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禅僧ティク・ナット・ハン師「ビルマ」を語る / 地の声 引用

わたしたちがはっきりと知り、社会は変わる

 30日間に渡って毎日、ハリウッドの人気俳優がビルマについての映像メッセージを発表する「ハリウッド・スターとビルマの30日」。14日目は詩人、平和活動家としても名高い、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師です。師のベトナム戦争への反対と国民和解への取り組みは、現在、社会をつくる仏教(エンゲイジド・ブッディズム)として知られる、信仰実践と社会活動のつながりを探る仏教の新しいアプローチが世界的に認知されるきっかけとなりました。

ティク・ナット・ハン師の動画はこちら ↓

http://www.burmainfo.org/solidarity/Day14_ThichNahtHanh.html

No.651 2008/06/05(Thu) 11:09:44


春日佑芳『新釈正法眼蔵』(ぺりかん社1995)を読む / 地の声 引用

禅が老荘思想と密接な関係にあることは論を俟たない。「無心」となって一切存在をあるがままに見ることや、それによって迷いが除かれ自由な生き方を実現することなど(これら禅と老荘思想の比較は『禅の本質と人間の心理』収録の「禅と道家思想」に詳しい)共通する点が多い。だが、禅は老荘思想ではない。あくまでも仏教でなければならない。その分水嶺は菩薩道に生きるか仙人になるかにある。

宗門人は自ら標榜する禅の正体がわからず混迷している。あるいは師匠の言うがまま無原則に受け入れて批判的に見る目を失っている。いまだに意味も識らずに「宇宙と一体になる」だとか、「善悪」を超えたがるのもそのためである。修業道場の責任も甚大である。

道元禅師の『正法眼蔵』も、解説者によってまるで解釈が異なる。だから参学者は混乱し、しまいには「教外別伝 不立文字」「理にかなうもまた悟りにあらず」などとうそぶく始末である。

春日佑芳氏の『新釈正法眼蔵』は、老荘思想に影響された禅の内包する「本覚思想」(華厳、教禅一致)を切り離し、あるいは儒仏道一致を批判して、身心一如の道元禅そのものをわたしたちに見せてくれる。以下、同書冒頭から引用。

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私たちは、ともすると、心と身体を別のように考えたくなる。‥そのため、この心と身体をわけて二元論的にみる考えは、身体と切り離された、内面的な心のみを重視する観念論、あるいは唯心論の哲学を生むことになった。‥道元が生きていた時代にも、そうであった。このような考えは、当時の仏教思想の中にも根強くみられた。それは一般に、本覚思想(非仏教:地の声注)と呼ばれている。‥そこに共通しているのは、心によってものを理解するのであり、行動はその心の理解にともなって、そこからおのずから生ずる結果にすぎないという、身心二元論の考え方なのである。
このように考えられているために、正しい行動をするには、まず心に正しい理解を得ることが先であり、それがすべてだということになる。では、その正しい理解はどのようにして得られるのか、というと、この本覚思想においては、私たちがものごとを正しく理解できないのは、心に曇りがあるからであり、その曇りを除きさえすれば、そのとき正しい理解が得られるのだ、という。
そこにいう心の曇りとは、事物に対する執着のことである。そういった執着をすべて捨て去って無我無心の心になり、いわば明鏡止水の心境になり切ったところに、主客合一、物我一体の世界が見えてくる。そこに事物のありのままの姿が現前し、真実の世界が理解される。(禅と老荘の混合:地の声注)そのときの心が悟りの心であり、仏の心である、というのである。
しかし、このような考え方は間違っている。というのは、そこには、何をもって無我無心になり切ったと言うか、真実の世界と言うか、仏の心と言うか、その規準がないからである。規準がない以上、どれほど無我無心になって悟りの世界を追い求めてみても、いま自分は、ほんとうに悟りの世界を見ているのか、あるいは、ただそう思い込んでいるだけなのかを確かめることはできない。‥これは危険な罠である。‥それはもはや、人間の世界ではない。人間の世界とは、無関心になり切ったときに見る世界などというものでは、けっしてなく、事物に対して意欲をもって行動する、私たちの見ている世界である。‥それと同時に、行動と切り離された心の中に何かを見て、それを実相の世界、仏の心と思うようなことがあっても、それは自己神化の考えを生ずるだけである。もしもそのようなものが悟りであるとすれば、およそ仏法などというものは、各人の思い思いのものとなり、一定の形を失って、どこかに雲散霧消してしまうだろう。

むかし法眼禅師のもとに、則公監院という僧がいた。則公は三年もこの会にいたのに、一度も師に仏法を問うことがなかった。そこで法眼がその理由を尋ねたところ、こう答えた。

則公「私はべつに知ったふりをしているわけではありません。かつて青峰禅師のところ
   にいたとき、仏法における安楽のところを会得したので、もはや人に問う必要は
   ないのです」。
法眼「では、どんな言葉によって会得したのか?」
則公「私はかつて青峰に、<学人の自己とは何か>と問うた。それに対し青峰は、<丙
   丁童子来求火(来りて火を求む)>と答えました」。
法眼「なるほどいい言葉だ。でもお前にはおそらく、その言葉の意味はわかっていない
   だろう」。
則公「丙(ひのえ)丁(ひのと)は火に属します。学人の自己とは何かなどと他人に尋
   ねるのは、自己が自己を求めることであり、火の神が自分が火の神であることを
   忘れて、他に火を探し求めているようなものだと会得しました」。
法眼「これではっきりした。お前にはやはりわかっていないのだ。仏法がもしそんなも
   のだったら、今日まで伝わることはなかったであろう」(『辨道話』)

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禅が仏教であるためには、菩薩行の実践がなければならないと書いた。すなわち社会性がなければならないのである。「悟り」などという個人的かつ内面的な問題にかかずらわって本来なすべきことを見失えば、それは則公であり、道元禅師の否定するところである。

菩薩行は即ち「人権・平和・環境」問題に取り組むことである。宗門は人権学習をおこなっている。しかし‥全国のおよそ半数近くの教区は「人権学習」を拒否しているという驚くべき現実がある。ここに、宗門の根強い後進性と無知が現れている。

道元禅を理解する好書であるとともに、「心=不可得=修行=菩薩行」とする筆者の基本的スタンスは、社会活動を実践する真の仏教者へのエールでもある。

No.644 2008/05/28(Wed) 10:32:48

 
Re: 春日佑芳『新釈正法眼蔵』(ぺりかん社1995)を読む / 坐禅修行者 引用

禅と菩薩行がどのように結びつくのか、禅の社会性とは何か、ぜひご教授をいただきたい。一年ほど前にも同じような質問をいたしましたが、ついぞどなたからも書き込みはありませんでした。

