起きてしばらく経ってから、その出来事の意味や時代の変化のポイントが見えてくることがあります。特に外交では、その影響はしばらく経ってから現れますし、関係者の証言なども少し時間をおいてから出てくるものです。
この本は、冷戦終結後の日本の外交を「ドキュメント」のようなリアルタイムに出来事を追うスタイルではなく、ある程度距離をとった「歴史」として描こうとしています。
当然、時代が近づくにつれ、「歴史」として描くことは難しくなっていくのですが、著者はさまざまな資料を駆使することにより、できるだけ俯瞰的に日本外交を見ていこうとしています。
目次は以下の通り。
目次を見れば分かるように、過去25年の日本外交の通史という構成になっているために、内容をたどることはせずに、いくつかのポイントを中心に紹介していきたいと思います。
まず、「はじめに」で著者が述べるように、「本書を貫くモチーフの一つは、外交と内政の連関、あるいは両者の相互作用」(ip)になります。
例えば、金丸訪朝団が「戦後の償い」に前向きな姿勢を示したことが右翼の「土下座外交」との批判を呼び起こし、その右翼対策を金丸信が佐川急便の渡辺広康社長を通じて稲川会の元会長石井進に依頼したことが、いわゆる佐川急便事件へとつながり、自民党が下野する原因となりました(19-22p)。
自民党下野後に成立した細川政権では、北朝鮮の核危機が高まることによって、小沢一郎と社会党の軋轢が高まり、小沢は社会党を見限って自民党の渡辺美智雄を担いで自民党の一部と組むことを考え、それが自社さの村山世間の誕生へとつながっていきます(54-57p)。
そして、その村山首相は戦後50年という節目の年に政権を担当することになり、その後のわが国の基本的な歴史認識となる「村山談話」を出します。「自民党が社会党の首相を担ぐという村山政権特有の構図が、歴史問題という保革の最も深い分断線を糊塗し、日本が戦後50年の「けじめ」として一つの声を発することを可能にした」(68p)のです。
小渕政権における自自公連立の後押しをしたのも、北朝鮮のテポドンの発射でした。この危機に対応するため、公明党の取り込みが必要とされ、そのために野中官房長官は「ひれ伏してでも」と、小沢一郎の自由党との連立に動きます。
また、ご存知のように福田康夫首相が小沢一郎率いる民主党に大連立を呼びかけた理由も、期限切れが迫ったテロ特措法への対応でした。
小沢一郎の外交・安全保障政策はともかくとして、安全保障政策絡みの政局で何度も小沢一郎が出てくるというのはいろいろな意味で面白いところです。
民主党政権に関しては言わずもがな、といったところで、普天間基地、尖閣、日韓関係という外交政策の失敗がそのまま政権へのボディーブローとなり、民主党への支持を削り取っていきました。
著者はこうした外交と内政のリンクをたどり、次のように考察しています。
この本を読むことで見えてくるもう一つの面は、副題にもある「首相たちの決断」です(副題は「冷戦後の模索、首相たちの決断」)。
外交に関しては、やはり首相や外相と行った人物のパーソナリティに左右される部分もあり、その人物だからこそできた(あるいはできなかった)決断というものがあります。
アメリカからの誘い水があったにせよ(72p)、橋本龍太郎首相でなければ普天間返還の合意は実現しなかったかもしれませんし、その橋本首相のある種のせっかちさが沖縄との詰めの協議をおろそかにし、その後、20年続く普天間の迷走の出発点をつくりました。
また、民主党政権というと鳩山由紀夫首相の迷走ぶりばかりが強調されますが、この本を読むと鳩山政権の岡田外相の根回し不足や、野田首相の融通の効かなさも大きな問題だったことがわかります。特に野田首相に関しては外交のセンスが致命的になかったと言わざるをえない気がします。
そして、副題の前半にある「冷戦後の模索」というのもやはり大きなテーマになります。
