2016年9月内閣府から最新のひきこもり調査の結果が報告された。内閣府による調査が2度目であることもあってか、メディアではあまり話題にはなっていない。各新聞社は報道しているがそのトーンは低調である。日本経済新聞の報道では「初めて調査した前回の2010年から約15万人減った」というような記述もあり、発表内容にニュースバリューがあまりないと判断されたのかもしれない。
しかし、内閣府の調査報告書を詳細に読むと、いくつもの発見がある。前回の調査にはなかった項目が加えられていて、そこから新しい事実が判明しているのだ。特に注目すべきなのは「ひきこもり経験」(現在はひきこもりではない)の質問が追加されていることだ。ひきこもりを経験したのは8.4%、288万人(点推定値)であることがわかった。
現在、ひきこもり状態にある若者は1.6%とされ、それに経験がある若者8.4%を加えると9.7%なる。つまり、およそ10人1人の若者が、過去にひきこもり経験があるか、現在ひきこもりであることになる。
現在状態のひきこもりの調査は過去にも行われきた。それらの調査では、ひきこもりは100人に1~2人という割合で起こるものだということが明らかにされてきた。この程度の割合であれば、珍しいというわけではないが、頻繁に起こることというわけでもない頻度だ。日本の一部で起こっている問題に過ぎないとみなされる程度だろう。しかし、今回、過去の経験を含めた調査が行われ、ひきこもりという状態は決して稀なものではないことがわかった。
また、今回、新たに付け加えられた家族調査(対象者の家族が本人の状態を記載する形式)の調査結果からも新しい知見がみられる。家族調査では本人調査よりも多い87万人(人口の2.55%)が現在ひきこもり状態だという結果であった。
本人調査という形式は、ひきこもり状態にある本人が調査者と対応をしなければならない。比較的状態が良いひきこもりの場合は調査員との対応も可能であろうが、状態が悪化していればいるほど、調査に答えられないという欠点が本人に調査にはある。その点、家族調査では本人の状態が悪化していても、調査が可能であるという利点がある。したがって、本人調査の結果よりも、家族調査の値の方が信頼性は高い。数字を見る限り、本人調査では把握できていないひきこもりが家族調査で把握されており、その規模も本人調査より大きく、現在状態としてのひきこもりも見逃せない規模にあることが再確認された。
調査はどのように報道されたか
内閣府による新しいひきこもり調査がどのように報道されたが詳しくみていこう。主要な新聞では何らかのかたちで今回の調査は記事になっていた。しかし、前回の2010年の調査の時に比べると、扱いが非常に小さいという印象を受けた。インターネットで確認できるのは、日本経済新聞の記事や読売新聞の社説である。
読売新聞の社説では「人数自体は、2010年の前回調査より15万人減っている。雇用情勢の改善などが影響したとみられる」と分析されている。雇用情勢が影響したというのは読売新聞以外では確認できていないが、ひきこもりが「減少」というのは各社が報道している。内閣府の担当官もこの調査結果を発表した記者会見で減少したという発言をしたことが日本経済新聞の記事から確認できる。
新聞社以外では、ダイヤモンド・オンラインにおいて、ジャーナリストの池上正樹氏が、40歳以上にもひきこもりもいるはずなのに、調査の対象は39歳までになっている。このような調査では実態が把握できないと批判を行っている。しかも池上氏の報告によれば、内閣府の担当官は40歳以上のひきこもりを「厚労省のほうの仕事」であるから調査をしていないと縦割り行政の事情を述べたうえで、その実態は「正直言ってわからない」と答えたという。
ひきこもり調査をしている内閣府の部署は青少年政策である。青少年ではない40歳以上は、担当部局にとっては対象外なのである。したがって、調査も39歳までという設計がされているのだ。
このような批判の詳細は池上氏の記事で語りつくされていると思われるので、興味がある方は池上氏の記事を見てもらいたい。本稿では、内閣府が公開した報告書を読み解く作業をしていきたい。
マスメディアの報道を見る限りは、この報告書を正確に読むことはできていない。また、調査をした内閣府の担当者も調査結果を正確に把握できているようには思えない。聞くところによると、この調査を計画した担当官は今年度に人事異動で他の部署に移り、後任の担当官が記者会見に臨んだため、調査の内容についてほとんど知らなかったという事情があるようだ。しかし、それだけではない。内閣府としてアピールできる情報がこの報告書にはいくつも含まれているにも関わらず、そのチャンスを逃したように思えるのだ。