No.647 2008/06/03(Tue) 16:35:16

 
Re: 春日佑芳『新釈正法眼蔵』(ぺりかん社1995)を読む / 地の声 引用

禅と菩薩行が結びつくことをだれも知らないからでしょう。それほど禅は特殊なもので、非仏教的に発展せしめられてきたのだと残念に思います。

禅が仏教から離れて、いったい何の意味があるのでしょうか。禅が仏教であるためには、菩薩行が絶対条件です。そもそも、禅は仏教であるかぎり菩薩行と切り離されるべきものではなかったはずです。自己に徹底する余り、本来の仏教から乖離してきたことは言えると思います。武士の心得とか興禅護国などに利用され本義を失いました。

慈悲に代表される菩薩行は社会性です。禅が見失った菩薩行をもう一度禅に復活させなければなりません。そこに本来の禅があるはずです。さもなくば、禅は仏教たりえません。

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自分の見ている世界を、人間の世界にするのは、人間らしい生である。この生がすべての始まりなのだ。そこに輝きに満ちた世界が現れる。道元禅師はいう。

この発心(発菩提心:地の声注)よりのち、大地を挙すれば(ふれれば:原注)みな黄金となり、大海を(手で)かけばたちまちに甘露となる。(正法眼蔵「発菩提心」の巻)


だからこそ一日は貴重なのだ。

この一日はをしむべき重宝なり。尺壁(一尺もある球)の価値に擬す(くらべる)べからず、驪珠(黒龍のもっているという珠)にかふる(換える)ことなかれ。(正法眼蔵「行持・上」の巻)

菩薩道に生きるこの一日は、宝石よりも貴い、けっして無駄に過ごしてはならない、と語ったのである。

(春日佑芳・曹洞宗ブックレット『華は愛惜に散り、草は棄嫌に生うる』pp5-6)

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「何かのために」という目標を否定し「只管」(これも、「ひたすら」ではなく「ただ」という意味もあります)を強調しすぎて禅(坐禅)は仏教(=菩薩道)を見失い、「何ものにも拘泥しない」という超然主義(=老荘思想)が実は野狐禅となり果てました。禅の「身心脱落」は、菩薩行の実践ためにこそ説かれたものと存じます。

引用した、春日佑芳氏の「人権ブックレット」は曹洞宗宗務庁に問い合わせれば入手できると思います。是非ご一読ください。

No.648 2008/06/03(Tue) 20:16:56

 
Re: 春日佑芳『新釈正法眼蔵』(ぺりかん社1995)を読む / 地の声 引用

さらに申し添えますが、

「原ぬるに夫れ、道本円通、争か修証を仮らん。」(『普勧坐禅儀』)は、非仏教である本覚思想そのものです。道元禅師のすべてを「神格化」してはなりません。禅師すら時代の制限を免れることはできませんし、また禅師自身も変化していることも事実です。道元禅師無謬論は信仰の上では大切なことですが、智慧を尊ぶ仏教者としては不遜ながらいかがなものかと思います。

No.649 2008/06/03(Tue) 20:32:56


朝日新聞「あしたを考える」を考える / 地の声 引用

同紙このたびの特集は、「寺離れ」。地方の寺院は過疎・高齢化によって「葬式のたびに檀家が一つ減」る。なりたたないから都会に別院を構える寺もあるが、マンション一室に電話機一台。葬儀社からの連絡を受けて葬儀をおこなうという、仏教本来の意義から逸脱した読経サービス業に堕ちている。

「日本国仏教」は、体制が与えた役割をひたすらこなして来たことは歴史が証明するところである。個と社会という面から見れば、「社会」的であったとも言える。だが、その社会性はあくまでも括弧つきで、仏教の目指す社会ではなく体制の目指す「社会」であった。また皮肉なことに、この国の仏教が最も隆盛を極めたときでもあったのである。そのような役割を担った「日本国仏教」が、社会および個と仏教的に真摯に向き合うことがなかったのは当然のことだった。

戦後、丸裸のままいきなり社会に放り出された「日本国仏教」は、檀家制度の残滓としての個と繋がることで、あるいは旧体制との関係を微妙に維持回復しなから、かろうじて生き延びていたが、冒頭にあるように地方から個が消え、都市部では読経サービスに違和感を覚える個が増加し、いまや「日本国仏教」は社会と個の両面から見捨てられようとしている。

この閉塞を打開する唯一の方法は、「日本国仏教」が本来の仏教に立ちかえることである。そして社会と個の両面に繋がっていくことである。具体的には「人権・平和・環境」の実践である。だが、はたして、その能力と体力があるのだろうか?

「‥1千万人ともいわれる門徒を抱える浄土真宗本願寺派(京都市)も、住職不在の寺を他の住職が維持・管理する「代務寺院」が1千カ寺に上る。代務の住職もいず、活動できない寺が約150ある。なんとかしようと、親鸞聖人750回忌の大法要を11年度に営むのを契機に、05〜17年度の長期振興計画を作成。寺の活性化、過疎地・都市部対策の予算に37億円投入。うち30億円は4月に作った「寺院振興金庫」に回す。寺の修理や後継者育成のための学費への貸し付けなどに充てる。‥」(同紙)

いまや仏教界はこれまで経験したことのない試練にさらされている。真宗本願寺派は、それを認識し対応している。では、曹洞宗はというと‥貴重な宗費を「多々良裁判」やら宗制を無視した祖院再建の強行によって数10億円を支出するという。この非生産的(無駄)な支出は、宗門全体の同意を得ることなく一部宗政家と呼ばれる人々の策動によって決められている。またいわゆる箱モノだけに、内容が実に後進的・時代遅れである。

