読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

manazo.com

まなぞうドットコムです。

わたしが家族を大切にする理由

家族 人生

真実を知ったあの日から5年が経ちました。

今になって、ブログに書こうと思ったのには理由があります。

それは、何も恥ずべきことじゃないんだって思えるようになったから。

「お父さんとお母さん、今ごろ何してるかな」って考えながら読んでくれたら嬉しいです。

 

f:id:mannaca:20160928003731j:plain

 

 

私には、父と、母と、2人の弟がいる。

私は、ファザコンであり、マザコンであり、ブラコンである。

もはやファミコンである。

 

 

父と母は学生結婚。燃え上がってデキちゃった私。

3浪を経てやっとこさ早稲田に合格。三重から上京した父。

純粋無垢な田舎っぺ。岡山の田んぼから上京した母。

若かりし父は、若かりし母に出会ってすぐビビビッときて猛アプローチ開始。

母が下宿してる女子寮に忍び込んだり、毎日母の大学までお迎えに行ったり。

ちょっぴり強引な父だったけど、母もすぐに父のことが大好きになった。

(想像すると昔の青春映画みたいでムフフですな)

 

 

そして、妊娠発覚。

3浪した父はまだ大学2年生。

母もまだ卒業前で、ものすごく動揺したそうです。

しかし、世はバブル絶頂期。

父はあの手この手で単位をギリギリゲットしながら、

塾講師バイトで月30万円以上稼いだ。

母は、母になる覚悟をした。

そして、結婚。

私がこの世に誕生!パチパチ

 

 

ド貧乏だった幼少期

私が生まれてまもなく、バブル崩壊。

父の就職先は会社もろとも潰れ、転職を余儀なくされました。

父は寝る間も惜しんで働いたそうです。

父と母の苦労なんてさっぱり知らないまま、私はすくすくのびのび育ちました。

弟が生まれ、もう一人弟が生まれ、5人家族になった頃には家計は爆発。

電話が止まったり、電気や水道が止まることは珍しくありませんでした。

食卓に並ぶおかずは減っていき、物心つくころには焼シャケ1切れを家族5人で分けて食べることもあった。

私は、どこの家族もこんなもんだろうと思っていたけど、友達の家に遊びに行くたびに部屋の広さに驚き、友達の外食の回数に驚き、家族旅行の話を聞いたり、メゾピアノやポンポネット(懐かしいw)という子ども向けハイブランド?の服を羨ましがっているうちに、あ、うちは貧乏なんだ、みんなとは違うんだって思うようになった。

 

市内で3回も引っ越した。

いちばん意味不明だったのは100メートルも離れていないようなアパートへの極近引っ越し。

(もちろん家具や荷物は家族総出で手で運ぶ!)

今思えば、家賃滞納とかあったのかなあ……?真相は未だに知りません。

 

 

父と母の鉄の掟『子どもたちの前でケンカはしない』

若い父と母は、親としてはまだまだトンガってたと思うし、

父と母の友人の多くは独身生活を謳歌する中、

苦しい家計のせいでやりたいこともできなかったと思う。

それでも、父と母はいつも笑っていた。

芸人気質の父と、笑い上戸の母。

母「あちゃー!また電気止まっちゃったー!」

父「今日はキャンドルパーティーやで!」

子どもたち「わーーーーーーい!!!」

 

父と母は、どんなときも子どもたちのことをいちばんに考えてくれた。

そして、子どもたちの前でケンカは絶対しなかった。

もともとケンカの頻度自体すごく少なかったようだけど、

徹底して子どもたちにはケンカしている親の姿を見せないようにしていたと思う。

大人になった今、これがどんなに大変で難しいことかわかるようになった。

『ケンカをしない時間』をつくることで、子どもと過ごす間は一時休戦し、お互い冷静に考え直すきっかけになっていたかも。

いつかわたしに子どもができたら、真似しようと思っている。

 

父と母はいつも仲良しで、ニコニコしていて、

父は母のことを愛してたし、母は父のことを尊敬してた。

それが子どもたちにも伝わっていた。

うちに遊びに来た友だちからも、「おまえの父ちゃんと母ちゃん仲良しでいいよな〜」と羨ましがられたりもして、私の自慢の両親であり理想の夫婦の姿だった。

いつしかわたしは父のような人と結婚し、母のような女性になりたいと夢見るようになった。

 

