fujipon先生のこのブログ
とても丁寧な筆致で、なるほどなぁと強く思わせられる。
私がつい考えてしまったのは、フランス革命時の貴族のことである。あの時代も1〜2%の人々が富を独占していた。人間という種は放っておくと1〜2%の人に富が集中するように出来ている種族なのかもしれない。人間には能力の個体差があるから富が偏在するのは仕方がないことなのだが、この格差によって美味しい思いをする一部の人間がいるので、これからも意図的に人間社会では1〜2%の人によって格差が作り出されて行くのだろうと思う。
「分断」といえば、かつて被差別部落が人々の結束を高めるためにスケープゴートとして意図的に作り出され、その立場を利用されたことを思い出す。
私は、個人的に、医師という職業が昨今の「分断」の象徴的存在だと感じている。
よく言われている「上級国民」というものの筆頭にあげられるのが医師だ。今回はこのことについて書いてみたいと思う。
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少し前、フリーキャスターの長谷川豊氏のブログが大炎上したのは、皆さんも記憶に新しいところかと思う。
彼の主張の背景には「医信」という若手医師集団の考えがあった。長谷川氏のブログで出ていた「医師から聞いた」というのはおそらくこの若手医師たちだ。講演会で一緒に登壇したりしていた。
くだんの医師集団は、炎上が起きたらこれまでの記事を削除してあっと言う間に逃げてしまった。実に鮮やかな逃走だった…と思う。
ご存知のように、長谷川氏1人がバッシングを受け続け、彼はみるみるうちに仕事を失っていった。
「医信」にいる医師というのは、私とほぼ同世代の医師だ。だからなんとなくその感覚はわかる。
普通に付き合うのであれば、育ちがよく、礼儀正しく、勉強を怠らず、意識が高くとても立派な人たちだ。その美しい仮面の下に残酷な選民思想が隠れていようとも、まぁ心情的にはそうなるよなぁと思ってしまうくらいには、本人たちは努力家で勤勉だったりする。
私の知人の医師たちもそうなのだが、最近の若手の医師は、あまりにも純粋培養型のエリートが多くなりすぎた。医信の存在を知ったときに、私がまっさきに感じたのはこれだった。
いまの20代〜30代の医師というのは、多くが医師である親のもとに生まれ、子どものころから塾や家庭教師について勉強し、中高一貫の私立進学校から医学部に進むという人が非常に多い。何代も続けて医師の家というのも医学部では珍しくない。
昨今の医学部人気は異常なレベルで、とてつもない受験テクニックを要求される。子どものころから受験技術を磨き続け、家族も総力をあげて応援する。おのずと整った環境の、粒よりの子ばかりが医学部に入学することになる。
当然だが、この人たちは育つ過程の中で、自分と同じような家庭環境の整った育ちのよい子どもとしか触れ合ってきていない。私が危機感を覚えるのはそこだ。
彼ら彼女らは、整った環境が初期設定値になってしまうから、そうでない人々がなぜそうなったかを理解できなくなる。
長谷川氏のブログで語られた自己責任論、選民思想、死ねとまで思うほどの一部の患者に対する強い嫌悪感はここに由来する可能性がある。
われわれも、すでに「分断」されているのだ。 - いつか電池がきれるまで
格差社会で怖いのは、自分の階級以外の人間と接する機会がほぼなくなること。日本でも、都心私立中高一貫組やまして私立小学校になってくると、人生において接点を持つ機会がなくなる。尊重も何も知らない人になる。
2016/11/11 20:30
私は中学校は公立だった。公立なので実にいろいろな人がいた。
中1のころ、顔見知りになった年上の女の子がいた。色の白い子で体躯は少しずんぐりとしていた。会えば二言三言、軽く言葉を交わしていた。
ある日突然、彼女のお父さんが強盗事件で逮捕された。お金に困っての短絡的で衝動的な犯行だった。名前も住所も新聞に掲載された。(住所と言っても工務店の一角を改築して建てたプレハブに彼女はお父さんと二人で暮らしていた)
彼女は事件後も何日か学校へ来ていた。気丈に振舞っていた。人前では絶対に泣かなかった。学校中が「あの子のお父さん捕まった」と噂していた。そのことも彼女は知っていた。父親そっくりの猫背でずんぐりした体で、まわりを威嚇するように睨みつけていた。
数日して学校へ来なくなった。
彼女はこれからどうなるんだろう。お母さんは、家出かなにかをしていないと聞いていた。よそに新しい家族を持っているかもしれない。住むところはお父さんが雇われていた工務店の一角だがこれはどうなるのだろう、彼女はこれから一体どうなるんだろう?
