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かくいう私も青二才でね

知ってるか?30まで青二才でいると魔法が使えるようになるんだぜ?

【ネタバレ注意】映画「この世界の片隅に」を僕は命あるかぎり、伝え続けていきたい。

アニメ 映画の話

「この映画が見たい」の声が生んだ、100年先に伝えたい珠玉のアニメーション

クラウドファンディングで3,374名のサポーターから39,121,920円の制作資金を集めた本作。日本全国からの「この映画が見たい」という声に支えられ完成した『この世界の片隅に』は、長く、深く、多くの人の心に火を灯し続けることでしょう。100年先にも愛され続ける映画が、ここに誕生しました。

 

11月12日(土)全国公開 劇場用長編アニメ「この世界の片隅に」公式サイト

 

映画を見た後にホームページのこのフレーズを見たが、「本当に100年先まで愛され続けてほしい」と心の底から願う。

そこでまずは、全国の映画館で見られるように広がってほしい。

 

大きな映画館が3つもある川崎駅ですら1つしか上映館がないなんて、酷い話だよ!!
上映1日目に見に行こうとしたら開演3時間前に券が完売してた。
映画を見るために無駄足を食らったなんて初めてだ!

翌日に見に行ったら見に行ったで、満席でなおかつ映画を見終わると両サイドの男性も、俺も涙をためながら目をこすってる…映画館でこんなことを体験したのは初めてだ!!
満席も、両サイドが泣いてたことも、後ろの席からすすり泣きが聞こえたのも全部初めてだ!!!

 

あらすじ

すずさんこと「北条(旧姓:浦野)すず」が広島で幼児時代を送り、戦中に呉の北条家に嫁ぎ、その後戦争が終わるまでの間の時代を描いた作品。

 

嫁ぐ経緯から、戦争の描写まで「その当時の運命に流され続けるごく普通の女性」の物語であって、奇抜な人生や歴史的な決断をした人物ではない。

 

 

かつてこんなにプレーンで、兵器も貧困も描かない戦争があっただろうか?

どうしても、メッセージ性が強くなってしまったり、現代的な価値観を押し付けてしまう戦争作品・歴史作品が多い。

戦争映画という暴力と理不尽に疲れてしまった僕がいた

この映画で、触れられつつも主題になっていない
・原爆
・兵役や強制労働
赤紙や兵役逃れ
・国策プロパガンダ
・飢え死に
が他の映画やマンガには強すぎる。
そして、それらが色濃く出しすぎて、戦争映画と聞くだけで気疲れしてしまう。

 

戦争中が野蛮でおどろおどろしい時代であったこと自体を否定する気はない。

しかし、生活感も当時の習慣もわからないまま「あの時代は野蛮でした」「国は人々を脅して酷いことをしていたから、国家に権限をもたせたり、暴走する可能性がある暴力装置をもたせてはいけない」

と言われてもどうにもピンと来ない。

 

一人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字にすぎない」(ナチス親衛隊:アドルフ・アイヒマン)

集団にも生きた数だけのストーリーがあることはわかる。
それでもなお、どうやって生きてきたかも想像できない人達がたくさん亡くなったと言われても、その一人一人に涙するだけの感情移入ができない。

 

アイヒマンは「一人の死」を悲劇と定義づけたが、死である必要すらない。
目の前の友達や身内のケガや病気でさえ、悲しみは昔の戦争・遠い時代の飢餓に勝る。

 

いくら戦争の悲惨さや、飢餓の理不尽さを伝えられても、それらは統計や学問の世界。
「だからどうしろと?俺に何ができると?」
「はいはい、国が悪い市民は被害者」
遠い世界のことのような気がして感情移入する気持ちさえ年々薄れてる自分がいた。

 

そして、この映画は僕みたいな人間に、戦中を生きた人の人生に感情移入させる所から始めた。

…事実、ホームページには「すずさんが生きた時代」という年表があり、片渕須直監督は「(現在)92歳のすずさんが生きているような気がしている」とインタビュー*1に答えている。そして、それを読んだ時に鳥肌が立った。

