今回は、押見修造(おしみしゅうぞう)の『ぼくは麻理のなか』(双葉社)を紹介します。4年かけた連載が全9巻で完結したところです。
押見修造は『惡の華』でブレークしました。
「別冊少年マガジン」という冒険マンガやファンタジーを主体とする雑誌に連載されたのですが、女子の同級生の体操着を盗んでしまった中学生男子が主人公という異色の設定で、その盗みを見た別の女子からサディスティックな責めを受けることになる話です。
中学生の自意識をリアルに描きながら、なんとも粘着質の被虐的ドラマをくり広げるところに独自の面白さがありました。
似たタイプの先例に喜国雅彦の『月光の囁き』がありますが、あちらは耽美かつエロティックで、マゾヒズムの定型に則していました。
一方、『惡の華』はもっと泥臭く、幼児的に暴走するところがあって、そのあたりのはちゃめちゃぶりを楽しめました。にもかかわらず、高度な心理ドラマが描ける才能豊かなマンガ家の登場を印象づけたのです。
「いまさら」感のまったくないスリリングな展開
『ぼくは麻理のなか』の題材は、入れ替わりです。
この夏、『君の名は。』が大ヒットしたので、男女の精神が入れ替わる設定は、いささか陳腐に思われます。それに、そもそもこの種の入れ替わりの話としては山中恒のジュブナイル小説『おれがあいつであいつがおれで』があり、その映画化である大林宣彦監督の『転校生』という古典的なヒット作があるので、「いまさら」の感をまぬがれません。
私もそんな先入見をもって読みはじめたのですが、『ぼくは麻理のなか』は、『転校生』や『君の名は。』の明朗な物語とはまったく違う、押見修造の個性を活かしきった粘着質の心理ドラマとしてみごとに成立しています。
主人公の小森功(いさお)は大学3年生。しかし、大学には行かず、下宿に引きこもり状態で、もっぱらゲームとオナニーにうつつを抜かす毎日です。唯一の興味は、毎晩コンビニで会う美少女をストーカーまがいに追いかけることです。そんな功がある朝めざめると、精神は功のまま、体はコンビニで会う美少女になり、その少女・吉崎麻理の家のベッドにいました。
麻理の通う高校に行っても何もわからずとまどうばかり。そうした麻理の変調を見破った女子の同級生がいました。ひそかに麻理に好意を寄せる柿口依(より)です。依は功=麻理を問いつめ、真実を吐かせます。その結果、功と依は学校や世間に対して共犯者のように秘密を守りながら、消えてしまった麻理がどこに行ったか、探索を始めることになります。
依は功のふがいなさを攻撃し、功は自暴自棄寸前で依にすがりつくという、いささかサドマゾ的な関係がスリリングに展開して、決して飽きさせません。
入れ替わりの物語にありがちなパターンをうまく外して意表を突く展開にもちこみ、しかし、最後はきちんと合理的な解決を提出してみせます。単なるファンタジーに逃げないところが立派です。
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