愛知
2016年6月25日
<質問項目> (1)家族構成(2)政治信条(3)尊敬する政治家(4)携帯の待ち受け画面(5)18歳の時の夢(6)毎月の小遣い額(7)好きな動物
=上から届け出順
不条理と闘い続けた自負がある。
三十三年間の体育教師の傍ら、職員室での嫌煙権を求めて法廷の場で争った。矢作川河口堰(ぜき)の建設反対運動にも携わった。自衛隊海外派遣に反対する訴訟の原告にもなった。
「顔はハンサムじゃないから、行為によって、いい男になろうと。納得できないことには声を上げる」
学校が全面禁煙化されたのは裁判から二十年後。河口堰も中止になった。「戦えば社会は一歩前進する」。教え子や同僚の教師に身をもって伝えてきたつもりだ。
国政選挙への挑戦は、二〇〇七年以来五回目。若い世代の低賃金や非正規労働の改善を訴えると、かつてない手応えを感じるという。「裏返せば、それほどひどい」現実ということだ。
手先が器用で、デモに使う横断幕やのぼりを自作するなど、趣味と実益を兼ねた工作が日課だ。孫二人をおぶって散歩し、風呂に入れる瞬間は「俺ほど幸せな人間はおらん」。好々爺(こうこうや)の一面も見せる。
(1)妻と次男夫婦、孫2人と3世代同居(2)平穏な生活を実現するのが政治の役割(3)徳川家康(4)2月に生まれた孫の寝顔写真(5)教員でハンドボール部顧問(6)6万円(7)人間
テレビ局の記者時代は大阪府警や尼崎JR脱線事故の取材に奔走した。転職したリクルートでは結婚情報誌ゼクシィの広告マーケティングを担当した。
「寝る間もなく、ばりばり働いてきた」と振り返る。
そんな環境が変わったのは、不妊治療を経て三歳と一歳の娘二人を授かってから。次女に先天性難聴の疑いがあると告げられた。
自らを責めて落ち込み、障害児の行く末を調べていた時、偶然見掛けた民主党(当時)の候補者公募サイトの言葉に胸を突かれた。
「政治家は子どもの未来を作ることができる」。応募書類を一気に書き上げた。
出馬の決意を知らせた夫(39)は「やっぱ、うちの奥さん、変わっとるわ」と言いながら、背中を押してくれた。選挙活動も子どもの世話も、両親や姉夫婦ら家族総出。中高大を歩んだ金城学院の仲間も手伝ってくれる。
寝かし付けるまでの二児との触れ合いが、疲れを癒やす。オレンジ色の服がトレードマーク。
(1)実の両親、子ども2人、姉一家で同居(2)子どもに説明できないことはしない(3)大塚耕平参院議員(4)2人の娘(5)熱血教師(6)生活費の中でやりくりしている(7)ウサギ
三十八歳のとき、扶桑町役場の企画係長を辞め、県議に転じた。
消防団や商工会での経験と仲間が政治の原点。地元を守っている先輩たちに、一人の政治家として、どう恩返しできるのか。「易きに流れそうなときは、彼らの顔が思い浮かぶ」
クリーニング店の長男。ビルが林立する都会で働く自分を思い描き、大学卒業時は、海外拠点がある民間企業への就職が内定していた。
しかし、最後は両親の頼みをのんだ。「地元に残ったのが唯一できた親孝行」と振り返る。
趣味はギター。中学一年で最初の一本を買ってもらった。「一匹おおかみとは言わないが、悲しいときもうれしいときも、一人でアコギ(アコースティックギター)をかき鳴らす。それが青春だった」。かぐや姫や井上陽水をまねた。
いま注目は、吉本新喜劇のギター芸人。「お見それしました、という感じ。人を笑わせる力は政治に通じるかもしれない」。タブレット端末で観賞しながら、眠りに就くこともある。
(1)同級生の妻(2)初心不可忘(3)麻生太郎副総理(4)買ったまま(5)高校教師、フォーク歌手、時代劇俳優(6)決まっていない(7)思い出すのは小学生のときに卵からかえした鶏
名古屋市内の小学校で十七年、教壇に立った。
街頭演説の最中、通り掛かった元教え子から「頑張って」と声を掛けられる。手弁当で選挙活動を手伝う教え子もいる。
いまも「生まれ変わっても先生をやりたい」という教員生活は、何よりの財産だ。国政を志した原点でもある。
「親の失業で高校を中退せざるを得なかった子の顔が目に浮かぶ」
二〇〇〇年から教員組合で活動し、連合愛知副会長を経て、一〇年に初当選した。民主党政権時代は高校無償化の実現に携わり、いじめ問題や通学路の安全対策にも取り組んだ。
各党が主張し始め、導入への機運が高まる給付型奨学金も「六年前からただ一人、必要だと地道に言い続けてきた」と第一人者を自任する。
教壇を離れて七年がたつが、かつての同僚や大学生の次女(20)からも、教育現場の悩みを相談される。
大学野球で首位打者に二度輝き、趣味のゴルフはシングルの腕前。議員になって「休日の過ごし方を忘れつつある」。
(1)妻、娘2人(2)誠実に、正直に(3)鈴木貫太郎(4)愛犬ハル君(5)教師(6)飲食代を入れて7、8万円(7)犬