 

「紙の上にしか存在しない時代のできごと」で終わらず、その息遣いまで感じさせてくれる映画

この作品は、あくまでも戦争中の生活を忠実に再現することに重点を置いている。

 

原作コミックからして、細部まで生活感を再現することに特化した作品である。
加えて、この作品の監督である「片渕須直」さんは細部まで緻密に調べこんで作品に反映させる人。

 

そのため、作品の中にある生活感・今では見かけなくなった戦前・戦中ならではの光景が忠実に再現されている。

 

戦争をどう思っているかばかりを作品の争点としがちだが、この作品は戦争との接し方の前にキチッと民俗を描いている。
「戦前からあった男性・女性の位置づけ」
「戦中特有の体験したことのない事に戸惑ったり、楽しんだりする姿」
「戦中特有の心身貧しさの中から生まれた生活風景や困窮するさま」

 

中でも特に僕のような「現代っ子」に興味深かったのは今ではほぼ見かけなくなった風景をきちっと調べてアニメにしていること。主なものだと

蒸気機関車がトンネルに入る時は煙を塞ぐために窓を閉める
・戦中の食糧難から試行錯誤された野草料理
・室内に落ちた焼夷弾を布団と水で消す描写

などなど現代では雑学となってしまったところなど調べてきちっと描く。
それが映像として新鮮でもあり、戦争映画の固定観念・やりきった感をひっくり返してくれたため、画面に釘付けにされてしまった。

 

 

確かに、他の戦争映画同様にこの映画でも戦争が進むにつれ、世の中も主人公もみんなおかしくなる「戦争の悲惨さ」も描いている。

 でも同時に、呉という立地もあって作った兵器が動いていることを誇らしく思う描写や鎮守府に停泊してる軍艦を覚えて、親しみを持ったりするシーンも描かれてる。

 

 どっちも本当のことで、どっちも日常の話。
それを思想やメッセージ性で、誇張したりそぎ落としたりせず、きちっと伝えてくれたことが嬉しかった。

 

すずさんがキャラじゃなくて、人間であることがよかった。

基本的に、おっとりとマイペースしているすずさん。
特別いい人でもあり気丈な部分もある反面、怒ることも嫌いな相手の不幸を願うところもキチッと出てくる。

 

「普通に笑って、普通に怒って」
と作中で評される通り、とにかく小市民な女性として描かれていた。
言うまでもなく「中庸」という意味であり、「地味」という意味ではない。

 

日本中、テレビをつけたら「キャラ」だらけ。
萌えキャラであり、いじられキャラであり…わかりやすすぎる人格・それを強調したオーバーな演技やリアクションばかりが溢れてる。

しょうがない部分もあるんだよ?
でも、テレビをつける度に芸人が先輩芸人やテレビマンに可愛がられようと強引に声を張り上げたり、30・40の声優さんが媚びたような10代の萌えキャラ役を演じてるところをみるのが歳を重ねるごとに僕はしんどくもあり、申し訳なくもなり始めてきている。

 

昨今、濃い目のキャラが多すぎるせいで、かえって人間的で「状況に流されながら変化しつつも、人格の芯がブレない」すずさんに僕は心を打たれた。

 

僕の強いエゴを押し通せば「キャラじゃない人間、オタクなアニメ制作者がキャラ扱いしてない人間をアニメでキチッと見たかった」という願望をキチッと叶えてくれていたことで、僕はこの作品をより強く好きになれた。

 

強いて言えば、芸術家肌のすずさんはあるシーンまで「現実を生きてなかった」

僕が映画を見てて興味深かったことは…イラストが描ける友達が自分を言い表すフレーズが劇場ですずさんを見てて何度か聞こえたこと。

 

普通の人から見れば、すずさんは限りなく中庸な小市民にしか見えない。 

しかし創作をやってる人か、オタクで創作している友達がいる人がでないとわからないこと、すずさんの「キャラ」と言えるだけの尖った部分が、かすかに存在する。

 

