ところが、今、日本酒ファンに受けているのは、「甘さ」と「酸味」だ。新世代の蔵元たちは、あえてそこを狙っている。
といっても以前のようなべたべたした甘さや、不快な酸味ではない。すっきりとした飲み口にさらっと香りと甘みが乗っていたり、酸味も洋食に合うようにと、計算した上で加えられている。
蔵元が製造に乗り出したこと以外にも、日本酒をめぐる構造変化は起きている(右表参照)。
中でも世代交代の影響は大きい。ほとんどの日本酒の蔵元は地元の名士である。このため、ある程度、経験を積んでから就任するのが当たり前だったし、杜氏も60代以上が多かった。
ところが、蔵元が製造を兼ねることもあり、やり方を変えようとする気概を持った若手が蔵元に就任するようになったのだ。
三重県名張市の「而今」。日本酒ファンの間では、飲みたくても飲めないほど入手困難な人気の酒だ。この酒を造るのは蔵元であり、杜氏でもある木屋正酒造の大西唯克社長。39歳と若い蔵元だ。
上智大学を卒業後、乳製品メーカーで働いた後、10年前に家業を継いだ際は、廃業寸前だったという。そこで、杜氏を廃し、自ら造ることで、徹底的に工程を見直した。清潔さにもこだわることで、酒質を向上させたという。
そして、常識にとらわれない改革の旗手として、今、日本酒業界で最も注目を浴びているのは、秋田県の新政酒造の佐藤祐輔社長だろう。こちらも年齢は39歳。
「日本酒界のスティーブ・ジョブズ」と評される佐藤社長はとにかく、新しいことが大好き。焼酎向けの麹を日本酒に転用してみたり、あえてアルコール度数が低くなるように醸造してみたりと、数百年間続いた日本酒の造り方をがらりと変えようとしている。
さらに、佐藤社長は、県内の近隣の他の四つの蔵元と組んでNEXT5というチームを結成。
お互いに厳しく品評し合い、集まれば技術面での情報交換や討議をする。さらに、5人でイベントを開催するなど、情報発信にも努めている。
実は、この情報発信も重要だ。「造り手が海外にいるワインだけでなく焼酎と比べても、この20年間、日本酒の蔵元は東京などで頻繁にイベントを開催してきた。これが、消費量が落ち込む中でも人気を下支えしてきた」(東北地方の蔵元)のだ。
何百人も集まるイベントのほか、10人程度しか集まらない飲食店主催のイベントに人気の蔵元が参加することは珍しくない。
そして、流通も変化している。問屋任せだった流通を捨て、自ら東京の有力酒販店に一升瓶を担いで訪れ、取り扱いを始めてもらう蔵元も増えているという。
● 日本酒は 日本の農業と密接不可分
味が劇的に変化し、情報発信も盛んになったことで、日本酒の飲まれ方は変わった。
刺し身や焼き魚といった和食とは従来、相性が良かったが、酸味や甘みが強い日本酒が出てきたことで、肉料理や洋食にもマッチするようになった。
また、食中酒に向いているものや、お燗をして飲むもの、すっきりとした飲み口のもの、あるいは、かなり余韻の残るものといったように、料理や飲む相手の好みに合わせて選択可能だ。
こうした日本酒の多様性を、イベントや雑誌などで知る機会も増え、女性や若い人も飲むようになってきたのだ。また、ワイン愛好家が日本酒に興味を示すようにもなってきている。
質が向上しワインのように食中酒としても楽しめるだけに、気になるのは、海外進出だ。事実、海外進出を考えている蔵元は多い。ただし、課題は多い。
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