建にそれほど熱心ではなかった当時の宗門の状況を垣間見る。いま、唐突もなく「祖院・総持寺一体論」が持ち出され多額の宗費がつぎ込まれようとしている。「もの申す」で、あやしい輩が再建推進に必死だが、見るだに哀れ・滑稽である。論理は破たんし、寄付しなければ「村八分」にするというなりふりかまわない暴言には、もはや仏教者の姿はない。その真意が「金」にあることは明らかである。しかし最も大切なことは、眼先の「金」で曹洞宗の歴史を改ざんしてはならないということである。これは曹洞宗の歴史に関わる実に重大な問題を孕んでいるのである。

No.622 2008/04/21(Mon) 06:53:23


実に恐ろしい / かものはし 引用

全くもって酷すぎる。まこと平和主義もへったくれもない幕僚長ではないか。これが公務員の言い草だろうか。
27万人の自衛官はこんな愚劣な上層部の命令に従うのならこれはまるで大日本帝国軍隊と変わらないではないか。ここまで腐りきった自衛隊であることをまず肝に銘じよう。命令であれば何でも従うのが軍隊だと軍人だと
納得して済む話ではない。パンツ1枚ではしゃぐタレントに例えられた自衛隊員が気の毒でもありそれでも命令に従うとは一体どこまでプライドのない防衛省なんだろう。

No.621 2008/04/20(Sun) 23:21:43


「そんなの関係ねえ」 / 地の声 引用

<イラク活動違憲>「関係ねえ」発言で防衛省に抗議文 原告
4月19日21時19分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080419-00000096-mai-soci

 航空自衛隊のイラクでの活動の一部を違憲とした名古屋高裁判決を巡り、航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長が、お笑いタレントの流行語を引用して「私が心境を代弁すれば『そんなの関係ねえ』という状況だ」と発言したことについて、原告団は19日、防衛省に抗議文を送付した。近く田母神氏に面談を申し入れるという。

 抗議文は「発言は憲法を無視してイラク派兵を強行し続けている政府や防衛省の『本音』を端的に示したものであり、『憲法なんて関係ねえ』と述べたに等しい」と指摘している。

 原告団は、元文部科学相の中山成彬衆院議員が18日、「問題のある裁判長で、変な判決だった。3月末で辞め『最後っぺ』(おなら)を出したようなものだ」などと語った件でも、中山議員に抗議文を送るという。【大場弘行】

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防衛庁から防衛省に格上げしてもらって、思いあがっているのだろう。文民統制(シビリアンコントロール)を否定する、なんという暴言だ。明治以来、この国が好戦的となり海外侵略を繰り返した大きな原因のひとつが軍部の独走である。無反省甚だしい。

べつに天皇を擁護するわけではないが、日清戦争開戦を聞き明治天皇は「朕の戦争にあらず」と言ったという。満州事変は軍中央まで無視した関東軍の「独断専行」により引き起こされた。対米戦争は海軍の暴走によると言われている。国法を無視するその行く先は軍事クーデターであり、軍国化である。無知蒙昧はどこにでもいるものだ。彼らは自分の言動が実は恥を晒していることすら知らないほど無知蒙昧である。

歴史から学ばない「貧困なる」この国は、もう一度焼かれなければ戦争というものの正体を理解できないのかもしれない。

No.620 2008/04/20(Sun) 05:41:08


なぜ?善光寺 / 地の声 引用

北京オリンピックの聖火リレーが、チベット問題で世界各地で妨害されている。“FREE TIBET”、“ONE WORLD ONE DREAM”。チベットの国旗とともに、スローガンが揺れる。

「国家資本主義国」となった中国の強引なチベット政策は目に余る。インドの緩衝地帯と位置づけ、実は豊富な地下資源を収奪する計画は、まるで日本帝国が「満蒙は生命線」と唱えて、侵略を正当化させた企みと全く同じである。中国は「ネズミを捕るネコ」(ケ小平)にばかり気をとられ、革命の精神を失いつつあるのではないか?

