トランプ大統領誕生は、大変な衝撃を持って受け止められていますね。私は、当初はヒラリーのほうが有利ではないかと思ってはいましたが、何となくトランプ大統領もありかも、という気もしていました。
今回の結果は、単なる庶民の怒りの発動というよりも、「普通の人々」が、「現在の世界の仕組み」というものにNOをつきつけた結果なのではないかと考えています。
その仕組とは、「高度な教育を受けたごく一部の層」が、ソフトウェアを作ったり、稼ぐ仕組みを設計し、「手を動かす部分」は人件費が安い新興国に投げ、世界中に売りまくる、というものです。
この仕組みを牽引するのは市場の力であり、安くて良いものを求める消費者であり、情報や物の流通を容易にする通信技術の発達であり、大企業に有利な税制、知的所有権、規制緩和です。
「高度な教育を受けたごく一部の層」の国籍や人種は様々だけれども、多くは先進国の大学や大学院で専門教育を受けているので、似たような価値観を共有しています。
その価値観とは、性差別撤廃、人種平等、少数派の権利の保護、平和、不細工な人々を「顔面的に挑戦されている人々」と呼ぶ様な「政治的な正しさ」の推進です。
世界はメリトクラシー(職能主義)で運営されるべきであって、既存の仕組みはディスラプト(システムやプロセスの破壊のこと)されるべきだという哲学も共有しています。
ディスラプトはシリコンバレーやケンブリッジのテクノロジー系の起業家が好むバズワード(流行り言葉)です。少数派の保護や政治的な正しさに関しては、社会福祉など政府の介入も必要とするソーシャルリベラリズム的な価値観も持ちつつ、リバタリアン的な考え方も共存しています。
経済、ソフトウェア開発、情報アーキテクチャの設計、統計解析、会計、法律、新薬の開発、リスク管理、電気工学、物理などの教育を受けているので、英語が通じるところであればどこに行っても仕事があり、大抵の場合、その仕事は地元の平均報酬の数倍です。
受けている教育も同じなら、国籍も人種も違うのに、ライフスタイルも似ています。会員制のジムに通い、アップル製品を使い、キノアやアボガドの乗ったサラダを好み、高価なコーヒーマシンでエスプレッソを作り、ディスカバリーチャンネルを好み、寿司やタパスを楽しみ、バハマやパリに遊びに行き、ブロンプトンの折りたたみ自転車を持っていて、シーツはオーガニックコットンで、冷蔵庫には豆乳やタヒニがはいっている。
家は北欧系のセンスで、イタリアの家具が置かれ、低賃金移民によって掃除されるのでいつもピカピカです。近隣の人達も高報酬なので、同じ地域の住宅価格は上がる一方です。治安はよく、犯罪とは無縁です。学区内の公立や私立の教育レベルは高いので、子供達も専門職や知識産業で稼ぐようになります。
こういう人達がグローバル化によりますます豊かになる一方で、国内からは「手を動かす部分をやる人」や、「手を動かす人を管理する人」の仕事は消えます。その代わりに、物を売ったり、老人のオムツを取り替える仕事が増えます。
こういう仕事には熟練した技能は必要ないので、人々は時給いくらで雇われ、長期の雇用の保証もありません。かつての正社員に比べると報酬は数分の一で、健康保険も払えないし、個人年金なんてかけられません。企業年金はないし、組合もないので賃金交渉もありません。
1979年には、アメリカでは企業は働く人の半分に企業年金を提供していたのに、現在では35%のみです。50年前ゼネラル・モーターズの工場のライン工は、組合に守られていたので、今の価値にして一時間約3600円を稼いでいましたが、現在では、ウオールマートの店員の時給は約1000円です。
アメリカ労働統計によれば、2015年のアメリカの保育士の年収中間値は約280万円、店員や道路工事はそれ以下で、年収200万円、年収150万円、もしくはそれ以下の人達もいます。カルフォルニアのサンラファエルで働くコンピューターシステム管理者の年収中間値は約1800万円です。これはトップ層の収入ではなくあくまで中間値です。
非正規雇用の人は使えるお金も限られているので、近所の売店や食堂も儲からない。子供の大学の学費も払えない。世界中から人が来るから大学の学費が高騰してしまったからです。家だって治安の良いところは値段が上がってしまったから、強盗に怯えながら安いところに住む他ありません。
冷蔵庫に入っているのは冷凍ピザ、冷凍のテレビディナーで、巨大なコーラで揚げ物やポテトチップスを流し込むのが楽しみ。ジムに払うお金なんてなくて、運動する時間もないし、そもそも家は近所をジョギングできるような場所にはありません。ヨガもキノアも聞いたことがない。休暇に費やすようなお金もないし、そもそも時給いくらで働いているから、休んだら稼ぎがなくなってしまう。だから州の外には一度も行ったことがない。産休も病欠もなく、病気になっても健康保険がないから病院にかかれない。
楽しみはケーブルテレビ。パソコンは使い方が良くわからない。だからソーシャルメディアで選挙議論なんてやらないのです。それにそんな時間もない。
年収150万円の人達にとっては、アメリカンドリームとは、移民と競合しないこと、仕事があることを保証されることであって、それを実現してくれそうなのが、テレビでよく見かける面白いオッサンだっただけの話です。
ヨガとエスプレッソを楽しむ人達にとっては、女性を選ぶことには意味がありました。それは自分が望む世界の実現であるからです。それに移民が増えても自分の家の掃除をする人が増えるだけで、複雑なソフトウェアを設計できる自分の仕事は脅威にさらされません。
年収150万円の人達は、「友愛」「平和」「人種平等」「女性の権利」を叫んでも、自分の時給は上がらないし、正社員の仕事はみつからないし、家のローンが払えるわけでもなく、次々にやってくる移民と、床掃除の仕事の取り合いになるだけなのです。