冷戦終結後まで、日本外交は日米関係の舵取りと戦後処理という大きなテーマを「受け身」でこなしていく面が大きかったですが(もちろん、これは単純化した見方ですが)、冷戦終結後の日本外交は、さまざまな課題に能動的に対処する必要が出てきました(i-iip)。
それに伴って、新たな価値を模索する外交も行われます。橋本政権や小渕政権はそうしたものを志向したと言えるでしょうし、特に第1次安倍政権は「自由と繁栄の弧」など、新たな価値を掲げた外交を打ち立てようとした政権といえるでしょう。
しかし、この「価値」を掲げるという行為は、それが日本にも跳ね返ってくるということでもあります。この事について、著者は慰安婦問題にからめて次のように語っています。
第2次安倍政権は、戦後70周年の談話についてはこの辺りの折り合いを巧妙につけてみせましたが、この問題は今後も安倍外交のポイントとなるでしょう。
とりあえず、以上のような点に注目してまとめてみましたが、この本はさまざまなエピソードを詰め込んだ読みやすい通史にも仕上がっています。じっくりと腰を落ち着けて日本外交を考える上でも役立ちますし、また、意外と調べにくいちょっと前の外交上の出来事を知る上でも便利です。
日本外交についての強いビジョンが打ち出されているわけではありませんが、これからの日本外交(政治)のビジョンを考えていく上で非常に有益な本だと思います。
現代日本外交史 - 冷戦後の模索、首相たちの決断 (中公新書)
宮城 大蔵

この本は、冷戦終結後の日本の外交を「ドキュメント」のようなリアルタイムに出来事を追うスタイルではなく、ある程度距離をとった「歴史」として描こうとしています。
当然、時代が近づくにつれ、「歴史」として描くことは難しくなっていくのですが、著者はさまざまな資料を駆使することにより、できるだけ俯瞰的に日本外交を見ていこうとしています。
目次は以下の通り。
第1章 湾岸戦争からカンボジアPKOへ―海部・宮沢政権
第2章 非自民連立政権と朝鮮半島危機―細川・羽田政権
第3章 「自社さ」政権の模索―村山・橋本政権
第4章 「自自公」と安保体制の強化―小渕・森政権
第5章 「風雲児」の外交―小泉純一郎政権
第6章 迷走する自公政権―安倍・福田・麻生政権
第7章 民主党政権の挑戦と挫折―鳩山・菅・野田政権
終章 日本外交のこれから―第二次安倍政権と将来の課題
目次を見れば分かるように、過去25年の日本外交の通史という構成になっているために、内容をたどることはせずに、いくつかのポイントを中心に紹介していきたいと思います。
まず、「はじめに」で著者が述べるように、「本書を貫くモチーフの一つは、外交と内政の連関、あるいは両者の相互作用」(ip)になります。
例えば、金丸訪朝団が「戦後の償い」に前向きな姿勢を示したことが右翼の「土下座外交」との批判を呼び起こし、その右翼対策を金丸信が佐川急便の渡辺広康社長を通じて稲川会の元会長石井進に依頼したことが、いわゆる佐川急便事件へとつながり、自民党が下野する原因となりました(19-22p)。
自民党下野後に成立した細川政権では、北朝鮮の核危機が高まることによって、小沢一郎と社会党の軋轢が高まり、小沢は社会党を見限って自民党の渡辺美智雄を担いで自民党の一部と組むことを考え、それが自社さの村山世間の誕生へとつながっていきます(54-57p)。
そして、その村山首相は戦後50年という節目の年に政権を担当することになり、その後のわが国の基本的な歴史認識となる「村山談話」を出します。「自民党が社会党の首相を担ぐという村山政権特有の構図が、歴史問題という保革の最も深い分断線を糊塗し、日本が戦後50年の「けじめ」として一つの声を発することを可能にした」(68p)のです。
小渕政権における自自公連立の後押しをしたのも、北朝鮮のテポドンの発射でした。この危機に対応するため、公明党の取り込みが必要とされ、そのために野中官房長官は「ひれ伏してでも」と、小沢一郎の自由党との連立に動きます。
