リストのクローズドとオープンの切り替え
前回:R-style » タスクリストのオープンとクローズドについて
クローズドリストについて引き続き考える。
今回問いたいのは、「リストをクローズドする」とはどういうことか、だ。
デイリータスクリスト
空っぽのタスクリストがあるとしよう。一日分のタスクを書き込むデイリータスクリストだ。
仮にこのリストが「クローズド」だとしよう。であれば、このリストは永遠に空白のままである。よって、このリストを使えるものにするためには、一度オープンにしなければいけない。閉じていた門を開くのだ。
朝の計画で、3つのタスクが追加された。これはサンプルなので、もちろんあまりにも少ないが、とりあえず一日分のタスクだとしておこう。そして、実行開始だ。この時点で、このリストを閉じることになる。どうやって? 残念ながら具体的な方法はない。今のところできるのは認知的な操作だけだ。
何か新しい「気になること」が発生したとしよう。「Amazonの発送状況を確認する」でもなんでもいい。そうしたものを、思いついた瞬間に、タスクリストに追加してしまえば、そのリストは閉じていないことになる。ここがポイントだ。
そのリストが閉じているならば、そのリストには新規で要素を追加できないのだ。そして、最初にリストを閉じたならば、基本的にそのリストは閉じっぱなしになっているはずだ。よって、何か「気になること」が思いついても、それをリストに追加してはいけない。
いけない、というか、追加してしまうとそのリストは閉じていないことになる。逆に、追加しないならそのリストは閉じていると呼べる。
もちろんそれは机上の空論というか、一つの理想状態を示している。追加のタスクが発生することは山のようにあるだろう。そのとき、どうすればいいのか。
一時的に、別の場所に置いておくのだ。その場所はinbox(受信箱)であってもいいし、私のように「欄外」であってもいい。なんであれ、閉じているリストに直接追加をしないのだ。むしろ、直接追加しないことをリストが閉じていると呼ぶ。
人間の認知は重要度よりも緊急度に重きを置く。何かを思いついた瞬間は、それがすごく大切なことのように思える。しかし、ちょっと考えてみれば「別に、今日やらなくてもいいよな」と思えることは多い。その、「ちょっと考えてみる」ことが重要なのだ。それがリストのコンテキストを維持してくれる。
メタファーを使えばこうだ。
まず、門がある。一日の最初に門が開き、そこに何人かが入る。その後、門番はその門を閉じ、閂をかける。その後、新しい人がやってくるが門は閉まっている。人々は仕方がないので、その門の前で並ぶことになる。昼の鐘が鳴ると、門番がやってきて、列に並ぶ人々を確認し始める。「よし、お前は通れ」「だめだ、貴様は入れない」 そのようにして列が「整理」されていく。門の中は完璧な静寂とは言えないものの、ある程度の秩序が保たれている。
これがリストを閉じる、ということだ。難しいことは何もない。基本的には認知上の操作である。あるリストにほいほい要素を追加するのか、いったん置いておいて、判断してから追加するのか。この「判断し、追加する」とき、そのクローズドなリストは、一時的にオープンになる。でも、追加が終われば、再びそのリストは閉じる。その繰り返しである。
さいごに
この操作には二つのメリットがある。一つは、リストのコンテキストを制御できることだ。「一日のやることリスト」を言葉通り、「一日のやることリスト」に保てる。たいていほいほい要素を追加していると「一日のやることリスト」は「一日にできたらいいなリスト」へと変身してしまい、そのリストに掲載されている行動に取りかかろうという意欲(取りかからなければならないぞというモチベーション)を阻害してしまう。リストについての一番の警句は、「混ぜるな危険」なのだ。
もう一つのメリットは、「コントロールしている感覚」である。これは、タスク管理を含むセルフマネジメント全般において重要だ。周りの状況に反応するままにタスクリストにタスクを追加していると、主体的な感覚がどんどんと消えていく。何に身を任すのか、身を任さないのかの感覚すら消える。これはあまりよろしくない。
どうあがいても「やらなければいけないこと」はやらなければいけないのだが、それでもそこに僅かばかりのコントロール要素を入れるのは、そんなに悪いことではないだろう。