バイクメーター
私の家族は、平気でこんなことをいう。

都内を通り過ぎる幹線道路を通過して通勤することは本当に疲れる。
当然の様に渋滞があるからだ。

通称『シグナルGP』と言われているように、すり抜けして信号の手前では
10台近いバイクが列をなし、加速力に優れるその特性により、信号が青に
なると同時に一気に車を突き放していく。

本当にうんざりする。

渋滞する車の間を三桁近いスピードですり抜けていくのである。
車のウインカーには、最新の注意を払って走っているが、突然車線変更されたら
一発で死ぬんだなと一台一台通り過ぎるたびに感じる。

それでも、時間との勝負である。いかに早く職場に着くかそれだけを考える。
死んだらそれは運命と諦めるしかないし。。。
実際は、アドレナリン出まくりでその時は、何も恐怖は感じない。
ただ、早く早くと感じているだけである。
あと、一緒に走っているバイクにライバル心が生まれてくる。
これは、本当に不思議なんだが、その時は本当に無意味なライバル心が生まれてくるんだ。
『俺は、この道を通勤として使っているんだ。これは、俺のテリトリーだと言わんばかりに』
三車線を一気に左右にスラロームして一番抜けやすい車線を選択している。
こうなってくると、バイクの排気量はある一定を超えると関係なくなってくる。
運と選択と危険予知の生存本能があるものが生き残れるし、一番早く抜けられる。
ツーリングなんかでしっとりと走っているのとは本当に訳が違う。
もう、自分自身が狂気に包まれていると感じる瞬間が必ずある。

片道40キロを走りぬきバイク駐輪場のおやじに500円払うときは、本当にほっとする。
職場に着いた時には、魂を半分抜かれたようになる。
必死のすり抜けを成し遂げて、1時間半である。(往復3時間)
死なずに職場に着いたなと思って、そこから地獄の仕事が待っている。
言わずもがな、これが仕事に集中できている自分とは程遠いんだろう。

『なぜこんなことをしなければならないのか?』

それは、代償性発汗により満員電車に乗れないからである。
夏場には、電車に乗るときにはすでに汗だくの状態である。
その体で他人と密着させてのることは、他人を濡らす行為でもあるから
私の神経では出来ないのである。

会社は、車通勤かつバイク通勤を認めていない。
わかれば、当然懲戒処分である。解雇もありえる。
でも、そうしなければいけない程、『代償性発汗』というものは自分を追い詰めてくる。

仕事が終わり、帰路の道は行きよりも、幾分気持ちも晴れやかな気持ちで走ることが出来る。
それでも、大手町、永田町、六本木の渋滞にはうんざりする。
全く進むこともできないのである。
止まっていれば、熱気にやられることにもなる。
本当に気疲れする。

そんな苦痛の80㎞が週5で続くのである、一週間で400㎞になる。
渋滞のすり抜けがなければ、気楽な通勤になるのかな?
そんなこともないと思うが。。。
週400㎞渋滞する車の中をすり抜けていくと本当にそれだけで疲弊するし、絶対に死ぬ
と感じれる。

そんな私の嘆きに対して私の家族は、『そんなことは甘えだ』

『文句は、死んでから言え。』

ただそれだけだ。

死んでもいい、いや『死に体の私』だが、痛いのは嫌なんだよなぁ・・・

本当の殺意が湧くとはこのことか。。。

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