いま取り組むべき問題は山積している。この国の仏教が危機に瀕しているとき、いまだに古い政治手法に頼る曹洞宗には決して明るい未来はないだろう。

No.646 2008/06/02(Mon) 07:12:55


資料:弾除けの守符(おまもり)サンパラ / 地の声 引用

戦時下、仏教は兵士に「死の受容」を説いたが、同時に仏教版「弾除け」のお守りもあった。

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‥出征兵士の守符として有名なものは古来俗にいう天狗の四文字である(サンパラサンパラ。手辺に合と辛、抬、手辺に合と辛、手辺に己と口:地の声注)。日清、日露戦役や、青島攻略の際、近くは満州、上海事変などの多数の兵士が弾除けとして、この四文字の守符を所持したが、今回の事変でも恐らく心ある人々はこれを送り、また自らも携えて行ったことと思われる。某将軍の如きは千人針の布にこの四文字を書き込んで出征したとのことである。
この四文字は、普通サンパラと読む。『普門示現施無畏品』の一番終りにこの字があってサンパラと読んで居り、仏教から出た言葉である。これを意訳すると平等という意である。仏教に於ける平等の立場というものは、毒にも毒という固定した本体はなく、薬にも薬という不変の本体はない、従って心が法にしっかり叶(かな)い即ち法身覚了すれば、毒も亦薬となるというような深い境涯となる、というのである。
そして、このサンパラは呪文であって、呪文の功徳というものはよく毒をも薬となすという経説によって、これが後に毒消しの意となり、弾除けとなったのである。我国では、このサンパラは古くから厄除け、あるいは弓矢除け、万難消滅の守符として民間に永く伝わっており、加藤清正は征韓の時、この四文字を刀に彫りつけ、また士卒にも紙に書いて持たせたといわれる。
この前の満州事変に於いても、不思議な功徳を現わしたというので、今では全国各駅の事故防止のために鉄道従業員が持つようになったと云うことであり、更に自動車の運転手、飛行家、消防署員、船員など危険な仕事に携わる人達の間にもこのサンパラを守符としている向きが非常に多い。又これを奨励する会まで設けられているそうである。
今度の事変(いわゆる支那事変:地の声注)で出征された兵士に守符を送りたい人は、どこか最寄りの寺院へ行くなり、あるいは自分で作るなりして、このサンパラを送ってやるのもよいと思う。むろん、その際、守符の意義をよく説明した上で送られたがよい。‥
(『大法輪』昭和12年10月号 p.128)

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サンパラが本来「平等」(すなわち無私)を意味するのが、しまいには曲解されて自分だけの身を守る(有私)という非仏教に転落する様子は、いかにこの国の仏教が堕落しているかを物語るものである。

サンパラの精神は平和・非戦こそが導きだされるべきであって、薬と毒が一緒という観念論的「平等」観でネジられてはたまらない。そもそも人が薬として使う場合、それはあくまでも薬であって、毒ではない。逆もまた同じである。こんな簡単な事実を無視することは仏教ではない。守符としての「サンパラ」とパラパラ。軽薄な意味でよく似ている。曹洞宗の祈祷法要「大般若法会」も仏教精神が籠っていなければ、ただの現世利益を求める「サンパラ」のようなものである。「大般若法会」の導師たるものは、大衆転読直後、声高らかに「人権・平和・環境」を喝すべきであろう。

No.645 2008/05/31(Sat) 07:25:29


映画『靖国』を観る / 地の声 引用

☆日本政府、公立学校生徒の靖国神社参拝を解禁 5月23日(金)東京

政府は、金曜日に戦争に関係ある靖国神社への旅行を組織することを公立学校に禁止した1949年の政府通達を無効にすると宣言した。
平沼赳夫(無所属)による質問に対して、政府は、「生徒が学校教育の一部として日本の歴史および文化的側面を学習するために靖国神社を訪れることは許容可能である」と閣議で決定された文書の中で述べた。
東京の中央にあるこの神社には、日本軍として戦った戦死者の傍らに有罪判決の戦犯が祭られている。1945年、連合軍駐留軍は、第二次世界大戦で日本が降参した後に支配権を握り、いかなる種類の国家神道をあがめることを市民に強いることを日本政府に禁止し、軍国主義を促進することをさらに禁じた。
公文書によれば、当時の副文部大臣はそれにそって学生に、修学旅行で礼拝する目的で神社あるいは他の宗教の場所を訪れさせることを公立学校に禁じる指示を出した。
またその文書によれば、戦争を行っていた敵との和平条約が1952年に発効した時、日本はその主権を回復し、占領軍の神社参拝禁止が終了したと言う。
教育、文化、スポーツ、文部科学大臣渡海紀三朗は、「教育副大臣の通達は終戦直後の異常な状況の下で決められた。」と3月に語った。今はもう、靖国神社を他の神社と違う扱いをする必要はない。」
(2008.5.23 all-rentai00427メール:安原)

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話題の映画『靖国』を観た。製作者が中国人(すなわち侵略戦争被害者)であることを、あまり感じさせない、いわゆる「抑制」に効いたドキュメンタリーである。

靖国神社(大東亜戦争時、大村益次郎の招魂社を改名)。靖国とは「国を治める」こと。神社は「神」を祀る(この場合の「神」は、護国の神すなわち兵士であって、侵略戦争をバックアップする霊的存在である)。映画に登場する人々が今現在の靖国の意味を浮き彫りにする。軍服に身を固めて参拝する一団もあれば、暴行を受けて口から血を流しながら抗議する中国人の青年もいる。菅原龍憲(真宗僧侶)氏は、父を戦争で失った。侵略戦争を美化する靖国に父が祭られていることを許せず合祀取り下げを申し入れている。全体として、靖国派6割、反靖国派4割くらいの比率だろうか。国がこの映画に750万円を補助したのも頷ける。結構「右」寄りで、右翼や自民党国会議員が問題にするほどのものではない。逆に、一般国民が目にすることのない靖国例祭が「紹介」されていて、興味を抱いて参拝者が増えるのではなかろうかと危惧するほどだ。

靖国を語ることは明治以来のこの国の侵略戦争を語ることである。靖国刀を打ち続ける鍛練会の老刀工(90歳)が、この映画の基調に置かれている。「どんな気持ちで靖国刀を作っているのか」との質問に、長い沈黙のあと「困るねぇ」と言を濁す。彼には思想がない。ただ刀を作ることだけが目的であり、戦争とは何かという認識がない。機械のような職人にすぎない。この無意味な老刀工を主人公に置いたところに、映画『靖国』の本質を見たような気がした。

映画の終わり頃に写し出される戦時中の写真は、観るものによっては侵略戦争を暗示させるが、例えば右手に刀、左手に首を持つ写真にしても、スパイの処刑は国際法で認められていることであって、これをそのまま残虐行為とは言えない。南京城陥落の写真にしても、拍手する観客がいても決しておかしくはない。問題は「侵略」戦争をしっかり描いていないことにある。聖戦の名のもと2000万人以上を殺戮したのが先の戦争である。これにスポットを当てないため、靖国神社の本質が語られていない。映画『靖国』は、誤解をまねく危険な映画でもある。

冒頭に転載したように、公立学校の靖国解禁がおこなわれようとしている。

子どもたちに靖国をどう解説するのだろう。国歌・国旗の強制が行われている現実を想うとき、靖国解禁は実に危険な流れと言わざるを得ない。映画『靖国』のような腰砕けにすら右翼妨害が行われるのが、この国の現実である。靖国神社は他の神社とまったく違う存在である。宮司は陸軍大将がつとめ、現宮司は「電通」の南部利昭である。いったいぜんたい、どこが他の神社と同じなのか。本質を誤魔化し靖国神社を正当化しようとする国の企みは決して許してはならない。

No.643 2008/05/25(Sun) 06:54:59


勅語御下賜記念事業部編『日本主義死生観』から / 地の声 引用

昭和十九年四月三日発行の同書(なぜか和綴本)には「全日本宗教管長執筆 学徒出陣記念」というサブタイトルがある。戦争末期だけに、その内容は凄まじい。例えばこんな歌も掲っている。