彼女と私の何が違うのだ。ただ、たまたまそういう父親のもとに生まれただけじゃないのか。まわりの人から無言で蔑まれているあの子の姿は、ほんの少し歯車が違ったら、自分だったかもしれないのだ。
環境の整った私立の進学校へ行った子どもが、こんな思いを胸に刻み込まれることはあるのだろうか?おそらくないと思う。
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去年のまとめだが、なるへそと思ったものがあるので載せたい。
団塊世代くらいまでは、貧乏な家庭に生まれても、勉学によってその階層から脱出することが可能だった。大学の学費がものすごく安かったのもある。団塊世代くらいの人には「親は中卒だが子どもは大学へ行った」というような人がちらほらいるし、優秀な層がずるりと階層を移動したあとに残ったのがいまの社会だという説もある。
前出のように医師は整った環境で育った人が多い。悩ましいのは、本人がそれを自分の実力だと思ってしまうことだ。もちろん受験勉強を頑張ったのは本人の努力に違いないのだが。
知人の女医さんなんかは受験勉強もほとんどしていない。両親がともに医者で、推薦枠で私大医学部へ進んだ。私大医学部の学費が莫大なのは皆さんも知るとおりだ。今、その子の出た大学を調べてきたら6年間で約3000万だったウヒョ〜。
学校側も同じ成績なら親が裕福なほうを入れる。学費が取れるかどうかは私学にとっては切実な問題だからだ。
われわれも、すでに「分断」されているのだ。 - いつか電池がきれるまで
これからの格差社会で、日本の医者は、憎悪の対象になっていくと思うよ。だって、貴族すぎるもの。
2016/11/12 08:50
これは医師側からしたらちょっと怖い発言だ。
医療現場はハードだ。建前上は病院はどんな患者さんでも受け入れなければいけない。
知人の同僚で患者さんに殺されてしまった人もいる。数年前なのだが普通に報道されていたので衝撃だった。
以前、このブログのエントリで「患者さんはイノセントではない」というエントリを書いた。医学の話は複雑だからそれを噛み砕いて患者さんに説明するのも仕事のうちなのだが、どれだけ頑張って説明しても理解できない人もいるし、言ったことを覚えていない患者さんもいる。バカの壁を感じる。
非常識な患者、倫理観がない患者、いっぱいいる。人に対して寛容でなければ医者はやっていけない。ストレスもすごい。医療人というのはやたらと寛容さや忍耐を求められる。これでさらにお金を持っているからというだけの理由で憎まれたらと思うと、これはなかなか理不尽である。
個人的には、勤務医の年収はあのハードな仕事のわりにそれほど高くないので、貴族とちゃうやろ思うのだが、それでも憎まれてしまうくらい日本は全体的に貧しくなってしまったのかと思うと恐ろしい。貧困はもっとも最悪の社会悪だと言われるが、貧困問題をすぐに是正してくれと思う。
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人と人を分断するのは主に経済格差だ。
以前、夫から、夫の友人夫妻が赤ちゃんをあやしている姿を見せられて、ぼろぼろに泣いてしまったことがあった。
子どもを持つ事ができるという経済的な面だけでなく、私が虐待を受けて育ってきたことや発達障害を持っていること、子どもを生んだらおそらくその障害が遺伝するであろうこと、卵巣腫瘍ができて子どもを持つことが絶望的になったこと、いろいろな要因が絡み合って感情を制御できなくなって泣いてしまった。
もともと子どもを持たない予定だったのだが(これは経済的な理由で)私の卵巣腫瘍で持たないことが決定的になってしまった感じだった。
夫は友人たちが好きだ。だから裕福な友人たちとも経済格差から意図的に目をそらして上手に付き合っている。私からみると夫はすごいなと思う。精神的にとても大人なのだろう。
だが、心理的にはとても無理をしている。
このことは夫の友人たちはおそらく気づいていない。「この人はそういうことを気にしないくらい友情を大切に思っているんだろう」と思ってそうな気がしてならない。持てる人は、持たない人の心理的な負担について、たいてい、とても鈍感だからだ。
純粋培養型のエリート医師もそうだ。彼らは自分が恵まれていることにおそろしく鈍感だ。
人と人を分断するものは経済格差だけではない。想像力のなさだ。
分断を埋めうるものは想像力だと思う。
私は、非正規雇用を増やす政策や、アベノミクス政策は日本分断化計画だと思っている。これらの政策で、多くの人が分断されていった。格差のためにわかりあうことが出来なくなった。同胞なのに。とても残念だと思う。
われわれも、すでに「分断」されているのだ。 - いつか電池がきれるまで
理解し合えない人は存在する。尊重と言うと綺麗事に聞こえる様だが、相手の価値観や行動様式を知るか推察する機会を持ち、彼等と表面上だけでも上手く付き合う妥協点を探すのが尊重だと思う。
2016/11/12 06:52
おわり