なお、内閣府のひきこもりの調査やその調査法については筆者が以前に検討をしているので、興味がある方は参照されたい(井出 2014)。本稿では内閣府の調査設計に疑義を挟まず、調査結果を読み解いていきたいと思う。
ひきこもりは減少したのか
先に述べたように、ひきこもりは減少したように報道されている。内閣府も減少したという見解を述べており、日本経済新聞によれば「スクールカウンセラーの配置など『政府の取り組みの効果が出ているのではないか』」と分析している。
だが、不登校の小中学生が減少していないなか、ひきこもりだけが減少するというのは奇妙である。この分野について多少知識があれば、内閣府の出したコメントのおかしさに気づくはずである。現象が増加すれば対策予算を求め、減少がみられれば、政策の効果だとしてどんな結果が出たとしても行政の手柄にするという傾向は行政にはみられる。そのように解釈したい気持ちはわからないではないが、説得力に欠ける。
なによりも、ひきこもりは減少したのであろうかということを一番に問うべきであろう。内閣府の担当官が統計学的な知識が乏しいために、今回の調査結果をひきこもりの減少だと理解したのだろうが、それは誤りである。
ひきこもりの数を推定するこの調査は、一般的には疫学調査に分類される。疫学調査は一般的に病気の発生について調べるものであり、同様の方法がひきこもりにも応用されている。
内閣府の調査で対象となっている15~39歳の日本人の人口は3,445万人である。調査をする際にもっとも正確な値を得るには、対象者全員に調査することである。しかし、3,445万人全員に調査をするのは時間的にも予算的にも不可能である。そこで、サンプリング調査と呼ばれる調査技法を使用する。この3,445万人の中からランダムに偏りがないかたちで、サンプルを抽出する。この調査では5,000人がサンプルとして選ばれている。この5,000人で得られた結果から、日本人の全体像を推定するのである。
5,000人が対象といえども、全員が調査に回答するわけではない。多忙で調査に答える暇がなかったり、健康状態がよくないために調査に答えられなかったり、そもそも調査に答えるのは面倒だったりといった様々な理由で調査協力は得られない。実際に内閣府の調査に回答したのは3,115人、5,000人の対象者の62.3%であった。
この中で、ひきこもり状態に判断されているのは49名である。3,115人中の49名なので、ひきこもりの割合は1.57%となる。15~39歳の人口は3,445万人なので、そこに1.57%を掛け算して、54万人という推定値が算出されている。
この種の調査では必ず誤差が生じる。ひきこもりに該当したのは49名だったが、仮に1名増えると推定値はおよそ1.1万人増加する。10人増えれば11万人推定値が増加する。たまたま該当者が数名増えたり、減ったりするだけで、推定値は何万人という単位で変動するのだ。
回答者や調査時期によって、回答は左右されるし、サンプリングの際にたまたまひきこもりの人を多く選んでいたり、逆に少なく選んでいる可能性もある。サンプリングを行った疫学調査では、このような誤差が必ず生まれる。
さほどの3,445万人に1.57%を掛け算するというのは、疫学では点推定値と呼ばれる。この点推定値が多少動いたからといって、実態が変化したと捉えるのは、疫学調査の誤った解釈である。
では、どのように把握するのかというと、区間推定値という手法を用いる。簡単に言えば、統計学的にほぼほとんどの確率で、この範囲に推定値が収まると範囲を計算するのだ。一般的には統計学では95%信頼区間という区間が使用される。これに倣い、前回調査(2010年調査)と今回発表された2025年調査の95%信頼区間を示したのが図1である。
図1 2010年調査、2015年調査の95%信頼区間
2015年調査は39.1~69.3万人の区間が推定値であり、前回の2010年調査は52.0~87.3万人の区間が推定値である。図の線の広がりが区間推定値であり、そのちょうど真ん中に点推定値がくる。調査に誤差があったとしても、この線の広がりの中にほとんどの確率で収まると考えてよい。
この区間推定値が重ならなかった場合には、「統計学的に有意な差がある」とされる。しかし、図1にもみられるように2つの調査の区間推定値は重なっている。つまり誤差の範囲で数値が動いたに過ぎないのだ。つまり、前回2010年調査と今回の2015年調査のひきこもり推定値が異なるのは誤差なのである。【次ページにつづく】