日本兵士合言葉の歌    平原北堂
(一) それじゃさよなら別れるぞ
     靖国神社で又合おう
      乃公(おれ)は先きいて待っとるぞ
(二) 乃公は捨石おまえは仕上げ
     土産話はどっさり頼む
      乃公は先きいて待っとるぞ
(三) 来るにゃ及ばぬゆるゆるやれよ
     あとの仕末もどっさりあろう
      乃公は社(みや)から見ているぞ
(四) おまや先かよ乃公(おりゃ)次の番
     つもる話は社(やしろ)でしよう
      あとは一切引受けた
(五) 心残りは少しもないが
     軍の戦果が気にかゝる
      あとはガッチリ頼んだぞ

要するに出陣学徒は死ぬことが運命づけられており、同書は学徒に「死」の受容を「日本国仏教」やら神道によって強要したものである。大勢の出陣学徒はこれを読み、煽られ、そして死んでいったことを考えるとその責任の重大さは言語を絶する。

同書には、我が曹洞宗管長も一文を寄せている。

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大死一番   曹洞宗管長・勅賜大規正信禅師 秦 慧昭 (一部現代語化)

   一
出陣学徒諸士、諸士が感激の出陣に、国民一億は未だ曾て感じ得たことのない歓喜に満たされている。諸士は知能に於て質素に於て錬成に於て特操に於て、極めて優秀である。極めて優秀なる諸士が出陣は、その報道だけで既に敵米英の心胆を寒からしめるものがある。況や実際の戦線が諸士に近く起つ、その日に於いてをや。
戦闘の勝敗は武器の優劣に依存することころが多い。しかしながら戦士の優劣は武器の優劣を克服して更に余りありという。
極めて精鋭、極めて優秀なる武器を操縦するに、極めて卓抜、極めて優秀なる戦士が当たるに於いてをや。
国民が諸士にかくるところの期待は実に甚大である。

  二
諸士の出陣は即ち国民一億の総出陣である。国民の幾十万幾百万は既に諸士に先立って出陣している。しかしながら今日なお未だ国民の悉くが、戦争を身近に感じているとはいわれないものがある。
しかるに諸士の出陣には、国民悉くをして戦争を身近に感ぜしめずんばやまざるものがある。諸士の出陣は実に国民の総出陣である。諸士の出陣によって戦争をひしひしと身近に感ぜしめられる。国内の戦時態勢は之によりて頓にその堅実性を加えるのである。諸士が出陣の意義は寔(まこと)に重大である。

  三
諸士が熟知するごとく、日本は実に雄渾壮大なる道義の戦いをしているのである。物欲を満足する日の来らんことを期して戦っているのではない。日本は道義の中での道義、最も偉大なる道義のために戦っているのである。八紘一宇の大理想実現の為に戦っているのである。万邦をしてその所を得せしめ、億兆をしてその堵に安んぜしめるために戦っているのである。敵米英を駆逐した後の地域には、既に八紘為宇の大理想実現の第一段階が築きあげられている。大東亜会議はそれを昭かに世界に宣言している共存共栄、独立親和、文化昂揚、経済繁栄、世界進運への貢献、これらの五大原則が既に着々実施されているのである。
日本の偉大なるこの戦争目的を徹底貫通するがために、あくまでも戦い抜き勝ち抜かねばならぬ。
日本は武力のために武力を行使しているのではない。日本は偉大なる道義徹底のために、武力を行使しているのである。日本の戦いは神武の戦いである。諸士は神兵である、あくまでも神性に徹せねばならぬ。
神性は己を没却する所にのみ現れる。死地に身を挺するそのときにのみ現れる。禅門に於て、大死一番、大活現成という、即ち之である。
敢て蕪辞を述べて、出陣学徒諸士に贈る。至祝至祷。

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禅師自らの筆か、あるいは本庁職員の筆になるものかはわからない。いずれにしろ、まるで軍の演説そのものである。歪曲された「大死一番」、「大活現成」のほかに仏教語はただのひとつも見られない。こんな理屈で死を強制されたのだから出陣学徒は不幸の極みである。「大死一番」ならぬ「犬死一番」というほかはない。

同書に曹洞宗からもう一人稿を寄せているのが高階瓏仙永平寺貫首(当時)である。

彼は同書のタイトルと同じ「日本主義死生観」という題で道元禅師の「生をあきらめ死をあきらむるは‥」(眼蔵「生死の巻」)を引用しつつ、「本来空が原理であるから、此の原理を達観するとき、所謂、達人は達観するで、栄枯は夢かまぼろしかと云う人生観の結果、死に着くことも帰るが如しと云う安心を獲得することが出来る」と、荒唐無稽な非仏教的理論を展開している。道元禅師の言う「生死をはなれ仏となる」ということは一生懸命仏道に励むことであって国策に従属して「死ぬ」ことではない。「仏となるにいとやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に着するこころなく、一切衆生のために、あわれみふかくし‥」とあるように一生懸命に(すなわち生死に惑わされることなく)菩薩道に生きることである。まして高階氏の十八番である「一殺多生」は、仏教が不殺生を戒の第一に置いていることを鑑みるにまるで非仏教である。

非仏教と言えば、「仏教の持つ死生観、又た人倫の大義よりする儒道的教練が死線を越る武士道精神の基調を固めた、それが又一面には義侠的侠客精神とも成て人の犠牲ともなって来た。それが今日非常時下一般国民の精華であり、また軍人の精神となって、陛下の為め、国家の為めには笑って死に着くと云う散華の姿が我が日本主義死生観と見てよかろうと思う」と高階氏は結ぶ。仏教(禅)の儒教化は繰り返さないが、侵略戦争を無原則に、あるいは宗乗を歪曲して理論的に支えた責任は重すぎる。彼は昭和19年から昭和40年代まで曹洞宗管長職にあった。戦中戦後を生き抜いた管長である。まるでどこかの国の無責任な○○制を思わせる。私は、曹洞宗が戦争責任を果たせなかった最大の原因に当管長を続投せしめた当時の曹洞宗の体質を指摘せざるを得ない。同時に、混迷を深めているいまの曹洞宗の最大原因として、飽くことなく目先の利益を追い求め続けるその場限りの「無責任体質」を指摘せざるを得ないのである。

No.642 2008/05/23(Fri) 05:31:53


梵網経について / 地の声 引用

戒を説く仏典「梵網経」が儒教化されていることはすでに書いた。

・我今盧舎那、方に蓮華台に坐す、周匝せる千華上に、復(また)千の釈迦を現ず。‥爾時に釈迦牟尼仏、初めて菩提樹下に坐して無上覚を成じ、初に菩薩の波羅提木叉を結したもう。父母師僧三宝に孝順し、至道の法に孝順せよ。孝を名けて戒と為し亦制止と名づく。仏即ち口より無量の光明を放ちたまう。是時に百万億の大衆、諸の菩薩、十八梵天、六欲天子、十六大国の王、合掌して至心に仏の一切諸仏の大乗戒を誦したまうを聴きたてまつらんとす。(国訳一切経・律部十二『梵網経』p.334-335)