ところで、日本では長野がコースになっている。4月26日、善光寺を起点に市内を巡る。

「オリンピズムの目標は、スポーツを人間の調和のとれた発達に役立てることにある。その目的は、人間の尊厳保持に重きを置く、平和な社会を推進することにある。」(オリンピック憲章「オリンピズム」2)

さて、善光寺は知る人ぞ知る戦争賛美の寺である。
http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-2zenkouji.htm

・忠霊殿(忠霊殿は明治三十九年に創建されて明治戊辰の役から国のために倒れた英霊をおまつりして来ました。この殿堂は昭和四十五年に改築され約二百四十万の御霊を迎えて祀っております)(同HPより)

・神風特別攻撃隊之碑(第一航空艦隊司令長官海軍中将大西瀧治郎は昭和十九年十月廿日 午前一時すぎ比島クラーク基地において若き将兵の燃え上がる必死必中の体当り戦法の志望者に涙をもって諾を与えた。翌廿一日第一神風特別攻撃隊大和隊の二機が飛び立った。爾後廿年八月十四日まで二千五百廿五の前途ある青年達が夢にも恋い慕った麗わしかるべき祖国の山河を護らんが為に相継いで身を弾丸として突入していった。表記の遺書は昭和廿年八月十六日当時軍令部次長であった大西瀧治郎が官舎において自刃するに臨んでのものである。神風特別攻撃隊員の崇高なる精神は祖国愛ひいては人間愛の至情として長えに史上に称えらるべきものと信じ ここに若き神鷲のみたまを慰めその遺業を世界平和の礎として悠久に伝えるため これら神霊の十七回忌にあたり慰霊碑を建立するものである)(同)

他に、「日清戦争戦没者供養塔」「精忠赫々雷行天」がある。これではまるで靖国神社ではないか。「人間の尊厳保持、平和な社会」に反する無反省な善光寺はオリンピックに馴染まない。いまだに国に媚び続ける善光寺。いくばくかの観光収入に仏教精神を売り渡す善光寺。さもしい限りだ。同じ仏教者として恥ずかしい。

No.598 2008/04/09(Wed) 06:46:20

 
Re: なぜ?善光寺 / 地の声 引用

善光寺辞退。寺側のコメントには「チベット問題」「オリンピック憲章」が。本当は「靖国」ではないだろうか?いま社会問題になっている映画「靖国」の飛び火を恐れたのではないだろうか。毎日100件の抗議電話があったという。そのなかには第二の靖国としての装置(役割)を批判する内容もあったに違いない。善光寺は、その正体を暴かれるのを恐れたのではないか。

いずれにしろ、善光寺の辞退を評価する。

No.618 2008/04/18(Fri) 19:14:10


別に 9条の会で / かものはし 引用

別に 9条の会でなくてもいいのではないでしょうか。
曹洞宗のなかに 反戦平和の組織を作るべきだと思います。それから どうして政治的がいけないのでしょうか
政治的から逃げて結果的に 宗教が政治に食われてきたのが歴史の現実ではないでしょうか。ならば宗教的であり政治的であり経済的であり文化的でありそれらの混ざり合ったものが現実であろうと思います。愚童さんは政治的であり宗教的であることから逃れてはいないはずです。平和を構築するのに 宗教・政治・経済・歴史・文化から逃れて 一体実現実践できるわけがない。
断固 宗門内に 反戦平和で活動実践する組織を貴方が
立ち上げるべきです。9条の会は政治的だとおっしゃるのは何となくわかりますが それはますます反動的な勢力に好都合だろうし 宗門三大潮流からの脱却に マイナスに働くことではないでしょうか。一つの県から2人集まれば 100人の宗門僧侶が終結できるじゃあないですか。それが愚童さんに報いることではないだろうか。貴方が先頭に立ってやりましょう。よ。

No.615 2008/04/18(Fri) 09:57:46

 
Re: 別に 9条の会で / 地の声 引用

そうですね、九条の会に拘らず宗門内に反戦・平和の組織を作りたいと思います。

No.617 2008/04/18(Fri) 13:14:21


「日本国仏教」 / 地の声 引用

大方のこの国の仏教者(寺院住職ら)は、自分が日々行っている仏事・法要などの仏教サービスやその背景にある「思想」を仏教と勘違いしているのではないか?大きな間違いである。あくまでも日本独自の怪しい宗教だ。仏教を信じ行動する人たちは世界に大勢いて(わたしにも知人がいる)、グローバルなフィールドのなかで日本の仏教の占める割合などごく少ないのである。経済力を背景に発言権が少々強いだけの話だ。

