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私がETS手術を受けてしまったのは、もう15年も前になる。
正直、今の辛さで精いっぱいなのに手術時も振り返ることが非常に辛い。

ペインクリニックの紹介から大学病院で手術を受けた。
本当に悔やんでも悔やみきれない。
この記事を書いていても感情を抑えることができない。

もっと冷静に一つ一つの画像を検証して、時間をかけて整理するつもり
だったのだが。
一枚目の切断前の画像を見ると、自分の健康だった時を思い出し、慚愧に
さいなまれ、涙を禁じえない。

あれから、幾日元の体に戻りたいと願い、祈り生きてきたのだろう。
どんなに苦しくても、汗でみじめになっても、乗り越えられる。
そう信じていた時は、確かにあった。

私の苦痛を知ってか、一番の肉親が『神様は越えられない試練は与えない
それを乗り越えられるから、その試練を与えるんだ』
と、いつも言っていた。

でも、そんなの嘘だよ!

わたしは、こんな試練に耐えられない。画像を見るだけで、過去を捨て去ることが
できないでいるのだから。
切断前の体であれば。その瞬間に時間が止まればと今でも思ってしまう。

私は、左右両側をT2・3・4を切断している。
正確に言えば、クレーター状の瘢痕が残るように、焼き切っているのである。
計6箇所になる。
真田家の家紋の六文銭の様に円く六ヶ所傷が体内に残っているように見える。

私は、前日に後に妻になる人と病院の喫茶で会っていた。
『あんたのことだから、手術前に逃げ出しそうだね。』
なんてこと言っていた。

前日の夜には、母に、本当に手術を受けるべきか迷い、なにか言葉があれば
辞めてしまおうとも思った。

しかし、電話は話し中で繋がらなかった。
後から聞いたはなしでは、手術を決断してしまった私のことを姉に相談していたのと
じっとしてはいられなかったのだろう。

私は、手掌多汗症ではなかった。

この手術を受けることに対しては、誰もが首をひねっていただろう。
今の自分が思い出してもなんでなのか全くわからない。

社会人一年目で精神的にまいっていたのだろうか?

でも、上司も先輩も本当にいい人ばかりだった。
ただ、パワフルさは学生の比ではなかったが。

わからないけれども手術を受けてしまった。

麻酔なんて簡単なものだ、私は3秒までしか覚えていない。

目が覚めた時、息が全くできなく苦しくて苦しくて手術室でのたうち回った。
どうやら肺が膨らんでいなかったらしい。
突然、呼吸ができないこととはあんなにのたうちまわるのかと思う程苦しかった。
でも、私が確信していることは、ああいう突然のことで苦しむのは苦しいが、認識
をしてないので、自殺をするよりは確実に楽です。

私は、あの時にチャンスを与えられたのだと今でも思う。

今後の人生は、代償性発汗により生き地獄を歩むことになるから、それならばいっそと
ご先祖様が必死に私を連れていってくれようとしていたのではと本当に思っている。

私のもだえ苦しむ姿に、医師と看護婦等が慌てた声で『おとせ!おとせ!』と叫んでいたのを
私は記憶している。
そして私は、また麻酔により意識をなくした。

次に目が覚めた時には、嘘のように穏やかに目が覚めた。

ベッドに運ばれても痛みも何にもない。
ただ、ぼんやりとこの手術とはなんだったんだろうとは考えていた。
口には、酸素マスクが当てられていたが。

当初1時間くらいで終わるはずの手術が、肺が膨らまなかったことにより、3時間半程かかった
らしい。
家族は、そのことを心配していたと後から聞いた。

(本当は、その時間にご先祖様が必死に僕を連れってってくれようと頑張ってくれていたんだよ!
とは言わなかった)

翌日にレントゲンを撮って退院となった。

傷口を縫うこともなく、こんな簡単な手術で自殺しなければ(私は安楽死で死ぬことを求めているが)
ならない程苦しむなんて夢にも思わなかった。
輸血ももちろん無し。

費用は、医療保険とか組合とかの保険が絡んで、入院費含めて4万円程度だった。

正直いうと、本当に悔しいし悔しいし、医者なんて死んでしまえと思うし、医療なんて全く信じられなく
なったし。
国も信用できないし、厚労省も信用できないし。
どうせ殺すなら、もっとましな『死に場所を与えてくれ』と思うよ。

15年たったって、写真を見れば涙がでるし、手術のことを思い出すのが本当に辛い。

ps:写真の詳しい内容をペインの医師に分かる範囲でレクチャーを受けて時間かけて
  もう一度、整理したいです。(15年前に少し聞いただけなので)


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