また、ご存知のように福田康夫首相が小沢一郎率いる民主党に大連立を呼びかけた理由も、期限切れが迫ったテロ特措法への対応でした。
小沢一郎の外交・安全保障政策はともかくとして、安全保障政策絡みの政局で何度も小沢一郎が出てくるというのはいろいろな意味で面白いところです。
民主党政権に関しては言わずもがな、といったところで、普天間基地、尖閣、日韓関係という外交政策の失敗がそのまま政権へのボディーブローとなり、民主党への支持を削り取っていきました。
著者はこうした外交と内政のリンクをたどり、次のように考察しています。
自公の枠組みは比較的安定し、他が持続性を欠いた一因は、公明党と社民党(1996年までは社会党)の行動の違いである。社民党が安全保障政策の不一致を理由に複数回に渡って連立政権を離脱しているのに対して、憲法や安保問題をめぐって必ずしも自民党と一致しているわけではない公明党が連立を維持していることが、自公の安定をもたらしている。(中略)
社民党にとっては安保問題が党の存在意義そのものであるのに対し、公明党は「平和の党」を掲げつつも、組織維持自体が優先目標という違いがあると言えよう。(258p)
この本を読むことで見えてくるもう一つの面は、副題にもある「首相たちの決断」です(副題は「冷戦後の模索、首相たちの決断」)。
外交に関しては、やはり首相や外相と行った人物のパーソナリティに左右される部分もあり、その人物だからこそできた(あるいはできなかった)決断というものがあります。
アメリカからの誘い水があったにせよ(72p)、橋本龍太郎首相でなければ普天間返還の合意は実現しなかったかもしれませんし、その橋本首相のある種のせっかちさが沖縄との詰めの協議をおろそかにし、その後、20年続く普天間の迷走の出発点をつくりました。
また、民主党政権というと鳩山由紀夫首相の迷走ぶりばかりが強調されますが、この本を読むと鳩山政権の岡田外相の根回し不足や、野田首相の融通の効かなさも大きな問題だったことがわかります。特に野田首相に関しては外交のセンスが致命的になかったと言わざるをえない気がします。
そして、副題の前半にある「冷戦後の模索」というのもやはり大きなテーマになります。
冷戦終結後まで、日本外交は日米関係の舵取りと戦後処理という大きなテーマを「受け身」でこなしていく面が大きかったですが(もちろん、これは単純化した見方ですが)、冷戦終結後の日本外交は、さまざまな課題に能動的に対処する必要が出てきました(i-iip)。
それに伴って、新たな価値を模索する外交も行われます。橋本政権や小渕政権はそうしたものを志向したと言えるでしょうし、特に第1次安倍政権は「自由と繁栄の弧」など、新たな価値を掲げた外交を打ち立てようとした政権といえるでしょう。
しかし、この「価値」を掲げるという行為は、それが日本にも跳ね返ってくるということでもあります。この事について、著者は慰安婦問題にからめて次のように語っています。
そもそも安倍外交は民主主義や人権など「価値」の重視を掲げたが、それでは過去の日本の戦争について、人権という判断基準からどう向き合うのか。「安倍カラー」に潜む矛盾が日本外交に影を投げかけた一幕であった。(168p)
第2次安倍政権は、戦後70周年の談話についてはこの辺りの折り合いを巧妙につけてみせましたが、この問題は今後も安倍外交のポイントとなるでしょう。
とりあえず、以上のような点に注目してまとめてみましたが、この本はさまざまなエピソードを詰め込んだ読みやすい通史にも仕上がっています。じっくりと腰を落ち着けて日本外交を考える上でも役立ちますし、また、意外と調べにくいちょっと前の外交上の出来事を知る上でも便利です。
日本外交についての強いビジョンが打ち出されているわけではありませんが、これからの日本外交(政治)のビジョンを考えていく上で非常に有益な本だと思います。
現代日本外交史 - 冷戦後の模索、首相たちの決断 (中公新書)
宮城 大蔵