「孝を名けて戒と為し」、その第一に「父母師僧三宝に孝順し」として、「父母」への孝を強調している儒教化の理由は繰り返さないが、オリジナルに近いパーリ語の「梵網経」と比較してみたい。

・ところで、比丘たちよ、凡夫が如来(@)をほめたたえて語りうるのは、このごく些細な、ごく身近な、単なる戒(A) についてだけなのです。では、比丘たちよ、凡夫が如来をほめたたえて語りうる、そのごく些細な、ごく身近な、単なる戒のことは何でしょうか。(原始仏教研究室『原始仏教』創刊号・「梵網経」p.7)

のっけから、まるでモードが違うことが理解できると思う。漢訳は設定からして巨大テーマパークであり、オリジナルは比丘と同じ目線にたった釈尊の生の声が感じられる。

以下五戒まで、両者の述べるところの戒を漢訳・パーリで比較してみる。

【不殺生戒】

・仏子若(もし)は自ら殺し、人を教えて殺さしめ、方便して殺し、殺すを讃嘆し、作すを見て随喜し、乃至(ないし)呪して殺さば、殺の因、殺の縁、殺の法、殺の業あらん。乃至一切の命有る者をば故(ことさ)らに殺すことを得ざれ。是(これ)菩薩は応(まさ)に常住の慈悲心、孝順心を起して、方便して一切衆生を救護すべし。而るを反って恣(ほしいまま)なる心、快き意(こころ)を以て殺生するは是れ菩薩の波羅夷罪(B)なり。

・沙門ゴータマは、殺生を捨て、殺生から離れている。棒を置き、刀を置いている。内の恥じらいがあり、慈愛があり、すべての生き物を益し、同情して住んで(C)いる。

【不偸盗戒】

・若じ仏子、自ら盗み、人を教えて盗ましめ、方便して盗み、乃至呪して殺さば、盗の因、盗の縁、盗の法、盗の業あらん。乃至鬼神、有主、劫賊の物、一切の財物、一針一草をも故らに盗むことを得ざれ。而も菩薩は応に仏性の孝順心、慈悲心を生じて、常に一切の人を助けて福を生じ楽を生ぜしむべし。而るを反って更に人の財物を盗まば是れ菩薩の波羅夷罪なり。

・沙門ゴータマは、与(D)えられないものを取ることを捨て、与えられないものを取ることから離れている。与えられるものを取り、与えられるものを待ち、盗み心がなく、自ら清潔にして住んでいる。

【不邪婬戒】

・若じ仏子、自ら婬し、人を教えて婬せしめ、乃至一切の女人を故らに婬することを得ざれ。婬の因、婬の縁、婬の法、婬の業あらん。乃至畜生の女(E)、諸天鬼神の女、及び非道に婬を行ぜんや。而も菩薩は応に孝順心を生じ、一切衆生を救度して浄法を人に与うべし。而るを反って一切人の更に人の婬を起さしめ、畜生、乃至母女、姉妹六親を撰ばず、婬を行じて慈悲心無きは是れ菩薩の波羅夷罪なり。

・沙門ゴータマは、不純(F)な生活を捨て、清純な生活を行い、不純な生活から離れている。性的行為や粗野(G)な慣行を離れている。

【不妄語戒】

・若じ仏子、自ら妄語し、人を教えて妄語せしめ、方便をして妄語せば、妄語の因、妄語の縁、妄語の法、妄語の業あらん。乃至見ざるを見たりと言い、見たるを見ずと言い、身心に妄語す。而も菩薩は常に正語・正見を生じ、亦一切衆生の正語正見を生ぜしむべし。而るを反って更に一切衆生の邪語邪見邪業を起さしめば、是れ菩薩の波羅夷罪なり。

・沙門ゴータマは、虚言を捨て、虚言から離れている。真実を語り、真実と結ばれ、正直で、信頼され、世間(H)を欺くことがない。

【不酤酒戒】

・若じ仏子、自ら酒を酤(う)り、人を教えて酒を酤らしめば、酤酒の因、酤酒の縁、酤酒の法、酤酒の業あらん。一切の酒をば酤ることを得ざれ。是れ酒は罪を犯すの因縁なり。而も菩薩は応に一切衆生の明達の慧を得せしむべし。而るを反って更に一切衆生の顛倒の心を生ぜしめば、是れ菩薩の波羅夷罪なり。

・パーリ語の「梵網経」に、「不酤酒戒」対応するものは無い。酒好きの私にとって、どこかホッとする(笑)。他、十重禁戒に対応していない様々な戒が列挙されている。当時のインド社会・風俗に仏教がどのように戒を設けて対応・精進していたかが伺えて興味深い。『沙門ゴータマは、種子類、草木類を傷つけることから離れている』『沙門ゴータマは、一食をとり、夜食を避けている』『沙門ゴータマは、非時(I)の食物から離れている』『沙門ゴータマは、踊り、歌、音楽、娯楽を観ることから離れている』『沙門ゴータマは、装飾のもとである花飾り、香水、白粉、アクセサリーから離れている。沙門ゴータマは、高い寝台や立派な寝台から離れている』『沙門ゴータマは、金や銀を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、生の穀物を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、生肉を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、婦人や少女を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、女奴隷や男奴隷を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、山羊や羊を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、鶏や豚を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、象や牛や牡馬・牝馬を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、耕地や荒れ地を受けとることから離れている』『沙門ゴータマは、売買から離れている』『沙門ゴータマは、重量のごまかし、貨幣のごまかし、寸法のごまかしから離れている』『沙門ゴータマは、賄賂や詐欺や虚偽といった不正行為から離れている』『沙門ゴータマは、傷害、殺戮、拘束、待伏、略奪、暴行から離れている』

________________________________________

@(原注)仏の総称。ここでは釈尊による自称。
A(原注)いましめ。戒は実践の根幹であるが、徳に関して〈戒は禅定に及ばず、禅定は慧に及ばない〉。その意味で、〈単なる戒にすぎない〉と言われる。
B(原注)仏の戒律中最も厳重なる罪にして之を犯すときは、僧衆の内より棄捨せられ、道果を退没し、無間地獄に堕すと云う。
C(原注)〈住む〉とは〈威儀する、行かせる、動く〉、すなわち行、住、坐、臥に威儀をととのえ、行動すること。
D(原注)不与取。与えられないものを取ることに〈五種の要素〉がある。(1)他者に所有されたもの、(2)他者に所有されたものに対する想いがあること、(3)盗みの心、(4)実行、(5)それによる持ち運び。
E(地の声注)これは身分差別とともに女性差別である。
F(原注)非梵行
G(原注)〈村人たちの慣行〉。
H(地の声注)仏教でいう「世間」は人間社会全体を指すものであって、決して、今の日本に蔓延るムラ社会的「世間主義」を言うものではない。
I(原注)正午から翌日の日の出まで。