本来の仏教と異質な、東アジアの島国・日本に存在する仏教らしきものを、わたしはあえて「日本国仏教」と呼ぶ。「日本仏教」でなく「日本国仏教」とした訳は、常に国家と連動し補完しつづけてきたし、いまでもその本質はさほど変わっていないからである。仏陀の教えを国家権力に売り渡し、みかえりに保護してもらうのが「日本国仏教」である(公益法人法改革で動揺している仏教界の情けなさを見よ)。

その生成に儒教が大きな要素となっている。しかし、どうも儒教が一方的に悪役というわけでもないようだ。「仁」の思想は仏教にも共通するものがある。つまり、中国で儒仏の融合がおこなわれたが、それがそのまま「日本国仏教」となったとも考えにくい。中国のスタイル(日本仏教はインドを原型とせず中国に依存した。明治になり大乗非仏説論やら原始仏教ブームが起こったのは、ようやく新たな視点を日本仏教がもつことができたことを意味する。その間、なんと1400年もの空白があった)を日本に都合のいいように変形させてきたと考える。

だがやはり、日本の仏教が内包する儒教的要素を抽出し吟味すれば、「日本国仏教」の特徴を明らかにすることができることは確かだ。

例えば祖霊崇拝は仏教にはない儒教の思想である。位牌も儒教に由来する。年回供養もしかり。「日本国仏教」が大きく依存しているこれらを見た時、仏教なのか儒教なのか区別がつかないほどだ。国家神道・靖国神社の本質にも儒教思想があると言う。「日本国仏教」は儒教を共通項として国家神道ともつながっている(「なぜ?善光寺」:スレッドNo.598。宇治に曹洞宗「靖国寺」があり英霊を祭っている事実:スレッドNo.459)。

「日本国仏教」は不殺生戒を犯して、なぜ戦争に加担したのか?なぜ権力を志向するのか、あるいはおもねるのか?本末などの厳しい上下関係や僧堂に於ける暴力行為の容認。なぜ慈悲の精神を捨てたのか?なぜ檀家の悲苦をよそに法外な「お布施」を要求するのか。なぜ遊興にうつつを抜かしていて平気なのか。なぜ周囲ばかり気にして自己の信念をもてないのか‥‥なぜ、曹洞宗は不正をいまだ反省できないのか?これらの答えが日本的に変容された儒教というフィルターを通すと見えてくるような気がする。儒教と仏教を切り離す。このテーマに粘り強く取り組んでいきたい。

No.607 2008/04/16(Wed) 06:32:40

 
Re: 「日本国仏教」 / 坐禅修行者 引用

非常に興味深いです。禅が道教の流れを汲むものであることは知っていましたが、日本においてはさらに儒教との融合を視野に入れて始めて実態が理解できるのですね。浅学在家者としてはこれでなぞが解けました。

>このテーマに粘り強く取り組んでいきたい。

書き込み期待しておりますぞ。特に禅の本質との矛盾点に関して。

No.616 2008/04/18(Fri) 12:25:09


これを機に / かもの 引用

曹洞宗9条の会を立ち上げてください。賛同協力します。貴方の意見に考えに賛同していますから。

No.610 2008/04/17(Thu) 16:58:29

 
Re: これを機に / 地の声 引用

「九条の会」は政治的背景があって、実は私も地元の「九条の会」に加入を勧められましたが、お断りいたしました。

曹洞宗内に「反戦・平和」を考え行動する任意の会は必要だと思います。第一歩としては、宗侶がさまざまな平和活動に勇気をもって参加し学ぶことです。宗意と無関係に、自らの問題として平和に取り組む「かものはし」さんのような宗侶が全国に生まれ育つことを期待します。

No.613 2008/04/18(Fri) 06:57:36

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