友達と初対面だった時に言った。

僕は現実であったことを創作で連想してしまったり、創作のネタに使えると考えてしまっているので、現実を(現実と捉えて)生きていない。

すずさんは絵が描ける人だった。
そのため、幾つかのシーンで彼女は風景を絵に見立てるシーンが出てくる。
幼少期も、戦争中も変わらずに持っている彼女の感性であり、(世が世なら)才能でもある。

 

そのため、絵をどっぷりと描いてしまうあまり周りを困ったことに巻き込んでしまったエピソード。

その大半は、笑ってごまかせること。
いや、マイペースなすずさんらしさとして周囲が受け入れられてしまうのは彼女の人徳か、それともかわいさか…。

 

話を僕の友達に戻す。
現実を見ていないと同時に、絵を描けるの友達は不真面目なやつなのだ。
ちゃんとすれば、モテるなりお金がたくさん貰えるなり、頭のいいやつを言い負かすなりできる優秀なやつだが、残念ながら彼はあまり日本のGDPに貢献する気がないようだ。

 

あまりにも、マイペースにダウナーなので、なぜがんばらないかを聞くと

俺ががんばらないといけない社会って相当やばいんですよ。俺より優秀な人、やる気のある人ががんばってどうにかなるうちは俺は死なない程度にしかがんばらない

 この台詞、映画のあるシーンを境にしたすずさんの描写と一致する。

 

すずさんのマイペースさを笑っていられる時期は平和でもあり、戦争に対して面白おかしい部分を持ち合わせていられた。

でも、すずさんはあるできごとをきっかけに持ち前のマイペースさを失って、本人が「何も考えてない」と言ってた所から、悶々といろんなことを考えるようになる。

 

人が変わったように考えているようで、マイペースの方向性が変わっただけ。本質的にはマイペースなままだけど、戦争が泥沼化する前の彼女からは考えられぬほどシリアスなことを言い出す。

マイペースはマイペースでも、みんなが笑ってくれるようなすずさんではなく、仕方のないことを真面目に考えたり、衝動的な行動をとって誰かがフォローしないと行けない状態になったり、もはや手もつけられなくて誰も彼もが黙ってしまったり…。

 

おっとりしてたすずさんでさえ、笑えなくなったり、生真面目に傾くことに「戦争や貧しさは人を壊し、すずさんはキャラじゃなくて人間だから壊れていく」と痛感した。
だが同時に、人が振り回されるようなことをする人であることは変わんないところにも「すずさんの変わらなさ、人として生まれ持った根源」を感じた。

 

・最後に

この映画はすずさんが、
昭和以前の女性に人生を決定する権利が少なかった時代に嫁に行き、
嫁ぎ先で戦争にも家庭の事情にも巻き込まれて時に肩身が狭くなりつつもどうにか自分の役目を粛々とこなしながら毎日を過ごし、
マイペースで絵のことや食べ物のことばかり考えていたおっとりとしたすずさんでさえ、生真面目かつ神経質に壊れていく…。

 

そんな普通の戦前戦中を描いた映画。
でも、普通のことを細部まで細かく再現したり、その時代の特別ではない人でさえ壊れていくことで、危うさを感じ取ってしまう映画。

同時に、 危うい中でも生き抜くすずさんに幸せになってほしいと心の底から応援できること、応援することで自らも勇気をもらえる映画。

そういう作品だから、100年先…少なくとも僕の目の黒いうちは伝え続けていきたい。
僕が劇場で見た映画、観客の反応、僕自身に湧き上がった感情は、きっともう二度と体験できない歴史的な瞬間だったから。 

 

 

 ちなみに、友達は好きな作家の作品を賞賛する時、「天才の仕事」という言葉をよく言います。

友達と趣味が違いすぎて同じものにその言葉を使わないですが、僕はこの作品こそ「天才の仕事」 だと感じました。

 

また、アニメにする際、画のタッチ・マンガのタッチを崩さないばかりか、当時の風俗を忠実に再現したり、研究した上で付け加えていく姿勢まで原作に忠実だったことに感動しました。(あまりにも、映画に感動して 電子書籍を買いました。)

 

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