___________________________________________

パーリ語の「梵網経」を読むと、お釈迦さまの表情や息づかいまで感じられる。あたかもそばにいるような気がする。他方、漢訳「梵網経」はどうだろう。この次元の差は一体なんなのだろう‥‥。

曹洞宗の命脈は授戒にあるという。観音宗あるいは血脈宗と呼ばれたほどだ。お釈迦様は「戒は禅定や智慧の下位に属するものだが、世間にはそれしか見えないから、その些細なことを説明しようか」と軽く言う。この隔たりは、そのまま「日本国仏教」と本来の仏教との距離である。原点に返らなければならない。儒道神に歪曲された「日本国仏教」を元に戻すのは容易なことではない。

さしあたり、社会問題にもなっている「戒名料」でも解決したらどうか。院号「ん〜百万」なんていう詐欺同然の行為をやめたらどうか。

それには授戒会をもっと積極的に修行することである。そして、オリジナルの戒法観に基づいて説戒をおこなうことである。そのためには、説戒師の役割は極めて重く、相応の研修も必要となるだろう。「日本国仏教」化した曹洞宗は、いまださまよい続けている。大乗仏教は戒にこだわらないなどと嘯く。坐禅をすれば尽十方界と自己が一体になるなどと、仙人のような寝ぼけ話を平気で(かつ偉そうに)言う厚顔無恥さに私は同じ宗門人として赤面する。宗門を救う活路は「授戒」にあると考える。

No.641 2008/05/19(Mon) 19:00:50


曹洞宗人権啓発ビデオ『われらも仏種を植えん』を批判する / 地の声 引用

期待はずれのひどいものだった。内山愚童の名誉回復ではなく曹洞宗の名誉回復ビデオである。こんなもので宗侶が「人権啓発学習」を強いられるのではたまらない。内山愚童の精神をまるで知らない宗侶たちが、愚童を誤解することを恐れる。知ったつもりになることを恐れる。

石川力山氏の研究は途上でやむなきにいたったが、彼が存命であれば、このビデオの準主役として登場する武田範之の扱いには不快感を示されるのではないだろうか。少なくとも私は激しい怒りをおぼえた。

「(石川力山氏は)(内山愚童と武田範之を)一方を善玉とし、他方を悪玉にするというのではなく、社会的立場にある一人の人間として、今ある状況の中でどう行動するのか、どう対処していくのかということを、僧侶である自分たちが、個々の責任において考えていかなければならないのではないかという問題提起をされたのです。」(中尾良信教授「内山愚童と武田範之」『個の自立と他者への眼差し』花園大学人権論集15)。

中尾氏は同様のコメントを出して当人権ビデオを括っているが、私には故石川力山氏が言わんとしたことが微妙に歪曲されているのではないかと思われてしょうがない。あるいは、実践活動家と違い研究者特有の抑制が言葉足らずを引き起こし、その真意が伝わらないのか。下記は『宗学研究第三十六号』に掲載されている石川力山「内山愚童と武田範之」からの抜粋である。

「一箇の人格における生涯にわたる思想構築とこれに基づく行動とは、人間が社会的存在である限り、その背負った社会的個別的諸条件に大きく左右される。しかし一方、個人の主体的選択の余地は、最終的意に人間に残された自由意思を前提とし、したがって、選択の結果の責任が個人に帰することも自明である。」

両者を比較すればわかることだが、文言はよく似ているが力点の在所が異なる。中尾氏は内山愚堂と武田範之を「僧侶である自分たちが、個々の責任において考えていかなければならない」と、判断を個人に任せ(あるいは預け)ている一方、石川氏は「選択の結果の責任が個人に帰する」ことは避けられないのだから、自己責任を以て両者から学びかつ行動しなければならないと述べている。極論すれば、愚童を目指し範之をはっきり否定できなければならないと述べているのである。

選択には責任が伴わなければならない。朝鮮侵略のお先棒を担いだ武田と戦争を真っ向から否定し闘った内山を明確に区別して評価しないと話は前に進まないのだ。武田範之の秉炬を行い、他方では内山愚童を宗内擯斥の処分を下した曹洞宗管長石川素童(総持寺貫首)の責任はどうなったのか?

それを明らかにしないと、いまの曹洞宗は「仏種」(つまり、仏教の理想世界を実現するきっかけ)を植えようがない。曹洞宗自らがどれだけ血を流せるかがビデオの主題でなければならない。身を守りつつ「仏種」を植えることなど不可能であること。これこそが内山愚童から学ぶことである。李容九を裏切って多額の報奨金をもらった武田範之を徹底的に否定することである。

愚童が到達した無政府共産主義は幸徳秋水の『平民新聞』がきっかけであり、その仲間との交流により培われたものだった。例えば天皇についての彼の見解も彼らから学んだものだった。彼の思想は、はっきり言えば「仏教アナーキズム」である。「天子かねもち大地主、人の血を吸うダニがおる」は愚堂の真骨頂であり、その紙爆弾『入獄記念・無政府共産』の入獄者とは赤旗事件で逮捕された大杉栄、荒畑寒村、堺利彦らだった。愚童のアナーキズムに対する強いシンパシーが理解できるだろう。

曹洞宗の名誉回復のためとしか思えない宗務総長の言葉やら、法要風景に時間を割くスペースがあるのなら、曹洞宗の犯罪にもっとまじめに懺悔を込めてアプローチすべきだった。愚童が特高に逮捕されたのは悲しいことに、なんと檀家の裏切りと永平寺(眼蔵会)からの中途追放が直接的原因だった。永平寺は内山愚童を直接的に国家権力に売り渡したのである。

愚童が入獄記念として捧げた大杉栄は甘粕に殺され(と言われている)た。その甘粕は後に満州映画の理事長となり、満州協和会の副会長となり、偽満州国の支配者のひとりとなった。満州から略奪した莫大な資源は戦中の日本を支え戦後日本復興の原資となった。内山愚童を考えることは現在の日本のありかたを考えることにほかならない。つとに現代的かつ重大なテーマをごまかした今回の曹洞宗の人権啓発ビデオは実に「曹洞宗の利益」に片寄ったものである。