 

そう、この頃までは…………

 

 

 

そういえばお父さんって何の仕事してるんだろう。

私が高校生になったある日、父が自慢げに「お父さんは社長になるんやで!」と言った。

私は「ってことは私は社長令嬢!?」と舞い上がってた。

 

父は、何の社長になるかは教えてくれなかった。母も、教えてくれなかった。

 

父は、昼夜逆転の生活に変わった。

わたしは、父の仕事が何なのか気になったけど、なんとなく聞いちゃいけないような気がして、その話題を避けるようになった。

 

相変わらず貧乏で塾にも一度も通えなかったけど、勉強はそこそこできたので第一志望の大学に進学することができた。奨学金があるとはいえ、私立のお嬢様大学『華のポンジョ』に通わせてくれたことは今も本当に感謝している。

新しい友達ができていく中で、親の仕事の話題になることもあり、うまく答えられない私のことを不思議に思った友達もいるかもしれない。

 

 

お父さんの仕事って、何だろう。

どうして昼夜逆転してるんだろう。

 

 

一度だけ、つい出来心で父のケータイを盗み見たことがある。

仕事のメールと思われる中に、

 

「今日は生理だから休みます」

 

という言葉を見つけた。

 

あ、と思った。

見たことを後悔した。

 

 

それでも、わたしは父のことを怪しんだり疑ったりするようなことは一度もなかった。世の中には、まっとうな仕事でも説明しにくいような仕事があるもんだと思った。というより、今考えてみればこの時は無意識のうちに、大好きで絶対的な「お父さん」という存在が揺らぐことがないよう思考をストップさせてたのかもしれない。

 

 

 

 そして事件は起こった。

f:id:mannaca:20160928005135j:plain

 

大学3年の夏、その日は朝から雨が降っていた。

1限の授業に出るために、家族の中でいちばん早く家を出た。アパートの階段を降りると、階段に黄色いチラシがたくさん撒かれていた。雨に濡れて、ほとんどのチラシはインクが滲んで読めなくなっていた。

遅刻ギリギリだったし、そんなものをまじまじと見る時間なんてなかった。

飛び越えようとしたとき、そのチラシに大きく父の名前が書いてあるのが目に入ってきた。

 

1枚を拾い上げて、そのチラシの内容を読んだとき、心臓がドクンと鳴った。

 

何の音も聴こえなくなり、時間が止まったみたいに動けなくなった。

 

 

 

「(父の名前)は犯罪者です。

  何人もの女性がレイプ被害に遭っています。」

 

 

父の顔写真や、被害者A子さんの証言、みたいなことも載っていた。

何が何だかわからなくなって、パニックになりながらチラシを全部拾い集めた。

アパートの前の道にも何枚か撒かれていた。それも全部拾って捨てた。

 

 

とにかく、わたしがいちばんに見つけてよかった。

弟たちや、お母さんじゃなくて、わたしでよかった。

 

 

頭の中でそう繰り返しながら、放心状態で大学に行ったけど、1限の途中で気持ち悪くなって早退した。

 

 

 

嫌な予感がしてた。

アパートに戻ると、うちだけじゃなく他の部屋のポストの中も全部覗いて確認した。

あの黄色いチラシが全てのポストに入ってた。嫌な予感は的中した。

鍵がかかっていたポストは、投函口から指を突っ込んで、全部回収した。

全てのポストに入っていた、ということは、幸いなことにまだ誰もこのチラシを見ていないということだ。

朝、踊り場に撒かれていたチラシも、誰かがそこを通れば濡れた足跡が付くはず。

でも、チラシには足跡はなかった。

 

よかった。きっと見てしまったのはわたしだけ。わたしだけだ……

 

 

泣いた。

 

 

 

 

 

家に帰ると、昼夜逆転した父が寝ていた。

叩き起こして問いただそうかとも思ったけど、勇気が出なかった。

父が起きてきても、わたしは「おはよう」しか言えなかった。

父は、わたしが学校をサボって家にいることにびっくりしながらも、

すぐに仕事にでかけてしまった。

 

