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 私は映画版の「この世界の片隅に」を見てから、すごく大きな不満を抱えて、ずっともやもやとした気持ちが晴れずにいた。

 その不満に関しては昨日書いた記事に詳しく書いているので、こちらを参照してください。

 「この世界の片隅に」映画 感想・考察 【リンさんの存在感を消した映画版の功罪】

 http://www.club-typhoon.com/archives/8305461.html

 端的に申し上げると、原作で個人的に最重要キャラクターの1人だと考えていた、白木リンというキャラクターが映画版でほとんど登場しなかったことに対して不満を抱えていたのである。

 しかし、片渕監督が長い年月温め続けてようやく公開される運びとなった、映画「この世界の片隅に」。その片渕監督がそんな原作最重要エピソードともいえる部分を安易にカットしてしまうだろうか??

 私はシンプルに疑問に思った。はっきり言って、誰が監督を務めても、カットしないであろう重要シーン。原作を誰よりも深く理解してらっしゃる片渕監督がカットするはずがない。

 私は理由を考えてみた。単純に配給の兼ね合いによる映画の尺の問題なのか?それともこのシーンを入れることによって全年齢対象から外れることを危惧したのか?

 思い浮かぶのは、どれも核心には至らない推測の域を出ない理由ばかり。

 そんな時、こうの史代さんを特集した文芸誌「ユリイカ」が発売されていると言う事を耳にした。これは何か私の求める答えのようなものが得られるのではないか?そう期待して私は書店に足を運び、迷わず購入した。

 その期待は裏切られることはなかった。まさしく私の求めていた答えがそこにあったのだ。

 そして、さらに私が片渕監督という偉大な映画監督の掌の上で転がされていたことが判明した。


 そこに書かれていた理由はあまりに衝撃的だった。

 片渕監督はリンさんのエピソードが大切だったからこそカットしたのである。

 普通の映画監督は、原作の最重要エピソードをカットするなんてことは絶対にしない。なぜなら、それは私が指摘したように、批判の対象とされるわけで、無能監督のレッテルを押されかねない失策だからだ。

 だが、この監督はあえてそれを実行した。それはこのエピソードをカットすることで、私のようにリンさんの存在感の無さを指摘する人が現れ、それがこの作品の今後の展開につながるかもしれないと考えたからなのであった。

 私がさんざん不満を吐き出していたことすら、片渕監督の意図するところだったのか。私はただただ愕然とした。

 監督はこの映画版を見て、ぜひとも原作も読んでいただきたいと常々仰っていた。このことから推察すると、あえて映画版を不完全にすることで、原作への入り口の役割を果たしたいと考えていたのかもしれない。

 しかし、この理由だけでは納得しきれないぞ、と思っていると、それに続く部分にまさしく私が求めていた答えが記されていた。

 監督はダビングの作業をしているときにはじめてこの映画を音付きで全編通して鑑賞したそうだ。その時に、この作品に純粋な恐怖を感じたそうである。

 普通の生活に突如として戦闘機や空襲、爆撃がやって来る。すずは戦争により自分の兄も右手も両親も晴美も、あらゆるものを失っていく。それに加えてリンさんという存在による劣等感に苦しめられる。

 監督がこの時大きな疑問を抱いたそうだ。

 戦争でこれだけ苦しめられたすずさんが、その日常部分でリンさんの存在にまで苦しめられたなら、果たしてすずさんは立ち直ることができるのだろうか?救われるのだろうか?

 そして、監督は2時間という尺の中で、すずさんがこんな苦しみのどん底から立ち直ることはできないと判断したのだ。ゆえに「リンさん」という原作の重要エピソードをカットしたのだ。

 ただ、監督は「リンさん」を忘れていないこと、そしてこうの史代さんの原作に敬意を持っていることを示すために、周作の切り取られたノート、口紅をすずの日常の中に何気なく残し、そしてクラウドファンディングクレジットの下のラフ画で白木リンという少女の生涯を描いたのである。

 私は、映画を見て監督は「白木リン」というキャラクターをすごく軽視しているのではないかと怒りを感じたが、実際はむしろその真逆で、片渕監督は彼女がすごくこの作品において重要であることを理解したうえで、このような映画版に仕上げたのだと言う事がわかった。

 監督がこの映画でやりたかったのは、「すずさん」というキャラクターに2時間の映画の中で救いを、希望を与えることだったのだ。


 これが「リンさん」のエピソードをカットした最大の理由だったのである。

 そして監督がそんな目的の達成のためにわざわざ追加したのが、あのスタッフクレジットの背後で描かれる原作にもない、すずと周作、拾い子、そして呉の人々の戦後の生活を描いた絵だったのである。

 これは間違いなく、片渕監督の「すずさん」というキャラクターへの愛なのである。

 厳しい時代を懸命に生き抜き、深い悲しみと苦しみから立ち直った純粋な少女すずに救いと希望を与えたいという監督の明確な意図は、もはや彼女への愛としか形容できない。

 原作における「この世界の片隅に」というタイトルの意味は、間違いなく周作の世界の中心にいたリンさんではなく、その片隅にいた自分を選んでくれたことに対するすずからの感謝だった。

 しかし映画版における「この世界の片隅に」の意味は原作と異なっている。

 監督が描きたかったのは、広い「世界の片隅に」生きる少女すずの普通の生活と人生と愛の物語だったのである。

 映画版は原作に比べて確かにラブストーリーとしては弱くなった。しかしすずという一人の少女の物語としてこの上ない傑作へと昇華したのである。

 ユリイカの監督インタビューのこの部分を読んでからというもの、私はあまりの感激に涙が止まらなくなった。

 片渕監督に「この世界の片隅に」という作品を映画化していただけたことにただただ感謝の念が溢れてくる。

 映画と原作は別物。原作はこうの史代さんの作品だが、映画版は紛れもなく片渕須直監督の作品である。

 原作の良い部分を残しつつ、自分の作家性を映画に反映させていく。片渕監督はまさしく一流のアニメーション映画監督である。