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‥ところで、後に述べるように、この本(遠藤誠『今のお寺に仏教はない』:地の声注)の初版は、一九八六年(昭和六十一年)に出された。そのとき、私はこう書いた(本書一三一頁)。
「毎年一月二十四日、曹洞宗の林泉寺(神奈川県箱根町大平台)において、私を含む『内山愚童師を偲ぶ会』は、菅野すがさんと一しょに殺されて行った明治の名禅僧内山愚童師の法要を営んでいるが、その林泉寺の現住職木村正寿師(ビデオに登場:地の声注)は、立派である。なぜならば、正寿師は、まずその本堂で、誠心誠意をこめて愚童師のために法要の導師をつとめてくれるのみならず、終わってからは愚童師のお墓にもお参りしてくれる」と。‥‥ところが、今年(一九九五年)(「名誉回復」の二年後:地の声注)一月二十七日、その林泉寺住職の木村正寿和尚から、電話でこう言ってきた。「来年一月から、林泉寺本堂で『内山愚童師を偲ぶ会』が法要を営むことは、やめて下さい」と。理由は、「私(木村正寿)の家内と息子と檀家が反対しているから」とか、「その都度、その筋の調べを受けているから」とかいうことである。
しかし、私の見たところによれば、ことわってきた本当の理由は、こういうことのようである。「明治時代の当時の住職・内山愚童は、天皇制の打倒とか、国家権力の解体という恐ろしいことをやろうとした坊主だということを宣伝されると、今の林泉寺までヘンな目で見られる。それが困るのだ」と。
ちなみに「四姓平等」と「法身仏の絶対性」を唱えられた教主釈尊の立場を貫けば、当然、天皇制の否定と人民を抑圧する国家権力の解体に行かざるをえない。
かくして、これを否定した曹洞宗林泉寺にも、仏教がなくなってしまったことになる。(同書「まえがき」より)

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内山愚童はさぞかし嘆いていることだろう(そして武田範之は喜んでいることだろう)。このビデオを見る宗侶は愚童本人の声に直接耳を傾けなければならない。そして彼が傾注したアナーキズムとは何なのかを真摯に学ばなくてはならない。体制のプロパガンダを無原則に受け入れ、アナーキズムを「危険思想」の一種と捉えるような幼稚なまねは止めてもらいたい。この問題は現代的テーマとして未解決のまま目前にある。あえて言えば、儒教化した「日本国仏教」を否定し、アナルコ・サンジカリズムと仏教を主体的に統合しようとしたのが内山愚童であったと私は理解している。

当ビデオは、反面教師としての意義だけはかろうじてあるかも知れないが、しかし武田範之と曹洞宗のその時代を徹底的に批判できなければ、どこに「啓発」の意味があるのだろう。具体的に言えば、今日でも「高僧」とされる石川素童や範之の一周忌法要で導師をつとめた森田悟由を批判できなければ、「啓発」などできるわけがあるまい。いまだ未熟なる曹洞宗がこの問題を取り上げるのは少々早すぎたのではないだろうか。

No.640 2008/05/14(Wed) 19:34:36


武田範之の「儒教」 / 地の声 引用

一進会・李容九が合邦建議書を出して、桂首相が狙った韓国併呑は一気に現実味を帯びてくる。李がこのような売国的行為をおこなった背景には、「日本の意が『今日一指を切り、明日一指を切り、遂に頭足に及ぼして合併するにあり』、その結果韓国が『皇室も廃せられ、人民は奴隷化せらるるに至る』ものであり、この点、『日本人は口に仁義を唱へ、腹に野心を包蔵するもの―という認識』」(西尾陽太郎『李容九小伝』p.182)からであるという。つまり、このままでは日本から韓国民の隷属化を意味する「合併」をせまられるのは火を見るより明らかであるから、その前に韓国側から「日韓合邦」を唱えて条件を示して隷属化を防ごうとしたという。伊藤博文暗殺事件によって日本が対韓強硬策に出るのを恐れたことも一因している。韓国民族のアイデンテティーを維持しようとした李容九は愛国者だったと言える。

それを「騙した」のが武田範之である。

武田は、はじめは李容九の意見に賛同し、実際その実現に努めてもいた。しかし日本の方針があくまでも「合併」にあることを知ると彼はいきなり態度を豹変させ、李容九説得に回るのである。前掲書の著者は、それを「武田の禅僧的な神通遊戯」か?と揶揄し、無責任・無原則であると批判している。

「敬啓、狡兎竭(つ)きて良狗烹(に)らるるは人事の常なり。其然るを知りて然るものは、身を殺して仁を成すの個人的活動に非ずして、真に身を殺して国に殉ずるの公的活動に出づ。故に小衲は轍を改めて姑息の忠言に従う能はず。小衲には私なし。公あるのみ。公の為めに言ひ、公の為に行ひ、斃れて後已まんのみ。‥今や李容九は天命を待つのみ。政府の烹るに任かすることに決心せり。‥小衲等が罪に非るなり。」(同書 pp197-198)と武田範之は内田良平に書簡を送っている。

「仁」だ「公」だと、武田は言う。つまり儒教を引き合いに出し、あるいはひとり超然として道教臭くもある。しかし結局は打算に走ったのであり、それを正当化することはできない。

ところで以前引用した、ひろさちや『仏教と儒教』に興味深い指摘がある。大石内蔵助らの仇討事件(忠臣蔵)に関して将軍綱吉に意見を求められた儒学者・荻生徂徠は「浅野家の主君・家臣関係をプライベート(私)な問題と見、幕府と大名の関係をパブリック(公)の関係と見ています。そして、公論を私論に優先させた」(ひろさちや『仏教と儒教』p.155)という。この発想はまさに武田範之の「儒教」そのものであるが、筆者はこれを日本的に改竄された儒教であって、本来の儒教ではないと指摘している。本来の儒教は「孝」が最優先され、その意味から言えば「私」=「孝」が、「公」=「忠」の上位に位置されなければならないからである。

「義理と人情を秤にかけりゃ 義理が重たい男の世界」(「唐獅子牡丹」)。義理は「公」であり、「人情」は「私」だから、儒教本来から言えば「人情が重たい男の世界」と言わなければならないと、ひろさちやは言う。余談だが、「人情」は仏教でいえば慈悲である。「鮎は瀬にすむ 鳥は木にとまる 人は情けの もとにすむ」と歌った良寛さまは、やはり仏教者だった。

「滅私奉公」は戦争のスローガンともなった。この「日本的儒教」は神道によるものであると、ひろさちやは指摘している。そうなると、武田範之の「儒教」は実は神道化された儒教であって、国家および天皇に無原則で従った彼の行動原則がよく見えてくるようだ。いずれにしろ武田範之は仏教者ではない。