雨は止んでいた。

ベランダで太陽が赤くなっていくのをずっと見てた。

もうすぐ弟たちが学校から帰ってくる。

その前に、お父さんに電話しなくちゃ。

 

 

 

真実を知った日

電話で何を話したか、実はあんまりよく覚えていない。

泣きながら父に暴言を吐きまくったような気がする。

父は、わたしが全部吐き切るまで静かに黙って聞いてくれ、こう言った。

 

 

 

 

「フーゾクって、わかるか?」

 

 

 

 

 

わたしの大好きなお父さんは、フーゾクの経営者だった。

フーゾク、フーゾク、フーゾク……風俗。

昼夜逆転生活も、盗み見たメールも、ぜんぶつながった。

社長令嬢だと喜んでた昔の自分を呪った。

 

父は、チラシを撒いた犯人には心当たりがあるらしかった。

仕事でトラブルを起こして辞職した部下の逆恨みじゃないか、とのこと。

チラシの内容はデタラメばかりで、父は犯罪者なんかではなかった。

それでも、もう隠しきれないと思い、私に本当の仕事内容を教えてくれた。

 

もちろんすぐには理解することができなくて、混乱した。

誰にも相談できず、わたしは一人で真っ暗闇の中にいる気分だった。

 

 

 

いつも優しい声で子守唄を歌ってくれたお父さん。

 

冗談を言って、家族みんなを笑顔にしてくれたお父さん。

 

「子どもたちのことも愛してるけど、お母さんのほうがもっと愛してる!」と 、聞いてるこっちが恥ずかしくなるようなことを平気で言っちゃうお父さん。

 

家族のために一生懸命働いてくれたお父さん。

 

貧乏で塾に行けなくても、勉強を教えてくれたお父さん。

 

私のいちばんの理解者で、将来結婚したいと思ってた、大好きなお父さん。

 

 

 

そんな私のお父さんが、風俗の経営者。

 

 

 

 

お父さんにとっての“家族”

一人じゃ抱えきれず、誰かに相談したくなった。

でも、なかなか言えなかった。打ち明けたら、みんな私から離れていっちゃうかもしれない。こういうことは、墓場まで持っていくべきなのかもしれない。後悔したり、お父さんのことを恨むようなことになるかもしれない。そう思った。

 

それでも、勇気を出して、本当に信頼できる人に相談することにしました。

意外なことに、相談した友人たちは誰一人として父を非難しなかった。

むしろ、ある友人からはこんな言葉が返ってきました。

 

 

「お父さん、家族のためにすごく頑張ってたんだね。

 ほんとうに家族のことを大切に思ってるんだね。」

 

 

最初は言葉の意味がわからなかった。

でも、もしかしたらその通りなのかもって少しずつ思うようになりました。

 

お金に困っても、仕事で行き詰まっても、子どもたちには決してその姿を見せなかった。いつも、どんなときも、愛情いっぱいに接してくれた。私にとって「最高のお父さん」だった。そして、そのお父さんをいつも笑顔で支える「最高のお母さん」がいた。

 

 

お父さんにとって、きっと家族は“生きる意味”なんだって思うようになりました。

もちろん、夜の道以外にもいくらだって選択肢はあったと思う。

下心だって、多少はあったと思う。

いや絶対めちゃくちゃあったと思う。(笑)

 

現在、父は風俗経営を辞め、昼の道に戻ってまいりました。

今も変わらず家計は苦しいです。

それでも、いちばんに家族の幸せを考えてくれ、一生懸命働いてくれるお父さんは、文句なし100点満点の父親なんじゃないかなあ。だからお母さんも、お父さんと一緒にいることを選んだんじゃないかなあ。

 

 

 

だから、私は家族を大切にしています。

若かった父と母がたくさん苦労しながら一生懸命守ってきてくれた家族の絆を、私もずっと守っていきたい。ここまですくすくのびのび育ててきてくれたことに恩返しがしたい。

 

お父さん、お母さん、長生きしてください。

これからもずっと笑って暮らしてください。

私がお嫁に行っても、泣かないでね。

だいすき!

 

 

 おわり。

f:id:mannaca:20160927235702j:plain