大変です。生まれてこのかた23年になりますが、初めて肛門に痛みを覚えています。何をしていても意識が肛門に向いてしまうほどの、無視できない痛みです。いつでも考えてしまう、これって恋かしら。
※この記事は肛門およびその周辺の下品なワードが頻出します。避けては語れないので。裂けてはないと思います…が。よって、人様に呼んでもらう記事ではないと判断し、これ以上読まないことを強くおすすめしています。これはぼくの備忘録です。
さて、肛門の痛みですが、排泄を済ませ、お尻を拭いているさいに気がつきました。痛いのです。痛すぎます。いつも使っているはずのトイレットペーパーが、紙やすりにしか思えないのです。紙やすりで肛門を削っているかのような激痛。安いトイレットペーパーを恨みました。
そして、ぼくの脳裏に浮かんだのはそう、「痔」という悪魔のワード。一文字でこんなに人をネガティヴな気持ちにさせる単語、他にありますか。「じ」ではなく、「ぢ」という表記からも、厄介者であることがビシビシ伝わってきます。額に汗水たらして必死の形相で便を拭き取った肛門に、おそるおそるタッチ。好きな子にメッセージを送る「送信」ボタンのように、優しくタッチ。デキモノは確認できません。イボ痔ではない、と素人判断を下します。
それからというもの、イスに座ってもかすかに痛いですし、歩いても少し痛みます。どうして。清潔感と凛々しいまゆ毛だけが取り柄のこのぼくが。肛門周辺の環境には気を配ってきたつもりだったのだが。痔なのか。ひょっとするとひょっとして、痔なのか。痔かどうかをジャッジしてくれるアプリもありません。誰かに見せるわけにもいきません。
ただぼくには、少し後ろめたい気持ちがあります。何を隠そう、ウォシュレットが大の苦手。あの、中途半端な温度のお湯がくすぐるかのように噴出されるのを、肛門で受け止められないのです。中世の拷問ですよあんなもん。ゆえに、ウォシュレットには頼らず、非常にアナログな手段でクリーニングしてきました。そのせいで完全に綺麗になっていなかったのか、はたまた肛門が摩擦に耐えかねたのか。
いずれにせよ、ぼくのお尻はぷぅ〜と悲鳴を上げています。息をするのも苦しいです。そんなさなか、『アフロ田中』で読んだ、肛門を日光に当てる健康法を思い出しました。普段日光に当たらない場所だからこそ、健康のためにいいんだとか。ここだけの話、ちょっと試しました。1~2分くらい。効果はありません。後悔はあります。乾燥して悪化した可能性も否めません。
いつだったか、朝のニュースにぼくの大好きなスポーツカー・ランボルギーニが映し出されていたことがありました。「ランボルギーニだ!」興奮して叫んだぼくに母がひとこと、「ん?ボラギノール?」「いや、ボラギノールは痔の薬だから!」
悲しいかな、ぼくがいま心の底から必要としているのは、激走するランボルギーニよりも、激痛を治めるボラギノール。なのかも知れない。