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【首都スポ】

[ラグビー]31歳で初めて代表入りしたプロップ山路 ジョージア戦で控えメンバー入り

2016年11月12日 紙面から

10月24日、日本代表合宿に初合流し、躍動感あるプレーを見せた山路泰生=秩父宮で

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 苦労人がジャパン・デビューへ−。ジェイミー・ジョセフ新ヘッドコーチ(HC、46)を迎え、欧州に遠征中のラグビー日本代表に、超ユニークな経歴を持つ新顔が加わった。プロップ山路泰生(31)=キヤノン=は、関東大学リーグ戦グループ3部の神奈川大から当時は地域リーグの関東社会人1部だったキヤノンに入社。それから10年かけて、チームはトップリーグの上位に定着し、自身は31歳で初めて日本代表入りを果たした。そして、12日に敵地で行われる国際親善試合・ジョージア戦でリザーブ入り。三十路(みそじ)で世界と戦う舞台にようやく立った異色ラガーマンの波乱の人生に迫る。(文・写真=大友信彦)

 「テレビのドッキリ番組かと思いましたよ。ミーティングでいきなり、(キヤノンの)永友監督に『日本代表に招集されたから合宿に行ってこい』と言われて…。みんな『おー!』と喜んでくれたけど、僕は信じられなかった(笑)」。山路泰生はそう言って、日本代表選出を知らされた日のことを振り返った。

 31歳。これまでのラグビー人生で代表チームとは無縁だった。数年前までは、トップレベルで試合をすることさえ、なかったことなのだ。

 兄4人、姉2人の7人兄弟の末っ子として東京・上野で生まれ、日暮里で育った江戸っ子だが、中学高校は長崎へ。家族はそろってクリスチャン。幼少時から教会に通っていたこともあり、神父を目指して修道士養成所を併設する長崎南山中学・高校に国内留学した。しかし、中学から高校に進学するころに父が亡くなり、いったんは実家に帰ろうと決意。兄姉たちの説得で学校にはとどまったが、神父になろうという夢はしぼみ、目標もなく過ごしていた高1の2学期にラグビー部へ入った。

 「中学校のころからラグビー部の監督に『ラグビーをやれ。絶対いい選手になるぞ』と誘われていたんです。そのときは『修道士コースなんで無理です』と逃げていたんですが、一般コースに移った次の日から教室まで先輩や同級生が勧誘しにくるようになって(笑)」

 始めてみると、ラグビーは性に合っていた。頑丈な体格を生かして2年生から公式戦に出場。全国大会や高校代表候補には無縁でも大学でもラグビーを続けようと決め、明大のセレクションを受けたが落選。関東大学リーグ戦3部の神奈川大に進学したが、在学中に昇格はできなかった。

 関東社会人1部のキヤノンに就職したのは同社ラグビー部のGMが神大OBだったことからだが、当時は土日のみの練習。平日はコピー機の営業に奔走し、練習グラウンドも毎週のように変わる流浪のチームだった。

 だが、人生はにわかに好転し始める。入社2年目の2008年の夏、会社がチームの本格強化を決定する。キヤノンの御手洗会長がラグビー協会の森会長(当時)に『キヤノンさんもラグビーチームを作ってくださいよ』と勧められたのが始まりだった。

 「本気でやるヤツを募られたときは、真っ先に手を挙げました」。平日も練習する生活が始まった。日本代表や外国代表の猛者も移籍してきた。練習環境も整っていった。高校時代から望んでいたラグビー主体の生活がついに始まった。

 09年、関東社会人1部からトップイーストに昇格し、そこも3年で通過。トップリーグ昇格に合わせ、観客席とジム、サブグラウンド、大型スクリーンまで完備した「キヤノンスポーツパーク」も東京都町田市に完成した。気が付けば最古参選手にもなっていた。そしてついに日本代表から声が掛かった。

 「信じられなかったけど、自分ではずっと諦めてはいなかった。大学時代や、関東社会人1部でプレーしていたころも、代表入りをずっと願ってました」

 面白い縁がある。キヤノンがまだトップリーグに昇格する前、サントリーのコーチを退いたばかりの長谷川慎さん=写真=がキヤノンの臨時コーチに来てくれたことがあった。

試合会場での前日練習で、長谷川コーチ(右)に激励を受ける山路

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 「慎さんにはスクラムの奥深さを教えてもらった。ノートに書いて、いつも読み返していたんです」。その長谷川コーチが日本代表のスクラムコーチに就き、自分が代表に呼ばれた。

 「慎さんの求めるレベルにはまだまだだけど、31歳で呼ばれたってことは『コイツはまだ伸びる』と評価されたんだと思う。それを裏切りたくない」

 うれしいことはまだある。末っ子の活躍が、疎遠になっていた7人兄弟を結び付けたというのだ。家族が自分の活躍を見て喜んでくれる。「プレーできるのは幸せですね。プレッシャーはないです」。12日に山路は初めて桜のジャージーを着る。回り道を重ねてきた31歳の挑戦が始まる。

◆東京都台東区生まれ

 <山路泰生(やまじ・やすお)> 1985(昭和60)年2月20日の東京都台東区生まれ、荒川区育ちの31歳。180センチ、108キロのプロップ。7人兄弟の末っ子で、クリスチャンとして育つ。クリスチャンネームは「レオニッサ・ヨゼフ」。長崎南山高校1年でラグビーを始め、神奈川大を経て2007年、関東社会人リーグのキヤノンに入り、12年のトップリーグ昇格に貢献した。家族は妻と2女1男。

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