ところで余談だが、曹洞宗の「懺謝文」に「脱亜入欧のもと、アジアの人びととその文化を蔑視し、日本の国体と仏教への優越感から、日本の文化を強要し、民族の誇りと尊厳性を損なう行為を行ってきた。」とある。この見解は本質を見逃していると言わざるを得ない。この国が韓国、中国と侵略していったのは「脱亜論」ではなく「興亜論」にもとづくものである。民族差別は侵略時の現象面でしかなく(戦時下に於いて敵国民を差別するのは世界共通の現象である)、本質は大東(日本と韓国)あるいは大東亜(それに中国他を加えた地域)建設という侵略にあった。その中核は皇道派・陸軍・桂・山縣・寺田・頭山満・内田良平らであり、そして武田範之であった。いま批判されるべきは「興亜論」である。それが現在でも姿を変えて経済戦争を展開し、ときおり差別現象が勃発していることも忘れてはならない。

No.635 2008/05/08(Thu) 20:22:18

 
Re: 武田範之の「儒教」 / 坐禅修行者 引用

日本の歴史や文化の中に潜む仏教、儒教、神道をばらばらに分解して本質を理解しようとする試みはとても興味深いです。現代の日本を観るとき、これに加えて戦後輸入された不完全な個人主義を考慮する必要があると思います。欧米の個人主義はキリスト教の愛と表裏一体の関係にあり、やじろべいのおもりのようにバランスしてはじめて機能するシステムだと理解していますが、戦後の日本は個人主義だけが一人歩きしてしまったように思います。今日本にあるのは、瓦解しかかっている一如や忠、孝それに半端な個人主義や愛。この辺の四つどもえについて書かれた本を読みたいものだと思っていますが未だに見当たりません。

No.638 2008/05/14(Wed) 17:35:39

 
Re: 武田範之の「儒教」 / 地の声 引用

戦後の「日本国仏教」最大のタブーですから。そのような研究は徹底的に弾圧され、学者は生活が成り立ちません。いずれにしろ、日本仏教がもう少し骨太であることを望むと同時に、自分が仏教者としてどう自己実現するかを真剣に考えるときなのだろうと思慮します。

No.639 2008/05/14(Wed) 19:27:51


施本「聖化」に見る「日本国仏教」と儒教 / 地の声 引用

昭和13年1月8日発行の「聖化」という施本(有料販売)がある。サブタイトルは「皇軍慰問・銃後必読 事変特集 軍国の新年」。縦横15p×11p、内容24頁の手のひらサイズの訳は、裏表紙に「本誌を出征将士の慰問袋の中にお入れ下さい。」とあるように戦地の兵士に送るためである。名刺広告のトップに鈴木天山曹洞宗管長があるところを見れば同誌が曹洞宗公認のものであることがわかる。日中戦争が本格化したこの時期だけに、内容はホット。歯に衣を着せず兵士を鼓舞する勢いはすさまじい。仏教が戦争遂行思想に変化することができたのは、元来内蔵する儒教による。以下、「聖化」から儒教的要素を取り出す。

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日支満が誠心誠意、一体となり、互恵援助、共存共栄の道を行うのが国際正義であり‥況や赤き国際的共産主義などと云う非真理極まる思想と、この非真理極まる国家と共同戦線を張るに於いてをやである(興亜論:地の声注)。‥儒教の大学の教えでは天下、国家を治めんと欲せば、先ず身を修め、心を正しふせよと。その修身正心の道を禅では是を柳に入っては緑に、花に入っては紅なりとも、無縫塔とも、乾坤大地一箇の自己とも、称するのである。然るに無明、即ち我が現れるとき、一時に貪瞋痴となり、餓鬼、畜生修羅となり、大不正義になるのである。深浅遠近の差はあっても、要するに一一が守るべきを守り(「分を守る」は儒教:地の声注)、道を行うのを正義とし、然らざるを不正義と云うのである。今回の支那事変は、彼が乱暴狼藉を反省せしめんとする、正義人道の神聖戦であり、神仏の慈悲心を以て、悪魔を膺懲(ようちょう「懲らしめること」:地の声注)せんとする降魔の戦いである。だから億兆一心となって、最後の大勝を得ねばならんのであります。(原田祖岳「正義を以て不正義を膺懲す」)

戦争なしに平和というものは断じて来るものではない。いや戦争に勝たねば真の平和は断じて来ない。然るに戦争に勝つことを神に祈ってはならないなどと、腐りきった思想を鼓吹する迷信教が、東京のまん中にある。その中に日本人が居るというのだから、驚かざるを得ない。‥日本精神は三種の神器によって象徴されている。中について、神剣が武勇の徳を象徴することは申すまでもない。儒教に於いては智仁勇を以て、欠くべからざる天下の三徳であると教えている。仏教に於いては、智徳、恩徳、断徳を以て完全なる仏の三徳であると教えている。神儒仏、三道ともに、割り符を合わせたように(逆に「合わせた」のである:地の声注)、ぴったりと一致している。道は元来一つである。本当の道なら必ず一致する筈である。「安居は須らく殺すべし。殺しつくして、はじめて安居。」‥仏道修行とは、煩悩心と菩提心との戦争三昧である。迷妄と野心と、わが本質の良心すなわち本心との戦闘、それが仏道修行である。だから法戦と称する。すでにこれ(中国侵略戦争:地の声注)は法戦である。何としても勝たなければならない。全勝を博さねばならない。負けたらいつまでも平和を撹乱される。(青山白雲「軍国の新年と大道の修行」)

真理の太陽とは何であるか。神儒仏道三道一貫の大道である。神儒仏の三道が、日本、支那、印度と、所を異にし、時を異にして、別々にあらわれたにも拘わらず、そのめざすところが同一の真理であるが故に、三道全く割り符を合わせたように一致している。神儒仏三道一致の中心点は、無私であり、公正であり、無我である(日本神道の無私は滅私奉公、儒教の無私は忠孝、仏教の無私は無自性とそれぞれ異なる:地の声注)。三道の教えるところ、言葉の相違と、深浅の差こそあれ、中味は全く同一の真理である。(通俗道人・宗教講座「真理の太陽は極東より―神儒仏三道一貫―」)

先ず東洋思潮の本流は、神道(日本神道)、儒教、仏道の三つであって、これが一貫したる大道となり、無我を以て根本義とし、和合を以て目標としている。それは全一観、一体観から出て来たところの、正義を中心とし、平等即差別、差別即平等なる、真理を明徴する所の、真理の実現実行である。これが東洋の哲学であり、東洋の倫理学であり、仏教各宗の教学であり、心学その他幾多の精神科学となって、あらわれているのである。‥これが東洋思想の大体であり、世界大思想戦に於ける我が軍の陣営である。(如電・破邪顕正「世界大思想戦に於ける彼我両軍の陣立を大観す」)

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同誌末尾に「皇軍の護り 銃後の守り 金属製香盒観音像頒布」の広告が載っている。戦争で稼ぐ・・仏教者が‥なんともやりきれない。

No.637 2008/05/13(Tue) 20:36:21

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